読者の方からある動画を紹介してもらいました。
ウクライナの歴史や内情がわかる動画です。かなり詳しいことがわかります。
この動画はブログに貼り付けることが出来ない設定になっているので、ここをクリックしてユーチューブから直接御覧ください。
ここからは私の感想といつもの与太話。
結論から言うと「信じられない」ようなことばかり起きていたということ。
私にとってウクライナは遠い地ですし、長い間、紛争が絶えない中東もそうで、「揉めているな」とは思ってもそこで実際に何が起きているかの認識は低かったし、ましてやウクライナには「興味さえ持たなかった」のが本音です。
でもウクライナはGoogle mapでも見てもわかるような「とんでもなく広大な穀倉地帯」であの地域では非常に重要な土地だったのはわかりますし、そして国土も大きく、東にも西にも大国があり、歴史的に「奪い合いの標的」になった。当然、国内でもどちらにつくべきかで割れるわけで、そしてなおかつ「独立派」もいて、表面的には三つ巴の抗争。それにそれぞれ大国がバックにつき問題は大きくなるばかり。
ここで日本人として違和感があるのは、「常に暴力がそこにある」ということ。
私は日本の左派がいつもいう「話し合いで解決をつけろ」というのを馬鹿にしていました。話し合いで解決が着くなら誰も苦労しないし、話し合いでどうにかなった歴史なんかあるのかと思うくらい。
ところがですね、そんな私でもウクライナの歴史を見ると「話し合いがなさすぎる」というか「白黒つけるのは暴力のみ」みたいな感じを受け、本当に恐ろしいと思いました。
日本で言えばデモ隊も警備をする警察も、「武器を持ち合い戦闘状態」みたいな。自民党と立民は武器を持って常に対峙しているみたいな。
そしてそこに「プロ集団」が関与していて、攻撃方法のレクシャーをしたり作戦を練ったり、あるいは「スナイパー(狙撃手)」を忍ばせて問題を大きくする。ここでも「嘘だろ?」と思ったのは、そのスナイパーがどこに所属しているのかという点。スナイパーは「自派を有利にするため」というより「騒ぎを大きくするのが目的」であったり。当然、「素晴らしいプロパガンダ用の殉教者も必要で、それを作り上げる(惨殺する)」なんてことも起きた。
この抗争の背後に常に見え隠れするのは「大国の意志」で、ベトナム戦争のような「代理戦争」みたいな部分もあると思いました。それだけウクライナは重要な土地だということなんでしょう。
この「抗争の歴史」を見ると、一体誰が正しいのかがわからなくなってきます。歴史的に「取った取られた」が延々繰り返され、そしてウクライナ人も二手、あるいは3つのグループに分かれて戦い続け、第三者的に見て誰が正しいのかはわからない。って、それはアタリマエのことで三者三様「求める理想が違う」わけで、善悪で決められることではない。そして全員が武器を持って戦っている。
地獄だ・・・。これが私の印象です。
私は日本人だし、好むと好まざるに関わらず「アメリカがお膳立てした戦後教育」を受けました。「日本が諸悪の元」というのは当たり前として、「平和主義」をとことん教え込まれました。「戦ってはいけない」のがすべての前提にあるのね。私は10代の終わり頃から世界を見、世界の歴史を垣間見るようになってから「日本の異常さ」に気が付きましたが、日本国内では「その異常さは【美徳】」とされているのね。
「手を出したやつが悪い」となるのはそういう世界では常識で、「とにかく争うことはやめろ」となる。
ここに大きな問題があって、「なぜ手を出したのか」はほとんど問題にならないのね。そして「白黒を付ける必要もない」ということになる。でも【戦いが収まればオッケイ】という世界。それが日本。
だから世界で紛争が起きても何がなんだかよくわからないままに「戦争反対」「侵略はやめろ」となるけれど、その根本的にある問題には意識が向かない。そして「戦争に反対していればオッケイ」と自己完結してしまうのが、今回のロシアのウクライナ侵攻に関しての多くの日本人の反応を見ていると感じるんですよ。
「自分は平和主義者」で「いかなる紛争も認めない」というのは良いにしても、「紛争が終わればそれで良い」というのは違うと思うのだけれどそこにまで入り込むことはなくて、「ウクライナは早く降伏すれば良い」という著名人まで出てくる。
「家に泥棒が入る」「愛する人が暴漢に襲われる」事が起きても、「それに体を張って対処してはならない」のが日本で、「やめろ!」といえば役目は終わる。止めなければ相手が悪いだけで、一応「やめろ」と言った自分の責任は十分果たしたと思うかのよう。
だからロシアのウクライナ侵攻でも、「ロシアは即刻、侵攻を停止して引き上げろ」と言って終わり。はい、次の問題はなに?みたいなもんで、「戦争反対」を口に出せばもうそれでウクライナ事は終了。「対岸の火事」、「他人事」。でもま、それじゃ格好は付かないから、ウクライナに援助したり、声明を出したり。国民は寄付をし、反対運動に署名する。
それしか出来ないのは間違いがないですが、思考もそこで止まっているのが私は問題だと思うんですよ。「可哀想なウクライナ。狂っているプーチン」でこの件を自分の中では片付けようとしているように見える。
こういう日本人が世界の揉め事に参加したり、当然、争いをやめさせるなんてのは不可能だと思うんですよ。
忘れられないのが、アメリカとイギリスが「イラク戦争を始める」ことを電話で当時の小泉首相に連絡をしてきたそうです。そして「我々に賛同して欲しい」と。もちろんブッシュもブレアも日本が手伝うなんてことはありえないのはわかっているけれど、「賛同はして欲しい」というのは理解できます。
その時ですね、「小泉首相は即、【イエス】と答えた」と当時の副総理だったか官房長官だった福田氏が回顧録でバラしていた。「考えさせて欲しい」とか「調べたいことがある」とか「聞いておきたいことがある」とか【時間を稼ぐことも一切せずに即答した】とのこと。
これはこれで異常だと私は思うわけで、「戦争」ということそのものに日本はなんら対処できない、しない国になったのだと思います。でもそうなることを望んだのが戦後、日本を占領したマッカーサーで、それが大成功でそのまま尾を引いている。やっぱり日本人って「平和を好む人種」でマッカーサーの作戦と合ったんだろうと思っています。日本人って不思議で縄文時代の遺跡から「武器は一切出土されない」んですってね。(弓矢の矢じりも狩猟用ばかりだそう)
でもそれだからこそ「日本は戦争をしない国」になったから良いとは思う部分もあるのだけれど、「世界とはかけ離れた存在になった」ということでもあると思っています。「侵略はしない」のは良いにしても、「侵略された国を見捨てる」ようにもなった。日本が考える「正義」を口に出すこともしないし、当然、実力行使もしない。でも【遺憾砲】という大砲を撃つのだけは得意。
口だけ外交は「話し合いでかたを付けろ」といつもいう左派リベラルの得意技で、これはバイデン率いるアメリカにもそれが見えるような気がします。私はプーチンはそこをきっちり読んで行動を起こしたと思うし、アメリカは非難決議じゃ制裁発動でどうにかなると本当に考えているんじゃないかと心配です。(私はプーチン潰しをする計画が存在するとは思っていますが)
でもま、ウクライナの歴史は正直なところ「恐ろしい」としか言いようがないと思います。価値観がまるで違う世界。
最近のウクライナの現場の映像を見ても思うことですが、「悲惨な一般市民」の映像が多いのは当たり前として、「戦う兵士たち」の映像を見ても違和感を感じるんですよ。多くは「緊迫感がない」のね。兵隊は「笑いながら、ロシア軍に思い知らせてやる」なんて喋っていたり。
これって「大作戦の前の最後の晩餐で盛り上がる」みたいな感じで、「勝利を確信している」のとはまた違う「国のため、正義のために死ぬことは良いこと」と信じているようで、違和感があるなんてもんじゃありませんでした。この辺は「死を恐れないイスラム過激派」に通じるものを感じました。
そういう人たちだからこそ、今までに何度も何度も、何度も何度も血を流す戦いを続け、今に至るんでしょう。
私としてはそういう「愛国主義者」は理解できるし、ああいう人達がいなかったらそもそも「ウクライナは存在していないのは間違いがない」と思うわけで、命を大事にするが故に「無法者に蹂躙されても降伏したほうが良い」という日本には結構多い考え方を私は理解できないでいます。
私達がゴールドコーストに家族で渡った次の年でしたか、オーストラリアには「アンザックデイ」という(戦没者追悼)記念日(かなり盛大に実施される)があって、退役軍人たちも行進をするのですが、ヨイヨイになったかなり高齢の人たちが勲章を胸に並べて自信満々で歩くのね。そしてそれに民衆は大きな声援と拍手を送る。
私は日本でそういう記念日がないことに初めて気がついたんですよ。国のために命を捧げた人たちに感謝の気持を表す行事も習慣もないどころか、自衛隊員が制服を着て歩いていたら罵倒する国、日本。最近はかなり変わったと聞いていますが、一度戦争に負けただけでこんな国になるのか本当に不思議に思います。
「戦わないのは良いこと」というのは間違いだと私は思っていて、大事なもの、愛するものを守るために命を賭けるのはあたり前のことだと私は考えています。それは戦争という意味でもなくて、もし暴漢が私の家族に襲いかかってきたら私は迷わず反撃します。私は決して強くはないけれど、負けません。その理由は簡単で、こちらは命を賭けている。相手は命を賭けていない。となれば勝敗は決まったようなもんです。(笑)
私は今、ウクライナの人たちはそれと同じ心理状態にあるように感じます。
でもそれは「悪いプーチンにやられる善意のあるウクライナ人」という意味ではなくて、ウクライナ国内でも内戦が続き、何が何でもロシアを打倒しようとあの手この手を使う「極右勢力」も同じ。ロシアに着くべきだと考えるウクライナ人も同じ。
あの人達って「命を賭けて長い歴史を生きてきたんだ」という感じがします。この辺を無視して「どうあるべきか」を論じても意味がないように思っています。
そしてロシアの兵隊は「命令に従うのみ」かもしれませんが、プーチンは命を張っている。ロシアそのものの運命も賭けていると感じます。
一体誰が正しいのかは「価値観の違い」だけで、私は西側諸国に住むから西側が間違いなく正しいとも思えないのです。また「ルールに従った戦争」なんてのもそんなものは存在しない。ここぞという時には何でもやるのが戦争なのは歴史が証明しているんじゃないですかね。でも国際法の規定がなくても良いとは思わないけれど、「泥棒に【止まれ!逃げるな!】と叫んでも逃げるのが現実」でそれと同じだと思います。
でも当然、プーチンが正しいなんてことも考えないわけで、今回、ウクライナの歴史の動画を見て感じたことは、プーチンも「時代の流れに翻弄された愛国者」ということでした。
そしてイラっとするのは、今回の動画の中でも触れられている「政局をコントロールして利益を得ようとする部外者」のこと。ま、大国は常にそうであるし、昔から言われているネオコンもそうなんでしょう。
彼らが諸悪の原因みたいな気もしますが、私達は彼らが「敵を駆逐し、彼らに都合のよい世界を作った」中で生きているんですよね。私達が平和だと感じるのは「邪魔者を徹底的に排除してきたから」なわけで、そんななかで「平和が大事だ」なんて言うのは偽善のような気もしてくるわけです。邪魔者には「悪人のレッテルを貼る」ことによって排除してきただけかもしれない。そのプロパガンダは巧みで、私達も「あいつは悪いやつだから排除されても当たり前」と考えてしまう。でもそれは間違いかもしれないのはリビアのカダフィにも私はそれを感じました。西側諸国には都合が悪い【独裁者】なだけで、カダフィは「アフリカの星」と言われていた。そしてこういう時にいつも見え隠れするのが「石油利権」だってなんなんでしょうね。
戦わないことが大事だとはどうしても私には考えられないんですよ。
鎌倉時代に蒙古が日本に二度も襲来してきたわけですが、あの時に鎌倉武士たちが命を賭けて戦わなかったらどうなっていたのかと思います。また昭和20年8月15日以降にも日本に侵攻するのを止めずに南下してくるソ連軍に対し、上層部からの武装解除の命令を無視し、そのソ連軍と戦った日本兵がいた。もしそれがなかったら、ソ連は北海道まで侵攻していただろうと言われる。
これもまた、もしその日本兵たちが素直で、武装解除をしてソ連軍の南下を許していたらどうなっていたのかと思います。北海道の「北朝鮮化」が起きたかもしれない。
また戦後の日本統治ですが、連合軍による日本を5つの地域に分割して統治する「分割占領案」があった。南北日本どころか、ソ連、アメリカ、中国などがそれぞれの地域を統治するなんて恐ろしいことが起きたらどうなっていましたかね。またアメリカ軍による「直接統治案」もあった。結局はアメリカによる「間接統治」で決まったわけですが、戦勝国、あるいは大国の思惑で小国の運命はいかようにも変化するのが事実なんでしょうね。
これはまさにウクライナを含むヨーロッパでも起きたことだし、アフリカや中東も同じく。
世界って本当に微妙なバランスの上に成り立っていて、それは時代とともに変化する。日本の平和も「たまたま」という感じを私は受けるわけで、でも現実的には北方領土は取られたし、竹島も取られ日本人が数多く殺された。そして他国による日本人の拉致や誘拐が多発しても日本はそれを放置した上の「平和」でしかない。他国に切り刻まれ、領土や国民に被害があっても「何もしない」という平和。
本来の平和を維持し、世界の安定にも貢献する日本であるとするなら何をすべきかは簡単にわかるはず。私達、一般人は「戦争に反対する」ことぐらいしか出来ないけれど、そこで思考停止をすると【似たような政治家しか出てこない】わけで、じゃぁどうすればよいのかというきっちりした答えはないにしろ、「どうするべきか悩み続ける」ことが重要だと私は思っています。そして「考えることさえも否定する【象徴】が憲法9条」であって、私は9条で平和が保てるどころか、9条こそが日本を駄目にすると考えています。(それ以上に日本国憲法の【前文】を変えて欲しいのはいつも書いている通り。国連第一主義の源になっている。常任理事国が悪さをしたら?という想定が全くそこにはなく、世界は善人ばかり。悪いのは日本だけという内容)
今の日本って世界に起きていることに直接関与せずに外野から声を出すことばかり考えるけれど、「国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初」なのを若い人はご存知だろうか。
国連(国際連合)の前の国際連盟時代に「国際連盟の規約に人種的差別撤廃を明記するべきだと日本が提案」した。でもその案はアメリカ(ウィルソン大統領)の反対があって否決。昔の日本は悪いことばかりじゃなくて、気骨があったのを是非、日本の若者に知ってほしい。
太平洋戦争も真珠湾をスタートとしてみるのではなくて、中国で何が起きたのか。発端の発端は盧溝橋事件。ここから日中戦争が本格派した。さてその裏側に何があったのか。日中戦争が始まってから、アメリカは何をしたのか。真珠湾攻撃の前にアメリカは中国に対日戦闘部隊(フライングタイガーズ)を送り込んでいた事実は一体なんなのか。
日本だけが悪いと決めつけたところで、それで全部がわかるわけでもなければ問題の元が解決するわけでもない。
そういうことが戦争ではいろいろ起きるわけで、片側の言い分だけを聞いているとかなり事実と異なるのがわかるはず。
今回のウクライナも、紹介していただいた動画からそういう裏側がいろいろ見えてきたように思います。でもプーチンは正しいとは思わない。いや、彼は大きな間違いを犯していると思う。でも彼を非難し追い詰めるだけでは「窮鼠猫を噛む」のが道理で、そこまで西側が考えているのかが疑問。
ウクライナに平和が訪れて欲しいと思うのと同時に、ロシア人が「戦後の日本人と同じ道」を歩まないで済むようになることを心から祈っています。このままでは戦争が集結しても「ロシアは世界の大犯罪人」としてこれから何十年も生きることになる。
そして私にはこのウクライナ侵攻を止めるには「ロシア人が立ち上がる」しかないと思うんですよ。私にはバイデンも他の西側諸国も「善人を気取っているだけ」で、今後のことに責任を持とうとしているとは全く見えない。昭和16年に日本が決死の思いで行動を起こしたのと同じことが起きても構わないように見えます。アメリカはあの時と同じことをしている。
同じことをしているとするなら・・・、これもまたあの時と同じような計画の内なのか。まさかのまさかが起きるような、そしてそれをたくらむ勢力があるような気がしてなりません。そしてプーチンが戦っている相手はその勢力なのかもしれない。単にウクライナを手中に収めるための行動にしては代償が大きすぎる。
私はこんなことを書くと石が飛んできそうですが、「熱烈な愛国者としてのプーチン」は理解できるんですよ。でもああいう行動が受け入れられる時代はとっくのとうに終わった。織田信長が現代に出てきてしまったような、そんな気がしてなりません。
ところで最近の日本共産党が言うには「9条があるから侵略戦争はできない」というところから、「9条があれば侵略もされない」ところまでバージョンアップだか、機能向上があったようで、これからその辺の説明もじっくり聞いてみようと思っています。