最近の世界を見ていると、「カオス」と言って良いくらい古い私には理解できないことが多い。
「投資+トレード」をしないと生きていけない我が家としては、勤め人が「自分の会社、業界、世界的変化」が気になるのと同じで、そこで思うことは【毎日、決まったことを一生懸命やっていればどうにかなる時代は終わった】という点。
最近の私はかなり混乱していて、全く将来が見えないし、それは「現状をまず理解できていない」ということだと思う。
今までは「大雑把な世界的な変化」を見ていればわかったことでも、最近は「世界の何の変化を見るか」によって、まるで違うものが見えてくるのね。
まさに「株式市場」がそれで、昔から「株式市場は景気の先取り」と言われてきたけれど、では「景気はどうなっているのか」を見ると、セクターによっててんでバラバラで、それを今までは「格差だとは思わなかった」けれど、【格差が存在する】のをはっきり意識しないと全く駄目になったと思う。
ま、当たり前と言えば当たり前なんだけれど、例えば「景気動向」を考える場合、「国民の消費動向」は重要で、また【労働】をきっちり見るべきで、私は特に「就業率、失業率が非常に重要」で、それが【国家の基本】だと思っていたわけです。これの変化によって「消費動向は変わる」し、それが国家全体の景気を変えていくと。
でも今は「それさえも関係ない」感じが非常に強い。「伸びる企業、人はどんどん伸びる」し、「伸びない企業、人はどんどん淘汰されていくだけ」。
つまり私が今まで一番重視していた「国民の消費動向」の重要度が変わったように思うのね。「インフレになれば困る人が増える」のは間違いないだろうけれど、「インフレをアウトパフォームして大きくなるグループ」の総力が強くなれば問題はないというのも間違いではないはず。
世界ではあらゆる分野で【分断】が言われていて、そこに【格差】があってそれは益々大きくなって、民主主義の世界ではそれでは「国家が成り立たない」と思うし、5000年の歴史と言われる中国でも何度と無く国が入れ替わったのは、【民衆の力】だと私は思っていて、【民衆を無視した国家は成り立たない】のが真理だと思っていたんですよ。
でもそこにも「変化が起きている」のを感じるわけで、最近、頭に浮かぶのは「18世紀後半に起きた産業革命」で、【蒸気機関の登場で世界の産業は大変化した】のはわかるけれど、では「民衆はどう変化したのか」が気になるわけです。
「イギリスの食事は美味しくない」と言われるけれど、それも「産業革命と大きな関係がある」そうで、どんどん広がり大きくなる「新たな産業を支える労働力」が必要になり、そのとんでもない数の労働者を支える「食」が「早く、簡単に、安く、大量に供給できることが最優先された」らしい。
これは私も理解できるところがあって、日本の昔の飲食業なんて「ブラック」なのは当たり前で、「1時間の昼休みも無い」なんてのは普通で、「食事は立ったままで10分以内に終わらす」様な世界だった。これって産業革命後のイギリスも同じだろうと思うわけで、「動き続ける機械に人間が合わす」のは当たり前だったはず。
それが「社会の常識」になれば「食文化」なんて一気に崩壊するんじゃないですかね。「美味しい食事」なんて【支配層の特権】でしかないし、そもそもイギリスって産業革命前から【格差は非常に大きく、下層階級の悲惨さは半端じゃなかった】のはユーチューブ動画でもいろいろ紹介されていけれど、【嘘だろ?】と私は思ったくらい。
産業革命で「支配層は莫大な利益を生んだ」のは間違いがなくて、「安定した仕事らしい仕事もなかった下層階級を救った面もある」のだろうけれど、【分断】【格差】は今でも引きずっていると思う。つまり「勝ち組の総力が大きい」となれば、「負け組は無視される」のが世界の道理なんだろうと思う。
世界を見るとそういう歴史と現在を持つ国は多いけれど、私は日本人として生まれ育ち、そういう「分断、大きな格差」って知らないと言っても良いくらい【日本は良い国だった】と思うのね。まさに「一億、総中流時代」もあり、「ジャパンアズナンバーワン」と言われた時もあり、【真面目に一生懸命働けばどうにかなる】という世界的には非常に珍しい「理想の国家」だったのかもしれない。
そんな日本に育った私が海外、特に東南アジアに行って驚いたのは、【自分は金持ちの部類】だってこと。当時、私は20代で稼ぐのにあくせくしている普通の青年だったのだけれど、台湾、香港は仕事で良く行ったし、韓国、シンガポールもフィリピンもまだまだ発展途上国そのもので物価はめちゃくちゃ安いし、ローカルの自分と同じ様な年代の若者と比べたら、【豪族と貧農】みたいな差を感じた。
世界って怖いと思いましたよ。私は日本に生まれ育って普通に教育を受けて普通に働いているだけなのに、彼らから見れば「とんでもなく眩しい存在」に見えたはず。日本に生まれ育っただけで「金持ちだった」んですから。なおかつ戦争もない平和な国。
その点、忘れられないのが「中国」で、中国に日本人が旅行で入れるようになったのは確か2000年代だと思うのだけれど、私は1970年代に中国に行った。これは「マカオから陸路で中山県(現・中山市)へ【孫文の生まれ故郷を訪ねる】」という、今、調べてみると「マカオと中山県は繋がりが深く特例的なツアーがあった」のね。
あの当時の中国、それも中山市という地方都市の貧しさって半端じゃなくて、それこそ道路は「自転車に乗る人達」で埋め尽くされていて、日本で言えば銀座4丁目の三越がある交差点で「ツアーバスを待つ間」にデパートに入って驚いた。ショーケースは置いてあるのだけれどホコリが被っていて、中には商品が2つ3つだけとか。またその交差点に立っているとなんだか臭いのね。なんだろうと思って周りを見てみたら、なんと「戸板に猫の皮を剥がして打ち付けて干してあった」んですよ。日本で言う銀座4丁目の交差点ですよ。
1970年代ってまだこういう時代。
1970年代って、毛沢東による「文化大革命」の混乱から、鄧小平の指導による「改革開放」へと向かった激動の転換期で、まだまだ文化大革命の後遺症が根深くあった時代。あの時代って本当に酷くて2000万人が死んだ(殺された)と言われ、紅衛兵に「反革命勢力」の批判や打倒を扇動し、実権派や、その支持者と見なされた中国共産党の幹部、知識人、旧地主の子孫など、反革命分子と定義された層はすべて熱狂した紅衛兵の攻撃と迫害の対象となり、組織的・暴力的な吊るし上げが中国全土で横行した。
私はこの時代に「良き中国の伝統・モラル・常識が崩壊した」と思っています。
「中国人の民度の低さ」を言う人が多いけれど、私としては私と同じ世代はあの「文化大革命」を生きた人達で、宗教は弾圧され「生きる規範は毛沢東語録」なわけで、「善悪の基本さえ無かった」に等しいと思う。とにかく地方都市は酷くて、貧しさは半端じゃないし、共産党の弾圧は徹底的だし、親子友人でも「密告システム」があり、あんな最悪の時代を生きた私と同年代の中国人が「まともな方がおかしい」と思うのね。ましてや今の中年はそういう人達に育てられたわけで、「世界の常識」「ルール」「モラル」を言っても通じるはずがない。
でも北京や上海、そして(生き残った)知識層は間違いなくいるにしても、中国の歴史を見れば、ホンのちょっと前までは「別世界」「別次元」だったと思う。だからこそ「今の中国の発展」は多くの中国人に「選ばれし民族」という思いを作り上げたはずで、それは「中華思想」とマッチして、私達の常識をバカにする、無視するのも私には理解できる。
でも中国の「格差」は深刻で、それは「分断」でもあって、私はそれは「中国が抱える時限爆弾」の様に思う。
つまり、何が言いたいかと言うと、世界は「分断と格差」の歴史であって、それをどうにか埋めようという努力を各国がしてきたにしても、また「混乱の時代に突入した」と私には見えるわけです。だから「実態を知りたい」と思っても【見る場所によってまるで違うものが見えてくる】のね。
そして日本では「分断と格差のある世界は異常である」と考えるけれど、あるいは世界の理想論者もそう考えるだろうけれど、「世界の現実とは分断と格差である」のは間違いないと思う。
実は、私が応援する高市政権にしても、なんだか最近、今までとは違う見え方がしていて、「言っていることは理想論」「やっていることは金持ち優遇」に思えるわけです。ま、「金持ち優遇」に関しては簡単に否定できないところがあって、「金持ちの伸びる芽を摘む」ことをしたら一気に日本は衰退するのは目に見えていて、私は「経団連のいうことを聞くのはおかしい」とは思うものの、経済を牽引する原動力を伸ばさないとならないのは当たり前のことで、「社会保障ばかり増やせば国は潰れる」わけで、「自助努力」を広めるしかないのはわかる。
そういう意味での「新NISAは良いきっかけ作り」だと思うけれど、制度を変えても「きっちりした教育なりサポートがない」としたら、「格差をより広げることになる」と思う。
結局、国も企業もどんな産業、セクターも、そして国民も「それぞれがどう伸びるか、生き残るか」を真剣に考えないとならないはずで、また当然、それは「企業格差」「個人格差」として出てくるし、それを【受け入れるしか無い】という非情な世界なんだろうと思う。
私の欠点として、「全体を見すぎる傾向がある」のは気がついていて、それは「実業界にいないから」だろうとも思っていて、身の回りに切羽詰まった解決すべき問題がないからかもしれない。
でも本当に問題はないのかといえば、やっぱりいくらでもあるわけで、私はそういう意味で「自分が関係することにもっと意識を集中すべき」だと最近、思うんですよ。
私が日本の、世界の将来を憂いても何も起こらない。「運を天に任せる人達」に何を言っても届かない。
参考動画。「世界の構造が変わりつつある」。でも私達がもっと気にするべきことは「国民の構造も同じ様に変わりつつある」ということじゃないかと。つまり私達日本人が大事にしてきた「真面目に一生懸命に働けばどうにかなる」という時代も終わったと私は思う。