私の本音

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これからどこで住みたいかという私の本音ですが、それは日本です。ゴールドコーストは良いところだと思うし、子供達もオーストラリアの大学へ通っていますし、将来的にもオーストラリアと縁が切れるとは考えていませんし、これからマレーシアへ渡ろうとも考えていますが、私の本当に住みたい場所は日本なんです。

このブログを読んでる方は気がついてると思いますが、私は自分でも自覚があるほどの変人で、若い頃から日本では自分は異端児であると感じて生きていました。というのは実は謙遜で、私から言うと私が普通でみんながおかしいとしか思わないのですが、どちらにしても日本では息苦しさを子供の頃から感じて生きて来ました。疎外感や孤独感を常に持っていました。

話は毎度のようにずれます。秋葉原で無差別殺人がありましたが、あの犯人の加藤某ですが、実は彼が何を感じて生きていたのかが私にはわかるような気がします。やったことは当然許されることではありませんし、彼の選んだ選択がどうしてそうなるのかは私には理解の外ですが、彼が感じていたことの根本的な部分はわかるのです。世の中の人は、甘い!の一言で片付けるのだと思いますし、きっとそうだと思います。ただ、私にはああいう、ある意味心に障害を持っている人間をそのように切り捨てようとする日本の冷たさが何よりも我慢できないんです。

私は心にトラウマを持っていますが、日本にはそういうものを認める風潮がなく、それを個人の努力の無さ、甘さで片付けようとする。確かにそれはそうで、誰よりも自分がそれをわかっているんですね。そうして回りにもそれを言われ、自分はどんどん落ち込んで、内向的になっていく。

加藤某が面白いことを言っていました。自分がやったことを知人が知って、みんなはまさかあいつがそんなことをするとは思わなかったというだろうと言うんです。そして、ああ、あいつならやりそうだな、という知人がいたとしたら、きっとその人が唯一の自分の理解者かも知れないと。まぁ、普通の人に言わせればバカな話だと思うのですが、彼がどれだけ孤独で心を開く友人がまるでいなかったか、その話から想像できました。

自分が心を開かなければ相手も心を開かない。心を開く友人さえいなかったというのは他人のせいじゃなくて、加藤がやっぱり悪いと私の知り合いはほとんどみんな同じ事を言います。きっとそれが正しいのでしょう。でも私にはその日本人が当たり前に考えるそれに冷たさしか感じないんです。

誰しも孤立しないように、心が通じる友人を持とうと努力する。その為に、自分を変えることさえもする。そうすることによって自分が回りからはじき出されないようになって、回りと同化して安心感を覚える。そしてそうやって日本人的な金太郎飴が出来ていく。過去の自分に似たような人間がいると、バカだなあいつはと言いながら、皆で一緒になってその人間を排斥する。これが私がいつも感じる日本の村社会です。

当然、物事には許容範囲というのがあって、なんでもかんでもOKなわけはないけれど、日本の場合はその許容範囲が非常に狭いと私には思えるんです。異質なものを、ニコニコしながら排斥する。近寄らないように距離を置く。ちょっとでも問題が表面化したら、突然、皆でよってたかって叩く。学校内で起こるイジメですが、私は日本人が持っている根本的な習性であるとさえ思っています。根っこは同じだと思います。

回りと同じ事を考え、同じ行動を取ることによって自分は回りと同化し、同じ世界で生きることが許される。しかし、これが出来ない人間もいるんですね。加藤某がそうだったと思いますし、私もそうでした。

ただ私は加藤ほどに追い込まれることはありませんでした。その理由は、まず私の回りに私の理解者がいたこと。それは母でした。どんなことがあっても母だけは私の味方であり、唯一の理解者だと信じてきましたし、そうでした。加藤が言った一言を思い出します。もし誰か一人殺して良いとしたら、それは母だと。そしてもう一人殺して良いとしたら、それは父であると。それを聞いて、なんと不幸な男であったのかと思いました。たった一人でも自分の理解者がいれば、それが親であろうと兄弟であろうと友人であろうと、そのたった一人さえいれば、その一人のために自分は生きることができるんですね。一般的に言うとその有力候補である母や父こそが憎む対象であったのは悲しいことだと思いました。

これも彼のわがままだと片付ける人が世の中には多いのでしょう。それはその通りでしょう。でも、愛は与えるもので、欲する物ではないなんて偉そうなことは言わないで欲しい。身体に障害がある人が早く走れないのと同じように、心に障害がって人間関係をうまく構築できない人はいくらでもいるんですね。世の中の人って、身体の障害は見えるからそれを認めるけれど、心の障害は認めない傾向があると思います。鬱病の人に、頑張れという言葉は禁句だと言います。頑張れないから鬱になるんですね。勉強の出来ない子に勉強しろと言うのと同じ。これは相手のことを思っているようで、実は相手のことはまるで考えていない言葉だと思います。私は日本にこういう上辺だけの思いやりを多く感じます。

日本人は「甘い!」という言葉を良く使いますが、この言葉の裏にある意味を考えて欲しい。「私はそうは生きてこなかった」というのがあるでしょ?これって自慢話です。あるいは「世の中の人はもっと苦労してる」という意味。これに説得力があると思います?どうして他と比べるんでしょうか。お前が貧乏してるのは、お前がブス、お前がデブなのは努力も苦労していないからだと言われたら腹が立つでしょう?それと一緒じゃないですか。説得力なんかない。

加藤は可哀想な男だと私は思います。そして犠牲になった人はもっと可哀想。

普通あの手の内向的な人間は、回りに責められるのと同じように、いやそれ以上に自分を責めて、最終的には自ら命を絶つことを選ぶ傾向があると思いますが、彼は違う道を選んだ。他人に迷惑をかけず、そういうやつらは勝手に自殺すればいいというのが日本的考え方だと私は思うのだけれど、それこそが彼をあそこまで追い込んだ彼の環境だったと私には思えます。

そんなことで私はあの殺人者加藤に自分と似ている部分を見つけてしまうのだけれど、私の場合には母という理解者もいたし、少なからず親友と呼べる友人がいたのが救いだったと思います。それと同時に、私は自分を演じることを覚えました。本音を隠し、回りと同調することを覚えました。そして、そのように生きるのが当たり前だと思っていました。そしてその演技は自分が思った以上にうまく行って、今書いているような本音を言うと、ウソーーーーーーーーーーっていう友人ばかりです。

それでも自分の孤独感、疎外感というのを異常なほどに強く持ったまま青春時代を送ったのですが、18歳のそんな時に私はグアムを知りました。たった2週間のグアム大学での勉強でしたが、そこで知り合った現地人と一気に親しくなり、暖かく迎え入れてもらいました。それから何度となくグアムを訪れることになるのですが、グアムは別世界だと思いましたわ。どうして見ず知らずの日本人の若者をここまで愛してくれるのかと、何度も驚きましたし、そんなはずはなかろうと何度も彼らを疑いもしました。でも、一年に何度もグアムを行き来し、そして数年後にはグアムへ渡り仕事も始めてしまい、グアムとは半端じゃない付き合いができましたが、やっぱり彼らが私に向けた愛は本物だという結論です。自分が自分のままでいられる安堵感、それがどれほど気持ちの良い物か、私はグアムで知ることができました。

孤独とは多くの人の中で感じるもので、孤島でたった一人だから感じるものではないと痛感したのもその時期でした。愛し愛される人がいれば、孤島でたった一人だとしても孤独ではないと思いました。後年、オーストラリアへ渡りましたが、オーストラリア人にもグアムと似たようなものを感じました。親身になるということはどういうことなのか。それを教えられたような気がします。自分が主体じゃないんですね。あくまで相手が主体。オーストラリアでは日本では感じない愛をいっぱい感じながら生きることができました。

現実的には、自分がちょっと変わっているというのは悩むことではなくて、有利な事なのだとある時気がつきました。それは仕事でも同じで、営業の企画畑で長い間生きてきましたが、変人なるがゆえの企画の面白さが意表をついて結構大当たりしました。ですから、自分が欠点だと長年思っていたこと、自分が持っているトラウマでさえも、それがあるがゆえに今の幸せな自分があるんだろうと思っています。

まぁ、毎度のことで話が長くなりましたが、そんなこんなで日本は私にとっては金太郎飴がいっぱいいて、排他的で、そとづらだけが良い偽善者が多い国なんですが、やっぱり私はその日本が好きなんです。そんな日本で住みたい。これが私の本音。

ですから、近い将来私は日本へ帰ります。ただその前にやらないとならないことがあるので、マレーシアへ数年渡ろうと考えているわけです。今の私に言わせると、海外は行きたい時に行きたい場所に行けばいいだけのこと。

実際に日本に住んだらどう感じるかはわかりませんが・・・・・・

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