外人と同胞の違いってかなり大きな溝があると私は思っています。
海外に出て、外人に言われることがありますよね。日本人って素晴らしい。規律正しく潔癖、清潔だし、優しい、頭が良いとか。また、日本に何年か住んだことのある青年が、日本を絶賛して自分はいつか日本女性と結婚したい、なんてのはいくらでもいる。
まぁ、そういうのを聞いて悪い気はしないのですが、私はへそ曲がりですから、そういう日本を盲目的に絶賛する人に言うことがあります。
「日本人は優しいし素晴らしい?日本女性と結婚したい?じゃぁ、いつか日本女性の親のところに行って、結婚したいって言ってみ。日本人の本当の姿がわかるから。」と。
またこんなこともありました。知り合った日本人が遊びに来い、泊まりに来いというから、一ヶ月ぐらい日本に行くという青年がいました。でも私は、せいぜい1週間にしておいたほうが良いぜと。
日本人って外面が良いから、物事には裏表があるとか、建前と本音があるということを全く考えもしない人たちにはわからないことがたくさんあるんですね。
でもこれって日本人だけの特徴じゃなくて、「お客様には優しい」というのはどこの国でも同じだろうと思っています。オーストラリア人にしてもそうで、かつて白豪主義があった割には日本人に対して偏見はないし受け入れてもらえるという日本人は多いです。まぁ、私もその傾向はあるかもしれないなとは思いますが、日本人というお客に対して本当の顔を見せないオーストラリア人だっていくらでもいるわけです。
これは仕事をしているとそういう場面に出くわすことが結構あると思うのですが、同じ仕事をしていると日本人は決してお客様じゃないわけですよね。同僚であり、あるいは同業者、競争相手だったりする。こうなると彼らの本音が見えてくるケースが多いと私は感じています。また、結婚話になったら態度が急変するオーストラリア人も、日本人ほどじゃないにしてもいるはず。有色人種を避けようとする白人はいくらでもいますから。
で、私がいつも思うのは、マレーシアってどんなところだろうということ。
ロングステイヤーは口をそろえて言いますね。マレーシア人ってみんな優しい、親切だと。まぁ、日本人はお客様ですからそう思うような接し方を彼らがするのは当たり前だと思うのですが、本心はどの辺りにあるのかなってのが気になります。それを知りたい、言葉を変えれば暴きたいぐらいに思っています。(笑)
ま、我々が日本に住んでいて、そこに外人が入り込んできた場合、どう接するかを考えれば大体想像はつくわけですが、本心はどの辺にあるんでしょう。
オーストラリアに来た当時、オーストラリア人に「いつまでオーストラリアにいるつもりか?」ということを良く聞かれました。この質問の真意ってのがいまだにわからないのですが、まぁ、これを聞かれることは度々ありました。で、私は「永住のつもり」と答えていたのですが、これを言うとちょっと反応が変わることに気がつくこともあったのです。永住、あるいは市民権を取ってオーストラリア人になるということは、もうお客さんじゃないってことなんですよね。オーストラリアにはワンネイション党という極右政党が存在して(今でもあるのかな?)他民族の流入を良しとしない人たちも結構少なくないんです。黄色いサルにオーストラリア人になって欲しくない、でも遊びに来るのは大歓迎で、オーストラリアの良いところを満喫して欲しいし、ついでにお金も落として欲しいというのがあるのを感じました。
それからは、いつまでオーストラリアにいる?と聞かれたときには、まだ決めていないと答えることにしたんです。するとこれまた反応がガラっと変わるんですね。どうしてだどうしてだとしつこい。こんな良い国なのに、どうしてここに住むことを決めないのかということです。で、オーストラリアの素晴らしさをしゃべりだす。
つまりお客様には、自分の国を良く思って欲しいってことなんだと思いました。でも、よーーし、じゃぁ私達も永住し、オーストラリア人になると言い出すと、また反応が変わるということ。
でもこれって日本人より良いかもですね。最近、近隣から多くの外人が日本に入り込んでいますが、まぁ、そういう人たちに日本人が露骨に嫌な目を向けることもないし、微笑をもって彼らを受け入れるにしても、心底何を考えているかは別ですよね。そういう人たちも日本でちゃんと仕事をしていれば5年で日本人に帰化できるという恐ろしい法改正があって、誰でも簡単に日本人になれてしまうのですが、
「わたしも、あんたとおなぢにっぽんぢんだよ」
なんて言われたらどう思います?大歓迎だと思う人もいるかもしれないけれど違和感を感じる人もいるんじゃないでしょうか。オーストラリアって日本ほど差別が酷い国ではないですが、それと同じ感覚は誰でも持つのかもしれませんね。多分マレーシアも同じだろうと思います。
だからあくまでお客様の立場を通すってのがその土地で楽しく生きる秘訣かもしれませんね。観光客を大事にするのはどこの国もおなじですから。またそんなバカなことを考えられるのもロングステイヤーという気楽な立場だからなのでしょう。
私としては余計なことは考えずに気楽に生きるのも良いですが、人間ウォッチングが好きですし、彼らはいったい何を考えているのか、本音は?本性は?とそれに興味があるので、今からマレーシアってどんな場所なのか気になっています。
そんな人間の反応なんてどこでも同じだと思う人がほとんどでしょうね。
でも私は違うと思ってるんです。というかそういう反応をしない人たちを知っています。それはグアム人。
私がグアムに始めて渡ったのは40年前の18歳の時でした。観光とグアム大学での英語の授業を合わせた中期ツアーでした。これが私にとって初めての海外でもあったのですが、グアムで現地の人たちを知るにあたり、人間ってこれほどまでに違うのかという恐ろしいほどのインパクト、カルチャーショックがありました。そのなんともいえない魅力に取り付かれてそれ以来グアムに入り浸りになったのはこのブログでも書きましたが、私の変人の部分の多くはこのグアムとの付き合いの中で形成されたと私は自己分析しています。
こんなことがありえるわけがないということがグアムでは平気で起きて、その中で彼らは生きている。彼らの心ってオープンでさえぎるものが何もないと言ったらいいのか、これは仮面を被りつつ生きるのが普通の日本人とは対極にあると思っています。また、仮面を被っている日本人ですが、自分が仮面を被っているということさえ気がつかないことが多いのじゃないかと思うのです。それは仮面をとった経験がないと、仮面をつけていたことさえわからないわけですから。またそれは私自身の経験でもあります。
私はあのグアム人の生き方や心のあり方が好きで好きでたまりません。あれこそが本来あるべき人間の生き方なのではないかと思ったり。
同じような南洋の島では同じような人がいるのかと思いましたが、ある意味当たり、ある意味はずれでした。いわゆる田舎ものの開けっぴろげ、純真さだという人もいるでしょうが、地理的にキリスト教が深くかかわっているということ、そして何十年にも渡るスペインとの戦争を通し、人口が何分の1にもなるような事態から復興してきた経験を持つこと、そして常にどこかの国に支配され続けてきたこと(スペイン、ドイツ、アメリカ、日本、そしてまたアメリカ)。そういうのが関係していると私は想像しています。外人に対して閉鎖的になるのは得策ではなく、心を開いて受け入れることを選んだように思います。またキリスト教を基本としていますし、民族が滅びそうな事態から復興する間に仲間同士の助け合い精神が強く育ったのでしょう。特にここが重要な点で、異常なくらい他人と自分との垣根がないように感じるのです。
できることならグアムにロングステイしたい、永住したいというのが私の本音ですが、グアムはアメリカで永住権の取得が簡単ではないこと、そして退職者ビザのような長期滞在ビザも無いこと、そしてかつてはもし永住権が取れたとしても自分の子供達をグアムで育てる自信がなかったことなどがあります。でも今となればもうただのジジーとババーですから、気が向いたらゆっくりグアムに行きたいしあそこであの暖かさの中に浸りたいと思っています。
話が元に戻りますが、外人と同胞、あるいはお客様と身内、これには区別、あるいは差別があって普通だと思いますし、それがわかっていながら真相は無視して喜ぶことはできないと思っています。
で、グアムにはもう何十年もかかわってきましたが、彼らの中には外人と同胞、お客と身内の差がほとんど無かった。少なくとも私に対しては常に同胞、身内という付き合い方だったのです。これってあの小さな島の中だけの異常な価値観、常識なのか、そしてそれは時とともに外圧によって変わってしまうのか。多分そうだろうとは思うのですが、グアムとは離れた土地で、グアムで学んだ生き方をややこしい現代社会の中で貫いていこうと思った青年がいて、そしてそれがジジーになっても変わらずその生き方を守りたいと思っているってのが自分でも面白いと思います。滑稽でさえありますが。(笑)
もしも、もしもですが、私がグアムで感じるものをマレーシアで感じることができたらどうなるか。これは9回の裏2アウト、2ストライク3ボール、代打の満塁逆転ホームランみたいなもんで、非常に面白くなることは間違いなくて、実はそういう楽しみもあるのです。
でもま、所詮外人は外人、そんな連中に地元の人間は興味も何もないのが真相ってところでしょうが、若干の期待を私は捨てることができません。KLじゃ無理かな。田舎にいったら違うのかもですね。