マレーシアに渡ろうが、ゴールドコーストに帰ってこようが最後は日本に帰らないと駄目だと考えています。
ちょっと他の日記のコメントにも書いたのですが、我が家のヨメさんが外国で一人で生きていけるとは思えないんです。これはゴールドコーストへ来てから私のやり方もまずかったと思うのですが、英語が得意でないヨメさんの代わりに私がすべてやってきました。
子どもの学校のこともそうで送り迎えはもちろん、学校での面談、会合にもヨメさんが出たことは一度も無し。家に知らない人が訪ねてきたら自分は出ない。電話が掛かってきて、相手が英語だと私に回すだけ。ヨメさんは銀行でのお金の出し入れさえ一度もしたことがないはず。小切手なんか見た事もないはず。カードを使うだけ。口座のお金が減ってくれば、お金がなくなるよーと言うだけ。郵便物も自らは一切目を通しません。彼女が一人で出来ることは買い物ぐらいでしょうか。自動車免許も最初は無くて、全て私が運転手をやっていました。子どもの送り迎えから日頃の買い物まで。
でも私が仕事を始めてからはどうしようもないので、嫌々免許は取ったという感じで、私がいるときには絶対に運転はしません。運転をしても近場だけ。知らないところ、高速道路は絶対に行かない、乗らない。
こんな風にしたのは私のせいでもあって、彼女にやらすより自分がやった方がはるかに早いし、間違いがないと思っていました。で、彼女も自分で覚えよう、やってみようというタイプじゃないのがこういう結果になったと思います。ただ、彼女はたまに言ってましたっけ。私は飼われているだけね、と。つまり彼女も自分でいろいろやろうという意志はあったのに私がそれを潰してきた可能性も大きいような気がします。でも今では私に全て頼りきり。あれして、これしてと私に言うだけ。自分でやろうとはしない。日本だったら女房がやるであろう対外的な事も私が全てやってます。
先日ヨメさんと話したんです。もし私が重病になったり寝たきりになったらゴールドコーストで生きていけないね、と。その時は任せてよというかと思ったら、その通り、無理ねという返事。じゃぁ、日本に帰るしかないじゃんと言えば、そういうことになるわねと。
もしかしたら、今のヨメさんならどうにかなるのかもしれないけれど、彼女とて歳も取るし呆けてきたときにどうやって海外で、言葉も不自由で一人で生きていくのか。それを考えただけでもゾッとします。私がいなくなれば代わりに誰かに頼らなければ生きていけない人。前は友達がいるから大丈夫、なんて言っていましたが、何かあったときならまだしも日頃の生活援助を頼むわけには行きませんものねぇ。問題は言葉じゃなくてやる気の問題なんですね。
観光客じゃないんだから、自分のお尻は自分で拭けないと駄目。近所の友達や他の日本人に助けてもらうのが前提なんてとんでもないと思ってます。
でも日本なら大丈夫だと思うんです。いや、日本じゃないとヨメさんは自分で生きていけない。私がいつか日本へ帰るといつも言うのは、実はそれが一番の原因です。
とりあえずマレーシアに行ったらあれもこれも全部ヨメさんにやらせてみようと思います。彼女はゴールドコーストが一番好きで日本にも帰りたくないと言っているんですが、それなら自分で何でも出来ないと駄目だろと言ってみるつもり。
ゴールドコーストなら出来るけれどマレーシアじゃ無理って言いそう。(笑)
うーーむ、でも最終的に独り身になっても日本へ帰ることなく、皆で集まってお互いに支えていこうというソサエティがあるかもしれない。ここゴールドコーストにはそういうのはありませんが、マレーシアのあのグループが考えているのはまさにそういうバックアップも含めて皆でやろうじゃないかということか。
そのグループ。泉SNS ←クリック
私としては死ぬときに、女房をよろしくお願いしますと回りに頭を下げながら死ぬのは嫌なのですが、それも考え方一つかな、みたいな気もしてきます。意地を張っているのかもしれませんが、自分で生きるという強い意志があったからこそ今までオーストラリアでやってこれたと思ってます。いや、日本でもそれは当たり前で、誰も助けてくれやしない。
これからどうなることやら。
とにかくこれから戸塚ヨットスクール並にヨメさんが独り立ちできるようにしごいてみます。(笑)