仲直りなんか今回は絶対にするか、と心に決めておりました。ってヨメさんのこと。
絶対に私から連絡はしないと決めておりましたが、あの日の後、三日後でしたか、敵から電話がありました。
「謝りなさいよ。」
「何をだよ。」
「あんな事をして謝らない気?」(何をしたかは秘密)
「お互い様だろ?」
「いいから謝りなさいよ。」
「ああ、悪かったな、ごめん。」(わざとしらじらしく)
「・・・・・・」
「お前は謝らないのか?」
「なんであたしが謝らないといけないのよ~~!」
「そもそも発端はお前が何が気に入らないのかふてくされて偉そうにハイヒールを履いたまま車のダッシュボードに足を乗せやがって・・・」
「それはあんたが先に3あg-09うぇふ4-9う4T~~!」
私はもうすぐ60。敵は当然50代でこれだもんね。毎度の話し。で、全てうやむや。発端は些細なことなんですよ。それはいつも同じ。でも絶対に自分は悪くないと言い張るあの態度が私にはもう許せない。常に悪いのは私になる。結婚して20数年、「はい」と「ごめんなさい」はもしかしたら聞いたことがないかもしれない。(しかし外面だけは抜群で他人には尽くすやつ)
ところが敵は誰それさんと焼肉を食べに行く約束はどうするんだとか、いつにするんだとか、子ども達がああじゃこうじゃと話題はいつもの生活の話になって、あの時の喧嘩はまたしてもうやむや。
でもこれがいいんだろうな、みたいな気がしますわ。白黒付けようじゃないかと話し合いになれば、お互い相手が悪いと信じていますから再び大喧嘩。あるいはもし冷静に話し合ったとしたら妥協案を見付けて、それを実行しないとならなくなる。その話の結果に拘束される。
でもうやむやにすれば何も無かったことになって、振り出しに戻る。我が家はいつもこれ。
でもそれが幸せなのかな。白黒つけなければならないような問題じゃないし、悩んで眠れないような問題があるわけでもない。小さな鬱憤が溜まりに溜まっているだけ。だから別れてやる!なんてお互いが騒いでも、頭に上った血が下がれば離婚するような内容じゃないってのはすぐわかる。
ま、子どもの喧嘩ですね。
そんな時に昔からの友人からこのブログに秘密コメントが入った。離婚しましたと。
ちょうど私が、離婚をしても得るものは一つで失う物は10以上あるというようなことを書いたあとです。その方は、私が離婚して失った物はたった一つだけ。それは亭主だと。
それを読んだときに、いかに我々がやってるのは子どもの喧嘩なのかと思い知らされました。その友人は本当に離婚しても当たり前の問題を長年持ち続けていてそして悩み続けていた。私たち夫婦の悩みとレベルが違う。その方の悩みを100とすれば我が家の問題は2か3でしかない。
なんでもそうだけれど、上を見たら切りがない、下を見ても切りがない。だから俺たち仲良くしようよ、じゃぁなくて、適当に喧嘩して憂さを晴らそうぜ、みたいな仲。それが我が家。
私の友人達の多くは我らが夫婦を見て、仲がいいねぇ、っていつも言います。これほど喧嘩する夫婦も珍しいと思うくらいいつも怒鳴り合っていますが、ウチはそこまで喧嘩したことないとも良く言われます。なんで?って聞いたら、言いたいけれどそこまで言ったら追い出されると。あるいは、言っても理解できるわけがないから言わないという夫婦もいる。喧嘩にならないそうだ。
「お前みたいなバカな女と結婚した俺がバカだった。」
「当たり前じゃん、バカと結婚する男はもっとバカよ。」
きっとこれを言いつつこのまま行くんだろうと思った。まるで落語の世界を地で行ってるような子どもみたいな夫婦。それともいつか何か起きるのだろうか。大丈夫そうで危ない、危なさそうで大丈夫な我が家。小さな雷管に火が着けば間違いなく大きく爆発するはず。
しかしあの離婚した友人。幸せになって欲しいなぁ・・・。