今の日本が「一番日本らしい」のかも

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今回の自民党総裁選を見ていて思うことは、日本人って「波風を立てない」ことを何よりも好む国民性なのかなってこと。

少なくとも「自民党議員はそれを望んだ」ように思っています。

「どうあるべきか」じゃなくて「皆で仲良くできていればそれで良いじゃないか」みたいなものを感じました。

というか、総裁選で最後の決定打は「岸田氏の動き」だったようですが、まさに彼が「強烈な個性を嫌う穏健派」だったように思っていて、中韓に関してもアメリカに関しても「寄り添うタイプ」で、「日本の立場を強く主張しない」ことが日本のベストの選択と考えていたように思う。

彼は当初から「聞く耳を持っている」と言っていたように「調整型」の政治家で、日本をグイグイ引っ張っていくタイプじゃないのは見えていたし、私はそれが一番の不満だったのだけれど、今になれば、「ああ、それこそが日本的だ」と思うわけです。

「出る杭は打たれる」のを良く知っているからこそ岸田派をまとめられたのかもしれないし、またそういうタイプが岸田派に多くいたような気がしています。

「総理大臣として靖国参拝をする」とか「中国のブイを直ちに撤去する」なんてのは絶対に駄目で、「ろくでもないことをする外国には【遺憾である】以上のことは言わない」のが当たり前で、【そうあるべき】と考えている自民党議員がいて、そしてそういう議員の頂点にいたのが岸田氏だったように思う。

そしてアメリカには寄り添い、LGBTQ法案は「世界の流れ」と決めつけて無理やり通してしまい、アメリカ駐日大使は大喜び。「民主党に寄り添います」と公言していたかのような動きばかりだったように思う。

自分は総理を降りると決めてからアメリカに行ったのはなんだったのか。それはまさに次の総理にも「アメリカに追従せねばならない」という意思表示だろうし、「総理大臣として、日本とアメリカとの約束を確認した」んでしょう。「高市総理が生まれる場合を想定した布石だった」ような気さえします。

そして「高市vs石破」になったら、最後の力を使って【自分とは真逆で大嫌いな高市を追い落とすことに成功】した。感情的に嫌いだったというか、【日本にふさわしくない】と考えていたであろうことは、高市氏の推薦人剥がしだけではなくて、自民党員に高市氏が送った「政策集」も難癖をつけて一度解決したのに再度ぶり返して対処しろと指示を出したことからも、反高市だったのは露骨だったと思う。

でもそれは「高市嫌い」というより「強い個性を嫌う」のだと私は思っていて、それが岸田氏の政治信条であり、方向性をはっきり決めるより「なんとなく全方向を見ながら合意できることを探す」タイプなのだと思う。彼の「聞く耳を持つ」というのはそういう意味だろう。

そしてそれってそもそも「日本人が大好きな行動パターン」だとも思うのね。

「波風は立てない」「ニコニコ笑って仲良くする」「相手を傷つけない」のが大好きで、そして【我慢】してしまう。

戦後、マッカーサー率いる進駐軍に日本は占領されていたけれど、マッカーサーを受け入れ、「負けたのだからしょうがない」と【自ら反省してマッカーサーに協力】して、かつての日本を全否定して、かつての要人はほぼ全て排斥し、重要な書物の焚書にも協力し、「かつて戦争を煽ったメディア」は180度態度を変えて「日本否定」にまっしぐら。教育も同じで、徹底的に「贖罪の意識」を埋め込み、「主張すること」を止めて、【未来永劫、悪かったと謝り続ける日本、日本人を作り上げた】。そして進駐軍が少人数で短期間に書き上げた憲法を後生大事に守り続ける。

なんとまぁ、真面目な民族なのかと思う。こういう民族は他に例を見ないと思う。

だから岸田総理にしても「他国に言いたいことも言えない」のは当たり前で、それこそが「日本人が選んだ生き方」なんだろうと思う。

「いつまでも先生の言うことを聞く小学生」のまま、年寄りになった日本。

その生き方はまさに「日本国憲法の前文」に書かれたとおりだと思う。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配
する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する
諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保
持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷
従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている
国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われ
らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平
和のうちに生存する権利を有することを確認する。

私としては憲法改正をするにしても「9条」じゃなくて、まずはこの「戦争に負けた国の反省文」みたいな前文をどうにかして欲しいと思うくらい。

私は幼い頃から「個性を大事にしたい」と考えていて、でも当然、自己主張が出来る環境じゃなく、「周りの顔色を見ながら強調して生きる」しかないと思っていました。それが日本人というより、「全ての人間はそうあるべきなのだろう」と思っていたのね。

でも18歳の時に短期の英語の勉強で渡った「グアム大学」で【自由に生きる人達】と初めて出会い、自分の人生の根底がガラガラと音を立てて崩れるのを感じたのね。

そして自由に生きるには「日本を出るしかない」と考えるようになって、グアムに入り浸ったり、後にグアムで起業もしたり、そして結果的に38歳の時に家族とともにオーストラリアに渡ったのはそれが理由。当時、まだ赤ん坊の息子の寝顔を見て、「こいつも自分と同じ様に、他人の顔色を伺い、自分の主張はせずに、無難に生きるしかないのか」と思った時、「冗談じゃない。そんな思いを子どもたちにさせたくない。やっぱり日本を出よう」と思い立ったのがキッカケ。

だから「オーストラリアに行きたくて行った」のじゃなくて「日本を脱出したかった」のが正解。

でも私は日本人だし、世界のどこよりも日本が好き。オーストラリアに25年、マレーシアに8年住んでいるけれど、「一番行きたい場所は常に日本」でもある。

大好きな日本を海外から見ていると、いつも「悲しい」と感じるんですよ。

常に「波風は立てない」「ニコニコ笑って仲良くする」「相手を傷つけない」のを重視して【我慢】してしまうのが日本。

私は「意見の違い」は【排除するべきものではない】と思っていて、【解決するべきこと】だと思うのだけれど、日本は「政府でさえ主張もせずに我慢してしまう」のが見える。

私としては個人も「粗削りでもブルドーザーの様な活力があるタイプ」が好きで、でも自分がそうであるということではなくて、それが私の理想なのね。「力で他をねじ伏せる」という意味じゃなくて、「強い者同士がお互いを認め、妥協点を探して将来に進む」のがベストだと思うのだけれど、残念ながら私は日本ではそういう生き方は出来なかったし、日本そのものがそういう生き方を嫌う国、民族なんだろうと思うわけです。

こういう国、民族、人たちは「プレッシャーに弱い」のが世の常で、「強い相手には屈服してしまう」ことが起きる。「屈服」は言いすぎだろうけれど、強い反発をしないから強いものの意見が通ってしまう。他国のように「大きく声をあげて主張をする」ことを良しとしない。

これがまさに今の日本であり、日本の政治の世界であると感じます。

「強くリーダーシップのある人」を求めているくせに、そういう人を排除しようとする動きも同時に存在する。

かつての日本にはそれは無かったと思うんですよ。

東アジアの安定のためには「国の存続をかけて戦う必要がある」と、あまりにも無謀とも言えるような戦いをして、日本はそれを制して来た。それが日清戦争であり、日露戦争。そして世界の安定にも貢献しようと第一次世界大戦では連合国側についてヨーロッパまで出向いて戦い、結果的に世界に認められて、「国際連盟(今の国際連合ではない)の一員となった」じゃないですか。

そして世界で初めて「人種差別の撤廃」を国際連盟で発議した。でも当然、白人国家がそれを認めるわけもなく、否定された。

私はそういう日本、先人たちの思い、努力は尊敬に値すると思っているのだけれど、第二次世界大戦での敗北が、そしてマッカーサーが「日本を根底から変えてしまった」のが残念でしかたがありません。

でもそんなことを言えば、「戦争を容認するのか?」「日本は侵略国家でしかない」と言われる日本になり、「大人しく、誰に何を言われても、やられてもニヤニヤ笑っていれば良い国」になってしまったと私は思っています。

そんな日本を変えて、「主張する日本」「行動する日本」となる希望を与えてくれたのが安倍総理で、しかし「日本に存在する壁」は大きく厚く、アベノミクスも第三の矢は封じられた。

でもそれを残念だという評論家も政治家も少数派でしかなくて、「アベノミクスは失敗だ」と言う。その背景には「絶大なる力と勢力を持つ【財務省】がいた」からなわけで、一強と言われた安倍さんにもどうにもならなかった。

でもその岩盤を壊すことの重要性に気がついた国民も多くいて、「財務省支配」「海外の大国の支配、影響」から逃れるべきだという論調も広まってきたのは良いと思う。

そしてそういう人たちの「希望の星」が高市氏だった。

でも国民が、自民党議員が選んだのはあのどうにもならない石破氏。

でもかつての岸田氏がそうだったように、優柔不断な石破氏の方が「日本に合っている」ということなんだろうと思う。

そして「いい子のままでいよう」とする日本はこれからも続くのだろうと思う。

でも「そんなの冗談じゃない」と思う人達は増えていて、やっぱりそれは安倍さんの功績とも言えると思っていて、「日本を変えよう」という声は高まっている。それが日本保守党や参政党の台頭となって現れているんじゃないですかね。

高市氏は負けたけれど、これは「僅差で負けた」のであって、決して大敗ではない。

そして「高市氏が保守の柱」というイメージが強く出来たし、今後に期待したいと思う。

日本の再生を願って・・・・。

石破氏もそこそこやるかもしれない、という考え方もあるでしょう。「日本の官僚は優秀」ですし。

でもそれこそが「今までの日本的発想」だと私は思っていて、「改革を求めることは不可能」だと思っています。そもそもそんなことは一度たりとも口に出したことがない石破氏なのだから。それでいて、自民党の中では「岸田氏よりも左寄り」だと私は思う。

理想論ばかり言って、またそれを聞いて「将来に期待する国民」が多いのだろうか・・・。

「ま、波風立てずにうまくやってよ」というのが国民の本音?

でも国民がそう思っているであろうことを私は確信しているんですよ。だってこの30年以上の日本の衰退は「そういう国民が選んだ政治家が招いた」のだから。

まさかと思うかもしれないけれど、「武力を持つと攻撃される原因になる」みたいなことまで真顔でいう政治家、国民がいるのがその証拠。政府の借金を「国民の借金」みたに言われ、国のバランスシートの「借方」の数字の大きさにおののいて財務省派のプロパガンダに簡単に乗せられてきたのがその証拠。「子どもたちの時代のために、今、増税するのも仕方がない」と自ら増税を受け入れてきたのがその証拠。

そのうち、警察官も拳銃を持つべきではない、警棒もいらないなんて言い出しそう。

これまた冗談じゃないのは、アメリカでは警察さえいらないというリベラル派の議員まで出てきていること。違法移民も受け入れて市民権(国籍)を与えろと。1000ドル以下の万引きの罪は問わないとか。黒人の犯罪率が高いのは「差別が原因」だと。だから犯罪者を責めるのではなくて、差別をなくして「全てを同等にせよ」という。収入の少ないものには収入を与えろと。収入が少ないのは差別が原因だからと。

私には世界が壊れつつあるように思えてしかたがないんですよ。

でも自由で開かれて、皆が平等な「世界統一国家」を作るのが夢の人たちは多い。自分たちは「高邁な思想を持っている」と酔いしれる知識人も多く、それに反対するのは「教養のない野蛮人」と軽蔑される。その代表がトランプ。

でもそれは「全体主義」であり「異端は徹底的に排除する独裁主義」であり、権利だ自由だとそれを大事にするために「弾圧を強める」のは良いことと信じる人達。まさにその発想は「共産主義革命」そのもの。

もしハリスが大統領になったら、まず最高裁判事の人数を増やすとのこと。当然、民主党の息が掛かった人たちを増やすつもりで、違法移民にも市民権、つまり選挙権を与えて、そして民主党色が非常に強いワシントンDCとプエルトリコを州に格上げし(民主党議員が増える)「未来永劫、民主党の一党独裁が可能になる」ように動いている。

そこに民主主義なんて存在しないし、「和を持って尊しとする」なんて考え方もない。

私にはなんだか日本も世界も「重い病気に罹っている」ような気がしてならないのですが、そう思う私がおかしいと言われる時代になった様子。

総裁選では「最後に岸田が動いた」と言われますが、それって「アメリカ、中国からそいう圧力が強く掛かった」のかもしれませんね。

トランプなら「高市氏との相性は良さそう」ですが、それを何よりも嫌うのがアメリカ民主党であり、習近平率いる中国共産党じゃなかろうかと。自民党の議員もそれが見えていたらやっぱり「当たり障りのない石破がよい」ってことになるのかもしれない。そしてそうすることが「議員としての自分は延命できる」と読んだのだと思う。

 

 

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