日本のビジネスマン目線の「マレーシアを見る目」が面白い

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ユーチューブでもブログでも「マレーシア情報」っていろいろありますが、「老後の生き方」とか「海外に住みたい」、あるいは近年の傾向として「マレーシア教育移住」なんてのがありますが、「ビジネスマン目線のマレーシア情報」って少ないですよね。私は「突然マレーシア駐在が決まった駐在員が何を感じているのか」も知りたいのだけれど、そういうのは見たことがない。

そもそもビジネスが目的ですから、「海外移住~~♫」「マレーシア最高~~♫」なんて思い込みも無く、正直な話が聞けるのね。

実際に1970~80年代の東南アジアを知っている人なら、国民は明るいだけで、汚い、犯罪が多い、民度が低い、貧しいと思うのが普通で、東南アジア嫌いはごっそりいたのね。またオーストラリアもそうで、私はイギリス在住の日本人から「どうして経済も駄目でまともな文化も無いようなオーストラリアに住もうと思ったのか?」なんて(30年前に)聞かれたことがある。

この動画が面白くて笑っちゃったのが「経済飯」を【ぶっかけ飯】と呼び、【腹を壊しそうだ】、【こんなの食べたくない】とか、【どうしてみんな手で食べてるんだ?】なんてのもあったり。また「居住すること」に重きが置かれていないから、コンドを見る目線もちょっとズレがあると思ったし、「ちがうだろ~」なんて思うところもある。

でも正直で良いと思ったし、マレーシアのコンサルタント(?)が着いてマレーシア事情を説明する場面もあって、そういうのは私にはまるで縁がないことから「へ~~~、マレーシアってそうなんだ?」と思うところもあった。

私はこういう「生の意見」が好きです。ディズニーランド好きがディズニーランドに行って、「ディズニー最高~~♫」みたいな話って私はあんまり好きじゃない。自分がディズニーランドが好きだとしてもです。逆に「アンチ」が何をいうのか興味があるくらい。そういう正確なんでしょうねぇ。(笑)

こういう生の声って、本音、第一印象、であって、「誰しも思ったことがあること」だと思うんですよ。でも「マレーシアに移住しようか」なんて思った後は「良いところしか見ない」ようになるし、住み始めてからは「マレーシア第一主義者」みたいになって、下手にマレーシアの欠点でも誰かから聞こうものなら「真っ赤になって反論する」人まで出てくる。そして「マレーシアに感謝しましょう」なんて、自分が思えばよいことを他人にまで押し付けようとする人まで出てくる。

それを聞くと、まず自分が好きに生きられるようになったのは「裕福な日本に住んでいたから」で、日本に感謝しましょう~って言ったことがあるのかと思うぐらい。

またエアーアジアがマレーシア=日本線を就航した時も面白かった。多くの人が「エアアジア万歳」と言っていて、そりゃ安いのに越したことはないですが、「私はJAL(ANA)が好きでそれを選ぶ」なんて言おうものなら、集中攻撃を受けた。「同調圧力が凄い」のね。

これって私が25年住んだゴールドコーストも全く同じでした。特に来たばかりの人たちの「盛り上がり様」って凄くて、【ゴールドコースト応援団】みたいになるのね。でもそれは私も同じで、「こんな幸せで良いの?」なんてことまで思うのね。(笑)

でも3年経ち、5年経ち、10年も経ってくると、「驚きはただの普通の事」となり、「感動することも減り」「今まで見えなかったいろいろなことが見えてくる」のね。で、「燃え上がったまま」の人たちのいうことを苦笑いしながら聞くようになる。

これはマレーシアも同じだと私は思っていて、今回のビジネスマンの本音、第一印象が実は「一番合っているのかもしれない」「燃え上がってもそこに戻ってくる」ような気がするんですよ。

かく言う私は、最初から盛り上がることはなかったものの、やっぱり「夢がなければマレーシアには来なかった」わけで、それなりに燃えていました。でも「現実を見せられた」と思うのは早い時期に来て、それからは冷静にマレーシアを見るようになったような気がします。

で、今、どう思っているかと言うと、「良いところも悪いところもある」という普通の見方をしているし、「ここが最高~」とか「これは最低~~」とか、そういうことも思いません。「ま、良いんでないの?好きにすれば?」って感じでしょうか。これは世界どこでも同じこと。

でも日本在住の知人友人の中で「夢を見ちゃったままの人」っているわけで、そういう人が「早くマレーシアに行って住みたい」なんてのを聞くと、「慌てなくても良いんじゃね?」「とりあえず好きな時に来て、好きな時に帰るのが良いと思うよ」「行ったり来たり出来るのがベスト」「たまには他の国へ行くのも良いし」ということにしています。私もそれが出来るのなら、それがベストだと思いますし。

「マレーシア最高~~」なんてことを書くブログって今までも山のようにありましたが、突然、書き込みが止まったままだったり、「急遽、事情がありまして日本に帰ることになりました」なんてのもある。そして日本に帰ってからは「ここが最高~~」と書いている人もいて、全くお騒がせな人だなと思ったり。

でもま、好きなことを始めて、好きな時にそれをやめて、また違うことに没頭して、「今が最高~~」って人が一番幸せなんだろうなと思う。

でもその「最高~~~♫」って言葉に乗せられちゃう人も多いのね。ま、しょうがないか。乗せられる人も「その気がそもそもあって、乗りたかった。もっと盛り上がりたかった」のが本音なんだろうと思うし、ファンクラブの中で、同好の士が盛り上がる時ほど面白いことってないですもんね。

ただこのブログが登録してある、にほんブログ村の「マレーシア情報」を見ると、常連さんのブログって何年も変わっていないけれど、【閲覧数】を見ると恐ろしいほど減っているのね。かつての何分の1って感じ。

それだけマレーシアの人気が衰えたのだろうけれど、マレーシア大好き~♫組ではない私としてもちょっと寂しい感じはしています。やっぱり皆が「マレーシア~~♫」とお祭り騒ぎになっている方が私も楽しいですもん。

日本の貧しさという背景がかなり深刻なものとなっているのを感じるし、でも良い人は昔では考えられないほど良くなっていて、まさに「格差が広がっている」と私は感じるのですが、それを感じると悲しいとさえ思います。

一億総中流意識時代ってやっぱり良かったなぁ。普通に働けばどうにかなると皆が信じていた時代。

こんな植木等の時代を思い出します。どの企業にも「窓際族」がいて、それが当たり前で皆がどうにか生きていけた時代。能力給なんて無いのも同じで、頑張っても手を抜いても似たような給料で、年功序列、終身雇用だった時代。ローンを組んで1500万円で私鉄沿線に家を建てたら、あっというまに5倍10倍になった時代。

でもそういうのは私よりちょっと上の年代で、私の年代は「とんでもない価格の家を長期ローンで買って」、あっというまに値崩れして真っ青になった世代。

バブル時代も凄かった~。ジュリアナ東京でパンツを出して踊り狂っていた女性たちも、今じゃ60代、70代って面白いですよね。

今は大変な日本だけれど、そのうち良いこともあるさ、なんてのはまさに植木等のノリでしかなくて、「日本の構造的な問題」を考えると、「このまま放置していて良くなることはない」のは誰にでもわかるはず。

今はもしかすると「明治維新前夜」みたいな状態かもね。若い人たちが立ち上がらないと大変なことになる。また年寄りはそういう若い人たちを支援する【義務】があると私は思っていて、「逃げ切りばかり考える」なんて最悪だと思う。

三島由紀夫が1970年に日本を憂いて割腹自殺する直前に言っていた【このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう】というのが気になっているのだけれど、2箇所、間違えている。それは「富裕な」というところと「経済大国」というところ。

今は住みやすいマレーシアも、「日本人にはなんでも高すぎて手が出ない」という日が来るのは決して遠くない将来だと思っています。そもそもお隣のシンガポールのインフレのスピードも異常なほどだったんじゃない?どなたか「今のシンガポール」を予想できた方っています?

まさかと思う若者は多いかもしれないけれど、かつてのシンガポール、韓国、台湾、香港も「なんでこんなに安いの?」という時代があったのね。そしてそれはオーストラリアも同じで、1980年代のオーストラリアなんて「今のマレーシア」みたいな感覚があった。私がゴールドコーストの情報を集めていた頃は、「親子4人、月に15万円で生活できる」と言われていたんですよ。今はその10倍でも苦しいオーストラリアになってしまった。

昔の中国なんて酷いなんてもんじゃなくて、まだ正式に中国旅行ができない頃、1970年代でしたが、マカオ経由で「中山県(孫文の生まれ故郷)」に入ることは可能だったのね。そこに行ったら(当然ツアーで勝手な行動は一切出来ない)田舎の中山県って貧しいどころの話じゃなくて、男は半ズボンにランニングが普通で、そしてとんでもない数の「自転車」が道路に溢れていた時代。百貨店には商品なんかまばらで、ショーケースにはホコリが積もっていた。そして日本で言う銀座のど真ん中の交差点でも「戸板に、剥がした猫の皮を打ち付けて乾かしてあった」なんてことも。まさに北朝鮮みたいな。「外国人に見せるための農村」もあって、そこにはなぜか人が全くいない家が並んでいて、どの家も窓が開いていて、部屋にはカラーテレビが付けっぱなしになっているのが見えるようになっていた。

かつて「香港から望遠鏡で見える中国」も作られていたのをご存知ですかね。多分、深センの山の上だと思うけれど、公園から望遠鏡で中国が見えるようになっていたんですよ。そこには畑が広がっていて、そこそこ立派な農耕機械が動いているのね。でもそれは「見せるためのもの」だとガイドが言っていましたっけ。これってかつてのソ連も同じ。観光客用の見せる場所、店が存在していた。

こんな感じで、当時の中山県は田舎で、皆がもっと見窄らしい格好でしたっけ。

時代の移り変わりって絶対に無視したら駄目で、良いようにも悪いようにも「どんどん変わる」のを考えて将来行くべき道を考えないととんでもないことになる。それは「政治」にも左右されるわけで、私は日本の財務省的な考え方は間違えてはいないと思うんですよ。でもそれは「銀行管理下になった企業と同じ」であって、本当にその方針(財政健全化+増税)でよいのかどうかは疑問。少なくとも「夢のある若者」が羽ばたける世界ではないと思う。

私は「若者は日本を出た方が良い」と思うのね。でもそれは「逃げる」という意味じゃなくて、「外から日本を守るために日本を出る」という考え方。沈みゆく舟を一緒に沈みながら助けることが出来るのかって話し。もちろん沈没する舟を助けることは大事だけれど、それをするのは私は「政治家の役目」だと思っていて、一人ひとりの個人が頑張ってもどうにもならないと思っています。でも外から政治家を選び、支援することは可能。

もちろん、日本で「自分の素晴らしい未来が見えている」ならそれに邁進するのが良いと思うけれど、そもそも「住む国を固定する考え方」があまりにも古過ぎると思うんですよ。

東京に住んでいても東京内で引っ越しをすることは多いし、県をまたいで移る人も半端じゃなく多い。それと同じでマレーシアに住もうがアメリカだろうがオーストラリアだろうがイギリスだろうが、(ビザの問題はあるにしても)【自分はその時その時ベストだと思う国に住む】という考え方の切り替えがあっても良いんじゃないですかね。

これは自分の資産を「どの国に置くのか」も同じで、投資先も同じ。私は何度もこのブログに、「自分と同じ様に、お金、資産にも住みやすい国がある」と書き続けてきたし、「自分が住む国とお金を置く国が同じ必要って無い」のね。これは「持つ通貨も同じ」で、日本人だからと言って日本円を持つ意味はない。これは【日本に住んでいても同じ】で、日本に住みながら「主要通貨は米ドル」で、「米ドルで稼いでいます」だって良いじゃないですか。

私はマレーシアに住みながら、マレーシアリンギットは「必要最低限しか持たない」し、マレーシアに住んでいるからと言って「マレーシア国内で投資するべき」とも全く考えていません。それって「資産やお金は住みたい国があるのに、無理やりマレーシアに住まわせる」のと同じことになってしまうから。

ちなみに私は1991年に日本を出てからそういう風に考えるようになって、「キッカケは大事」だし【キッカケがないと出来ない】にしても、自分という身体もお金も資産も【それぞれ住む国、置いておく国は別々】です。当然、「同じ」ということもあるけれど、それはたまたまそうであるだけで「同じである必要はない」んじゃない?

これって自分は足立区に住んで、銀行は丸の内にあって、横浜に勤めている、会社を経営しているのと全く同じこと。

では「国をまたぐ」場合はどうして抵抗があるのか。そう思う自分の心の中の理由をしっかり探る必要があると思うし、そこに【必要のない拘り】とか【不安】があるのがわかるはず。また【必要なスキルがない】こともあるけれど、それらを乗り越える必要があると思っています。

近年は「外貨預金」をしたり、「海外の株式に投資」をしたりする人は増えていますが、それの「延長線上だ」と思えばなんてこともないはずなのね。お国替えも「神奈川県から東京都に引っ越す」のと大きな違いはないかもしれない。

その不安って、「学生から社会人になるとき」のと同じでしかないと思うし、バンジージャンプで飛び降りるほどの決意も必要ないかもしれない(笑)。「結婚を決意した時」はどうでした?

私は温泉が好きだけれど、「同じお風呂、ぬるま湯にずーっと浸かっていたい」とは思わないし、それはもしかしたら「茹でガエルになる危険性もある」と思うわけです。

「やっぱり日本がベスト」という思いが湧いてきたら、【その時に帰ってくれば良いだけのこと】だと思うんですよ。日本国内でも「Uターン」ってあるじゃないですか。それとどこが違う?

ユダヤ人がどうやってイスラエルを守ろうとしているのか。良い悪いは別にして、参考になるんじゃないですかね。

今の私としては、縁あって来たマレーシアも良くなって欲しいですが、「このままであって欲しい」というのが私の本音。私も頑張るから、「ちょっと待ってて」みたいな。(笑)

将来的にはどうかというと、全くの未知数で、日本に住むかもしれないし、オーストラリアかもしれないし、このままマレーシアで人生を終えるかもしれない。それはその時の事情による。

「どこに住んでいるの?」という質問に対する答えが「地球!!」だって良いじゃないですか。これって「品川区上大崎3丁目に住んでますと答えずに、東京です」というのと全く同じこと。

遠い将来には月や火星のコロニーで私達の子孫が住む時代は【必ず来る】んじゃないですかね。火星移住計画はもうすでに人類の現実の計画であって、決してSFの世界の話じゃないじゃないですか。

そんな将来が来るかもしれないのに、「海外に出るのはちょっと・・・」という人たちの考えって、かつての日本みたいに鎖国をしているわけじゃないのに、それこそ異常に私には思えるんですよ。

ま、私が異常なのは自覚していますが。(笑)

でも一つだけ間違いのないことは、私の心は常に日本と共にあるってこと。日本は私を生み育てた唯一無二の存在で、母親と同じ。世の中がどうなろうと自分がどうなろうと、日本は我が祖国。一番愛する国。(^_^)v

男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山

男児志を立てて郷関を出づ
学もし成る無くんば死すとも還らず
骨を埋むる豈に惟だに墳墓の地のみならんや
人間到る処に青山(墓)有り

日本、最高~~~!!大好きなんてもんじゃない。 \(^o^)/

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