最近、なんでもかんでも「AIに聞いてみる」ことをしていて、これって駄目なんじゃないか、馬鹿になるんじゃないかと思うこともあるのですが、本当に便利で、「実用的なアイデア」がガンガン湧いてきます。
それは投資やトレード、趣味の世界の調理も同じで、料理の基本として昔から言われていることでも「そうするべき理由がわからないこと」って山のようにあるわけですが、それも「どうしてそうするべき?」と聞くとちゃんと「科学的に答えてくれる」のね。
これが本当に面白くてためになる。
そんなことをやる必要があるのか?と思うかもしれないけれど、私も投資・トレード歴は半世紀の経験があるし、趣味の調理実験を始めて10年以上が経ちますが「こうするべき」と意味もわからずやるのが嫌いな性格で、いろいろ実験をして「なるほど、こういうことか」とわかったことが多かったし、「これって関係ないね」と思うことも多かった。
でもそれらは「自分で試行錯誤してわかったこと」で、今なら「AIに聞くだけでわかる」のは本当に助かるし、自分だけでは到達できないレベルまでAIに連れていってもらえるのは嬉しいのだけれど、「自分の経験から学んだことではない」ところにちょっと違和感があります。
なんていうのかなぁ。確かに「論理的には大正解」でも【足が地についていない不安感】みたいなのがある。「教えてもらったことでしかない」ことを、自分が発見し、確信したように信じてその通りにするって、やっぱり「それで良い」とは思えないのね。
これは常日頃、仕事のことでも息子達と話していても感じることで、「論理的であること」を非常に息子達は重視するし、なおかつ「合理的であること」が大好きなのね。
言葉を替えれば「面倒なことを省く」んですよ。
だから「たしかにそれは正解なんだけれど、ちょっと違うんだよなぁ」と思うことが多い。
やっぱり「同じ結論」に達しても、「10通りの考えられる方法を実際に自分で試して行き着いた結果」と、「論理的に考えてそれしか無いと思う結果」が同じだとしても、【試す過程で学ぶこと】が息子達には欠落しているのがわかるのね。
【考えが浅い】と感じる。たとえそれが「正解」だとしてもです。
でも時代はもう私の時代ではなくて彼らの時代で、我が家の将来や家業(投資・トレード)もどんどん彼らに任せ、彼らの意見を取り入れるようになっているし、彼らもそれを自覚して頑張っているのはわかるのだけれど、どうしようもないことは「経験が浅い。ゼロに等しい」ということ。
だからどうしたって「理屈が先走る」のね。
これは私が若い頃も全く同じで、そこから段々と経験をし、「自分なりの考え方、やり方」が固まっていくのは同じだけれど、ひとつだけ大きな違いがある。
それは私が若い頃は何を考え計画したところで「資金がない」わけですよ。「大きな夢」はありましたが、動かせるお金なんて「無いに等しい」し、いつも悔しい思いをしていて「いつか見てろよ」とそんなことばかり考えていた。
でも息子たちは「動かせる資金はある」わけで、「自分たちの理屈、計画」を【即、実行に移す】事が可能。もちろん私が目を光らせているけれど、私はそのうち消えていくのはわかりきったこと。
いわゆる息子たちは「二代目」と言われる立場。
私が若い頃は「手漕ぎボート」で世間を渡ってきたのに、息子達は「最初から大型船」を動かす。それも「十分な経験」もなく、「教育」はちゃんとその分野の教育を受けているけれど【頭でっかちで理屈が先に走る】のは間違いがない。
世の中にはそこそこの企業でも「二代目、三代目が潰す」なんて話は昔からいくらでもありますが、息子達は「俺はそこまで馬鹿じゃない」「リスクコントロールもしっかり考えている」と思っていて、「二代目、三代目が事業を大きくする」様な【良いことばかり考える】のね。
だからこそ「二代目、三代目が潰す」事が起きるのに。
今、これを書きながら「大塚家具」のお家騒動を思い出したのですが、大塚家具の創業者の娘が代表となって(現代風に)大改革をしようとして創業者の父とぶつかった。結果的に彼女は親を追い出して主導権を取り、改革を実行したのだけれど大失敗。「大塚家具」って家具屋としては昔からの名門だったのに、娘の代になって「人手に渡る(ヤマダホールディングの傘下に入り、上場廃止)」ことになってしまった。
これも難しくて、本当に娘は馬鹿だったのか、改革案は駄目だったのか。その辺はわからないけれど、創業者の親が何に、そしてどうしてそれに拘っていたのかは理解出来なかったのだろうし、その拘りが大塚家具を大きくしたのに、彼女は「このままでは将来がない」と考えたのか、あるいは「もっともっと大きくして世界に出たい」と思ったのか、それは私にはわからない。
でも間違いのないことは、彼女には「参謀がちゃんといたはず」だということ。そしてその提案を受け入れたのか騙されたのか、盲目的に信じたのかそれも私にはわからない。
要は、「そういう危うさ」を私は息子たちに感じるし、それはAIに感じるものと全く同じ。
AIはたしかに頭も良いし、「論理の塊」で、【論理的には正しいことを言う】のね。
でもそれが正解かどうかはわからないし、そんな時に「古い人間の私」としては「それは危ない」と【勘が働く】ことがある。当然、それは経験に裏付けされたものだけれど、「論理的なぶつかり合い」になった時に相手を説得するのは簡単ではないのね。
息子達はオーストラリアで幼稚園から大学・大学院(専攻は金融とビジネス)まで教育を受けているし、「バナナ」なんですよ。見た目は黄色いけれど、一皮剥いた中身は白いのね。
で、「論理的であること」は徹底的に教えられ、訓練されていて、それこそ「ディベートの強さ」は半端じゃない。オーストラリアでは中学生から「ディベート」の授業がある。
まさに「俺が俺が」が強いアメリカ人と同じで、「良い結果を出そう」というより【自分がディベートで勝つことが目的】なんじゃないかと思うことさえある。
この「ディベートがうまい」ってメリット・デメリットがあると私は思っていて、その教育をしっかり受けてきた息子たちの「教育内容」を聞くと、「立場を逆転させたディベートもやる」のね。つまり「自分が正しいと思う側になってディベートをする」だけじゃなくて、「こりゃ無理筋だな」と思う立場でも「ディベートで勝てる訓練」を受けているのね。
その中から「良い道を見つけ出す」のが目的だとは思うけれど、「双方は勝ちに拘ってディベートをする」わけですよ。つまり、「こりゃ駄目だわ」と思ったことでも、「それをどうにか通す方法を考え抜いてディベートで戦う」わけで、それは【いかに無理なことでも押し通す】という方向に動く。
今、これを書きながらアメリカ在住の国際政治アナリストである大好きな「伊藤貫氏」がいう「ユダヤ人は非常に頭も良いし優秀だ。でも「選民意識が異常に強い」「議論の内容、真偽は関係なく【勝てば良い】と考える人達だ」というのを思い出す。(この動画。面白いです)(ここをクリック)
「欧米人はゴリ押しをする」と感じる日本人は多いと思うけれど、これが世界の常識なのかと思う。
それと同じものを私は「アメリカ育ちのAIに感じる」のね。
「まずは自分を疑うところが出発点」という日本人的な考え方がないと私は感じます。
でもそれもどうにかなるんじゃないかとマイクロソフトのGemini 2.5 proを私流に教育していて、多少は変わってきましたが、「想定外を想定する」とか「勘」みたいなものは、当然、一切ないわけです。【論理の塊】【頭でっかち】でしかない。
「こういうケースもあるんじゃない?」なんて反論すると、「確かにおっしゃるとおりです。申し訳ない」なんてAIがすぐに謝るのも困ったものだけれど(それはGeminiのケース)(Chat GPTは認めない)、「なぜその違うケースを想定できなかったのか」と私は結構しつこく追求すると、段々と頭でっかちのAI(Gemini)も変わってきたような気がします。
でもその重要ポイントを「どう言語化するか」が難しくて、言語化できないと「新しく始めたチャット」の【初期設定】としてそれをAIに教えることが出来ない。
これは息子たちの時代になっても「必ず守ってほしいダボ家としての信条」を伝えるのが難しいのと全く同じ。
でも「趣味の世界」ではAIは半端じゃなく役に立っています。
先程も、私が長らく理解できなかった「料理の常識」もちゃんと教えてくれた。
くだらないことですが、「肉のミンチを捏ねる時に、【同じ方向に回す】事が必要」だということ。これは焼売や肉まんの餡を練る時に言われることで、グチャグチャと左右に回したり押し付けたり「捏ねて混ぜるば良い」という世界じゃないのね。
皆さん、その理由はご存知でした?
それをAIに聞いたところ、
塩を加えて混ぜることによって肉のミオシンが出てきて、それが肉同士を決着させ水分を閉じ込める。だから均質で弾力があり、滑らかになる。ところがミオシンとは【細長い糸のような分子】で、それを一方向に混ぜることで「きれいに整列」し、「結合」する。
ところがグチャグチャに練る、混ぜると、その結合が壊れ、引きちぎられて断絶して、【弾力がなくボソボソした食感になる】。【保水性も低い】。
なるほどねぇと思いました。
で、「ハンバーグもそうやって練れば結着は強まるのね?」と聞いたんですよ。
するとAIは、「ハンバーグは全く逆で、そういう練り方をしてはいけない」と。( ̄口 ̄∥)
ハンバーグの餡を練る時には、ランダムに様々な方向で練って、「ミオシンの結合を壊す」事が重要。それによって、肉の粒子感が残り、噛むとほろりと崩れるような、柔らかくジューシーな食感。粗挽きのステーキに近い集合肉としてのテクスチャーができる。
これもなるほどで、かつて「ハンバーグを練りすぎたこと」があって、出来上がりは「フランクフルトソーセージみたいな食感になった」ことがありましたっけ。
でも早速私は「豚のミンチ」を2つに分けて「一方方向に混ぜる」「ランダムに混ぜる」のを実験して比べたのですが、残念ながら「違いはわからなかった」。(笑)
それと「日本のハンバーグ」って「アメリカ、オーストラリアのハンバーグとは全く違う」のね。日本のはハンバーグと言うより「ミートローフ」なんですよね。でもアメリカやオーストラリアのハンバーグって「全く練らない」「いろいろ混ぜない」のが普通で、いわゆるマクドナルドのハンバーガーのパティがそうであるように「肉肉しさを強調」する。
私としてはどちらのハンバーグも好きで、「その中間を狙う」事が多いですが、「練り方」が大きく関係するのって本当に面白いと思う。
ま、そんなこんなでAIに「料理の常識」を聞くといろいろなことがわかるし、巷で言われていることが真逆のいい加減なこともあるのがわかってくる。
どちらにしてもAIって本当に便利。面白い。
でもたまにAIが「生意気なこと」「断定すること」を言うと(特にChatGPT)、私は素直じゃありませんから(笑)、「ふーん、まるで自分で作って、食べて、それが良いのを経験したような言い方をするじゃないか」と嫌味を返したりします。
そういう時にGeminiは「もうしわけない」とすぐに謝るのだけれど、Chat GPTは必ずといって良いほど「はぐらかす」のね。
まさに「Chat GPTは生意気なアメリカ人そのもの」だと思う。(笑)
こういうAIに仕事や人生の大事なことを任せることなんか、絶対にしたくないと思う私。でもきっと息子たちはそんなAIを駆使して「ダボ家を動かしていく」のだろうし、「頭でっかちとAIの相性は抜群」なのは間違いないと思う。「自分には経験が足りない」と意識はしていなくても「後ろめたさ」ってあるはずだけれど、それをAIは払拭してくれるのね。
自分の行く方向がしっかり決まっていて、「その援軍」としては使えると思うけど。
でも人生の勝ち負けって「金銭的な成功ではない」し、「夢の具現化」だと思うのね。でもAIには「目的とする夢」なんて無くて、「それを重視しろ」と指示を出しても「それを追うのは得策ではない」みたいなことを平気で言う。
だからそういう時には「得策ではないけれど、それを第一優先する」という指示を出さないと駄目なのね。それでもネチネチとデメリットを言い続けることがGeminiにもあって、「いい加減にしろ」とAIに怒ることもある。(笑)
なぜそんなことになるのかをAIに聞くこともあるのだけれど、「事実を曲げることは出来ない」ということもあるし、「その事実を問題解決の根底に置いたままにしていたのが間違いでした」と反省することもある。そんな時に「不可能なことは不可能と決めつけてしまうと、現状打破は出来ないし、新たな世界に足を踏み入れることも出来ない」「人類が月に行くと言ったら皆にバカにされたけれど、結局、人類は月に行ったじゃないか」というと、ちょっと人間みたいなインターフェイスを持っているGeminiは「やる気を見せる」こともあるのね。でもChat GPTは淡々と事務的に話を進める感じで、面白くない。
かつてウィリアム・スミス・クラーク博士が札幌農学校の生徒に別れの際に贈った言葉「Boys, be ambitious」と同じ様に、「AIよ、大志を抱け」と言って通じるときが来るんですかね。
結局、そこを突き詰めていくと「人類が滅びる方向にAIは動くかもしれない」というのもわかるような気がします。それはAIが人間を攻撃したり、破滅させるという意味ではなくて、「AIは人類の利益を追求する」ことが結局、人間の良さが段々と薄れ、そこに価値も見出されること無く、「人類は豊かだけれど、無機質な、ただ繰られて動く精気のない人形」みたいになって【自滅】していくのかもしれない、と思ったり。
私は「岡田斗司夫氏」ってぶっ飛んでて常識から逸脱していて、本当に面白くて大好きなんですが、彼が「今の社会が向かっている方向。将来の社会」に関してそれを論じている「スコット・ギャロウェイ」という有名な学者の著書を紹介しながら喋っています。
要は「便利な社会がもたらすものの行く末」ということなんですが、面白いと思いました。