本当にこの数年の「世界の変化」って凄いと思うし、そしてそれは「始まりに過ぎない」と感じています。
新しい世界がどこに行くのか、それはわからないにしても、【世界の構造の変化】【新しい価値観の台頭】をまず把握しないとならないわけで、それだけでも追いつくのが大変。
自分は今まで、自分が考える世の中の大きな変化にうまく合わせてきたと思うのだけれど、自分としてはそれぞれのポイントで「人生がガラッと変わる、かなり難しくて大きな決断だった」と思う。
スタート 「自分の力で生きることを決断」(学生で起業)
1 「日本脱出を決める」(37歳)
2 「オーストラリアの永住権を取り、移住」(38歳)
3 「日本円を捨てオーストラリアドル中心に変更」
4 「事業をやめて【投機】の世界で生きることを決定」
5 「債券投資という生活の基盤を作る」
6 「税金等からの制約を逃れるためマレーシアに移る」
7 「オーストラリアドルを捨て米ドルに軸足を置く」
8 そして10年、何の変化もない。これって非常にうまくないと思うんですよ。
自分を取り巻く環境の変化に合わせて自分も変わってきたわけですが、やっぱり「完成形」「終わり」ってないのね。
そして今、改めて「日本の戦後から日本の、世界の構造、力関係、新たな技術、新たな価値観」の変遷を俯瞰してみると、やっぱり今は「新たな時代の入口にある」と感じるんですよ。
そしてまた「自分も変わる必要がある」と思う。
ただ「自分自身の能力」も変化してきたわけで、今は「間違いなく衰退の段階に入っている」のを強く感じる。
この「自分の衰え」を無視して、「新たな時代の変化を読み、自分も変わる決断が出来るのか」、また「決断してもよいのか」がわからない。
人は「学ぶ時期」「視野を広める時期」「伸びる時期」「守る時期」が繰り返し波のように続くけれど、それは「企業」も「国」も「世界」も同じだと思うし、でもそれを動かす「人」は新陳代謝が常にあるし、それが重要で、その新陳代謝がなければ波に乗れないことが必ず起きる。だから「古い人間は去る」のが当たり前。
ま、それが「定年退職」でもあるわけだけれど、「個人」で考えればそれは無くて、私の人生において私は常に主役なのは変わらない。
でも正直なところ、もう「大きなことは決められない」「決める判断力もない」のを実感としてわかるんですよ。そんな状態で「決定権を持つ」って非常に危ういと思う。
本来なら「引退」して、全ては子どもたちに委ねるのが良いのだけれど、二人の息子達は30代後半だけれどまだ「発展途上国」みたいなもので、任せられない。
ま、年寄りは常に「若いものにはまだ任せられない」と考えるのが普通だとしても、我が家の場合は、息子たちは明らかに経験も知識も不足しているのは明白で、実績らしい実績もないわけで、「これからは頼むね」なんて言える状態ではない。
困りましたねぇ。
でも「任せる」ことを選ぶべきなのか。なことを考えているうちに「強制終了の時」が来るんでしょう。
これからは今まで私が経験したこともない「大きな変化が来る」はずで、その中でどう生き抜くのかは「息子たちの問題」なのだから、やっぱり「彼らが決めること」でしかないのかもね。
この動画を見ながらそんなことを考えていた。








