同居している長男ですが、オーストラリアへ3週間の旅にでます。
本来は私達夫婦も一緒に行く予定でしたが、最近の私の健康状態を考えるとそれは「無理」という判断です。
全く、70歳を過ぎてから突然、大きく駄目になってきて、本当にがっかりです。
60歳になった時もそれを感じましたが、「70になるともっと酷いよ」と脅かされたのを思い出します。本当にその通りになった。
精神的にも毎日の生活も息子に依存するところが多いですし、3週間もいないなんて、想像しただけで落ち込んでしまう。
でも普通の同じ年代は「夫婦だけ」だったり「お一人様」なわけで、皆さん、どうしているのかと思ったり。
最近、思うことですが、私は「若い頃から好き勝手に生きてきた」ことを反省する気持ちがあるのですが、今になれば「若い時にはやりたいことは全てやるべきだ」と思うようになりました。
「歳を取ったら、あるいは老後になったらああしよう、こうしよう」なんてのは【出来ない】と思った方が良いと思う。
でも【若いうちはがむしゃらに働いて基盤を作らねばならない】のも間違いがないことで、若い頃にチンタラしていると歳を取ってからヤバいことになる。
私の場合は「若い頃はがむしゃらに働いた」という意識は全く無くて、でも【がむしゃらに好きなことに没頭した】という感じでしかない。
がむしゃらに働いたとも言えますが、なぜそうしたかといえば「働くのが好きじゃなかった」から。(笑)
「早くFIREしたかったから」というべきか。
でもFIREとは「死ぬまで全て自己責任で個人事業主として働き続けることを意味する」と思うし、私が今その状態でこれからも稼ごうと思っていますが、生活そのものは切羽詰まっているわけじゃなくて、周りから見れば「毎日、遊んでいるように見える」のかもしれない。でもそれは事実ではなくてそう見えるだけ。
本当は今頃、旅行三昧、釣り三昧しているはずだったのに。(笑)
でも若い頃にやりたいことはほぼ全てやるような生き方をしていたし、今更、大好きだった旅行も行きたいという強い思いがないんですよ。20代からグアムに住んだりアメリカ本土に定住しようと思ったり、東南アジアでは仕事も兼ねて遊びまくったし、30代の終わりはゴールドコーストに移って今はマレーシア。それこそリゾートを転々としながら生きてきたようなもんで、今更どこへ行く?みたいな。観光旅行であちこち行くのは興味がないし。
夫婦ともども大好きな釣りも、25年住んだゴールドコーストでは自宅の裏庭から運河へ出ている桟橋から毎晩、釣り&酒盛りをしていたし、でも釣れるのはクロダイ、キス、マゴチとマッドクラブばかりで「日本の釣りならもっと面白いだろうに」なんて思っていたのは間違いがないけれど、自分の家の裏庭から釣りをするなんて、今思い出せばとんでもない贅沢な生き方が出来た。
今ではユーチューブで日本の釣り、漁師、魚市場のビデオばかり見ているけれど、そういうところに住む、釣りに行きたいとは思うけれど、もうすでに満足はしちゃっているような感じがしないでもない。逆に、シドニー在住の次男坊が釣りに興味を持ち出して大型の魚を釣った写真なんか見ると、やっぱりオーストラリアに住むべきかなんて思う。次男坊も「オヤジ、おいでよ~~。一緒に釣りに行こうよ~」なんて言うし。
でもフト思うことは、【もっと日本を知りたかった】こと。
若い頃から地方出張は多くて、北海道から九州まで随分行ったけれど、たとえ1ヶ月滞在してもそれは仕事で遊びじゃなかった。だからかつて大好きだった富山県を始め、ゆっくり1週間ずつ住みながら移動をするような旅をしたいという気持ちは今でもある。
そういう休みの遊び方ってオーストラリアでは普通で、ゴールドコースト在住の親友夫婦も今まで離婚じゃなんじゃと数回大騒ぎしていたのが「ヨーロッパの一ヶ月の旅は面白かったよ~」とか「日本縦断の温泉めぐりは良かったよ~」なんて二人で並んでニコニコしている写真を送ってくるから腹が立つ。(笑)
そういえば我が家の芝刈りを頼んでいたオーストラリア人の親父さんも毎年一ヶ月は息子が住むヨーロッパに行ったり。また彼も釣り好きで、自分のボートで週末は釣りに行くのが日常だった。
だから私達もオーストラリアに住み続けていたらそんな生活をしたのかもしれないけれど、今の私は毎日モニターの前に座り続ける生活。
でもそれが「私のやるべきこと」だと思うし、二人の息子たちや孫たちの将来を考えると、どうしても成し遂げなければならないことがある。
だから結局、今もやりたいことをやっていると言えるのかもしれない。
でも若い頃からイメージしていた「老後」とはちょっと違う。
いやいや、まだまだそんな事は言ってられない。頑張らねば。
気持ち的には、見えない何かに手を合わせて「有難うございました」と言いたいかな。