「停戦」とは【悪魔と握手する】ことである

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私がプーチンに興味を持つ理由の根本は「どうやって停戦に持ち込むか」が気になるからです。

停戦とは「お互いが納得できる落とし所を探す」ということであって、双方が言いたいことを言い、やりたいことをやり、相手を非難し続ける限り停戦ってありえないじゃないですか。

ただ「そんなことを一市民である我々が考える必要があるのか」ってことですが、実はここが一番重要だとも思っているんですよ。

停戦も考えずに、「プーチンを倒せ!」「ウクライナを救え!」と言い続けても良い方向には動かないはずで、私達が政治家や専門家を見る時に【彼らは何を重視しているか】を知る必要があるんじゃないですかね。つまり、私達の指導者たる政治家やトップが「プーチンを倒せ!」「ウクライナを救え!」としか考えない人なら、その人は「感情論から抜け出せない、問題を解決できない人」と判断すべきだと思うから。

これは自分の周りの個人も同じで、今回のことに関する反応を見ていると、【その人が見えてくる】のね。これは私にとっては結構重要で、【その人の本質がわかる】のは今後の付き合い方も含めていろいろと考えなくてはならないのもわかってくる。

うちのヨメさんはそういう意味では単純で、「プーチンは酷い」「ウクライナが可愛そう」と何度も何度も言う。そして「戦争は駄目」「早く終わらせるべき」となって、そこから先がないのね。これって私にしてみると「誰でもが同じ様に考えること」であって、でもそれを言い続けても「何も変わらない」し、それは【思考停止と同じ】だと思うんですよ。

「ではどうするべきか」を考えることが重要で、また政治家や専門家が【それを考えている人かどうかを知ることが大事】だと思うんですよ。私やヨメさんが何をどう考えようと何の変化もありませんが、政治家、専門家、リーダーが何を考えるかで【世界は変わる】わけですよね。だから私達はそれに無関心であって良いはずはないと思うわけです。私達一般も「プーチンが悪い」「ウクライナが可愛そう」で止まってしまってはならないと思うってことです。

そして今、何が重要かと言えば【停戦】であって、「プーチンを攻撃し罰を与えることではない」と思うんです。プーチンを断罪し、制裁を加えるのは【戦争が終わってから】で良いんじゃないですかね?

でも戦争真っ最中で、お互いを罵り合う状態の時に、「相手を断罪し、制裁を加えることしか主張しないとしたら何が起きるか」は子供でもわかるんじゃないですかね。本来なら「殴り合いの中に割り込んで」【ちょっとちょっと、まずは殴り合いをやめようよ】というのが私達一般でもわかる道理。

でも戦争の場合、「その中に割り込むことは不可能」で、割り込むとは【どちらか側に着いて戦う】ことになってしまう。これは「武器弾薬を供与する」のも同じことで、相手にしてみれば「お前も参戦するんだな?」ということになる。またそれとは逆の「制裁を加える」のも相手にしてみれば「参戦するんだな?」となるのが当たり前じゃないですか。そしてまさにプーチンはそういう風に判断している。

今、中国の言動が注目されていますが、もし中国がプーチンに武器弾薬を供与するとか、(仲の良い)ウクライナに制裁を加えるなんてことになれば、戦争は終わりに向かうどころか泥沼化するだけ。その逆を選んでもやっぱり泥沼化するんじゃない?

結局ですね、何が言いたいのかというと、東を見ても西を見ても「停戦に向けた努力が見えない」ってことなんですよ。

相手に恐怖を与える、勝つ見込みがないことを悟らせる。それしか手はないんですかね。でもそれを世界中がやっているように私には見えるわけで、これは「実は停戦させずに【決着を付けたい】と世界が考えている」んじゃないかと勘ぐってしまうわけです。

それは考えすぎだと私は思いたいのだけれど、【バイデンが議会で強いメッセージを発すると、議員たちが立ち上がって拍手を送る】のを見ると、「アメリカは上から目線で、偉そうなことを言って自己満足しているだけ」に思えるんですよ。そして自分たちには火の粉が飛んでこないようにしている。

ましてやロシアの侵攻前にバイデンはおかしなことを言っていましたよね。

○ 小さな侵攻なら良いけれど、本格的に動くのは認めない(正確な言葉は忘れた)

○ アメリカは手を出さない

これって世界中が驚いたはず。「プーチンを誘い込む言葉に聞こえる」から。これって「1~2発殴るなら見逃すけれど、本気を出すなら許さない」というのと同じ。でも「その時が来てもアメリカは手出しはしない」と手の内を最初からばらしていることになる。

本来ならどうするべきかってのは私達一般人でもわかりますよね。

「軍を集結しているけれど、まさか侵攻なんかしたらアメリカはもちろん、西側諸国が一丸となってロシアを叩き潰すことになる」「ロシアという国そのものが無くなることになるぞ」ぐらいの脅しはするんじゃない?と同時に「相手は今の状況を嫌がっているのだから、真摯にその考え方も聞いて対応する」べきだと思うんですよ。でもアメリカもNATOもロシアの都合は無視して東方拡大を進めた。「NATOに加盟したがる国が多いのはロシアに危険を感じるから。そして加盟するかしないかを決めるのはその国であってNATOが誘っているわけではない」と言う。

ところがバイデンはそういう脅しはせずに、そしてプーチンと膝を突き合わせて話をすることもなく、「ちょっとだけならOKだよ」というシグナルを送った。そしてアメリカは手出しをしないと余計なことまで言った。

だから私には今回のことがどうしても「日本の真珠湾攻撃」と重なってしまうんですよ。真珠湾攻撃があった前後のこと、ABCD包囲網とかハル・ノートのことを知らない人も多いと思うし、ましてやコミンテルンが何をしていたのか、当時のアメリカの政権にも共産主義者のスパイが入り込んでいたのが近年明らかにされましたが、そういう日本を追い込む作戦が着々と進んでいたんですね。

当時アメリカは「戦争はしない」と宣言して当選したルーズベルト大統領。でもヨーロッパではナチスが善戦して盟友イギリスも追い込まれていてアメリカの参戦が望まれていた。またルーズベルト大統領も「参戦するキッカケが欲しかった」と言われていますよね。これは陰謀論で片付けられることではなくて、真珠湾攻撃の前にはすでにルーズベルトは日本攻撃のための空爆部隊中国に送り込んでいたし、真珠湾攻撃もオーストラリア軍からの「その動きがある」という報告を無視したし、すでにアメリカ軍は日本の無線を傍受して状況を把握しており、真珠湾攻撃を知らなかったのはハワイ駐留のアメリカ軍のみだったなんてことも言われている。

戦後、日本に進駐し「日本を根本的に大改造したマッカーサー」ですが、戦後、彼はアメリカの上下院合同会議で「日本は自衛のために戦った」と証言。ま、これには異論もあるのですが、【ある日、突然、気が狂った日本が真珠湾に攻め入った】とするのには無理があるのは間違いない。

私はこの時の日本と今のプーチンがどうしてもダブって見えてしまうんですよ。そして今までの流れを調べてみると、「プーチンは誘いに乗ってしまったのではないか」と思えるフシも多々あるんですね。でも当然、日本の真珠湾攻撃もそうですが、今回のプーチンの行動が正当化されることはありえない。プーチンはやってはらないことをした。そして明らかな戦争犯罪を繰り返している。

プーチンは断罪されるべき存在。

でもそれを言い続けて「戦争が終わるのか」ってことなんですよ。

またここで私は日本を思い起こすわけで、「絶対に降伏しない」という基本の元に「本土決戦、一億玉砕」というスローガンのもとで国民は動いた(動かされた)。でもそれを打ち砕いたのが原爆。あれで一般人はもちろんのこと、軍、政府要人も「国体さえ守ってくれれば降伏やむなし」と諦めたんじゃないでしょうか。(国体は守るという条件で日本は降伏。だから厳密に言うと無条件降伏ではない)

実は日本でも原爆開発が進められていて、完成する可能性もあったと言われている(私はそうは思いませんが)し、「もし日本が原爆を持っていたら?」という問いかけに「当然、日本はそれを使っただろう」という専門家も多い。

これが戦争じゃないんですかね。

そして今、「停戦のためには落とし所が必要」なんて言おうものなら、「プーチンの肩を持つのか!」と半端じゃない攻撃が始まる。私もその攻撃を受けました。(笑)

でも思うんですよ。そういう人たちって毎日を「敵は徹底的に潰すのが当たり前」「問答無用」と考えながら生きているのかって。本人にしてみれば「これが正義だ」と思っているんでしょうが、それって「リンチを容認するのと同じだ」ってことに気が付かないのかと思う。「俺は正しい」と信じるのは敵も味方も同じなのに。

ところで、昨日、非常に興味深い動画を見つけました。

「紛争解決請負人」と言われる人物が日本にいるそう。東京外国語大学の「伊勢崎賢治教授」で、あちこちの紛争地に乗り込んで停戦に持ち込むことをやってきた人らしい。

彼の主張は興味深いし、全くその通りだと思いました。

「停戦とは悪魔と握手すること」

という、今日のブログの主題は彼が言った言葉。

「悪魔と握手してはならない」のではなくて、そのつもりにならない限り停戦には至らないという意味。

そして大事なこととして「停戦の足かせになることがある」という点。それは

○ 武器の供与
○ 義勇兵
○ 熱狂

であると。これは我々でも想像は付きますよね。武器の供与も義勇兵も熱狂も「戦って勝利を勝ち取れ!」というのが基本にあるわけで、停戦と逆方向に物事が進んでしまう。

 

ではどうすればよいのか?

この答えは簡単には出るわけもありませんが、私達一般市民でも冷静に、そして冷徹にこれを考える必要があると思うんです。もちろん政治家や専門家もそうでなくては困る。

でも今のアメリカを見て下さい。

プーチンを罵倒し、誇らしげな顔をするバイデン。そしてそれに拍手喝采を送る議員たち。そして「もっと積極的に関与するべき」と主張する政治家も少なくとのこと。

これはまさに、真珠湾攻撃の後、「戦争はしない」と言っていたルーズベルト大統領が「参戦する」と発表し、アメリカ中が熱狂したときと同じに私には見えるわけです。

これに違和感を感じるのは「日本的」であると私は思っていて、日本は本当の平和的人種であるんじゃないかと思う。

でも欧米ではそういう考え方はなくて「共存」ではなくて「圧倒的優位性」を手に入れて【支配するべき】という考え方があるんだろうと思うわけです。

これは歴史的に「繰り返される戦いの中で生き延びてきた人たち」特有の考え方だと思うんですよ。前の日記に紹介した「ロシアとウクライナの歴史」からもそれが見えるじゃないですか。【負けたら終わり】なのが彼らの根底にある。でも日本は【負けてもやり直せば良いじゃないか】と考える。

戦後、日本人がこういう考え方になったのは、【アメリカという良い国に戦後、統治されたから】だと私は確信していて、もしソ連、中国に戦後の日本が統治されたとしたら、【戦争は絶対に負けてはならない】と考える日本人になったかもね。

でも日本って不思議で、縄文時代の遺跡から「武器は一切出土しない」んですってね。昔から「共存する」方法を模索し続けた人種かもしれない。でも他国からの移住者も増えた弥生時代からは武器も出土されるし、土器も縄文時代の文化を尊ぶようなものもなくなり、「実利」が重視されるようになったと。この頃に日本は戦うことを覚えたのかもね。戦わざるを得なかったのか。でも最近は、縄文人と弥生人は共に生きていたのがわかる遺跡も多いと聞いていて、決して縄文人が弥生人に駆逐されたのではないとのこと。

是非、この動画を見て、「プーチンを倒せ!」「ウクライナを救え!」だけでは【行くところまで行くしか無い】かもしれないことを多くの人に考えて欲しいと思っています。

そしてそういう目で政治家やリーダーを見ると、彼らの本質的なものも見えてくるかもしれない。彼らは私達のリーダーとしてやるべきことをやっているのか。そこをしっかり見ていきたいと思っています。またそれはアメリカも同じで、理想論ばかり振り回すバイデン率いる民主党は世界のためになるのか?もし共和党なら?トランプなら?ということも考えてみる必要があると思っています。

それとも「私達が何を考えようと世界は変わらない」と考えることを放棄するべきなのか・・・。それは民主主義の否定、あるいは放棄だと思っていますが。

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