想像したくもないことを「起きるかもしれないと想定する」ことの重要性

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私はこのブログでは「経済は崩壊する」「株式市場も危ない」と言っているのではないのは昔からの読者は理解しているはず。

ただ私は「考えたくないことでも想定をする事が重要」だと言っているだけで、今すぐ「逃げるべき」とかそういう事を言っているのではないのね。

誰しも死ぬし、大病に罹ったりや大きな事故に巻き込まれることもあるでしょう。あるいは超特大の地震や津波が来るとか、惑星が地球に衝突するとか、原爆が落とされるとか、そんなことは想像するのも嫌ですが、どれも「過去に起きたこと」は間違いがないし、それは「今後も起きるかもしれない」ということにほかならない。

ましてや経済の浮き沈みや株式市場の乱高下に関しては、過去の事例は多すぎるくらい多いわけで、「もしもその時が来たらどうするのか」を想定しないわけにはいかないじゃないですか。でもそれが自分が想定している10年~20年の期間では起きないかもしれない。でも来年それが来るかもしれない。

今回、またいつものことを書こうと思ったのは、これまたいつも「警鐘を鳴らすレバナス一本リーマンさん」が素晴らしい動画を上げていたから。

非常に基本的な考え方でこれほどわかりやすい動画は過去になかったと思うくらいで、是非とも多くの読者に観て欲しいと思いました。

ではそれが来るかもしれないと想定した場合どう準備するのか。それが起きる前兆は掴めるのか。起きたらどうすればよいのかは人それぞれの立場や考え方によって大きく違うわけで、「これが正解」というのは無いと思っています。

それは「地震後の津波」と同じで、津波が来るだろうと想定しても、それがいつ、どのくらいの大きさなのか、また自分はどこに住んでいるのか、海との距離や地形とか、また津波は到達しないだろうけれど「山崩れ」もあるだろうし、平野に住んでいるのか山間部に住んでいるのかも違う。そして家族構成とか、それぞれがどういう距離感を持って生活しているのかとか、本当に人それぞれで、準備も対策もケースバイケース。

そしてそれは自分で考えるべきことだけれど、「そういう事が起きるはずがない」とか「起きてから考える」とか「流れに身を任す」というのが良いとは思えない。でもそれもまたそれぞれの勝手で、どうするべきという正解はない。

私はどうするか。これも時代時代によって考え方が変わるのね。「経済環境の変化」に関して言っているわけですが、「こんな事が起きたらこうしよう」とい考え方もこの20年、30年の長さで言うと、私にも変化が起きていて、やっぱり「今の自分を取り巻く環境」を考えたうえでの「準備、対策」となる。

私は、自分では小心者で「常に最悪のことを考えて準備、対処する」のは昔から同じだと思っているのですが、最近は「準備はしない」ような考え方になってきました。

これは私自身の老化も関係ある変化かもしれないし、今までの蓄積で「危機には強い状態」が出来ているのかもしれないし、今までのように「持っている通貨を全て替える」とか「インフレ対策のためにXXXを買っておく」とかそういう考え方もなくなりました。

ただ重視することは「勝つこと、儲けることではない」のであって、「生き延びること」を何よりも重視しています。

私の場合、資産も投資対象も「すぐに現金化できるもの」に限られていますし、「持つだけで固定費が掛かるものはない」し、「持ち続けないとならないものもない」という非常に身軽でフットワークが重要な時には「数日の間にどうにでもなる」ものばかり。

だから事前に決めておかないとならないことって多くはなくて、「何が起きるにしても必ず予兆がある」と考えますし、【予兆が見えてから動けば良い】【それで間に合うことばかりの状態】と今は考えています。

ただし、当然、突然の天変地異とかには対応できないのはしょうがない。

これが良いとか悪いとかではなくて、気がついたらそういう風になっていたというのが正解。

この辺は人それぞれ、守りたいものも違うし、考え方はいろいろだと思います。

ただし、これもいつも書いていることですが、「どんな理由があろうと、自分の資産の価値や収入が大きく減ってもそこから復活できる状態」は常に確保しようと思っていて、それさえあれば何が起きても「家族が路頭に迷うことはない」という考え方を基本に持っています。

これは昔で言えば「手に職を持て」というのと全く同じで、昔から私の友人知人には「飲食関係が多い」のですが、彼らも常に親から「手に職を持て」と言われ続けたし自分もそう思うという。「板前の技術があれば一生食いっぱぐれはない」とはっきりいう友人もいる。

私もその考え方には賛成で、ただ私の場合は調理技術ではなくて「FXや商品先物のデイトレで稼ぐ技術」がそれに当たります。これは市場が大暴騰してようが大暴落してようが関係なく、「世界にそれらの取引所が存在して機能している限りどうにかなる」という考え方。それは戦争が起きようと大震災に合おうと、裸になってどこかに逃げることになっても、どうにかなるという考え方です。

でもそれを他人に勧めようとは思わない。それは調理技術と同じで、誰にでも簡単に得られる技術ではないから。でも私としては「家業」という考え方をしていますから、子どもたちには絶対に伝えなければならない技術だと思っているだけのこと。

ま、そういう考え方は一般的ではないとは思いますが、何が起きるにしろ「予兆が見えたら逃げる」ぐらいのことはすべての人が普通に考えることだと思っています。

ところが株式市場に参入する人の多くはそれさえも考えないのが良く見える。これは本当に、本当に不思議で、皆が新興宗教にどっぷり浸かっているようにしか思えないんですよ。

「何があっても逃げない人たち」こそが実は株式市場にとって一番重要な人たちであるわけですが、それは「そういう人たちを利用して自分は生き延びることができる」からであって、彼らが大損しようと「それが自分の延命に繋がる」からなのね。

だから「そういう人たちを増やす」のが「業界の暗黙の了解」で、そういう人たちがいないと成り立たないと言っても良いと思っています。私達が私達のために「家畜を良い状態で育て増やす」のと全く同じことで、当然、家畜を大事に育てますが、それは「家畜のためではない」のは明白。

悲しいことではありますが、弱肉強食の世界では普通のことで、「自分の命は他の生命の犠牲の上に成り立っている」のは動かしようのない事実だと私は考えます。

だからこそ「貴方の全財産を注ぎ込んでください」とは言わないのね。即死されても困るわけで、だから「余裕資金を投入してください」「積立も有効です」という話に持っていく。「そして売らずに持ち続けるのがベストです」と。それで「それでもそこそこ利益は出るでしょう」という説明をするわけで、家畜がのんびりと毎日草を食べている幸せな未来を見せつける。

でも必要な時が来れば、「彼らからすべてを奪う」のが弱肉強食の世界。

そしてまた新たなフレーズが始まって同じことが繰り返される。

これが私達が歩み、見てきた現実の歴史であって、今回紹介した動画はそれを言っているだけのこと。

重要なのは、まず「自分がその渦中にいる」と自覚することが始めの一歩で、それがなければどんな対策も浮かんでこないはず。

私は若い頃に「自分はサファリパークの中に飼われている動物と全く同じだ」と思うようになって、どうにか「あるべき自由を獲得したい」と頑張ってきましたが、当然、それは簡単ではなくて、「家族の毎日のご飯を自分で手に入れる」というのはとんでもなく難しいことだと知りましたが、それがまさに自然界に生きる全ての生命が今、自分の命をかけてやっていることなんですよね。

野良犬のように扱われたこともあるし、絶望することもありましたが、朝になれば登る朝日も、夕方にくれていく夕日もなぜか綺麗に見えるし、「全ての命はそうやって生きているんだよ」と教えてもらったし、また不思議に深呼吸をする時の空気が美味しいのね。

「自由という甘美の味」がそれだと思いました。

そうこうしているうちに、野良犬も生きるノウハウも覚えてくるし、生活も安定して内容も良くなってくる。当然、周りは屍ばかりみたいなこともありますが、大地を自分の足で踏んで歩いているという充実感はあります。でも何が起きても私や家族を助けてくれる存在は無いのね。

だからこそ次男坊にはサラリーマンとして大成して欲しいという願望もあったのですが、サラリーマン世界も甘い話はなくて、上になればなるほど厳しくなる世界。

それにやる気満々の次男坊も気がついて、「野良犬の自由さが欲しい」と思うようになった。ま、彼以外の家族は自由気ままに生きているのを見ればそう思うのも当たり前でしょうが。

ま、それもあって、私達ダボ家の男三人は「トレード技術に磨きをかけるしか無い」と頑張っていますが、当然、それも茨の道。

でも頑張れば頑張るほど、成果が見えてくる世界なのも間違いがないのね。でも当然、その道がベストチョイスということもない。また「トレード技術」と一言で言っても、それはあまりにも範疇が広くて、「方法論は無限にある」と言っても良くて、自分にはどれが合うのかを探し出すだけでも半端じゃない年月が掛かる。当然、自分もそれに合わせて変わる必要があるわけで、ちょっと勉強してどうにかなる世界じゃない。ま、どんな分野でも同じだと思いますが・・。

このブログの読者として皆さんとは「縁」を感じる私ですが、是非とも巷の適当な話に乗せられること無く、豊かな生活を勝ち取っていただきたいと真に願っております。

その初めの一歩は「考えたくないようなことでも起きるかもしれないと想定する」ことだと思っています。それは「恐ろしいことが起きる」のと「考えられない夢のような将来もある」の【両方とも起きうることだと考える】ということ。

この「良いこと」を真剣に夢見て考えるのも非常に重要で、「夢みたいな話」でもそれを自分の中で現実のように思い詰め、考えていると「そこへ到達する道のりも見えてくる」と思うんですよ。きっとそれはあのイーロン・マスクもそうで、簡単に彼を天才だからと自分と切り離してしまうのではなくて、私が思うイーロン・マスクの頭の中には「自分が夢見る将来の絵図」が【はっきり見えている】というか、そこまで思い詰めたのだと思うんですよ。ここが何よりも重要なところで、そうすると「そこに到達するには今、何が必要でどうするべきか」も見えてくるんじゃないかと。

私はそれが成功の秘訣だというのを、実は近年、苫米地英人(とまべち ひでと)。日本の認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)カーネギーメロン大学計算言語学博士の話から感じました。いわゆる昔、流行った「信じれば叶う」という【マーフィーの法則】(洗車すると雨が降るというマーフィーの法則ではない)と非常に似てると思いますが、苫米地英人氏の論理、カリキュラムには「実現性がある」のを感じています。これこそが「自分の将来を決めるキーポイントだと」今は思うようになりました。

でも世の中の多くの人は「まず諦めることから始める」のね。だから勉強も努力も中途半端で「本音は上手くいくと思っていない」んじゃないかと思うくらい。

ま、経済とか投資に関する話としては、今日、紹介した動画は私が常に考えている「基本中の基本」の話ですので、是非とも多くの人に見てもらいたいし、なんらかの「気付き」があることを願っています。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

  
 
 

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