やっぱり「日本のバブルが崩壊した時」「リーマンショック」が忘れられない

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株式市場は絶好調ですね~。日本もアメリカも。

高市政権ができて世の中が明るくなった感じがするし、「期待」が大きいのは私にも伝わってくるし、私も「日本はこれから良くなる」と思っています。

でもねぇ、世の中が浮足立てば立つほど、「日本のバブルが崩壊した時」「リーマンショック」を思い出すんですよ。

「あの時も同じだった」と。

1980年代の日本株式の「上がり方」って半端じゃなくて、それは「不動産の値上がり」もそうで、あの当時の盛り上がり方は半端じゃなかった。

街に出ればどこも活況で、飲み屋は大繁盛。若者は「ディスコ」で大盛り上がりで「フィーバー」という言葉が流行ったのもあの当時。「ディスコ全盛期」ですごかった。中高生までディスコに行く時代。

あの頃の私はすでに結婚していて子供もいたので、「夜な夜な遊びに行く」ことはもう終わっていた(笑)けれど、「赤坂のMugen」には行ったし、1970年代~1980年代初頭の頃は良く覚えています。「赤坂六本木は私の裏庭」みたいな時代。

「不動産バブル」も凄くて、実家(父所有)にも「運転手付きのロールスロイスに乗った医者の奥さんと20代の息子」が内見に来て、「もうすでに◯十億の不動産を買った」なんて言っていましたっけ。私は若い頃から金遣いが荒いので貯蓄のつもりで20代にローンで買った池袋サンシャインシティのワンルームマンションも980万円が5500万円のすっ高値で運良く売れた時代。先程調べてみたら、そのワンルームマンションの今の相場は1750~1950万円。

当時の問題は、誰も全くそれがバブルだなんて思わなかったこと。誰しもが「その繁栄がいつまでも続くと思った」時代。

これが「日本の底力だ」と誰しもが信じていた時代。

私の「仕事」としてはバブルには関係なくて、「指を咥えて世の中の盛り上がりを見ていた」感じでした。だからこそ「オーストラリア行き」を考えたのかもしれないと思うし、1991年に「日本を脱出」したのはタイミングが良くて、正直なところ「バブルが崩壊した後の悲惨な日本」を体験していないのね。

だから「悲惨な日本」は「オーストラリアから見ていた」だけで、噂として聞いていただけ。でももし、あのまま日本にいたら「そのうち良くなるはずだ」と信じ続けて、仕事にもお金を注ぎ込んで、また注ぎ込んでととんでもないことになっていたのは簡単に想像できた。それほどあの「日本のバブル」「好景気」は凄かったし、その後の低迷は半端じゃなかった。まさに「暗黒の時代」と言って良いと思う。

ただ「日本との繋がり」は無くなったわけじゃなくて「日本からの中古車の輸入」をやっていて、でもそれはガンガン儲かるわけでもなく、日本株中心の株式投資はやっていたけれど当時は普通の「長期投資スタンス」だったから、長く果てしのない「下落相場」には苦労したなんてもんじゃない。でもそれがあったから「投機」に目覚めて、短期売買、先物トレード、ショート(空売り)を覚えたし、それが後の「デイトレ」に繋がって、良かったと言えば良かった。

リーマンショックの前のゴールドコースト時代の我が家は絶好調ということもなくて、まぁ「普通」って感じですかね。でもオーストラリの「物価上昇スピードは早い」し「税金は高い」し、二人の子どもたちは「大学、大学院で学ぶためにゴールドコーストを離れていた」こともあって、たまたま知った「老後をマレーシアで過ごす日本の退職者が多い」らしいこと、そしてちょっと調べたら「生活費は間違いなくオーストラリアの3分の1以下」「私には所得税が掛からない」こともわかって、【行ってみようか?】と思うようになった。

そしてマレーシアに何度か様子を見に行き、MM2Hビザの申請もした。

そんな時に「リーマンショック」。

当時はゴールドコーストでのほほんと生活していたわけで、リーマンショックの「重大さ」には気が付かなかったんですよ。銀行の破綻も「リーマン・ブラザーズの破綻」も、「あらら、大変だねぇ」みたいな「他人事のように考えていた」のは間違いがない。

ところが「豪ドルがとんでもないスピードで下落」して、ゴールドコーストの不動産価格もまさに「崩壊」という言葉が合うようなことが始まった。それでも「タイミングが悪いなぁ」と思うくらいで、まさか結果的に「日本円換算で私の総資産が4分の1になる」なんてことは全く想像できませんでした。

その時は、「自分は砂上の楼閣に住んでいたんだ」と思ったし、ああすればよかったこうすればよかったと「毎日毎日、悔いるばかり」で手のうちようは全くなし。

「回復するのを待つしか無い」と思った。

そしてそれからなんと7年もの年月を「待つこと」に費やしてしまった。

その間、良いこと悪いことがあったけれど、「大きな回復はなかった」し、【もう、待ち切れない】と判断して、つまり「損切り」して資産は叩き売ってマレーシアに渡ることにしたのが2016年。

これが私の人生の略歴です。(笑)

でもマレーシアに渡ったのは大正解で、ゆっくりではあるけれど「資産状況は改善」したし、2024年には人生初の大損をした(クレディ・スイスのAT1債がゼロになった)けれど、まぁ大筋としてはOKで、それはやっぱりマレーシアに来たからで、【生活費が安かったこと】【所得税がゼロなこと】、そして【デイトレをしたこと】があるから。

こんな経験をすると、人生って「波の連続」で、そして「大津波に飲み込まれる」のが【普通】だと思うようになる。

そして今、あの「日本のバブル崩壊」「リーマンショック」の【前夜】と全く同じだと感じるわけです。

違いと言えば「今は決して好景気ではない」ことと「格差が非常に大きい」ということで、経済状態としてはあの当時より「かなり悪い」と思う。それでいて「株価は絶好調」で「不動産も非常に高い」。そしてそこを中心に見ると「バブルでしか無い」、【あの頃と同じ】に見えるのね。

だから「何か起きた時の影響」はあの当時以上かも知れない。

ただ「何も起きないかも知れない」わけで、でも「もうあんな思いは二度としたくない」と思う。

とは言いつつ、「対処法」「逃げ場」が全く思い浮かばないし、元々がビビりで小心者の私は「大きな事ができない年齢になった」こともあって、【何が起きても受け止めるしか無い】と考えています。

ここはしっかり考えないとならないところで「逃げ場を探して対処する」にしても、【まだ大惨事は起きていない】わけで、今ここで下手に動いて、もし大惨事が来なかった場合、【その対処をしたことが自分の足を引っ張ることになる】のね。だから「計画はある」にしても、それを実行する「タイミングを見る」事が非常に重要で、でもそれは簡単ではないし、「大惨事の大きさもわからない」から【大惨事が来ると想定して行動することそのものが、自分だけの大惨事になり得てしまう】のね。

これはどんな「ポートフォリオ」を組んでも同じことで、「安全安心」を優先してしまうと「利益なんか出ないし、インフレに勝つことさえ難しくなる」のが普通。

だから【引き出しを多く持ち、いつでも使えるようにする機敏さを養う】ことと、あるいは【大惨事が起きた後に生き残り、再起する方法】をしっかり構築するしか無い。今の年老いた私が選んだのは「後者」の方法。これには30年の歴史と経験があるから「未経験のことをする」ようなリスクはないと考えています。

我が家は「商人的な考え方」をする家で、「家族、個人個人は別」という考え方が無い。「家族一丸となって生きて、困難に立ち向かう」のが【当たり前】だと考えるし、そうやって「一族、商家を守る」のが基本。

そういう視点で家族を見ても、子どもたちはまだ「苗木」みたいにひ弱だし、「ヨメさんや姉の将来」にも私には責任があるし、まだまだ私にはやることがゴマンとある。「老後を楽しむ」なんて余裕は【ゼロ】。また、私は若い頃からやりたいことをやってきたから、今更どうしてもやりたいことがあるわけでもなく、逆に「好き勝手に生きて来た罪滅ぼしをしないとならない」と思うくらい。

私は、もし今、再びあの「日本のバブル崩壊」「リーマンショック」が来ても【決して崩れることのない基盤】を作り、維持しなくてはならないし、あの当時「絶好調だった人たちが辿った末路」を決して忘れてはならないと思う。

リーマンショック時のマレーシアだけれど、当時は何度もゴールドコーストからマレーシアに来ていたし、「マレーシアの経済状況はわからなかった」にしても【日本人社会の大きな変化】は見えたのね。

「駐在員も日系企業も潮が引くようにマレーシアから消えていった」し、そりゃ「大企業、優良企業」は別にしても「かなり厳しい人員整理もあった」と聞くし、当時の私の知り合いも、ヨメさんが「知り合えてよかった」なんて喜んでいた人たちも消えていった。日本人が多く住むコンドミニアムからも日本人は去っていった。

でも面白いと思ったのは、当時すでにマレーシアに渡っていた「退職者たち」には、私が知っている限り「大きな変化がなかった」のね。

これはやっぱり「年金」という【必ず支給される収入があった】こと、【マレーシアの物価は安かった】こと、そして「年金受給者に取って、不景気やデフレは生活費の下落となる」ことがあるからだろうと思う。

誰も口には出さないけれど、「デフレ」は「年金受給者に取っては追い風となる」のね。

でも今、時代は変わって「インフレ旋風が世界に吹いている」し、そして「円安」だし、「マレーシアの物価は昔のような安さはない」ことから、日本人退職者にとって決して良い時代ではなくなった。

そして「退職者」もこの10年20年で大きく変わっていて、今は「退職金や年金の額」に問題があるだろうし、そもそも一世代二世代前の「日本人退職者は高度成長時代を生きた人たち」で、「貯蓄額や持っている株式も今とはまるで違う」はず。

そんな時に、前のようなあの「日本のバブル崩壊」「リーマンショック」が起きたらどうなるか。

「頼みの綱はただ一つ」で、それは【高市早苗】という日本初の女性総理大臣。

大丈夫か、日本!!

私、我が家としては「デイトレ」という「どんな時代でもどんな場所でも、好景気だろうが不景気だろうが関係のない」【裏山に入って山菜でも芋類でも無限にあるのを採取して生き伸びる】ような「サバイバル方法」を完全なものにしたいし、子どもたちにもそれを伝えたい。

私の人生のこの30~40年で学んだことは、結局「それ」だった。【それのみ】と言っても良いと思う。

もし「想定する大惨事が起きなかった」としたらそれはそれで\(^o^)/で、「資産形成に拍車が掛かる」ことになって【デメリットは何も無い】。

あえて「デメリット」を言えば、他人様からは「ギャンブラーと同じ様に見られ、バカにされる」ぐらいか。

だから私はこうやってデイトレのことをブログには書くけれど、外ではそれに関しては一切喋らないし、「投資で食べています」みたいなフリをしています。(笑)

でもそれも嘘ではなくて、我が家の基本は「債券投資」。でもその「影」では【ハイパワーの小型エンジンを動かしている】ってことでしかないのね。

人の行く 裏に道あり 花の山

 

 

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