プロパガンダの応酬と偏見

これから書くことは特定の方の意見に対する反論ではなくて、最近感じている一般論として読んでいただきたい。

私が南京大虐殺のことを書いて、もしそれが無かったというなら参考になるURLを教えてくれと書いた。そしてそれに対して、ここを読んだらどうかというURLを頂戴した。これをここに出すのは問題ないと思うので出そうと思う。

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結論から先に書こうと思う。

南京大虐殺に関するこのサイトのオーナーの意見は枝葉末節に拘るのみで根本的なところを否定するまでの説得力は無いと思った。残念ながらこのサイトを読んでも「南京大虐殺」はあったと思う私の考えは変わらない。Aさんの言うこれとこれはウソ。Bさんのあれとあれはでっち上げ。Cさんの証拠写真は偽造写真。だから「南京大虐殺」はなかったという論法に私は乗れない。もし近年出てきた下級兵士達の日誌や証言を覆すことができるのなら、私も虐殺は無かったと判断すると思う。

ただ、これはこのサイトに関係なく言えることだけれど「南京大虐殺」とは何をさすのかという決めをせずに話しても議論にならない。これに関する私の日記を読んだ人には、私が言っている「南京大虐殺」とは南京陥落後の捕虜の虐殺であって、南京市街での戦闘時、あるいは陥落前後に日本軍が南京周辺で何をしたかではない。実は中国側が言っている「南京大虐殺」は私のいうのとはズレがあり、大量の捕虜の虐殺は「南京大虐殺」の一部分でしかない。これは私もわかっていたものの私に理解、判断できるのはその捕虜の大量虐殺のみであって、他のことは判断がしようがない、また私にとっては2万を超える大量の捕虜をどう集めたか、そして彼らに何をしたのかだけでそれを「南京大虐殺」と呼ぶのに充分であると考えているのはわかってもらえると思う。

でもその言い方が正しいのか一般的であるのかは別問題で、単に「南京大虐殺」という言葉でその他のこと全てをくくり、それがあったのかなかったのか判断することは私にはできない。またこの問題は大きくくくるべきではなくて、個別にそれぞれがあったのかなかったのか議論すべきであるというのが私の考え方。中国側が言うように、問題を大きくしてそれがあったのかなかったのかという話には乗ろうとも思わない。話を大きくくくるというのは一つのイメージ戦法であって、個別の話だと負けるときに良く使う論法。日本側としてはこの論法に乗ることはやめるべきだし、乗れば相手の思うつぼだと思う。

そこで話を「南京大虐殺」からちょっとはずしてもう少し大きな視野で見てみると、「南京大虐殺」以外にありとあらゆる事実、いや不明な物まで一緒にして日本攻撃にその事件を使う勢力があるのがわかるし、これはほとんど全ての日本人がもう何十年も前から辟易して、もう聞きたくもないと思っている内容なのは間違いがない。

そういう意味でご紹介いただいたサイトは有益であって、彼らの言うことをまともに信じるな、という点では私にも賛同できる部分は多い。

でもここに大きな問題があると思う。彼らという言葉で朝鮮人、中国人をまとめていること。そういうくくり方は絶対に間違いで、悪いのは個別の勢力であって、また個別の案件であって、それを主張する人が属するグループである民族全てを同罪にし、なおかつそのグループが言うことは全てウソであると話を拡大するのは絶対におかしい。ここだけは声を大にしたいと思う。

ただそういう風に考えてしまう傾向があるのは良く理解できる。巷で我々がする話の内容でも、男は女はとか、関西人関東人、若者年寄りとかグループ化してそのグループの傾向として個別の問題をそのグループの問題として取り上げてしまうのはよくあること。でも私はこれに関しては常に気になっていて、たとえ傾向があるのには間違いがないしろ、個別の問題をグループの問題まで拡大するべきではないと思う。

私が問題だと思うのはこの点であって「南京大虐殺」があろうがなかろうが、その他もろもろ、例えば今のある政党の代議士に朝鮮人が何十人いて朝鮮人に有利な政策をとっているとか言う話も含めて、だから朝鮮人という大きな括りでまとめて否定するのは絶対に間違いだと思う。

私のこのブログを読んでいる人は、私の思想は右傾しているのはわかるはず。それと共に、我々家族がこの20年、どのように人種偏見や差別と戦ってきたかもわかるはず。そしてあえて今書こうと思うのだけれど、オーストラリアの人種偏見の中で一番困ったのはオーストラリア人による差別ではなくて、オーストラリア在住の朝鮮人、中国人による差別であったこと。これは日本在住の人にはまず理解できないだろうと思う。日本では彼らはマイノリティであって日本人はマジョリティ。その中でも彼らは日本バッシングをする。では日本人もマイノリティの世界で彼らがどれほどのことをするのかは想像できるはず。ここで会ったが100年目みたいに彼らが張り切るのがわかると思うし、私たちはそういう中で今まで生きてきた(ってちょっと大げさ 笑)。

でも、私は思う。日本人として差別されるなんてことを日本では経験してこなかったけれど、海外に出て初めて差別され、差別に関して私たち家族が学んだことは、差別する人達が悪いのではなくて、悪者が一人でもいるとそれが属するグループをひとかたまりにして差別してしまう人間の愚かさがそこにあるということ。問題は差別そのものじゃなくて、グループ化して物事を判断するというところにあると思う。

人間の脳の話を聞いたことがある。人間の脳は個別の事象をあるがままには記憶できないとのこと。必ず自分の脳の中にある元データに近い物を探し出し、それらと共にグループ化して記憶する。これが脳の基本的な動きであると。

これは本当にその通りであると私は思うわけで、残念ながら人間の思考方法としては個別の問題をそのグループの問題として脳の中で処理してしまうのがわかる。でもまさにそれが人種偏見の大元であって、人殺しがいたとすれば、それの家族も同罪、同じ村人も一族も同罪、同じ人種も同罪としてしまう。

ただこれが良い方向に動くケースもなくはない。特に海外にいると「日本人として」云々という事を言う人は少なくなくて、自分が好きでやることを、自分が日本人だからそれをやるという言い方をするケースがある。一民族の代表でも何でもないのに、日本人として恥ずかしくない行動を取ろうとか言う人は少なくない。これはある意味有難いことでいい宣伝になる。日本人が海外で評判が良いのもこれがあるからだと思う。

でもまた逆に「日本人として」そういうことをすべきではないとか言うお節介も出てくる。私としては個人主義を大事にしたいといつも思っていて、日本人だから、男だから、大人だから、歳だから、「何々らしく」という考え方は基本的にしない。とは言うものの上に書いたようにどうしても脳の動きとしてグループ化して考えてしまい、個別の問題として捉えることが出来ないことがある。そこから逃れられない自分があることにも気がつく。でも私としてはそれを容認しようとは思わないし、しょうがないじゃないかとも思わない。そういう意味では、脳のグループ化しかできない能力を超えたいといつも思う。

そういう観点からこの「南京大虐殺」を見ると、私が気になるのはそれがあったのかないのかという事ではなくて、反論側の嫌悪の強さ。プロパガンダとして一つの案件を大げさに使うことが良いこととは思わないけれど、それに対抗する手段としてどうするべきか考える時に、そのグループに対する大きな我慢できない嫌悪が根底にあるのを感じる。そしてまさに日本を叩こうとプロパガンダをする連中と同じく、グループ化して彼らを叩き反撃する。同じ穴のムジナ。子供の喧嘩。もし他国の問題だとしたらここまでムキになるだろうか。議論をするときに怒りを持ったらそれは負けを意味するのを知らないのは子どもだけだろう。

ここに何かおかしいと感じることができるのかどうかが非常に大事で、私は個別の問題より、これこそが全ての問題の本質だと思う。そして、そうやってグループ化してプロパガンダをしたり攻撃したり、あるいは差別したり偏見を持つ相手に対抗するにはどうするべきか怒りを抑えてもっと真剣に考える必要があると思う。情緒を前に出して騒いでもそれを聞く方はしらけるばかり。インターネットを見回しても南京大虐殺無かった派にこれが多いと私は感じる。

グループ化して偏見を当たり前とする勢力に、同じく彼らをグループ化して対抗することのバカらしさを理解するべきだと思う。

朝鮮人、中国人をまとめてグループ化して偏見を持っている人達は、私は井の中の蛙だとも思う。自分はマジョリティの中の一員として相手を叩こうとしているのが見える。つまり、親の後に隠れながら石を投げている子どもと同じだということ。

自分もマイノリティとして、彼らもマイノリティとして、そして全く双方に関係のない人達の前で相手の言うことをいかに論破するか、その方法を考えて欲しい。日本人同士が集まって、あいつらどうしようもねぇなという話は同じ日本人、あるいは同じ考えを持つ人以外には通用しない。また小さなことをほじくり返してあれもウソ、これもウソ、だから言っていることは全部ウソという論法もやめるべき。

私たち家族は日本にいれば差別することはあっても差別されることはなかった。でもオーストラリアに出ていい経験が出来たと思う。差別や偏見に対抗するのは同じ差別や偏見ではないということが良く理解できたから。一発殴られたからこちらも一発殴り返す的な発想では何も解決しない。

ただ一言書きたいのは、大人しい従順な傾向を持つ日本人は世界的には珍しい人種であって、世界の人間が全て同じではないこと。人間は皆同じなんだよね、心は通じるなんていうのは間違い。ニコニコしているだけは足をすくわれるだけで、無謀なことを言う相手には対抗するべき。しかし相手と同じ論法を取るべきではないと思う。

相手のプロパガンダにこちらのプロパガンダで対抗するのは意味がないと思う。ではどうするか?残念ながらそれは私にはわからない。ただまずは事実を知ることが大事で、それをタブー視せずに話し合える場を持つことは必要だと思う。ただ、何が事実なのかそれを見極めるのは決して簡単ではないと思う。

私がこの数日間に書いた「南京大虐殺」とは中国側が宣伝する「南京大虐殺」とは内容が違う。多分私は言い方を変えるべきだろう。「幕府山事件」が合っているのかもしれない。とにかく、30万人という数字はウソだとは私には残念ながら言えない。私にはわからないとしか言い様がない。しかし民間人も含めた(これはわからない)2万数千人を幕府山揚子江沿岸で二日間にわたり惨殺したのは事実だと思う。私はそれ以外の事はわからないし、申し訳ないがそれ以外のことに今の時点では興味がない。とりあえず、南京大虐殺に書いた日記はこれ。

南京大虐殺   ←クリック NHKの興味深い動画がある

南京大虐殺再び  ←クリック

教えていただいた博士の独り言というブログだけれど、はっきり書かせていただくと、中国側のプロパガンダに対する日本側のプロパガンダにしか見えない。とりあえず、ブログ内検索で「南京大虐殺」を探すと59件がヒットする。それを全て読んだはみたものの私の言う「南京大虐殺」「幕府山事件」に関しては無かったという根拠は見付けられなかった。

ただ、ブログオーナーの気持ちは痛いほど伝わってくるし、彼が主張する「日本人よ誇りを持て」「日本は毅然とあれ」ということには賛成である。

しかしながら、何度も書くけれど、オーナーは論理的に細かく反論するというスタンスではなく、情緒に走ったプロパガンダに対抗するプロパガンダにしか見えない。これで多くの人が納得するとは思えない。それがはっきりわかるのが「南京大虐殺」があったという人との話し。ページで言うとこれ。

これ  ←クリック

これで納得させられると思っているとしたら、真剣に事実を知りたいと考える人をバカにしていると思う。大虐殺は朝日新聞が言い出したウソのキャンペーンだと言うだけ。その根拠は、朝日新聞が言い出すまで中国内部でもその大虐殺を教科書に触れていなかったと言う。でもこれだけでは説得力がない。

「「中国」の実体は中国共産党だ。その中国共産党の党是として、日本を延々と“歴史問題”で責めよ、という方針がある。江沢民もそう発言していた。それで日本を傅(かしず)かせる。賠償や経済支援を引き出す。いわゆる「第二期対日工作要綱」もその「国策」と符合している。先ず、その本質を見抜く。“南京大虐殺” の大宣伝もその一環であることを。」

これも事実だろう。ではどうしてこれが事実なのかと証明するのが一番大事というのがわかっていないようだ。この論法を見て欲しい。

1 日本を歴史問題で責めよ
2 江沢民もそう発言していた
3 対日工作要綱も符合している

結論 だから南京大虐殺の大宣伝もその一環だ

こんな子供だましの論理で納得する人はいないだろう。いや、大宣伝もその一環であろう事は想像は付く。でもこれではその南京大虐殺が無かったことにはならない。これでは証拠を出さないで推論だけを繰り返し言い続けて洗脳するやり方と同じになってしまう。私が中国側のプロパガンダに乗るなと言うのはそういう意味で、同じようなプロパガンダをやるべきじゃない。もっと緻密に論破する、説得する内容であって欲しい。この論法を100億回繰り返しても絶対に勝てない。

もしこれで納得する人がいたとしたら、その人こそ中国のプロパガンダも信じるタイプの人だと言えるだろう。

って、最近つまらないことばかり書いてるなぁ、ったく。m(_ _)m

     
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