大根のカイワレ栽培を再び始めましたが、やっぱり思ったように育ちません。(┰_┰)
一体何が問題なのか良くわからない。
育て方としては今までゴールドコーストで年がら年中やっていた方法と同じで、それは「日本で言われている方法とはちょっと違う」わけで、【手抜き】と言っても良いと思う。つまり「毎日、水を取り替えることはしない」方法です。なぜそれをしないかと言うと「面倒くさい」からです。そんなことを毎日やらなければならないと思うと「やる気が削がれる」から。だから「続かない」のね。私が前から目指していたのは「セッティングしてから採取までの8~9日間水やりもしない」方法で、それは可能でした。プロはどうやっているかというと、そもそも「水が貯まるようにはしない」し、そのかわり、数時間ごとに「シャワーを浴びせる」のね。私もそれがベストだとは思うけれど、それって「面倒くさい」どころの話じゃない。(水耕栽培の一種だけれど、水は一切使わずに「霧というか水分子が非常に小さいミストを数時間ごとに発生させてその中で育てる」という方法もあって、これは全自動で出来るのでこれも是非いつか試してみたい)
でも「きれいな水である必要がある」のは当たり前で、多くの水を用意して「その中に栽培容器を沈める(浮かべる)」とか、ちょっとでも「匂いがしたら中止する」とか、また「酸素不足」は常に疑われるので、根が空気から酸素を吸収しやすいように「隙間の多い培地を使う」「培地を水でベチャベチャにしない」とか「水をどこまで入れるか」には気を使います。種が水没したら一発でアウトですし、また以前、何度も試して効果的だった「過酸化水素水(オキシドール)」を少量水に入れたり。これは「酸素の補強と微生物の繁殖を抑える」事ができる。
ゴールドコースト時代ではいとも簡単にこんな風にカイワレを育てていました。
ま、今回、考えられることは全てやってきて、やっと芽が出てきたのですが、「揃わない」のと「勢いがない」「日数が余分に掛かっている」のがわかります。
今回の「播種後4日目」の写真。まだ「日には当てていない」状態で、あと2日ぐらいで日に当てて「緑色を出す」予定。だから完成にはまだ4日ぐらいは掛かる。
どうなりますかね~。
ちょっと密集させすぎた感はありますが、普通、こんなのは全く問題じゃなくて、それこそ「容器の中に何センチも重ねるように種をごっそり入れても芽はちゃんと出る」のね。ただその場合、「空気と水の循環」には気をつけないとなりませんが、「だからこそプロはシャワーを数時間ごとに浴びせる」事によって「水の入れ替えと空気の循環を促す」わけです。でも基本的には個々の種が「空気と湿気」に触れていれば大丈夫なはず。極論を言うと「水がなくても大丈夫」で、「種はカビに見える綿のような根を出す」のね。それで空気中から水分を得る。
私が疑っていることはいくつかあって、
◯ そもそもどういう種なのかがわからない。
今までは日本の「プロの種苗屋」から種を入手していました。彼らは「プロ相手」ですから、「種の保存方法」はもちろん、「種の採取時期」や「種の選別」「発芽率」もちゃんと管理していて、常に「ベストの状態」と言っても言い過ぎではない。ところがマレーシアで入手したのは「売り主は多分素人」でサイトを見てみるとそれこそ化粧品から何から何まで扱っている「なんでも屋」なのね。ま、「種子の販売」に力を入れてはいるけれど、保管がどうなっているのかとか、そもそも「いつの種」「どんな種」なのかもわからない。「発芽率」なんて全くわからないし、種を見た瞬間、「大きさがバラバラ」でもあったし、すでに「皮がない」ものも多く混ざっていて、「最初に種の選別をするべきかどうか」悩んだほど。でもま、これは「次の課題」として残しておくことに。
◯ 気温が高すぎるんじゃないか。
我が家は「高温多湿」で、カイワレ大根に良い温度より高い。一般的な適温は20~25度と言われていて、30度でも育つとは言われているけれど、我が家は常時30~31度で、温度計を設置したところ「30度以下の日、時間はない」のがわかっています。もしも30度、31度でも「日中は温度が高くても夜半は25度前後に落ちる」としたら随分、違うのかもしれない。この温度に関しては、次には「発泡スチロール」の中に入れて、そこに「保冷剤」を一つ入れておいて、毎日それを替えるという方法を取ってみようと計画中。温度が高いとまず「水が悪くなる」のと、「酸素不足になる」のが問題だと考えています。だから「過酸化水素水(オキシドール)」を水に少量、混ぜています。
でもマレーシアに上陸してから、それまで使っていたちゃんとした「カイワレの種」を使ってもこんな感じで育てるのが精一杯だったのを思い出します。その時の「ベスト」の写真がこれ。
それと毎日、様子を見ていますが、その時に思い出したことがあります。
やっぱりカイワレ大根でも「栽培」って面白いし、可愛くて、「自分の子供」みたいな気がしてくるのね。
だから「頑張って育てよ~~」なんて声を常にかけるのですが、それはゴールドコースト時代に「地下室に人工光を使った水耕栽培工場」を作っていたときと同じ。毎日、彼らの世話をするのと同時に、「彼らに話しかけたりいろいろ考えたりする時間のほうがはるかに長い」のね。椅子に座りながら彼らを見ならがいろいろ考えるのが楽しみの一つでした。
でもある時、気がついたんですよ。
それは「トマト」を栽培していた時なんですが、まずは「苗」を20~30、種から育てるのね。そして育つにつれて「間引き」を繰り返して最終的に「4株」を残して本格的に育てる。その間、「頑張って育てよ~~」なんて声をかけ続けるわけですが、それは「きっちり育たないと間引くぞ」という意味であって、ちょうどその頃、孤育てて悩んでいたときでもあって、フト「自分の子供とこれらのトマト」と被さったんですよ。「人間の本質も駄目な子どもは間引くのか、諦めるのか」なんて思ったし、「全てのトマトをちゃんと育てるのは不可能」だし、そんな事を考えたら、「栽培」って実はとんでもなく「恐ろしいことをしている」んじゃないかと思ったのね。
大事に大事に育てながら、うまく育たなければ容赦なく間引くし、「可愛いね~~」なんて咲いた花を見ながら結実するのを楽しみにするわけですが、最終的には食べてしまう。
「生命が生きること」の本質と、どうにもならない「罪(つみ)」を感じました。
そんな事を考えながら様々な野菜類を育てていると「自分の罪(つみ)を再確認するために育てている」ような気がしてくるのね。
これに私は耐えられなくなって、「全ての栽培をやめる」ことに決めました。
そんな事を考えたら栽培なんか出来ないし、農業そのものを否定することになるし、「生命の営みの全否定」かもしれない。
だから「間引くことはする」にしても、「ありがとうね、ごめんね」と声をかけながらその小さな命を無駄にせずに「食べる」わけですが、それも「欺瞞」のような気がしてくるのね。
これはかなり昔の若い頃に大好きだったSF(確か半村良の作品)を思い出すんですよ。宇宙人が江戸時代の日本に降り立って、知り合った日本人と日本を旅するのですが、ある時、峠を超えたら「眼の前に綺麗な花が咲き乱れていた」のね。それに日本人は感動するのですが、その宇宙人は泣き出すんですよ。「恐ろしい光景だ」と。聞いてみるとその宇宙人の世界では「全ての命は他の生命の犠牲無く一生をまっとうする」というのね。でも彼の目に映る綺麗な花畑は「大殺戮の現場」だったわけです。「勝者のみが自分の力を誇示するように咲き乱れている」と。
このSF小説のインパクトって私のその後の私の感性を左右したぐらいで、後に「SMAPの【世界に一つだけの花】」には大きな欺瞞を感じました。
世界に一つだけの花一人一人違う種をもつその花を咲かせることだけに一生懸命になればいい
これって「仲間や他の種を押しのけて生き延びた花」だから【そこに存在する】のね。「競争を煽り、自分はなんとしてでも生き残れ」という恐ろしい意味の歌だと私は思った。
いつか遠い未来に「全ての命を尊重して、殺すこと無くそれぞれの生命が生きられる時代が来るのか」なんてかつて考えていたことを「今回のカイワレ」を見ながら思い出しました。
でも「偽善者」として生きるしかないんだろうとも思ったり。
いやいや、生命の本質は「他を活かすために存在する」のが真理のような気がする。これは「人を愛し、子どもを持って気がついたこと」でもあって、決して「自分が犠牲になる」という意味じゃない。
だからこの歌が好き。
今回のカイワレも一生懸命大事に育てたいと思う。