私は若い頃から「日本で生活するのは息苦しい」と感じていて、でもそういう日本しか知らないから【人生はそんなもんだ】と諦めていました。
ところが18歳の時に初めてグアム(グアム大学の短期語学研修)に行き、そこでローカルの人達と知り合い、彼らの生活が面白くて興味があって、それからグアムにのめり込む人生が始まったわけですが、その理由は「日本みたいな息苦しさがない」「皆が自由に生きている」と感じたこと。
「言いたいことを言い」「好きなことをして」「誰にでも本気で向き合う」ような生き方がグアムにはあって、【そんな生き方をしても良いんだ?】と思った。
グアムに住みたいと思ったし、グアムで後に起業もしたけれど、結局グアムに住むようにはならず、ある頃から距離を置いて日本で生きてきた。
でも結婚もし、子供が出来て、子供の寝顔を見ている時に「この子も息苦しい日本で周りの人たちの顔色を見、自分を殺して生きるのか」と思ったら「それは絶対に駄目だ」「そんな生き方をするために生まれてきたんじゃない」と思い、そこから「日本脱出計画3.0」が始まった(2.0は省略)。そして「永住権が取れる国」であることが第一条件で、オーストラリアに目標を設定。
そして2年後だったかな。永住権も取れたので自分の資産は売却し、零細企業もたたみ、1991年、38歳の時に32歳のヨメさん、3歳の長男、9ヶ月の次男坊と共にゴールドコーストに移住。
すぐに起業して仕事も始めたけれど、オーストラリアは思った通り「自由な国」で、【これが自由というものなのか】と本当に思った。【自分を隠したり繕う必要がない】のね。逆に自分を出さないと「変なやつ」でしかないし、アメリカもそうだけれど「自分の意見、考えを出さない人は無視される。いないのと同じ」のような世界。逆に「自己主張が強いオーストラリア人」だとは思ったけれど、アメリカ人に比べたら自己主張がないようなレベル。(笑)
そんな中で子どもたちも育ち、結局25年間、ゴールドコーストで過ごしましたが、子どもたちもシドニーやメルボルンに勉強のために移っていき、夫婦二人の生活になった時にまたフト思ったんですよ。【俺の人生はここまでか?これで良いのか?】【これが昔から夢見た生活か?】って。
ということでゴールドコーストの資産を全て売却し、2016年にマレーシアに渡ってきて、今に続く。
当然、遊びに来たわけじゃないし「悠々自適の老後を楽しむ」ためじゃないし、男一匹生まれきて若い頃から夢見た理想を再び狙うのが目的で、それには大きな資金が必要なので家業としてのトレード、資産運用に頑張っているわけです。そして私の夢はバカみたいに壮大すぎて(笑)、私の代でそれが成し遂げることもあり得ないし、もし子どもたちがそれを引き継いでくれるのならそうしたいと「私の持つスキル」は全て子どもたちに受け継げるようにしている。
そんな毎日の生活の中で、やっぱり世の中の変化は気になるし、特に「時代を牽引する人たち」には半端じゃない興味がある。また若い人たちの中でも「時代の寵児」と思える人が増えているし、それの筆頭はホリエモンだし、他にも結構多くの若者に注目しています。
「彼らが何を考え、何をしているのか」という点を見てきたわけだけれど、最近、「彼らの根本的な生き方」が気になるし、【大事なのは実はそれだ】と思うようになったのね。今の時代を作る寵児たちが「何をしているか」じゃなくて、【生き方】そのものが大事で、それは【彼らの信念】でもあって、それが原点でそこから多くのものが生まれてくるのは間違いがない。
かつては松下幸之助や時代を作った人たちの研究は良くやっていたし、どの業界にも成功者はいて、それは中小企業も同じで、そんな人達から学ぼうとしていましたが、「何を考え、何をしたのか」ばかりに焦点を当てていました。でも今思うのは、【それのもっと深いところにある、性格とか理念が重要だ】ということに今頃、気がついたんですよ。要は「うわべだけ真似ても無意味」ということ。本当に自分は浅はかだったと思う。
そういう意味で、近年の若い寵児達の【人間性】に焦点を当ててみると「彼らは半端じゃない変人」であって、「世の中の常識とは違うところで生きている」と思うし、それは私もそうだったから余計に彼らに興味があるんですよ。
でも最近、段々とわかってきたことは、【彼らと比べれば私もただの凡人であった】ということ。
「本音で生きる」ことを私は重視してきたし、それが難しい日本だから「脱出」も考えたわけだけれど、私はまだまだ「本音なんて出していなかった」のに気がつくんですよ。そりゃ自分の周りの人たちと比べれば「本音を出すタイプ」だろうとは思うけれど、でもやっぱり日本人独特の「その場を繕う生き方だった」のがわかる。本音を前面に出して「ぶつかる」ことは避けてきたし、また「営業経験が長かった」から【客を立てる】のは当たり前で、客に本音をぶつけることなんかあり得ないし、【そういう生き方が普通になっていた】のだと思う。。
でも社内では「スタッフに気を使って本音を言わない」なんてこともありえないのだけれど、では「本音が言えたか」というと出来なかった。この辺の調節が私は本当に下手で、どうやって「皆で一丸となって目標を達成するか」という【雰囲気づくり】も【やる気を引き出す】ことも私には出来なかった。これは実は20代の頃に薄々それに気がついていて、だから「一匹狼」的な仕事になったし、それは30代になっても、またオーストラリアで起業しても同じだったのね。あくまで私が中心で、スタッフとは、それを助けてもらうような関係しか築けない。本当に「経営者としての能力はゼロ」だと思う。せめて「息が合う右腕」がいればよかったのだろうけれど、そういう相棒もいなかった。
ただBtoCの営業に関してはセンスがあるほうだと今でも思っていて、自分が最終顧客に何か販売するのはそこそこ上手く、若い頃から客の懐の中に入り込むのは得意で、取引先の百貨店の売り場に立ったり外商と上客周りをしても結構な売上を上げていた。
また私は宝石業界に長く、主な顧客は百貨店やスーパーだったのだけれど、普通に店頭で宝飾品を売るのではなくて「年に一度の宝石特別販売セール」という建前で、実態は従業員全員に目標額(ノルマ)を設定して特大セールを開催するといういわゆる業界で言う「キャンペーン屋」でした。百貨店社員の中から中心人物を選抜してプロジェクトチームを作り、「香港に連れて行って研修をする」とか、全社員をグループ分けをして営業時間中に1時間の研修をやる」(私が講師 笑)とか、キャンペーン開催の前日には全社員集まって「大太鼓」を叩いて「片手を上げてエイエイオ~~」と決起集会をするとか、「社員食堂には全従業員の名前を張り出して、目標(ノルマ)達成には花印をつける」とか、同時にインセンティブを付けて金銭のバックやトップクラスはグアムにご褒美旅行(私が引率 笑)とか【社員のやる気を引き出すためにありとあらゆる作戦を練る】ような仕事。これって600人ぐらい社員がいる大型百貨店では1ヶ月で3億円、パートも入れて40人ぐらいのスーパーでも数千万円は売り上がある面白い仕事でした。
これは百貨店の本部はもちろん、実施店舗の店長クラスや幹部がやる気を出さないと成功しないわけで、そんな折衝や店舗での仕掛け、研修までやって私はやっていましたが、それは得意なのに【自分の会社は駄目】なのね。これが当時から自分でも不思議で、スタッフには「頑張ってね」みたいなことしか言えなかったんですよ。それはオーストラリアに渡ってからも同じで、仕事内容を決めたら後は「スタッフに丸投げ」で、売上や利益の「目標額さえ設定しなかった」。というか出来なかった。
やっぱりそれは私は商人の出で、【客をその気にするのはうまい】けれど、「日本は生きづらいと感じていた」のと関係があって、【本音を出すのが怖かった】からのなのかもしれない。だからこそ実はそんな世界から逃げたいと思っていたのだろうと思う。問題は「日本にある」のではなくて、「自分の中にあった」のが今になるとわかる。
その点、オーストラリアは「売り手と客は同等」であって、「お客様は神様」みたいな発想はゼロで、客もそれはわかっているから仕事は簡単だった。ところが「電話関係のサービス」をしていた頃、当然、オーストラリア在住の「日本人コミュニティ」にも売り込みをかけるのだけれど、「日本人の客のワガママさ」には本当に閉口した。そういう客も「オーストラリア企業には文句も言わない」のだけれど、こちらが日本人だとわかると「豹変する」のね。いつもの鬱憤もあるのだろうけれど、まぁ命令口調で言いたいことのオンパレード。
私のその電話関係のサービスは「コストをしっかり削減して売値を抑えていた」のだけれど(オーストラリア企業は安売りをするという発想は少ない)、それなのに日本人客はすでにオンラインの時代なのに「すぐに説明しに家まで来い」とか、ちょっとミスが有ると「家まで謝りに来い」なんて平気で言う。そりゃ「高価なサービスで利益も多いならわかる」けれど、「コストをギリギリまで削減して競争力のある価格をつけている」のが「売り」なのがわかっていても、日本人客は「フルサービスを要求する」のね。そして「クレーム」だか「愚痴」だかわからないようなことを30分ぐらい電話で話されて仕事にならなかったり。
だからある頃から、一切、日本人コミュニティでの広告宣伝は一切やめて、パンフレットも日本語のは出さないことにしたり。(笑)
今、自分の仕事人生を振り返ってみると、「企業家ではない」「経営者の資質もない」、でもセールスはそこそこの自動車や不動産のセールスマンと同じで、経営者としてはまさに私が生まれ育った新橋の「魚屋のオヤジ」と全く同じなのがわかる。
でもま、それを後悔することはないし、「魚屋のオヤジにしてはうまく行った」と思うくらい。やっぱり「出来ないものは出来ない」し、自分に「スキルも素質もない」のだから【背伸びをするほうが危険】だし、「他人の目にどう映るか」「他人にどう評価されるか」なんてのは関係ない。
そして現代の寵児たちの話に戻るけれど、私とは違う意味での【彼らは本音で生きている】のがわかるのね。
それは「口が悪い」「態度が悪い」という形になりがちだけれど、そういう「表面的なこと」に私もやっぱり気になる典型的な日本人で、それが気になると「彼らが一体何を大事にしているのか」が見えなくなる。
昔は好きじゃなかったホリエモンも最近はかなり注目していて彼のやっていること、発信することも結構真剣に見ているのだけれど、やっぱり「大した男だ」と思うようになってきた。
また前にも書いた「溝口勇児氏」もそうで、「歯に衣を着せない」どころじゃなくて、「なんでそんなにいつも喧嘩腰なんだ?」と思っていたし、それは青汁王子の三崎優太氏も同じで、まぁ、彼はインフルエンサーとして活動しているから「作り話に見える」ところが多々あるのだけれど、彼らが実際に実業で何をしているかを見ると、かなりのスキルを持って目の付け所も大したもんだし、「決断の速さ」「実行力」「仲間を作るうまさ」は卓越したものがあるのがわかる。
そしてその中心にあるのは「周りに気を配ってその場を繕う」のではなくて【正反対で本音をぶつけて生きている】ってこと。これは「本音で生きたい」と思いつつ、結局はそれが出来なかった私との大きな違いだと思う。
そんな風に今の世の中の見方が変わってくると、注目すべき人たちも多くいるのがわかってきて、それはメディアの露出が多いとか、評判が良いとか、そういうのとは全く違う。でもこれまたネットの良さで、そういう人たちにスポットライトを当てるユーチューブ番組が出てきたし(たとえばリハック)、またそういう人たちがネットを通してつながって、グループとして活動を始めたという「本当に面白い時代に入った」と思うし、「やる気のある若者はあつまれ!」と号令も掛けているのは【新時代が来た】と思っています。
それは「本音で生きる時代」の到来のように感じるんですよ。「格好つけてんじゃね~よ」みたいな。
本音で生きたいと思っても、それができる場所、できない場所があって、例えばこういうブログも「本音を書いてはならない場所」「当たり障りのないことを書くべき」だと私は思うし、それは小さな閉鎖的な空間の存在でしかないにしても「ありとあらゆる人たちが見る」わけで、それはある意味「テレビと同じ」でちょっとでも角が立つことを書けば必ず叩かれる世界。
これはブログで知り合った人たちとプライベートに意見交換をするようになっても同じで、「常に気を使ってその場を繕うような話し方」をしないとそういう人との関係も簡単に壊れるのは何度か体験してきました。ちょっとでも「強い語気で本音をメールを書く」と、それが付き合いの終わりを意味する。でもま、私はそれで良いと思っていて、どうでも良い世間話をするのならまだしも、例えばややこしい話になるのはわかりきっているトレードや投資に関して「お互いに学ぼう」と思うのなら、「意見のぶつかり合い」があって然るべき出し「喧嘩のようになる」こともあるし、【それを乗り越えたところに大事なものがある】ことが理解できないとすれば、続ける価値もない付き合いかもね。
つまり全ての人付き合いが「道ですれ違った知人とニコニコしながら挨拶と世間話をする」程度でしかなくて、真剣にどっぷりと本音で話を深堀りするということが非常に少ない状態。
だから情報交換というのは「クローズドの世界」で、参加者は選ぶべきで、それも「参加者はその中の決まり事を守る」というのが必要なんだろうと思う。当然、「耳障りの良い話の羅列」なんて無い方が良いし、でもそういう場が本当に続くのかは私にはわからない。当然、「割れる」こともあって「賛成派と反対派でぶつかり合う」だろうし、【分裂するのも良し】だけれど、私はそれさえも古い考え方だと思っていて、現代は【徹底的にやり合うことの後に絆ができる】のを最近の若者はもう気がついているように思える。当然、絆は出来ず「敵ができる」のは受け容れる。
この動画を見ていて、そんなことを感じました。
私はこの箕輪厚介氏はどうも好きなタイプじゃないけれど、彼も時代の寵児なのは間違いがなくて、彼は「幻冬舎の編集」をしていることもあって、「時代の流れを見ている」し、また【時代の寵児をつなげる】こともやっていて、やっぱり無視できない存在だと最近は思うし、彼が見る「世界の流れ」は非常に参考になると思う。
この動画は本当に参考になったし、彼が話す内容を私は気がつくこと無く、ず~~~っと生きてきた。
ZOZOの創設者である「前澤友作氏」って私にしてみると「わけのわからない変なやつ」でしかなくて、彼の良さなんてまるで感じない。でもそれはやっぱり「表面的なもの」でしかなくて、こんな動画を見ると「へ~~~~、なるほどねぇ」なんて思うようになった。
この動画も考えさせることが多くあった。そして「自分は凡人でしか無い」のがよく分かる。(笑)
やっぱり「時代は本音の時代」で、「本音を大事にするからより深く進めるのだろうし、仕事もできる」のだろうと思う。そういう意味で「私は本音を出しているようで出して生きてこなかった」と痛感しています。結局、体裁を繕って、一番の問題はそれは「自分に対してもそう」で深堀りすること無く「適当なところで逃げていた人生」だと思う。それじゃ「学びはない」し「仕事も良くなることはない」のは当たり前だと思う。
私はどんな分野でも「ノウハウを知る」のには一生懸命だったし、読む書籍も「ノウハウ本」ばかり。でもそのもっと【奥にあるもの】には気が付かなかった。
「本音で生きる」というのは「どう思われても構わない」という【覚悟】が必要なのはわかっているけれど、じゃぁとことん喧嘩もできるかと言うとそれはなくて、「途中で逃げる」のが私の性格。でも「相手を立てるのはそこそこできる」からセールスマンとしてならそれで良いというだけのこと。そういう意味で「武術を習う」のも重要だと思っていて、それはボクシングなどのスポーツも同じで「覚悟がない人間は絶対に勝てない」ですもんね。やっぱり私は「本物の修羅場を経験していない」んだろうなと思う。
やっぱり「嫌なことから逃げること」しかやってこなかった人生で、「そういう薄っぺらい人間なのがバレる」のが怖かったんだろうと思う。そんな状態で「夢を語る」なんて笑い話ですよね。実績らしい実績が残せなかったのも当たり前。
今頃、気がついてもねぇ・・・ (笑)
人生のやり直しはもう出来ない歳になったけれど、「ちょっとした気づきで人生は変る」と思うし、その気づきがなかった私は本当に残念だと思う。「ノウハウだけじゃ生きられない」のね。
やっぱりネットの時代って凄くて、学びのチャンスは多いし、ありとあらゆる情報も簡単に手に入る様になったのは素晴らしいと思う。
若者、頑張れ!!
本音で生きろ!!




