日本の長い歴史を見ると、【出稼ぎ】をしてきた国であるのがわかりますよね。
多くは農家の人たちで、暇な時期は【大都会に出稼ぎに行く】のが多く、またもっと長い年月で見てみると、家督を相続できない次男坊、三男坊が【海外に移住する】ことも多かった。
私の遠い親類ですが「広島出身」で、戦前にアメリカはカリフォルニアに移民し、今では5世、6世の時代に入って大きな一族を形成している。(私の世代は3世)
また私達が25年住んだオーストラリアにもそこそこ日本から移民が入っていて、数としては北米や南米には比べ物にはなりませんが、【真珠の養殖】に従事していた様子。
私の母方の叔父も「ブラジルへ移民」したのがおりまして、でも彼は「日本への思いを断ち切ることが出来ず」に3年で帰ってきたり。また父方の叔母は結婚して旦那の事業(北米の海産物の日本への輸出)がありロサンジェルスでかなり裕福な生活を営んでいましたが、会社の破綻、離婚を経験し、5人の子供を抱えたままロスに留まることを決め、なんと「永住権も他の滞在許可も無く、不法移民」として貧しいメキシコ人たちと共に働き、子どもたちを育てて今は大きな一族を作っている、なんてことがあります。(永住権はオバマ時代の恩赦で取得)
考えてみれば、企業から海外へ派遣される海外赴任者も決して移民ではないけれど、「海外で稼ぐ」という意味では同じなのかもしれませんね。また「駐在員だったのが、日本に帰りたくなくて現地に留まった人たち」もかなりの数がいて、私の友人にも結構います。
そして現代は、若者が海外に出て稼ぐなんてのは全く珍しいことでもなんでも無くなってきた。
なおかつ、稼ぐ形態に大きな変化があって、本来は【就労することによって対価を得る】ことから、【投資をして利益を得る】ことや【遠隔就労】や【ノマド】なる人達も増えて、【海外に居住する】ケースも増えた。
面白いですね~。
私自身もそのカテゴリーの中に入るはずなんですが、自分ではその意識は全く無いんですよ。東京に住んでいたのが、神奈川に引っ越し、そして次に沖縄に引っ越して今に至るみたいな感じでしか無いのね。
自分たちが住みやすい場所を探して移動しているうちに、気がついたらマレーシアにいるみたいな。
「ノマド=遊牧民」なんていうと聞こえは良いかもしれなくて、でも我が家の実情は「難民」かもしれない、なんて思うこともあります。「日本で生きるのは難しいと思った」からオーストラリアへ【逃げた】というのが正解だと思うし、「オーストラリアで生きるのは難しいと思った」からマレーシアへ【逃げた】のは間違いがない。これって間違いの無い「難民」であり、「浮草」みたいなもので、【海外生活~~~♫】みたいなものとは大違いなのね。
だって【本音は日本に住んでいたかった】んですから。海外なんて「行きたいときに行って、帰りたくなったら帰るのが一番」で、短期だろうが長期だろうがそれが出来るのが一番で、実はそうやって生活している人の方が圧倒的に多いんですよね。
でも「家族を連れて移住」なんてことになると、そう簡単に行ったり来たり国を変えたりは出来ない。
年末年始はハワイ。夏はヨーロッパ。春や秋には好きなところへ行くなんて人は、今でも多いし、「老後はマレーシア」という人たちも同じで、イヤイヤそこに住んでいる人たちじゃない。
マレーシアというと「老後をマレーシアで」というところが注目されるけれど、MM2Hビザという長期滞在ビザも取らずに「毎年キャメロンハイランドで数週間」なんて人も多くいたし、マレーシアが好きで毎年遊びに来る人達もいる。
本当はそういう暮らしができるのが一番じゃないかと私は思っています。気が向いたら「いつもと違う国、場所で短期間暮らす」なんてことが出来たら良いなと私も思う。今の私としては「年に二度ぐらい」日本のあちこちで数週間過ごせたら最高の人生じゃないかと思うくらい。海外生活なんて言っても、「その地でやるべきことも多い」のが普通で、言語を覚えたり、地域のコミュニティーとの付き合いもあるわけで、遊んでいるばかりでは済まないのは「日本に住んでいたときと同じ」のはず。
でも好きなように生きる方法はある。
「年金生活」がまさにそれで、キーワードは【不労所得を得る】ことじゃないですかね。
この不労収入を得る人たちが近年は爆発的に増えてきたわけで、マレーシアでも「何をしているのかわからないような老若男女が増えている」のはまさにそれでしょう。
では不労所得を得るにはどうしたらよいのか?
これってそれを望まない限り得ることは絶対に不可能で、日本は歴史的にも「不労所得を得るのは罪」みたいな価値観もあって、また「ノウハウの蓄積もない」ことから【不労所得なんて得るのは無理】と頭っから否定する人が多いと感じます。
もしかすると不労所得を得ている人たちも「それを狙っていた」というより、「気がついたらそんなふうになっていた」ことの方が多いかもしれませんね。
私もそれは同じで、実業から足を洗ったのはすでにオーストラリアに移住していた40代でしたが、たまたま好きでやっていた投資の延長で、いわゆる長期短期、そして対象も広い「トレーダー」となってから知らない間にそちらのほうが本業になって、なおかつ「大きなリスクを取るのが嫌い」ですから「気軽な短期トレーダーを目指した」ら、「やりたいときにやる。気が向かなかったら何もしない」みたいな事になってきた。これって「そんなに気楽なのか?」ということではなくて【ここぞと思う時以外は手出し無用】なのが実は生き残るノウハウだったりするのね。
そして資産も増えてくれば、資産運用で食うことを考えるようになる。
私はそういう流れが「見えているだけ」で、実際にそういう風にしているかというとそうではないのですが(私の基本は二刀流で、一つの収入源だけでは怖くて生きていけない 笑)、今の時代、昔には考えられなかった「稼ぎ方」が出てきて、それも「第三の稼ぎ方」「第四の稼ぎ方」みたいに【時代とともにチャンスは増えている】のは間違いがないと思うんですよ。
ユーチューブやブログ、アフェリエイトで毎月100万円単位で稼ぐ人はごっそりいるし、これって「やってみようと思ったか、思わなかったか」の違いみたいに思うのね。
そりゃ「やれば誰でも儲かるなんてことは無いのはどの分野も同じ」だけれど、そもそもやってみようと思わなかったら何も起きない。
当然、「簡単に儲かるわけがない」にしても、今まででは考えられなかった方法で利益を出している人たちはゴマンといるのは間違いがない。これは相場・トレードの世界も同じだし、【不動産賃貸業】で資産数億円、年収数千万円という【若者】が近年とんでもなく増えてきたのも同じだと思うんですよ。
【乗り遅れたか・・・】と思う必要なんてないと私は思っていて、「諦めるのが早い人」っていつの時代もいて、【今からじゃもう遅いか・・】なんてのは、私でさえ40年以上も同じことを考え続けているのね。
「ぢぐしょ~~、出遅れたか~~!!」なんて思いつつやっていて、10年、20年経つと【随分、早い時期にはじめましたね】なんて言われるようになるから人生って面白い。
【思い立った時が、始めるべき時】なのはこれから何百年経っても同じなんでしょうね~~。
ただ「昔と同じ事をやっても駄目」であろうことは決まり事だと私は思うし、「今現在」と「ちょっと先を読む」ことが出来れば十分かもしれないのね。「先を読みすぎても駄目」だから面白いと思います。
世の中の他人や企業、コミュニティーや自治体、政府、国が自分を助けてくれることって「殆どない」わけで、やっぱり「自らが立ち上がること」が何よりも重要かと。そして初めて「他を助けること」も出来るはずなのね。そもそも自分が助けられる側だとしたら、世の中ってどうやって回っていくんでしょうか。弱者を助けるのは誰?
弱者を放置してはならないのは「道徳的、倫理的」にも非常に重要で、弱者が救われない社会は【必ず崩壊する】と思います。
若い時には自分のことだけが心配だけれど、家族も出来て愛する人達も増えてくると、【どうにか助けなければならない】と思うケースも増えるじゃないですか。それは自分の相方であり、子供であり、兄弟姉妹であり、親族であり、友人知人であり、そして一緒に働く人達であり、【自分が良ければそれで良い】なんてことは絶対に有り得ない。
でも何かあってから慌てても何も起きない。ましてや「自分が助けて欲しいぐらいだ」なんて思うことになるのが普通かもしれない。今の日本を見るとそういう人がどんどん増えているように思えます。
日本は長らくGDPも増えない国に成り下がってしまったけれど、もしかするとこれって「日本人の依存心が強すぎるのが理由」かもしれないなんて思うことがあるんですよ。だから「もうこんな生活は嫌だ!」と皆がやる気を起こして、「誰しもが仕事、収入源を2つ以上は持つ」みたいな日本になったら大変化が起きると思ったり。(笑)
まずは「収入とは就労の対価である」という考えを捨てるところがスタートだと私は思っていて、【私は遊んで暮らす!!】という強い意志を持つのもよいかもしれないのね。そうしたい思いは誰しもが持っているはずだけれど、そういう思いを持つのは「道徳的に間違えている」と日本人は考えがちだと思うんですよ。
でもものは考えようで、「遊んで暮らせる人が多くなれば、救われる人も増える」という事実を直視するべきだと思うのね。皆があくせく生きていたら、弱者が救われることはないじゃないですか。
また日本に限らず、世界には素晴らしい伝統、美術、芸術もある。和食もそうで、【豊かさがないところにはそれらが育たない】じゃないですか。
「豊かさを目指す」のは私は大事なことだと思っていて、皆が貧しく「少ない米を奪い合う」ような世界に希望も何もないと思うんですよ。でも「豊かになることと強欲になることは違う」わけで、「皆が稼いで、宵越しの金は持たない」ような世界になったら良いなと私は本当にそう思うんですよ。経済とは「回転」だと思うし。もしかするとアメリカの発展の原動力はそれかもしれない。日本の経済がうまく回らないのは「日本人はお金を使うのも投資するのも嫌いで貯金が大好きだから」という専門家も少なくない。
まずはどうするか。これはいろいろな考え方がありますが、私が昔から強く感じていることは【金利は大事だ】ってことなのね。
【複利で増やす爆発力】は皆さんご存じだと思うけれど、金利が低ければ複利でもどうにもならないのは今の日本を見れば良く分かる。
でも金利がそこそこだと、10年、20年のうちにはかなり大きな差が出てくる。
だからやっぱり、日本が超低金利であるのなら「外貨で運用する」のは基本中の基本と考えても良いかもしれない。
でもここにも大きな問題がある。
それは「為替変動」であり、「為替交換手数料」。これを無視して「利回りの良さ」を追っても絶対にうまくいかない。
為替交換手数料に関しては、日本の金融機関は「かつては詐欺と同等のことをしていた」と思うんですよ。そもそも外貨預金をするにしても「外貨を持っていないのが普通」でしたから、日本円を例えば豪ドルに替えないとならない。まずここで金融機関は「ごっそり儲けた」のね。そして定期が満期になった時には「日本円でしか受け取れない」ようなことが起きていた。
これって往復ビンタで高い手数料を取られるわけで、利回りが良くても長期に保持しなければ利益なんか微々たるものだったわけです。「外貨預金という名の【為替交換手数料で儲けるビジネスモデル】だった」と思います。
でも近年、「自分が持っている外貨で定期が組める」ようですし、「満期になってもその外貨で受け取れる」なら交換手数料は無視できる。今では日本でもそうなったようですが、もしそれが出来ないような金融機関なら使うべきではないし、【世界中に金融機関はごっそりある】のを忘れちゃうまくない。
でもここでも注意が必要で、30数年前ですが、オーストラリアのANZ銀行の日本支店に行ったときに驚いたんですよ。多くの日本人顧客がいて、「豪ドル預金をする」と息巻いていました。こういう外資の銀行でも日本国内では「日本の銀行と同じことをする」ってことに気がついていないのね。ましてやANZが提示する定期の利回りは「オーストラリア国内より低かった」んですよ。
だからどうせやるなら、「世界の金融センター」と言われる都市、国で口座を開くのが一番。豪ドルを持ちたいからと言って、オーストラリアに行く必要もない。
でも為替変動リスクは?となりますよね。
金利が高い国の為替は高くなる傾向がある。他の通貨から乗り換えようとする投資家は多いから。ところが、「金利が高い理由」が重要で、もしお金を刷りまくった結果としてお金がダブついていて金融引き締めの高金利だとすると、その通貨は売られる。発展途上国ではよくあるパターン。
これは米ドルとて同じで、かつては長期国債(30年債=ゼロクーポン)の利回りが15%を超えるという時代もあった。1980年代ですが、この金利だけに注目するとうまくないわけで、当時の米ドルは250円前後だったのね(要確認)。そして、その後、あれよあれよと米ドルは安くなっていった。
この当時、私はどうしてもこの30年債を買おうと奔走したのですが、不思議ですねぇ、売っていないんですよ。新聞では「米国債券を日本が買わされている」と大騒ぎしていたのに。結果的に銀行から紹介された証券会社が100万円だけ売ってくれるという話になりましたが、私はバカにするなと蹴ってしまいました。(バカだよね~~)
30年の複利で15%(ゼロクーポン)って、もし1千万円だと30年後には6億6千万円になるということ。でもこれは日本円で考えるとそういう数字になるということで、ドルが下がって半分になり、あっという間に3分の1まで下がったのは皆さん御存知の通り。
ま、3分の1になったところで、1千万円が2億2千万になるという、とんでもないことがあったわけです。(今なら3億を超えている)
1ドル360円の固定相場制だった頃から今までの変化。
ま、これは大げさな例でしかありませんが、【為替変動を無視した外貨投資は意味がない】のは間違いがないのね。
つまり、「為替のヘッジ方法」を知ることが重要となる。また為替は常に上がったり下がったりするわけですから、その動きの中で多少なりとも利益を積み上げる方法を考えたり、多少のリスクを取って【利回りの良い社債】を買うことによって「為替変動を吸収することも可能」となるわけです。
私は昔から、7%で回すのを目標としてきました。複利ですと5年で4割り増し、10年で約2倍、20年で約4倍、30年で約8倍となります。ま、そんな計算通りにはいきませんが、目標としては7%。
今の日本の金利が頭にあると「え?」と思いますが、かつては日本でも7%で回っていたし、私達がオーストラリアに渡った1991年では定期預金金利が10~12%。聞いたところによると16%という時代もあったと。そしてその後、金利は落ち着いてきましたが、7%程度で回る時代は長く続きました。
今の低金利時代でも5%を確保するのはそんなに難しくないと私は考えています。(かつてマレーシアの金利が3%だと喜ぶ人が多かったけれど、世界は広いのに・・・と私は思っていましたし、そのことは何度もブログに書きました)
そんなのできない。わかんな~~いと思います?
あれもできない、これもできない、面倒くさいと思いつつ、「何か儲かることはないかな~」なんてそんなうまいことが起こるわけがないですよね。
まず諦める前に、どんな知識やスキルが必要か調べて、それを取得するにはどういう壁があるのか、不可能なのかどうかきっちり調べてみる事が重要かと。
上に書いた、近年の「稼ぐ人たち」は皆、どんな分野であろうとそういうハードルをどうにか超えて頑張っているのを忘れちゃならないと思うんですよ。半端じゃなく頑張った人が多いにしても、「やってみたらできちゃった」なんてことも世の中には意外に多いんじゃないですかね。でもヘッジ方法は無視して「運を天に任せる」のはやるべきではないと思っています。
資産運用は利回りの良い場所、通貨で行い、それを使うのは「生活費の安いところ」という形を作るのが私はベストだと思い、それを実践しています。なおかつマレーシアの場合は「利子に課税されない」という特典がある。この非課税というのは効率的に、あるいは爆発的にと言っても良いくらいの資産を増やす原動力になる。
これってまさに「出稼ぎに出て稼いで、自国で使う」というとんでもなく長い歴史そのものであり、多くの国々の人達も考えていることと全く同じなのね。この出稼ぎを「自分でやるのではなくて、自分のお金にやらせる」ということ。
これで大きく利益を出すとかそういうことではなくて、「金利の高いとこでお金を回す」という【生活の基礎】をつくるのが大事だと私は思うんですよ。「キャッシュはタンス預金」という人は殆どいない時代になりましたが、それと同じ様に【金利の高い通貨に替えるのが常識】だと考えても良いのかもしれない。
実際に働いて儲けるのは、ブラック企業で寝ずに働くもよし。旦那のお尻を叩いて頑張って働かせるもよし。自分の時間でパートに出るのも趣味で稼ぐのもよし。稼ぎ方は人それぞれでそれはそれとして頑張る。私も二刀流で、「超短期トレード」という別の仕事を「資産運用」と別枠でやっています。
でもそうやって稼いだお金をどうするか?という意味で「金利で儲ける」ことをしっかり考えるべきだと思うし、【いつか働いて稼ぐことは難しくなる】のは全ての人に共通することですから、「資産運用」もいろいろあるなかで若い頃から【金利で儲ける】のを基本に置くのも一つの選択じゃないでしょうか。
でも上に書いたように「外貨預金をすればそれでよし」なんていうほど単純ではないのね。
でもどうにかそのノウハウを手に入れて、自分の長い余生、そしてそれを子どもたちにも伝えることができれば、かなり違う人生がおくれるかもしれない。
日本は「お金のことを全く教育しない。勉強しない。家族でも話し合わない」というとんでもなく変な国だというのを忘れてはならないし、「お金儲けは恥」という思いも捨てる時代になったと思うんですよ。
皆で稼いで使う。だから経済って回るし、弱者も助かるんじゃないんですかね。
「足ることを知る」「ミニマリストとして生きる」「断捨離」も【不透明な時代を生きるためには必要なこと】だと思いますが、私は【皆で豊かさを分かち合う世界】が好きだし、でも「無駄をなくしリサイクル、省資源での生活」は技術の進歩で可能だと思うし、そうやって私達は生きてきたと思うんですよ。
そもそも、皆が豊かであることを諦めた世界で、弱者はどうやって生きれば良いんですかね。
私が弱者だとしたら、同じ様な人が多い社会より豊かな人が多い社会の方が良いと思います。それは自分の子供や子孫の時代を考えても同じだと思うし、自分が豊かであるのはまだ見ぬ子孫たちへの義務だとも思っているくらいです。皆が等しく貧しくて、小さな富や食料を取り合う世界を残すなんてことは絶対にしたくない。
でも今の日本、世界は「益々格差は広がる」「一般の生活は益々苦しくなる」と私は思うし、個人としてそれへの対策を考えること無く「老後を楽しもう(逃げ切りを意味する)」「国に任せきり」という気にはなれないのです。でも富そのものを残すことは不可能だから、多少なりとも豊かになれるノウハウぐらいは残したい。
そんなことを毎日考えています。
金利でどう利益を出すかですが、いくつか方法がありますよね。
◯ 定期預金
◯ MMF(マネー・マーケット・ファンド)
◯ 債券投資
そして外貨でそれをやる場合、こういう方法もある。
◯ FXを使って通貨の金利差で利益を出す
このFXで利益を出す方法もかつては大流行だったのね。例えばAUD/JPYを買うとします。これって普通は為替変動で利益を狙うと考えがちですが、【金利差の調整のためのスワップポイント】なるものがあります。金利の安い円を売り、金利の高い豪ドルを買うと、毎日毎日スワップポイントが付与される。逆に豪ドルを売るポジションだとスワップポイントが引かれる。
これの仕組みはこのサイトでわかるはず。ちなみに私はスワップポイント目当てのFX売買はしたことがありません。
今は日米の金利差を利用して、USD/JPYをFXで買ってスワップポイントを狙うトレーダーも多いのかもしれない。
最近ニュースや新聞で「円安・ドル高」という言葉を見聞きすることが多いのではないでしょうか。日本と海外との金融政策の違いが…
この方法を使うと、豪ドルじゃ米ドルじゃ通貨そのものを持つ必要もない。定期や債券に投資する必要もないのね。FXでAUD/JPY、USD/JPYを買えば良いだけ。
AUD/JPYでこれをやる日本人が非常に多い時代がありました。でも彼らは「Mrs Watanabe」と呼ばれ、ハイエナ達のカモにされることも多かったのね。
たとえばですが、スワップポイントが年利計算で4%つくとしましょう。
FXってレバレッジを利かすことが出来ますよね。100万円で2500万円分の豪ドルを買うことも出来る。つまり25倍のレバレッジですが、当然、スワップポイントも25倍入ってくる。つまり4%計算だとすると、25倍で100%。100万円の投資でスワップポイントだけで毎年100万円の利益が出るという計算。
これってとんでもなく凄いことですから、やっぱりレバレッジを掛けて豪ドルを買いたくなるわけですが、25倍のレバレッジということは【値動きが4%で100万円が動く】ということ。つまりもし10%もの動きがあったら大きくマイナスになるわけで、証券会社から追証を求められる。
だからやっぱり口座には300万~500万程度の資金を置いておかないとならないのね。というか、この例で言えば、自分が売買しているのは2500万円相当の豪ドルだという意識が必要だということ。
だからレバレッジを掛けるにしても5倍までだろうな、なんて考えるわけですが、5倍でも値動きが20%あれば、元金は吹っ飛ぶわけです。
これをハイエナたちは狙ったのね。
突然、豪ドルを大きく売るわけです。そして豪ドルが下がってくるとレバレッジを掛けて買っている側には追証が掛かりますし、「その前に投げ売り」が出てくるのね。証券会社のシステムが自動的に売るケースもある。
となると【大暴落が起きる】わけで、そのときに、ハイエナは買い戻す。なんてことがありました。
また豪ドルは「常に金利が高い通貨」でしたから、買い手が多い通貨と言ってもよいのね。キャリートレードの対象となる通貨。
ところがですね、世界に何かが起きた場合、そのキャリートレードを縮小する動きが強く出る。つまりリスクオフ(資金の引き上げ)になると【大きく売られるのが豪ドル】だった。
だから乱高下が続くし、世界の経済情勢に非常に敏感な通貨だったわけです。
リーマン・ショック時には約3ヶ月で約半値まで叩き売れて、私は「もう俺は終わった」と思いましたっけ。為替で半分になり、リーマンショックで不動産なども大暴落しましたから、円建て計算で私の総資産は「3ヶ月で4分の1以下になった」。これがどれほどの衝撃か想像できますでしょうか。(笑)
ま、豪ドルってこういう動きをしますから、面白いと言えば面白いのね。安いところは拾っておいて、スワップポイントで金利差も儲けるなんて投資家が非常に多かった通貨。ただ近年は金利は低いままで妙味はなくなったと思います。
どちらにしろ、為替変動を無視して「海外で生活することは不可能」だと私は思いますし、運を天に任すのではなくて、どうにか「為替変動とともに生きる方法」を考えなくてはならないし、そこでそれなりのヘッジの方法なり、チャートの読み方ができれば、大きなプラスとして働くわけです。
そして「金利で利益を出す方法」と合体させて、金利収入が多ければ多少の為替変動は吸収できますし、逆手に取れば大きな増収となる。
なーんて思いながらやっていても、誰かさんみたいにクレディ・スイスの債券(AT1債)が無価値になって呆然とするしか無い、なんてことも起きるのね。
でもま、投資には常にリスクが付きまといますし、「リスクがないところに利益もない」のが現実ですし、リスクから逃れるのではなくて「リスクとはコントロールするべきもの」と割り切って、【想定外のことも必ず起きる】という前提でやっていくしかないと思っています。
ファイナンシャルプランナーが「分散投資をしろ」と良く言いますが、それはそれで正しいとは思うものの、【分散すればよいのか?】ってところが問題で、ただ単に「金(ゴールド)」を買ってみようとか、「株のインデックス投資」もしようか。「不動産も買ってみる?」なんて簡単じゃないのね。
それぞれにとんでもない奥深いノウハウがあって、そして【タイミングが非常に重要】なのは当たり前で、それを無視した分散投資なんて【やらないほうが良い】と私は思うくらいです。
世の中に出回っている情報、特にネットの中の情報は【私達を金づると見ている】のが正解だと思うし、キッカケとしては良いにしろ、その後の努力無しにはうまくいかないのは当たり前と私は思っています。
特にファイナンシャルプランナーには気をつけるべきだと私は思っていて、まず「彼ら自身がどれほどの資産、収入を築いているか」のチェックが重要だと思います。彼らは「当たり前の基礎的な知識」を出すのが仕事で、【どうやって実利を出すか】のプロではないということ。
ネットの中で「老後のために外貨預金は必要。ただし、30%程度の損失が出ることもある」なんてのを読んで驚いたことがありました。年寄りに外貨預金を勧めて、でも30%ぐらい損するかもしれませんよ、なんて損を出したら取り返しの付かない年寄りをバカにしているのかと思ったもんです。これじゃ「外貨預金はするな」というのと同じ。
ここに気が付かずに、ファイナンシャルプランナーに依存しすぎたり、どれほどの【机の上の勉強】をしてもどうにもならないのは、どんな分野でも同じだと思います。
ただし、彼らは学校の先生と同じで、【彼らの言う事を無視した投資行動】はかなり危険だとは思っています。そういう意味でのファイナンシャルプランナーの存在は重要で、【彼らから、私達が受けるべき義務教育を受ける】みたいに考えたら良いのかもね。日本では学校でも社会でも、家庭内でも【お金に係る知識の共有はなされない】というおかしな国ですから。
私の友人で、「その息子が破産した」のがいるんですが、それは息子が「息子の友人の債務の個人保証をしたから」でした。話を聞いて驚いたのは、その息子はもちろんのこと、親でさえも「個人保証の恐ろしさを知らなかった」ってこと。友人に「保証人になってくれないかな~」と言われて、二つ返事でOKしたと。
これが日本の実情かもね。
そして怖いのはですね、銀行もこういう無知を利用することがあるのね。例えば「融資を受けていて、その延長が必要な時」に、「XXXさんという非常に堅実な経営をしている方がいらっしゃるんですが、その方と個人保証をし合うという条件でいかがでしょう」なんて言っていくることがある。
そしてそれに乗ったらXXXさんはものの見事に倒産して、その人の債務まで背負うことになって、結果的に全ての財産を失ったとか。
つまり、銀行はXXXさんが危ないのを知っていて、でも担保が足りないから「保証し合う」なんて条件を出してきたのに間違いがないのね。
(これを書こうかどうか迷ったけれど)それに引っかかって全ての財産を失ったのが、我が家のヨメさんのお母さん。亡くなった旦那さんが残した家屋敷、病院、全ての資産を失った。
渡る世間は鬼ばかり。