経済の動きにしても、世界の情勢にしても「情報が氾濫している」のは間違いがないと思います。
私としては「未来の予測はできない」にしても、「現在、何が起きているのか」は知りたいと思うわけですが、「自分が情報の渦の中で混乱している」と思うことが多いんですよ。もう完全にキャパシティーオーバー状態。そして頭の処理能力はどんどん落ちているし。(┰_┰)
これはウクライナ戦争も同じで、なんでもそうだけれど、【どこに視点を置くのか】で見え方がまるで違ってくるのね。あの「目の不自由な7人が、それぞれ【象(ゾウ)】を触って象とはどんな生物か説明するたとえ」に似て、全く違う、正反対の意見でも正しいと思うことがある。
でもそれが当たり前といえば当たり前で、多くの人がそれぞれの考えや希望、夢を持って行動し、ぶつかり合う中で、多くの事象が起きる。その一つ一つを細かく分析したところで「結果的にどうなるか」なんてのはわからない。やっぱり「大勢をみなくてはならない」と思うけれど、その大筋の見方さえいろいろある。
ウクライナ戦争も西側の情報だけをみていると「ウクライナ優勢」というのがほとんどで、でも「注意すべき点はある」程度。ところがロシア側の情報を見ると「ロシアは反撃に転じでウクライナは危ない。ロシアが勝つ」という考え方が圧倒的に多い。
なんなんだ?これは、と思うばかりで、いくら情報を集めても自分には自分の考え方が出来るけれど、それが正しいかどうかなんてわからないし、いい加減なものだと思う。
これはウクライナ戦争だけでなくて、ネットにはど素人もおかしな人も皆が平等に情報、誤報、フェイクを垂れ流していて、事実だとしても小さな事実までも情報として出てきて、それが大勢にどう影響するのかもわからないままに、情報量だけが増える。
また日本は「防衛費増額」「増税も致し方ない」という方向で動いているけれど、本当に防衛費を増額すれば良いのかどうか、それが国防、抑止力に直結するのか、焼け石に水なのかもわからない。またその費用を捻出するのは「埋蔵金」「国債」「増税」のどれを使うべきかも本当に様々な専門家の意見がある。
いつも私が書いている「日本の悲劇は【財務省=日銀】のせい」と思っていることも、私がそう思っているだけで事実はどこにあるのかは全く別の話。特に「過ぎたことをああすべきだったこうすべきだった」なんてのは誰にでも言えることだし、また違う方法を取ったにしても「どうなったのかはわからない」し、もしダメなら「財務省の方針に従うべきだった」となるはず。
これは安倍元首相に対する評価も同じで、私は安倍さんにもっと思うようにやって欲しかったけれど、真逆のことをいう論者も決して少なくないのね。「安倍が日本をダメにした」と。
これもまた「安倍さんの何をどう見るか」で評価は変わってくるわけで、もしかしたらどの評価も全て正しいのかもしれないのは、「象の話」と同じ。
今、私が気になっているのは、ウクライナ戦争の行方と、世界経済の行方。
どちらも私達の生活に直結しているし、「投資や資産運用」を考えた場合、それらを無視して計画を練ることは不可能。だからといって「範囲を広げて情報を取ると、どんどんわからなくなる」のが現状。これは「私に取捨選択の能力がない」ということなんだろうけれど、では「選択は可能」としても、それって「思い込み」であったり、「自分の都合の良い方に考える」、あるいは「リスクの過剰評価」だったりするのは、専門家も同じだと思うわけです。
そこで悩んでも「どの競馬の予想屋を選ぶか」と同じ問題にぶつかるわけで、「この人は信頼できる」なんて専門家を選んでその人に沿った考え方を持ったところで、「象の問題」から逃れることはできない【自己満足】でしかないと思うのね。
だからたまに「もう全ての情報から離れたほうが良いかな?」みたいに思うことがあるんですよ。あるいはテレビや新聞のいうことだけチョロっと聞いていれば良いのか、みたいに。それって私にしてみれば冗談じゃなくて「プロパガンダに乗るだけ」と思うのだけれど、では「真実はどこにあるのかはわからない」ことに変わりはない。
ちょっと疲れてきました。もう完全にキャパシティーオーバー。知らない、あるいは気が付かないことが多いほうが幸せかもしれないなんて思う今日このごろ。
結局どう頑張っても「結果しかわからない」のじゃないかと。でもその結果とて「どうしてそうなったかの分析」も考え方がいろいろで真実を的確につかむことは簡単ではない。
あの世界が大きく変化するキッカケになった「911NY多発テロ」しかり、あれがどこの誰がどういう計画を練って、実働部隊がどう動いたかの「はっきりした事実はわからないまま」じゃないんですかね。あのビル群の崩壊にしても「誰もが納得する科学的な説明はなされていないまま」じゃないですか。ただ私達にわかることは、航空機がビルに激突して崩壊し、それがテロということになって「テロ撲滅」に向かって動き出したということのみ。
だったら余計なことは考えずに、【毎日の生活を楽しんだほうが良い】というのもよ~~くわかるんですよ。そして「何か問題が出てきた時に考える」べきかと。
日本は地震大国で「かなり危ない」のは常に言われていること。でもそれを真面目に考えて「対策を考える国民はいないも同然」。これは最近目立って語られるようになった「安全保障」も同じ。日本は世界で唯一の「核の恐ろしさを知っている被爆国」であるのに「シェルターがない」という不思議な国。でも「核の恐怖を持つ国々」はシェルターを多く持っているし、国民のほぼ全員が避難できるほどのシェルターを持っている国さえある。これはウクライナも同じで、ミサイル攻撃や爆撃を受けても多くの住民は「地下シェルターに逃げ込んで難を逃れた」のはニュースを見てもわかるわけで、「シェルターなんて無駄」と考える日本が変わっているのがわかる。
でも何が正しいのかは良くわからない。「備えあれば憂いなし」とは言うけれど、国防もシェルターもとんでもないお金がかかるわけで、それを真剣にやったら経済は潰れるかもしれないのは【ソ連の崩壊】を見れば実際にそれが起きるのがわかる。
これは個人ベースも同じ。「備えあれば憂いなし」は理想論でしか無い。
「将来は何が起きるかわからない」のだから【起きてから考えよう】というのは一理もニ理もあるような気がするわけです。それまでは「人生は一度きりなんだから楽しく毎日を生きよう」と考えるのが正しいのかもしれない。
私にはそういう生き方は出来ないなぁ・・なんて思いつつ、いつもの通りにパソコンに表示される「チャート」を見るわけですが、ふと「なんで私はチャートを重視しているのだろう」と考えると、【チャートのみが真実だから】といつもブログに書いていることを思い出す。つまり【事実しか重要なことは無い】わけで、「チャートとは事実」であって「結果」でもあるのね。世の中には売り方、買い方の攻防戦があって、その結果として「値が決まる」。そしてその結果である値の推移を表しているのがチャート。真実はここにしかない。
だから私は「ファンダメンタルズを重視しない」という考え方を持っているわけです。「経済的にはXXXがああで、世界の動静としてYYYはこうだから【これから上がるであろう】」みたいな考え方はしない。私が重視するのは「値動き」のみで、その理由を深掘りすることはしない。
だったらそれと同じような考え方で、ウクライナ戦争を見、世界経済の動向を見、日本の国防を見ていれば良いのかもしれない。
自分がその渦の中にいると思うから気になるわけで、「対岸の火事」だと思っていれば気にならない。
でもその火の手がこちら側にまで回ってきてからどうしようと慌ててもどうにもならない。
困りましたねぇ。
自分のやりたいことだけに集中して、他の諸々は「他人事」だと思うのが一番、幸せなのかもね。実は私の若い頃はそういう生き方をしていて、政治にも全く興味がなくて、「もし日本が共産主義になっても、その中で自分はどうにかしてでも生き延びる」と思っていた。だから「日本も世界も、将来どうなるか」って気にしていなかったんですよ。どうなろうとその中で生きれば良いと思っていただけ。その「生きる力」を付けることが重要だと思っていた。
でも今思えば、それって「平和ボケ」そのもので、何の対処も考えていなければ、侵略があればそのままやられるだけだし、地震や津波、台風が来ても同じ。とんでもない経済危機が起きても同じ。「その時になったら考える」では済まないことが多すぎて、だから政治家も政府も、専門家、そして企業のトップもいろいろと予想、想定をしながら地盤を固めているんでしょう。
ところがそういう人たちの多くは「立場に縛られている」のが間違いがなくて、話を聞いていると「答えありき」なのが見えてくるのね。特に政治家。
でも私が何を予想、想定しても、私には何もわからないことがわかっただけ。(笑)
でもま、そんな無駄なことを続けるのも一つの人生かなと・・・・・。
もし自分にヨメさんも子供もいなかったら、全く違う生き方をしていると思う。特に子どもたちのことを思うと、どんな無駄なことでも諦めずに続けようという気になるのね。それが私にとって「唯一の楽しいこと」なのかもしれない。
人生いろいろですねぇ。
経済予測と投資活動に関して、ウォールストリート重要人物がこんなことを言っている。これがヒントなのかもね。
「一体何がいつ起きるのかは誰にもわからない。でもそれが起きた時の行動は決まっている」と。
およそ23兆円を運用するアメリカの投資会社=オークツリー・キャピタル・マネジメントの共同創業者で、経営の指揮をとるハワー…
このインタビュアーはテレビ東京の豊島晋作氏ですが、彼は良い番組を作ると思っていて、いつも注目しています。