日本のニュースを見ていると「インバウンド価格」が広い範囲に広がっているのがわかる。外国人様々で、日本に大金を落としてくれるのは良いと思うけれど、「千客万来@豊洲」で高い料金を払う客は決して外国人ばかりじゃなくて、%でいうとやっぱり日本人が多いらしい。
また今流の旅行のユーチューブを見ても、1泊90万円のスイートに泊まってみたとか、ファーストクラスでシンガポールへ行ったなんて話が増えているし、「良い旅館」も一人一泊10万円以上のところのレポートがやっぱり増えている。
これって「ユーチューブで利益を出す人たち」の内容がエスカレートしているのもあるだろうし、いわゆる「案件」で自分が支払っているわけではないのも多いのがわかるけれど、やっぱりそれだけじゃない「大きな変化」が起きていると思う。
「かつて安かった」とか「海外で大名旅行をした」なんて経験をしている日本人は、もしかしたら私みたいな年代の人か、その上の人だけかもしれないし、「とんでもない円高だった時もある」のを知らない、「バブル」も知らない人たちが増えている今、「これが普通」という感覚があるのかもしれない。
「安い日本」と「どんどん豊かになる日本人」が同居しているような、格差が日増しに大きくなっているような・・。
確かに「お金の稼ぎ方」も大きく変わっていて、日本の富裕層もどんどん増えていると聞く。
自分は置いていかれてるんだ・・・・、なんて思うけれど、それは間違いがなくて、そもそも「歳も取って頭が固い、古い」わけで、新時代の価値観も理解できなければ「置いていかれて当たり前」なんでしょうねぇ。
これが世界の日本を見る見方。
「日本は安い」のを【円安のせい】と説明するケースが多いけれど、私はそう思っていなくて、では今の円相場から2割円高の120円で計算すれば、「日本は普通なのか?」というと【やっぱり安い】のね。
その外国人が安いという金額は、日本人には高いわけで、【感覚的な話をすると】、たとえば、1万円の海鮮丼は高いと思うけれど、円安がおさまったとしてもその海鮮丼は8000円になるのと同じで「やっぱり高い」じゃないですか。外国人から見れば、1万円の海鮮丼が12000円になるだけで、それを「高い!」と外国人が騒ぐとは思えない。これは感覚の話ね。
それほど「海外の物価との開きがある」のが現実。つまり外人が「日本は安い」というのは母国に比べて2割3割安いって意味じゃない。も~~~っと安いと感じているのは、日本に来る外人の街頭インタビューを見てもわかるじゃないですか。円安の150円が、120円、110円となっても、彼らにとって「日本が安い」のは変わらないと思う。逆を言えば、円が120円になっても「日本人がハワイやニューヨークに行ったら真っ青になる」のは変わらないはず。ランチの5000円が4000円になったら「安い!」って思いますかね。
もし1ドル90円以下になれば、多少は緩和されるかもしれないけれど、今、世間で言われている「高い外国の物価」が【半額ならどう思うか】考えてみてください。私は半額でも高いと思いますが。(笑)
だから問題の本質は「為替」にあるのではなくて、違うところにある。そしてそれにも変化が起きていて、「日本の物価も海外の標準に合わせるが如く上がっていく」のだろうと思っています。「円安のせい」なんて思っている内に、「円安のままなのに物価は海外に近づいていく」現象が見えるようになってくるんじゃないかなぁ。もうその兆候は見えていると思います。【日本中がインバウンド価格になる日が来る】と想定してみるのも良いかもしれない。
とにかく「時代に大きな変化が起きている」と私は感じるわけで、それにどう対処すればよいのか。
「新NISA」も同じで、私はあんなことに気軽に乗ったら大変なことになると思うけれど、それもまた「心配性の年寄り」だからかもしれなくて、私から見ると「簡単に考えてる人が多すぎる」と思うけれど、意外に【リスクのないところに利益もない】のを今の人達はしっかり理解した上でやろうとしているのかもしれない。「なかなか簡単には行かない」にしても【今から経験を積む必要がある】ことを重視するのは非常に良いことだし、【トライすべし】というのが正解なんでしょう。
でもそれは若者の話で、巷の盛り上がりに乗って、60、70代の年寄りが「新NISAだ~~」なんて調子に乗るのはちょっと意味が違うんじゃないかなぁ。
頭も古く、勉強するのも嫌で、10年20年先の事を考えて投資を始める「年寄り」って、私はカモにしかならないと思うし、失敗も含めて経験を積んでも「80歳になってどうすんのよ」とも思う。若者にとっての失敗は「糧となる」にしても、年寄りには「命取りになる」と私は思う。
結局、自分も含めて「老兵はただ消え去るのみ」ってことなんだと痛感することが多い。
私は事業をしているわけでもないし、家業があるわけでもないけれど、「現役」といえば現役でまだまだ収入増を狙えると思うし、資産も増やせると思っているし、そうしなければならない状態だけれど、それを狙えるということそのものがラッキーなのかもしれない。でも歳を取るとは「今までできたこともできなくなるのが歳を取るということ」なのがよーくわかるようになったし、明るい未来があるとも思えず。でも諦めるわけにはいかない。
インバウンド価格を知った時には驚いたし、「自分には関係ない」と思いつつニュースを見ていたけれど、「インバウンド価格とは世界標準」であり、「いつかそれが日本に広がる」と思ったのは間違いがない様子。
為替変動も「大きな変化を予想することは不可能」で、まだまだ円安が進むという読みも、いやいやそのうち円高になるという読みも「双方とも理屈には納得できる」わけで、本当にわけがわからない。今はドル高でその状態はドルで生活している我が家には良いのだけれど、そんなことに喜んで安心したり、支出を増やすなんて馬鹿なことをしていると、あとで痛い目を見るであろうことは「今までの経験」でわかる。
やっぱり怖いのは「インフレ」で、「インフレとともに収入が増える人」って間違いなくいて、でも「自分は関係ない」となれば、自分でどうにかするしかない。
でも「新しいことにトライする」のは年齢的にも非常に難しいし、「すぐに良い結果が出る」ことなんてありえないし、やっぱり「できることをやりながら上を目指す」しかないと思う。
私には「足るを知る」という考え方は全く無いし、全然、足りていない状態だけれど、それでも「足るを知れ」というのは【年寄りにとって非常に重要な考え方】のような気もする。
心身ともに「全盛期を過ぎている」のは間違いがなくて、それでも「いつまでも前線に出て戦うつもり」でいるのが良いこととも思えず。
「諦めたら楽になるよ」という声が遠くのほうでいつも聞こえるんですよ。
でも私が育った「商人の世界」って「引退」という言葉がない世界とも言えて、80,90を過ぎても働く人っていくらでもいるのね。でも決して「昔と同じことをしているわけじゃない」のであって、その辺が私にはまだわからないのだろうと思う。
「子どもたちに全て任せる」なんてことが出来る老人が羨ましい。私も早くそうなりたいけれど、なれるのだろうか。
ハァ・・・
このニュースを見ても、「円高になれば大丈夫」という話じゃないのはすぐに分かるはず。価格差は「2割3割じゃない」でしょ。円安って外国人にしたら「オマケ」みたいなものでしかなくて、【日本の物価がそもそも安い】ということだと思う。
彼らは「円安じゃなければ来ないのか」、「円安が収まれば高いと思うのか」。
結局、外国勢はどんどん大きく豊かになる中で、日本は30年以上「横ばい」でデフレに悩まされていた。その差が「円安」によって「はっきり見えるようになった」だけのことで、これから日本が大きく発展するとは私には思えないものの、「海外との価格差は埋まる」様な動きになるのだろうと思う。
その変化に取り残されるのは「弱者」であり、「年寄り」だと私は思うわけで、「円安の構造的なものは変わらない」し、どう考えても「明るい未来があるようには思えない」わけです。
上の動画の中で「これからの日本人は【稼ぐ】【高い給与を求める】ことに躊躇すべきではない」と言っているけれど、私はそのとおりだと思う。
年寄りは「足るを知れ」なんて言いつつ【どんどん足りなくなる】世界に突入するはずで、それはもうはっきり見えているんじゃないですかね。
日本は今まで想像もしなかった「格差社会」になると私は思っています。そしてそれを緩和するには「頑張る若者の税負担が大きくなる」ということだろうし、そういう日本で良いとも思えず。格差が広がるとそれは「分断」に進むから怖いと思う。
ただ年寄りには一つの良い点があるのね。「決して先は長くはない」ということ。それぐらいしか思い浮かばない。(笑)