1月2日になりましたが、やっぱり今回はいつものような【正月気分】はなくて、もうすでに実戦モードに入っています。(笑)
トランプ氏が大統領になって、彼の言動からも「世界は大きく変わる予感」がして、我が家の基本方針も変更してきましたが、年が経つに連れて、変化が目に見えるようになってきた。ところがその変化は私が想像していたことより大きく、そして危険、不安を感じるような変化でした。
そこにコロナが始まり、そろそろ収まりが見えたところで、ウクライナ戦争。これも集結の兆しが全く見えず、お互いが引くことはなく益々深入りして、この状態だとやっぱりプーチンは「最後の手段」を使うような気がしてなりません。でもそれは「世界の終わりの始まり」みたいに思うし、我々が望むような終結は「プーチン失脚」しかないと思っています。そうだとしても、「世界のあちこちで起きている分裂」は収まらず、世界は「新たな勢力図、新たな価値観で塗り替えられる」ような気がしています。
実は私が今、一番気になっているのは「イスラエルvsイラン」の動きで、日本では報道がされていないものの、【双方ともやる気満々】でかなり危ない状況に見えます。もしことが起きれば、それは中東大戦争へ突入する可能性があり、ウクライナ戦争どころの話じゃないと思っています。
世界にはいろいろ起きますが、それらはある程度のところで収まっていたものの、それは世界が平和に向かっていたのではなくて、「問題が潜在化し、深刻になって、危険が醸成されていただけ」のようにも見えるわけです。そしてそれらが「実際に動き出した」のがロシアのウクライナ侵攻であって、ある日ある時、突然起きたように感じますが、「問題の根っこは深く長い間続いていた」のが今になるとわかる。
例えば、誰もが知っている「真珠湾攻撃」ですが、あれから太平洋戦争が始まったのではなくて、その前からの表に出て来ない応酬、攻防の【結果】が真珠湾攻撃という「形になっただけ」と言えるわけで、今回のロシアのウクライナ侵攻を【結果としてみる】ことも重要だと思っています。
当然悪いのは手を出したロシアであるわけですが、問題の本質を考えるとウクライナにも西側にも今回のようになる原因があったのは間違いがなくて、それを無視して「攻め込んだプーチンが悪い」とプーチンだけを排除し、戦争が終結すればそれで終了とは簡単には行かない問題の深さを感じます。
でもま、そんなことをここに書いてもしょうがないことですが、私はやっぱり「今年はもっと大きな波乱が来る」と思っていて、それにどう対処するか、年の初めだからこそ、いろいろと計画を練っています。
しかしまぁ、人類ってアホなのか、何万年、何千年経っても「進化していない」ように感じます。大本の「本能」に変化がない限りこんな世の中が未来永劫続くのかと思うとがっかりです。
一般の生活も同じで、私は「世界を支えているのは技術の進化だ」と思っているのですが、益々便利になって、人類が苦悩から開放されるかと思いきや、何も変わっていない。それどころか技術の進化で「戦いや対立も進化」してより恐ろしい時代に向かっていると思います。
でもそんな中で生きて行くしか無いわけで、なんだかあまり面白くないなと思っています。だから余計なことは考えずに【自分の身の回り、自分の利益だけに注目する】様になってしまうのもしょうがないと言えばしょうがないんでしょうね。
ところが今、世界は「自分さえ良ければ良い」というところから離れて、「世界の危機」が目前に迫っているような気がしています。「関係ないね」じゃ済まない大きな変化が起きるだろうと思っています。
リーマンショックでは「俺はもうダメだ。再起不能。もう将来的に日本へも帰れない」と打ちひしがれたのを思い出しますが、もっと恐ろしいことが進行中のような予感がするのです。我が家の大きな筋書きの変更は、「実は私のそういう予感を重視している」のであって、あれがどうでこれこうだからこうしなくちゃという行動ではないんです。
だから私は「自分の予感を結構重視する」のが基本。予感とはいい加減なものではなくて、「自分の中にある全ての情報を、脳が精査し、まとめ、並列処理でフル回転して導き出した答え」だと思っています。予感とは決していい加減な思い込みだとは思っていません。
でも私が「予感」だと思っているのは、もしかしたら「心の声」かもしれない。
ところで私の仕事は「景気には全く関係がない」仕事で、景気が良くなろうが、世界的大不況が来ようが関係なくて、というか、経済が上でも下でも動けば「そこに生きるチャンスが有る」仕事ですから、悲観的になることも、楽観的になることもやめて、「動きにどう乗るか」をこれからも突き詰めていきたいと思っています。
ただやっぱり「景気が良い方向へ動く方が良い」のは間違いがなくて、逆に動いた場合の対処方法は万全とは言えず、今年は【ヘッジ】に重点を置いて作戦を練り、新たなヘッジ方法も考え無くてはならないと思っています。
我が家はいわゆる「定職も定収入もない」わけで、死ぬまで自転車操業を続けなくてはらないのはわかっていますが、やっぱり「年齢による劣化が大きい」のが最近はっきりしてきたので、それにもどう対処するのか、手法を簡略化する必要もあって、そんなことを考えるとため息しか出てこないのですが、年の初めですから、「やるしかないじゃないか」と自分に発破を掛けています。
どんなことが世界に起きようと、どんな年にするかは「自分で決められる」ことが唯一の良さであって、ここで諦めること無く、そして道を間違わないように、今年は、いや今年からはもっと真剣にならないとと思っています。
【川の流れに身を任す落ち葉のように、世界の流れに乗って生きる】のが今年の目標です。
でもその結果に拘ること無く、どの方向へ流れようと世界の動きに着いていくだけで良いのだと自分に言い聞かせています。
そして、若い頃から私の生き方の中心にあった
【人の行く 裏に道あり 花の山】
例えば、一つの計画があったとして、多くの人が「それっていい考えだね」なんて言おうものなら、その案は実行しないなんてへそ曲がりの生き方をしてきましたが(相場の格言の「大衆は常に間違える」のは正しいと思っています)、この考え方をもっと進化させて、世界の大きな流れに乗ることだけを重視し、様々な理屈や考え方に翻弄されるのだけは避けたいと、年の初めに心構えを決めました。
今年も「何が起きても絶対に負けない」。この気持ちでやっていくつもりでいます。
老兵だからこそ「戦うのみ」で良いような気がしています。自ら「消え去るのみ」ではなくて、どうせもうすぐ消えるのだから、最後の大作戦は捨て身で向かうべし、と。そして未来を創る若者の【盾】になれればそれ以上の幸せはないのかもしれない。
ウクライナ戦争の細かい戦況の変化を見続けていましたが、戦うウクライナ兵には老若男女がいて、彼らの生き方から得たものは間違いなくありました。
「生きたいからこそ、命を捨てても戦うのだ」と。
老兵は去らず、最後まで戦うべきなんだと思います。
今年、私は70歳になりますが、今まで以上にしっかり戦おうとやる気満々です。(^_^)v
そんな私に文句一つ言うこともなく、笑顔で頷いてくれるヨメさんにはもっと感謝しなくちゃだわ。
息子たちとももっと連携を密にして、一緒に戦いたい。今年からはシドニーの次男とも連携する具体策を進めることになっています。
どうなりますか・・・。
1991年、ヨメさんと幼い子ども二人と一緒に、知り合いが一人もいないオーストラリアへ移民として渡った私達。
あの頃に、心に誓ったことは未だに薄れるどころか、強化されています。
ヨメさんと二人の息子たち。この出会いがあったから今の私がある。その出会いを作ってくれた目に見えない「何か」には頭が下がる思いがしています。
彼らのために私は死ぬまで戦い続けようと思う。それが唯一の私の幸せ。