このブログはいつも「お金」に関することばかり書いていて、「ダボって半端じゃない金亡者」「お金のことしか考えないのか」と思われているんじゃないかと結構、気になっています。(笑)
ま、それは半分当たっていて、若い頃から「貧乏は経験がない」にしても決して金持ちじゃないし、ピラミッドの低層に位置していたのは間違いがなくて、【マウスが小さなケージに入れられて、その中にある回転ホイール上で走り続ける】感じがいつもしていました。それも走る目的は「生きるため」だけみたいな。
上を見ればキリがない、下を見てもキリがないですが、やっぱり「裕福な人」はごっそりいるし「人生を謳歌している人たち」はいくらでも周りにいた。食事にしても「美味しいもの、良いもの、高価なもの」を食べる人はどこにでもいたし、「生活」を見ても、どうしてあの人達はそんなに余裕があるのかいつも不思議だと世の中を見ていました。
そりゃ「彼らは稼いでいる」からなわけだけれど、私には「どうしたら稼げるのか」がわからなかったのね。
高校生時代からそんな事を考えていて、「誰も稼がせてくれない」のはわかりきっていて「自分でどうにかしないとならない」のは明白。母は新橋で飲食店を経営していて、ちょっと変わった店だったので知名度はあるしそこそこ繁盛していたのだけれど、毎日毎日「小銭を集める」のが仕事だし、「雨が降れば売上は落ちる」し、決して「家族みんなが裕福で生活をエンジョイする」なんてのは不可能。父は零細企業のオヤジで、そりゃ良い時もあるけれど、駄目なときもあって「安定しない」し、仕事の内容である「弱電の輸出」も特別素晴らしい製品があるわけでもなく、「商社」と言えば聞こえは良いけれど、実態は「ブローカー」で、【その日暮らし】と言っても間違いがないような仕事。実際に「ニクソンショック」「ドルショック」では簡単にやられて「廃業」した。
「生きているのが楽しい」と思ったことってなくて、「将来の不安ばかり持っていた」若い頃。幼い頃からの「トラウマ」にも悩まされていて、精神的には暗い時代が長く続いたって感じ。
きっと「足るを知らない若者だった」のは間違いなくて、上ばかり見ていたし、どうしたら成り上がれるかそればかり考えていた青春時代。「逃げたかった」のだろうと思う。
学生時代の友人は皆「普通の青年」で、独立心がある友人は全くおらず、「将来は大手企業に行く、公務員になる」なんて言う連中ばかり。でも不思議に高校生時代から「慶応義塾の友人」が多くいて、彼らは我が早稲田とは全く違う人種で、「どこそこの何様の子息」なんてのがごっそりいて、それはそれは裕福でまさに「選ばれた人たち」みたいな友人が多かった。では「彼らはバカ息子か」というとそんなこともなくて、やっぱり「帝王学を学んでいる」のだろうと思ったし、【やる気満々の企業家の卵】という感じ。
正直羨ましいと思ったし、「親の後を継ごうとする友人」も多く、社会に出た時点で「すでに金持ち」なのね。(笑)
そういう友人の輪を利用するなんてことは全く考えなかったし、「王家の子息と使用人のクソガキ」みたいな関係の中で仕事をするなんて絶対に嫌だったし、学生時代から起業して頑張るしか無いと思った。
かと言って「大志を持っていたわけでもない」し、でも普通のサラリーマンって本当に収入が低い時代だったから独立して稼ぐしか無いし、「夢もない、四面楚歌」での起業だったと思う。
とは言っても自分に秀でたスキルがあるわけでもなく、そもそも勉学だって「大学受験は絶対に嫌だったからエスカレータでどんなバカでも大学に入れる私学の付属校を選んだ」し、行った大学の学部は「高等部では成績下位層が行く【花の商学部】と揶揄される商学部」で、何の技術もスキルもない。そんな小僧が独立しても「アイデア勝負」という零細企業でしかない。でもま、それはそれで「幼い頃から変人と言われていた」し実際に【目の付け所がちょっと違う】のはプラスになったと思う。
でもねぇ、厳しかったです。「人生は七転び八起きだから頑張れ」、なんて声援を送ってくれる知人友人はいたけれど、私は彼らは「七転八倒」という言葉を知らないんじゃないかと思っていた。(笑)
それでもどうにか生きていて、でも「裕福には程遠い」し、ほぼ全ての友人はサラリーマンになっていたけれど、日本は成長期で彼らが段々と地位も上がり収入も増えて裕福になっていくのを見るのが本当に辛かった。【サラリーマンになることを拒絶した私だけれど、やっぱり失敗だったか】と何度も思ったけれど、どうにもならず。
でもどうにかこうにか生きていると「仕事やその業界のこと」も結構分かるようになってきて、「広い業界を見渡すとそこに【隙間がある】のも見えるようになってきた」のね。本当に小さな「隙間」だけれ、零細企業にとっては十分な市場であるし、それからは【ニッチの世界で生きれば良い】のがわかってきた。
またその業界で「今後伸びるであろう分野」とか、「伸びている将来性のある企業」「それを牽引する大手企業」も見えるようになってきた。
でも零細企業がその中に入っていくのは【無理】で、資金力も人材もコネクションも、そして「信用」もまったくない。
ところがフト思ったんですよ。「そうかぁ、その分野の企業の株を買えば良いのだ」と。
これが結構当たって、「他人の褌で利益を出す方が簡単なんじゃないか」と思うようになってきた。
それからは「人脈」を辿って、他の産業、他の分野でも、その中で毎日生きている人たちは「過去、現在、未来」が見えているはずで、その情報収集をするようになったんですよ。
中には「独立しようと思う」なんて知人も出来て、「彼が何をしようとしているのか」「どうして独立しようとまで思うのか」「それが本当に伸びるのか」を徹底的に調べるようにしたのね。自分もその業界で独立しようとするつもりになって調べると、結構、面白い話は転がっているのがわかるようになってきた。自分がその中に入ることもあったけれど、自分は何もせずに「株を買う」のが面白かったのね。
その「独立しようと思う」という知人にも「独立後、一番の競合となる会社は?その分野のトップは?」と聞くと教えてくれるわけで、「だったら独立というリスクを取らずにその会社の株を買うほうが良いんじゃない?」なんて話をしたのだけれど、「おいおい、それって今の会社の一番の競争相手だぜ」何ていう。
「別に良いじゃん」と言ったけれど、やっぱり彼は真面目で「それはしたくない」という。でも「独立したい」って私はそこに「矛盾がある」と思ったけれど、彼には彼の「守りたい正義」があるんだろうし、私がとやかくいうことではない。
で、彼は結局、独立したけれど、その後どうなったのかはわからない。彼の名前はその後、聞こえてくることはなかった。
こういう「内部事情」というか「業界の細かい動き」はその業界で生きていればわかるはずで、【それを利用するだけでどうにかなる】と思うのね。でも多くのサラリーマンはそれを考えない様で、「会社に対する忠誠心が勝る」のだろうか。実際にその会社を良くするのが使命で、その中で登って行き、地位も収入も増やそうと毎日頑張るわけだから、それはそれで理解できる。
また私は「インサイダー取引」というのが良くわからなくて、【自分が勤める会社の今期は絶好調。大きな注文も取れた】なんてのはすぐにわかるわけで、その会社が上場企業だとして、「株を買ったらインサイダー取引」になるんですかね。その情報が「公になっていない」としたらインサイダー取引になる?
実は、私は一度だけ「間違いのないインサイダー情報で株を買ったことがある」んですよ。
これは「家族の交通事故」が発端で、当然、見知らぬ人に車を当てられたのだけれど、ちょっと間違えたら命を落とす(橋げたから車が落ちる)ような事故で、「申し訳ない」と修理費はもらったうえで「ある情報を差し上げます」と、ある会社がM&Aする情報をもらったのね。それは「繊維関係の上場会社」だったのだけれど、そんな情報はどこを探してもないし、M&Aをしたから絶対に良くなるわけでもないだろうし、そもそもM&Aなんて「言葉」もない時代だったけれど、その株を買ってみたんですよ。
そうしたら本当に「買収」があって、株価は上昇。何倍になったわけでもなくて25%程度しか利益はなかったけれど、まぁ、そんな事もあった。
また私の自分の仕事で非常に付き合いの深かった会社が「債務超過」になって、当時の東証二部上場の「超優良会社」の傘下に入ったのね。ま、社長の株は全てタダ同然でその超優良会社に渡ったから間違いなく「買収」であり「M&A」なんだけれど、その後、債務超過になった会社には本社から「新社長」も来て出直すことになった。この新社長は「本社では課長クラス」で全く駄目な人で会社の業績も良くならず低迷は続いてたのだけれど、その会社に「大事件が起きた」のね。
ある日ある時、30代の若造が会社に来て、「今日から私が社長です」と宣言した。
そりゃ会社は蜂の巣を突っついた様に大騒ぎになったのだけれど、一体何があったかというと、その親会社の東証二部上場の「超優良会社」が「本物の乗っ取り屋の餌食になった」のがわかった。その乗っ取り屋は巷でも有名な会社で、でもやっていることは「静かに株を買い占めて、ある日ある時、突然、出てくる」わけで、決して違反をしているわけじゃない。また「株を買い占める」と言ってもたとえ二部上場の会社といえどもかなりの資金が必要だから、「他の株主を抱き込む」こともするわけですよ。
で、創業者一族と、乗っ取り屋と、乗っ取り屋側に着いた「専務や部長クラス」も出てきて、戦争状態。
その中で、その会社の「子会社」だった私の知っている会社に「乗っ取り屋側の人間」が乗り込んできたというのがわかった。当時は私より若い30代の青年が「社長ずらしてああしろこうしろと命令する」のってまるで小説、映画の世界の話だと思いました。
結局、その乗っ取り屋はその会社を手に入れて経営したいわけじゃなくて、「買った株を高く買い取らせる」のが目的なのは明らか。つまり遠くない将来、必ず株は下がる。
でもその後、どうなったのかは私は知らないんですよ。私の取引があった会社はめちゃくちゃになって仕事ができないし、私は私で自分のことで忙しいし、親会社の二部上場の会社も結果的にどうなったのかは追いかけていませんでした。もちろんニュースにも出てこない。これが今のネット社会だったら、多くの情報が溢れるんでしょうが、当時はそんなこともなかった。
何が言いたいかと言うと、「そういう情報を知るだけ」でそれを利用することができるということ。
ま、当時は「仕手株」と呼ばれる「とんでもなく上下に大きく動く株」があって、まさに「買い手と売り手の戦争」なのね。200円ぐらいで低迷していた名も無い会社の株が300円、400円と上がってくれば「その株を空売りしよう」という投資家が入ってくる。そして買い側は「もっと買い上がる」わけですよ。すると空売りした側はヤバくて追証が掛かってくる。そして200円だった株が2000円というあり得ない値まで上がる。これは空売りしていた側が「どうしようもなくなって買い戻す」から値はどんどん上がる。
それも彼らはプロだから、単純に上がる下がるを起こすわけじゃなくて、「売りたくなる動き、買いたくなる動きを演出する」のね。また世の中にはそういう「仕手株好き」もいて、買い方も増える。売り方も増える。そんな中で仕掛けた本尊は「買いながら売ったり、売りながら買ったり」、あの手この手を使って参加者を翻弄して利益を出すのね。
こういう異常な仕手株は今はなくなったけれど、「株価は自然の動き」だと思ったら大間違いで、「買い方、売り方がそれぞれストーリーを作って戦う」事が多いのが相場の世界。これはFXの世界も同じで、良く言われるのが「アジア勢、ヨーロッパ勢、アメリカ勢」が別れ、入り乱れて仕掛けることが常に行われているという。
ま、そういう情報を手に入れて売買する投資家ってどんな時代にもいるわけで、それが良いと言う意味ではなくて、やっぱり「情報は無視できない」と私は思うのね。
M&A情報なんてのはインサイダー取引になるのだろうけれど、「業界やその中の中心企業の動向」なんてのはその業界にいれば「結構分かるはず」なんですよ。で、私は「そういう情報を利用するのは悪いことだとは全く思わない」のね。
というかこの世界には本当に悪いやつがいるし、ガセネタをばら撒いて儲けようとする人たちもゴマンといて、「そういう中に入るべき」というのではなくて、誰に聞くわけでもなく「自分の業界の動きはわかる」とするなら、それを利用するのは良いという考え方を私は持っています。
「自分が勤める会社が上場企業」だった場合、その企業や競合、業界のことはジャーナリストよりも詳しいはずで、「そういう情報を有効利用する」のが悪いことだとは私は思わない。
今だって、株価は絶好調のCEOクラスが株を売りまくっているなんて情報があるくらいで、この世界に「聖人君子はいない」と私は思っています。
でもきっと30年ぐらい前だと、「そんなヤクザなことはするべきではない」という考え方が多かったと思う。昔は「空売りするのは人にあらず」なんて言われたし、「株を買うなら株主としてその会社の発展に寄与すべき」なんて多くの人が信じる時代だった。ま、それは今でも「正論」だとは思うけれど、今の混沌とした世の中でそんな「聖人君子」みたいな生き方が良いとは私は思わない。
とは言うものの「自分の勤める会社の業績見通しが悪い」のを理由に「持っていた会社の株を手放しました」は良いにしても「空売りしました」となれば「上司に、お前、辞表を書け」ぐらいのことは言われるかもね。(笑)
でも自分の会社じゃないにしろ、競合のことも常に気をつけてみているはずで、「一般人、ジャーナリストにもわからないこと」って山のようにあるんじゃないですかね。
でもま、そういう「裏情報」を必死に探す投資家もいるわけで、また「偽情報を流して儲けようとする人たち」もいるわけで、そういう「大きな渦の中に入るのを良しとしない考え方」も当然、あると思うんですよ。
でも私としては「悪いことに手を染める」のは絶対にするべきではないけれど、自分が分かる情報を元に株を売買するのは、「トランプに期待して株を買う」のと何が違うんだ?と思うわけです。毎月発表される指標を見ながら、「景気の鈍化が始まった」と判断して株を手放すのとどこが違うのかと思う。
「情報を元に戦略を考える」のは基本のキであって、それは誰でもすることで、それで勝敗は決まる。
それは実業の世界も同じで「頑張っていればどうにかなる」ほど世の中はあまくないし、私みたいにスキルもない、才能もない、経営者としての資質も、人脈も十分な資産、リソースもない中で、零細企業だとしてもそれを維持して利益を出し続けるのは本当に難しいのね。だからどうしても「他力本願になる」し、情報がなければ動くに動けない。
そして「その状態で続ける」のって「リスクだらけ」なわけですよ。だから「逃げよう」と思っても「事業を突然やめる」なんて出来ないし、「新たなことを始めよう」なんてのもすぐに動けない。そういう意味で「投資家って良いなぁ」と思うようになった。「やめよう」と思ったら【その日にやめて現金化できる】わけで、「やりたい仕事」もアホな自分がその気になって自分で始めるより【その道で実績がある企業の株を買うのが正解】で、投資額の増減も自由自在で、【これほど良い仕事って無いんじゃないか】と思うようになったのね。
で、そちらの方面に注力するようになったし、また下手に自分で事業をするより、「他社の債券を買う」と確実に毎年5~7%の利益があるってとんでもなく凄いことだと思うようになった。その場合も「乗り換え」「中止」「投入額の増減」「現金化は瞬時」という素晴らしい世界だと思った。
ではなぜ最初からそうしなかったかと言うと、「十分な投資金がなかった」からなわけで、100万円投資して、年に5~7万円手に入れてもどうにもならない。でも「投下資金が大きくなってくる」と、自分で実業をするより遥かにマシなのがわかるようになった。そして大きくなってくると「自分でやりたい事業でも簡単には手は出せない」けれど、「その夢を託せる企業がある」わけで、そこに投資する方が「自分でやるより確実」なのね。
そしてその延長線上に、「儲からなくてもやりたいこと。やるべきことがある」と思うのだけれど、その道に自分が進むことも可能になるのがわかった。つまり「夢があることをする」のは重要だけれど、夢だけじゃそれは達成できないのは明らかで、でも「投資も事業」と考えてそちらが伸びてくれば、「採算度外視」というと語弊があるけれど、「たとえ利益が少なくてもやるべき夢を追うことができる」のもわかってきた。
ということで、40代のある日、「全ての実業から手を引いて投資(トレード)で生きよう」と決めたわけです。
長期投資は「債券投資のみ」ですが、まさにこれは「他人の褌で相撲を取る」のと同じ事。若い頃、資本もない頃は「自分で相撲を取って勝つしか無い」けれど、自分が非力ならいつまで経っても勝てないけれど、【他人の褌】を利用すればどうにかなるのがわかったのはかつては想像もしなかった「収穫」だと思う。
でもそれなりの「資金が必要」なわけで、それを作るには「投機が自分に合っている」のも気がついたのね。でもそれは「他人の褌で相撲を取る」のではなくて、【自然の流れに乗れば良い】と気がついた。
これは、実はある「映画」を見ていて閃いたんですよ。それはアメリカ映画なんですが、確か牧場のシーンだと思うけれど、「風向、風速計」が出てきて、プロペラがクルクル回って風の強さはわかるし、風の向きが変わると「風向計の向きも変わる」。それを見た時に、「相場の流れも一目でわかる風向計があったらなぁ」と思った。【矢印が示す方向にベットすれば良いだけ】なんですから。
これが私の「チャート分析の基本」で、「方向性と強さがわかればそれだけで十分」と思うようになって、そういうチャートを作ることばかり考えたのね。当然、知るべきことは他に色々あるけれど、何よりも大事なのは「方向性とその強さ」で、それが基本。
ところでこの数日間、マレーシアはなぜか涼しくて過ごしやすい。
私はその「風」を自然に受け止めて感じていればそれで良いと思うし、その風が「起きた理由」も「いつまで続くのか」も考えません。
「株式だろうが、FXだろうが、金(ゴールド)だろうが、それと同じ」だと思う。
10年以上持ち続けていた「金(ゴールド)」も高いところで利確が出来たけれど、それは「伸び切ったゴムは必ず切れる」ことと「その前兆(ダブルトップ)」が見えて実際に下げだしたからであって、【それ以外の理由はない】のね。
当然、これから「どんな風が吹くのか、上に吹くのか、下に吹くのかなんてわからない」し、「それを知りたいのはやまやまだけれど、私にはわからないことだけは確か」。
だから「風向計、風速計を見よう」と思う。
これも「他力本願」「他人の褌で相撲を取る」のと同じようなもので、自分でああじゃこうじゃ考えても未来のことはわからない。
今は風らしい風もなく、そよ風が吹いている状態だけれど、【そろそろ動き出す予兆】はチャートから見て取れる。でもどうするかは「動き出してから決める」。というか、常時「3つかそこらの想定はしておく」のね。「こう動いたらああする、ああ動いたらこうする」みたいに、そして【そう動いたら予定通り行動開始する】だけで、「どうするべきかをその時には考えない」。理由は簡単で「想定は理性的にできる」けれど、「動き出してからどうするか考えると冷静な判断はできなくなる」から。
「損切りが難しい」のはまさにそれでしょ。だから「損切りポイントは出撃時には決めておく」ことをする。「損切りして助かった」「損切りして損した」なんてことを考える必要もなくて、「将来のことは神様におまかせする」だけで、自分は「風、流れを感じていればそれで良い」と思っています。
さてさて、来週は新たな動きがあるかな?新たな動きがなければ何もしないだけのことで、でも今、想定している動きが起きれば出動するつもり。
私がお金関係のことばかり書くのは、「それが生活の基盤、原点」であって無視できないからで、お金儲けのために生きているわけじゃないのはやっぱり書いておきたい。
自分の夢なり趣味なり楽しみは人それぞれで、自分の好きなように生きればよいし、マレーシアという他国でどう生きるのもそれぞれの勝手。
ただ私の場合は「マレーシアの情報を出すほどの情報がない」のね。クアラルンプールの観光さえしたことがないし、他の都市もペナンに行ったことがあるだけ。日本にも行かない生活。
私の毎日は、体の具合の関係もあって「引きこもりのお地蔵様みたいな生活」で、書きたくても書くほどのこともない。
「食べ物情報」は自分も興味があるから書きたいけれど、情報がない。(笑)
ま、このブログは「情報発信じゃなくて、ジジーの毎日の記録」だと考えてもらえると嬉しいです。
申し訳ない。 m(_ _)m


