お金を使うと収入も減る ?

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嬉しい秘密コメントを頂戴しました。

お金を使うと、そこから入る収入がなくなるので、つまり給料が減るのと同じ事だと書きましたが、秘密コメントをくれた方はそういう事を考えた事がなかったそうです。で、一つ良い事を憶えた、有り難うというコメントでした。

こんなおバカなブログからでも、たった一人の方がたったひとつの何かのひらめきを得るチャンスがあれば、私はそれだけでこのブログの存在価値があると思っています。こちらこそ嬉しいです。どうも有り難うございました。

ということで、また一つネタが出ましたので、お金の事に関して書かせてもらいます。

私はかなりケチなやつだとこのブログをお読みの方はお思いでしょうが、実は私はかなり酷い浪費家だったんですよ。めちゃくちゃな青春時代と言っても良いくらいです。

20代の頃はかなりの遊び好きで、年収の倍以上するポルシェを買っては乗り回し、日が暮れれば赤坂六本木、たまには銀座で遊ぶような遊び人でした。その分、仕事も一生懸命やりましたが、遊ぶ方が一生懸命でした。というか、遊ぶために仕事をすると言う感じ。もしかしたらこれは今でもそうかもしれませんが、当時は本当にめちゃくちゃで、飲みに行くにも自腹ですから、毎月10日近くになると金策ばかりしていました。稼いでも稼いでも、クレジットカードの支払額の方が多いなんてこともありまして、本当にめちゃくちゃでした。

そんな頃ですかね。アメリカンエクスプレスのカードを取り上げられたのも。はい、支払いが何度かずれこんだ経験がありました。何度も何度も電話で頭を下げましたが、許してもらえず、もう一生涯二度とアメックスは使ってやらないぞーー、なんて思いましたっけ。というか向こうから願い下げだったろうと思いますが。

でも、お金の支払いに追いかけ回されるから一生懸命に働くという部分も間違いなくあって、まぁ、あれはあれで良い経験だったと思います。

でも、そんな私に見かねた叔父が私をある日呼びつけたんですわ。で、お説教。その叔父は中学しか出ていなかったのですが、やり手でどんどん仕事を大きくして、まだ当時40代で日本人の平均的な生涯所得の何十倍もの資産を持っていた人。

叔父 「お前は今どのくらいの資産を持ってるんだ?」
私  「資産って・・・。貯金ならほぼゼロですが・・」
叔父 「金が欲しいか?」
私  「はい」
叔父 「じゃぁ、例えば、喉が渇いているとする。でも水がない。蛇口からポタリポタリと水滴が落ちていたら、お前ならどうする?」
私  「コップか茶碗を持ってきて、その水滴を溜めて飲みます。」
叔父  「バカ野郎。そういう当たり前の発想しか出来ないから、お前はいつになっても金が貯まらないんだ。」
私  「・・・・・・・」
叔父  「いいか?その水をコップで受けて、時間がたつとコップにも水が一杯になるだろう。そしてそのうち、そのコップから水が溢れ落ちるようになる。お前はその溢れた水を飲むようにしないと駄目なんだ。わかったか!」
私  「はい・・・」

まぁ、こんな会話だったのですが、この時のことを忘れられません。理屈っぽい私としては、コップから溢れた水を飲むなら、蛇口から落ちる水滴と同じ事だから、コップで溜めて飲むんでも同じ事だ、ぐらいにしか思っていませんでした。でも、その溜まるまで待つことができるかどうかってのがポイントだいうことでしょうが、そんなのは話だけで実際に出来るわけもないと思いましたし、叔父の真意を理解するにはまだ10年掛かりましたっけ。

その叔父ももう10年以上前でしょうか、最終的に仕事で失敗し、全ての財産を失い、今は残念ながら行方知れずになってしまいました。母の弟なのですが、昔から貧しかった母の兄弟姉妹や両親の面倒を一人で背負って頑張っていた叔父ですが、今では連絡さえ取れません。生きているのかどうかもわからず。

私は商家の生まれで、家は商売をしていました。で、今でも私は母を誰よりも尊敬しているのですが、子供の頃から母は私に商人としての基本をことある毎に教えてくれました。

今でもその時の光景まで覚えている事があります。かなり小さな頃ですが、母と一緒に風呂に入っている時です。湯船の向こう側とこちら側と向かい合って浸かっていたのですが、母が私にお湯を集めてみろっていうんですよ。

私は小さい腕で目一杯風呂の中のお湯を自分の方にたぐり寄せました。するとお湯はすすーーっと母の方に移動するんですね。で、母が言いました。今度はお湯をあたしの方に押し出して見ろと。私がお湯を母の方に押すと、お湯は回り回って私の方に集まってきた。

母は言いました。お金はこのお湯と同じだと。お金は絶対に握りしめたり集めようとしても駄目で、お金が欲しいのなら、逆に外に押し出せと。そうすれば必ず回り回って自分に戻ってくるものだ。逆に集めようと思えば思うほど出て行く。と教えてくれました。

また、格言みたいに、「男のお金は女の美貌」「金がない男は首がないのと同じ」そんなことも常に言われて、金に対する執着心を煽ると言っては変ですが、お金を稼ぐ事の重要性を常に言ってました。まぁ、この辺は商人の子育てとしては普通の事だと思っています。また、今でも私の心に強く残っている言葉ですが、

「優しさとは言葉ではない。それは力だ。困ってる人を助けるには言葉では駄目。男なら黙ってお金を渡せるようになりなさい。」

ま、そんなことを常日頃言われて育ったわけです。これってお金は大事だけれど、集めるな。使えという風にも取れるわけで、バカな私は非常に金っぱなれの良い青年になっていきました。まぁ、江戸っ子というのもあるのでしょうが、いわゆる宵越しの金は持たない。食いねぇ、食いねぇ、寿司食いねぇ、の世界でもあったかもしれません。本当にバカな男でした。

それと、もう一つ母が言っていた言葉で、「稼ぐに追いつく貧乏無し」というのがあります。稼いでいれば絶対に貧乏にならない、頑張って働けと言う意味なのでしょうが、私としては浪費をしてもどうにかなるという風に、自分に都合が良いように取っていた部分もあります。

まぁ、使いまくりました。でも足りない。じゃぁ、頑張って儲けよう。でも足りない。じゃぁ、もっと頑張ろう。うう、まだ足りない。

ま、そんな青春時代でした。でもどういうわけか、30過ぎてから結婚したのですが、結婚を機会に、ピタリと遊び癖が止まったのです。誰に何を言われたわけでもなく、もう飽きちゃったって感じでしょうか。まして子供が出来てからは、私の興味の対象は子供しかなくなったぐらいです。

で、この頃に一つ憶えました。お金って使わないと貯まるってこと。お金は使うと無くなる。この当たり前の事の真意がわかったのが30代ですかねぇ。母はお金の有り難さとか大事さ、そしてどう儲けるべきかは子供の頃から私に教えていましたが、今思い出しても、どう貯めるかってのはとうとう教えてくれませんでした。

逆に、今想像するに、貯める事を最初に憶えさせると、本当のケチ、守銭奴になると考えていたのかも知れません。

まぁ、それから私も大人としていろいろ経験を積んで、そしていつかオーストラリアに渡り、そしてまた次の世代に仕事を譲る歳になってきたわけですが、今日の最初のテーマである、お金を使うと収入が減るというのがわかったのも実は最近なんですよ。50過ぎてから。それまではコスト計算の中にキャリングコストとでも言うのでしょうか。それをちゃんと計算しながら使うと言う事をしたことがありませんでした。投資をしたらどのくらいのリターンがあるかというのは昔からかなり神経質に考えていましたが、お金を使った場合、収入が減るという発想は実は私は持っていなかったのです。お金を使えばキャッシュフローが減る。ただそれだけでした。

まぁ、考えてみれば、資産が減ればそこから産まれる収入が減るなんて当たり前のことですし、経理をやっていた人なら当然の事として理解しているはずですよね。私も実は商学部出なんですが、感覚として、お金を使う事が収入が減る事と一緒だとは感じませんでした。

まぁ、私はオーストラリアに来てから、商社みたいな仕事、電話関係、中古車の輸入販売とかいろいろやっていましたが、その当時でもやっぱりキャリングコストを考えた事はありませんでした。でもそれらの仕事も止めて、金融だけで食べるようになってからですかね、やっぱり。金融で食べるというのはまさにお金が商品なわけで、お金を使うと言う事は、商品に手を出すというのと同じ事で、絶対に商人がやってはいけないことでもあるわけです。中古車販売もそうですが、自分で車を乗ってしまったら売る物がなくなるわけですからねぇ。まぁ、それも極端な言い方ですが、要はお金を使うと言う事は商材が減る事には間違いがないわけで、当然収入も減るわけで、それは数字としてすぐ目につくわけです。

ですから、今ではお金を使う、即ちそれは収入をも減らす事と同意語だと普通に考えています。

これが常に頭にあると、世の中がまるで違うように見えてくるんですね。ローンを使うにしても、ローンを使って良い物か駄目な物かというのも考えなくてもすぐわかるわけですね。借金も同じで、利益が期待できる物、キャピタルゲインが期待できるものだからこそローンが生きるわけで、消費財にローンを組むのは最悪で、それはお金を捨てるのと同じであるというのがすぐわかる。あるいは、利益こそ生まなくても、労力を削減できる物、あるいは他のコスト削減に寄与できるものならOKですが、いわゆる単なる消費財、趣向品はアウト。

アメリカの衰退もまさにそれだと思いませんか?なんでもかんでもキャッシュがなければ借金で平気で物を買うアメリカ人。そしてそれが出来やすいシステムを社会が構築した。ローンが簡単に借りられるのもそう。サブプライムもそう。リファイナンスでローンの組み替えも簡単にして、ローンがそろそろ終わりそうなのにまた借金を増やさせる。アメリカってブロイラーの食鶏工場を作るがごとく、カモにもっともっと食べさせて太らせるシステムを構築してきたんですね。これがアメリカが世界一のGNPである正体でしょ?ただでさえカモなのに、そのカモが借金しまくるってことは常に誰かを儲けさせる為に生かされているのと同じ。

こんな所にアメリカの経済崩壊の一因があると思うし、私がいつも書いているように、消費者は最終的にババを引いてくれるババ抜き経済の一番重要な役目をしているわけで、消費者がそういうカモであるかぎり、社会経済は順調に伸びる。カモがカモであること気づき、カモである事をやめたら経済は崩壊する。でも逆に、どん欲なカモに食べられるだけ食べさせた結果、やっぱりそのシステムは破綻するということなんだと思っています。

あるいは、カモは常にカモじゃなくて、自分の仕事の中で売り側に回る事もあるわけで、世の中はより複雑化しているものの、カモが世界経済を支えているという原則は間違いないと思います。

でもこれはアメリカだけの話じゃなくて、世界がそうできてるって事ですよね。こういう話に興味のある方は、ユダヤ人の歴史とか、イルミナティってご存じですか?あるいは、そもそもお金は誰がどうして作ったのかとか、銀行の発祥はどういういきさつがあったのか、なんてことを調べると非常に興味深いと思います。我々は奴隷と全く変わらないと私はいつも思っているのですが、こういうシステムを誰かがちゃんとわかった上で意図的に作っていまの社会が出来ていると私は考えています。

そういえば、タイムシェアと言えばアメリカが中心ですが、販売されたタイムシェアの80%がローンだそうです。メチャクチャですよね。何も考えていないのと同じ。

自由でありたいと誰でも願うわけですが、時間や仕事、遊びだけじゃなくて、そういう経済の根源であるカモ養殖システムからも私は自由でありたいと思うんです。

まぁ、そういう話になるとロスチャイルドがどうじゃとか、フリーメーソンだとかわけのわからん話になるのでやめますが、とにかく、世の中で当たり前、常識だと言われる事って、そういう風に民衆が考えていた方がコントロールしやすいと喜ぶ人達が、民衆がそうであるように仕向けていると思うのです。だから、もしかしたら自分が非常識であるということが唯一、自由になれる初めの一歩かも知れないなんてことも思っています。

で、お金の話に戻りますが、夢を買うんだなんて平気で大きなお金を使う人がいるのに私はとまどいを感じます。売り側はまさに買い手がそう思うようにあの手この手を使うわけで、単にそれに乗るのは私は悔しいんです。今まで売り側であったこともありますから、売る方の手の内、本音もよくわかるわけです。でもそれを入手する事で本当に自分や家族、関係する人達が幸せになることもあるかもしれない。だったらそれを買うのも良いでしょう。でもどうせ買うなら、流通構造を考えて買う場所を探るとか、キャリングコストを考える癖をつけるとか、また、どういう買い方をしたらコストパフォーマンスが高くなるか考えてもいいんじゃないかと思うわけです。

でも私の回りを見渡しても、そういうことを考えながらお金を使う人はほとんどいないです。買うか買わないかは考えるけれど、どのように買うかと考える人は決して多くはない。

決して売り側が悪、利益を得るのが悪だと言ってるんじゃないんですよ。ただね、私が言いたいのは、ほんのちょっと頭を使うだけでもっと安く買う方法なんていくらでも見つかるんですね。売る方もそれを知ってて売るケースがいくらでもあるわけですよ。あそこに行けば半額で買えますよとは絶対に教えない。

逆を言うと、そんな程度の商売をしている売り側もたいしたことないわけで、私が売り側に回るとしたら、絶対に私から買う以上にお得に買う事は出来ません。と胸を張れる商売をしたいです。中途半端な付加価値をつけて高く売るなんてとんでもない話です。あるいは値段が高くても、絶対に他に負けない付加価値があることを自信を持って強調できる売り手でありたいですよね。これは売り手のプライドとして当然だと思います。

これもまた、私が小さい頃から母に植え付けられた商人としてのプライドだとも思っています。でも残念ながら現実的にはそんな仕事も商材も決して多くはない。私が実業から手を引いたのもそれが原因かもしれません。

いつか食べ物に関して、私は料理屋やレストランに行くのは、店と客の勝負だと書いた事がありますが、物品やサービス販売も全く同じだと思うわけです。売る方もプロ。買う方も買いのプロとして、たとえ末端消費者だとしても知識もプライドも持っていたいです。

今日のテーマのキャリングコストですが、たとえば我々が銀行に預金して、あるいは債権等を買って手に入れる利子利息、配当というのは、我々にすると利益ですが、それを私たちに渡す相手から見ると、単なる仕入れコストでしかないんですね。そしてそれが彼らのキャリングコストとなります。

ですから、本来我々もたとえ銀行に預金するにしても、キャリングコストを考えるべきですよね。でも残念ながら最終的な末端消費者の我々にはキャリングコストがない。でも考え方としてそれを持つのは必要だと思うわけです。例えば借金して債権を買ったとしたら、その借金に対する支払い金利は我々のキャリングコストになるわけですし、では借りた金じゃないにしても、キャリングコストがあると仮定するとか、あるいはインフレというキャッシュには最悪の強敵がいるわけですから、インフレ分をキャリングコストとして考えるだけで、投資もしっかり考えないと大変な事になるってことがわかるわけです。インフレ率を考慮しない投資がいかに馬鹿げているか、それを真剣に考えて投資をしている人って私の回りでは本当に少ないです。

3%、5%でも7%でもいいですが、それを得たとして、それを全部使ったらかならずインフレの目減りにやっつけられるわけでしょ?ですから、インフレ分は絶対に確保しなくてはならないし、それを上回る物が真の利益であるわけで、そういう意味でもキャリングコストの考え方って基本中の基本的な大事なことだと思うわけです。それを考えながら、自分が今やっている投資を見てみてください。ぞっとしません?外貨が良いからなんてそこらの銀行に外貨預金していてどうにかなると思います?また、銀行に有利ですからと奨められた金融商品とは、まさに銀行が儲けるための商品だとちゃんと気がついていますか?

自分が今持っているお金は借金した物であると仮定して考えたら面白いと思います。支払利息は銀行預金と同じだとしたらどうでしょう。やっぱり何か今までと違う事を考えないと駄目ですよね。

それと同じ事で、お金を使った場合、それによって入るはずの物が入らなくなるわけですから(借金なら金利を払う)、それをキャリングコストとして考えるのもごく当然だということになります。世の中の企業はどこでもそうしているのが普通なのに、個人レベルになるとまるでそれを考えないというのが私には不思議。

まぁ、いつもの通り、いつのまにやら話があっちこっちに飛んでわけがわからなくなりましたが、こんなことをいつも考えています。

生意気な事ばかり書いてすいません。

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