日本が終る日

NO IMAGE
古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

2011年3月11日。東日本大震災、そして福島原発事故。

あれから随分時間が過ぎているけれど、復興を含め法整備にしても将来の安全確保の動きもどうも順調に行っていないような感じを受けるのは私だけではないと思う。それどころか復興の名の下にわけのわからん事業まで予算を毟り取る現状がわかって、これが日本の体質なのかとがっかり。

でも私が気になるのは福島の原発。

震災当時もそうで、私は私なりに行動を起こしたのはこのブログにも書いたけれど、私が気になったのは「子供の安全」。当初から政府もマスコミも嘘を言っているであろうことは、彼らの言動そのものを見ているだけで想像できたし、続々と出てくる情報、数値からやっぱり何かが隠されていると確信したし、それは、被災地ではまだ政府や地方自治体を信じて「どうするべか」悩んでいる人が多い頃だった。

私は科学者でもないし、何が言える立場でもないし、また遠く離れたオーストラリアから何ができるかと言えば、「とにかく政府や自治体、マスコミを信じるのではなくて、まずは自分で調べてみませんか」という運動を始め、積極的に活動しているボランティアの援助ぐらいしかできなかった。

世の中を見ていて、私が考えていた事実が広まるスピード感には苛立ちがあったけれど、やはり子を持つ親達の真剣さによって多くの人たちが行動を起こしたのは良かったと思うし、県外への移住、あるいはマレーシアへの移住と、とりあえず危険地域から逃れる選択をしたのは、遅かったかもしれないけれど、そこに残るよりは良いと思った。そしてその動きはジワジワと広まったし、今も続いている様子。

私としてはここで一安心してしまった。まだほとんど何も解決していないのに。

とりあえず直近の危険から逃れればそれでいいのか?そんなことが最近気になってしょうがない。

私の友人で、ずーーーっと原発そのものの危険、そして福島のその後、あるいは各地の放射線レベルの推移、海外の有識者の意見などを精力的に広めている人がいる。また彼女の息子、孫達が群馬県にいるのだけれど、本気で沖縄への移住を勧め、自分が先に沖縄へ渡り受け入れ準備をしたり。

頑張ってるなぁ・・・と他人事のように私は彼女を見ていた。彼女はFace Bookでも毎日毎日、多くの情報を発信しているし、警告を発し続けている。

このままだとうまくないという心配は無用なのか。今後想定される状況の悪化に対する危惧は必要ないのか。警告そのものも無駄に終るのか。

難しいところだと思った。放射能って目に見えない。これがせめて色でも付いていれば、そして影響があるのならそれがすぐにわかる、あるいはそれが原因だと誰にでもはっきりわかるのなら、怖いけれどまだそのほうがいいのかもしれない。でも目に見えない。匂いもない。また計測するにも計測方法にも問題があって、いろいろある様子。そしてそこに放射能があるのがわかっても、それの影響をはっきり特定、断定出来る人はいない。

ここが原発推進者に取っては有利に働く面でもあり、電力が、経済がと騒げば、そりゃそうだよなと多くの人は思う。

それでいいのか。実はこの辺は私も自分の中で考え方がはっきりしていなくて、経済重視で原発推進という考え方もわからなくはないし、人間が触るべきでないパンドラの箱を開けてしまったけれど、それを封印するべきだという考え方も良くわかる。というより、後者の方が私には説得力がある。そもそも処理できない廃棄物を何万年も埋めておかなくてはならないとか、その場所もないなんて、トイレのないマンションに住んでいるのと同じとは良くぞ言ったものだと思う。

その辺に関してはどうあるべきかと考えるより、どういう世界に生きていたいのかを考えるべきで、原発があったほうが日本の企業、経済が助かるはずだと一個人が考える必要はないような気がする。選挙とは、自分が考える理想世界を作ってくれるであろう人に投票するべきで、自分はそういう世界は嫌だけれど、企業のため、国のためにはしょうがないと諦めて、自分が望んでいない投票はするべきではないと思う。

かなり昔、消費税導入で大荒れしたときに、大根(生活必需品)が値上がりしたら困ると大騒ぎをする政党があった。こういう人たちがいると国は滅びるぐらいに当時は思ったのだけれど、歳を取るに連れて考え方も変わってきた。もし本当に国防も軍備もいらない、庶民の生活重視で政府は頑張るべしと信じる人がいるのなら、それはそれで良いと思う様になった。理想論を振り回して、その結果、国が滅びることがあってもそれも皆で選んだ道なんだろうと思う。それが民主主義なんだろうと思う。

で、原発。

両刃の刃であることはわかっても、それの本当の怖さが良くわからない。人間の英知を結集すればどうにかなるのかどうかもわからない。

世の中には、自動車による事故で累積何十万人死んでも、自動車をなくしてしまおうという人はいない。原発で実際に何人死んだのか?その数は自動車事故に比較できないくらい少ないのに原発を止めろという人がいる。これはおかしいという論法を取る人がいる。

私はこれは無理やりこじつけた屁理屈だと思っていて、目に見える自動車の、目に見える事故の、限定的な事故と、目に見えない放射能の、どういう被害を与えるかも目には見えない、そして事故が起きたときの影響範囲、影響を受ける人数の多さ、それの長期化、そして事故が起きた場合、自動車事故の様に次の日には何もなかったように復旧することもできない。原発を自動車と同じレベルで比べられるとは私には到底思えない。

将来どうあるべきかは別にして、今の原発をどうするのか。

私が今どうしてこの日記を書いているのかと言うと、問題点はそこにあるのでもなくて、実は福島原発。

これって今、どうなっているのか。

なんだかんだ言っても、東電も政府も頑張っているのだろうとは思う。

それでどうにかなるのか?

任せるしかない?

私が考える福島原発の状態って、火事で燃えている家に未だに水を掛けているのと同じで、まだ火は燃え盛っている状態。そして火消し部隊は、安定的に水をどうやって掛けるのか頑張っているだけの状態。

収束したと宣言した人がいるけれど、何を持って収束したというのか私には全く理解できない。

でもマスコミを見ても報道はほとんどないし等しいし、一般の国民生活からは段々と忘れられていっているような気がしてならない。

本当にこのままで良いのか?大丈夫なのか?

私が気になるのは4号。そう、プールの中にごっそり燃料棒が入っている4号。

この燃料貯蔵プールには使用済み、未使用を含めて1500本以上の燃料棒があるらしい。そしてそのプールはどこにあるのか?これが地盤の固い地下にあるならまだ話はわかる。ところがそのプールは地上30メートルのところ。その下は空洞で何本かの支柱が支えている状態。プールとはまさにプールであって、映像を見てもわかるように原子炉のように何重にも放射能漏れがないように作られた建造物ではない。水がなくなれば燃料棒はむき出しになる。

これの危険性を言う専門家が多いし、海外でもこれは日本の問題ではなく世界で立ち向かうべき人類の大問題だと言う声が聞こえる。

大震災と同じレベルの地震ではなくても、震度6で簡単に倒壊するというデータを見たことがあった。あるいはプールにヒビが入って水が漏れ出したら?

また1,2,3号機でもしも冷却がうまく行かないところが一箇所でも出てきたら?

きっとそれ自体は想定済みで、再度、冷却を試みるということなのだろうと思う。これに関してはあの中部大学の武田先生も大丈夫だと言っている。

武田先生の福島原発の現状と危険性 ← くりっく

これを読んだときには武田先生らしくないような気がした。どうも無理やりこじつけた感じがしてしまう。冷却はどんな時でもちゃんとできるという前提が私には疑わしく聞こえる。そもそもあの頃、いかに冷却するかで大騒ぎになっていたのは国民全員が知っているはずで、大丈夫と言う根拠が私には理解できない。

もし一箇所でも冷却ができないような事態が起きたら?ってところが気になるんだけれど、そうなれば全て連鎖的に手がつけられないような状態になるはずで、でもそれを想定してはいけないのか。大きな地震が何十年も来ないという前提でいいのか。

ただ、後になって保安院はこの想定をしていたのがバレた。プールの水がなくなって冷却不能となった場合、7.7時間後には温度がぐんぐん上がって2800度に達して燃料溶融が始まると。

私としてはどこか一箇所冷却ができないという事態になれば、それだけで、日本という国が消滅するのと同じことが起きると考えるのが論理的だと思うんだけどなぁ。当然、そのときは誰も近寄れない状態になって福島第一原発にある全部で1万本以上の燃料棒が放置されるってこと。メルトダウン、水蒸気爆発、そして・・・どうなるんでしょう。この場合、放出されるであろう放射線量はチェルノブイリの85倍という試算があるとのこと。

そこまでになればもちろん東京横浜もアウト(3月12日の時点で、安全だ安全だと言いつつ政府内では東京をも避難対象地区にする可能性が議論されていたのは、後で情報公開請求で得た政府のメモ書きなどから分かった。でも議事録は作成していないととぼける)で、日本経済は完全に崩壊する。被害は近隣諸国にも及ぶ。また、この時の放射線による被害で、他の原発にも近寄れないことがあり得ると。福島第二は全くその通りだろうと思うけれど、それらは次の時限爆弾となる。そしてそれの連鎖が始まるのかもしれない。

レバタラの話をしてもしょうがない。

でも確率的にどうなんだろうか。ただこれもこの1、2年の話じゃない。

今は冷却しているだけでの状態で、将来、どの時点でどうするつもりなのか良くわからないけれど、どちらにしても何十年という月日が掛かる。で、その何十年の間に地震が来る確率は?。冷却システムの異常は何度か報告されたけれど、これも何十年もちゃんと動くのか?1,2,3号機はメルトダウンを起こしていて人も近づけないから補修もされていない。まさかチャイナシンドロームなんて絶対に起きない?宙に浮いたような地上30メートルにある4号機の冷却プールの耐久性に問題ない?地震が起きても大丈夫?

私としては起きてはうまくない事象の数が決して少なくないこと。そして、何十年もの間、それがたった一つでも起きると、多分日本が壊滅するくらいの災難になるであろうこと。我々人類ってもしかしたらこれほどまでの危険にあったことがないんじゃないかと思うくらいなんだけれども、その確率が低いとはどうにも思えない。

うまく行くことを願う、祈るしかないのか?

海外でもこの危険性をいう人は少なくないようで、それなりの人たちが来日して政治家にその危険性を説いたり講演会を積極的に開いている様子。でも政治家の危機意識が低いらしい。

まぁ、それもわかりますよね。危機意識があっても、ではどうするのか、それがはっきりしないし、またきっとそれはとんでもない金が掛かることだろうし、それを今やるべきなのかどうかもわからない。都心部を洪水から守るために河川に大きな堤防を作る話だってすったもんだして進まないのが政治の世界で、それの何倍何十倍もの規模で福島原発の危機対策をするのは不可能ってことなのかもしれない。

私はここにも原発をやってはいけない理由があると思っています。危険の大きさは甚大で、それの予防、対策が十分出来るような規模じゃないってこと。そしてそれを実施する力はどんな国家も持ち合わせていないし、いつ来るか来ないかわからない危険に対して、国民は無関心で、それどころか政治家が危機管理をもし言い出しても、それを受け入れようとはしない(予算を認めない)可能性があるということ。

やっぱり原発ってまだ進化の途中にある人類には荷が重過ぎるようにしか私には思えない。そして、ある時、やっぱりパンドラの箱を開けてはいけないことに気が付くのかもね。

ま、今福島原発がどういう状態にあるのか、海外の専門家達は何を心配しているのか、そういうのを調べるのは難しくなく、いくらでもネットに情報があります。ただ、私のようなわけのわからん個人が書いていることは無視するべきで、専門家の話をチェックする必要があると思います。

この辺から読んで、リンクをたどって飛んでいくのも一つの手。

カレイドスコープ 原発・放射能  ←  クリック

また最近は東京でも放射線レベルが高いところが見つかったり、自宅屋内にあるエアコンのフィルターを調べたらやっぱり放射線レベルが高かったり、道路脇に放射線レベルが高いわけのわからんキノコが群生していたり、まさかと思うことも起きている様子。

ジジババなら健康に良いかもね、なんてバカ言っていれば良いけれど、子供達を守るために何かしなくてはならないのではないか。全くそういうことには言及しない政治家を放置していいのか、飯は食わなければならないけれど果たして経済優先でいいのか。海外へ逃げるだけでいいのか。

いろいろ考えるとオーストラリアにいる私でもできそうなこと、考えられることはあって、とにかくこのまま放置、何もしないのはうまくないんじゃないかと思ったり。

このブログは海外在住者、予備軍が多いわけですが、もし、何ぞの事が日本で起きた場合、大量の難民が海外に出るのは間違いがないですが、さて、日本からは出られてもその難民を入れてくれる国があるのかどうか。

まず飛行機や船舶で出るにしても、相手国側の受け入れ証明がない場合は乗せないでしょう。これは今でもそうで、相手国のビザがなければ飛行機にも乗れない。

ではビザがあれば大丈夫か?

そういう緊急時の場合、日本人に対するノービザ入国はまず止める。観光ビザでの入国も禁止する措置なんかも起こりそうに思います。まさかと思うけれど、いつどの時点でも出入国管理規定、ビザの発給、中止などの変更は自国の都合でどうにでもできる権利が認められているんですね。またビザはそれぞれ目的がはっきりしていて、観光ビザで難民として入ることはできないでしょう。

でもま、人道的に難民を受け入れないってことは難しいけれど、こちらから、受け入れるのが当たり前だろうとは言えず、相手の温情にすがるばかり。

あるいは、ベトナム戦争終結時のグアムを思い出すのですが、あのホテルが並ぶタモンビーチのホテルを改造して難民キャンプにしていました。大きな背の高い金網に囲まれていて、そこにしがみついて外を眺めているベトナム難民が数多くいましたが、まさか日本人がそんな風になる日が来るとは思えませんが、それはあのベトナム人達も同じだったでしょう。

ちなみにそのグアムのベトナム難民ですが、彼らがどうしてもやりたかったことは何かというと、アメリカの永住権、グリーンカードを取ることです。それさえあれば背の高い金網はないのと同じでそのキャンプへの出入りも自由でした。当然外から中に入りたい人なんかいるわけもないですが、多くのベトナム女性がボランティアの手を借りて外に出て、アルバイトのようなことをしながらグアム人や多くいる米兵に意味ありげな視線を送っていたのを覚えています。私はあれば小遣い稼ぎかと思って(あの商売)いたのですが、結婚相手探しだったのが後でわかりました。また金のやりとりがあるグリーンカード取得のための偽装結婚も多くあった時期。人の良いグアム人がベトナム女性と知り合い恋に落ちて結婚、その後、グリーンカード取得後は逃げられたなんて話も聞いたことがあります。

私はこのブログでMM2Hは観光ビザみたいなもんだといつも書いています。そして海外に住むのであれば(遊びのロングステイは別にして)、永住権を取るべきだとも書いていますが、それはこういうことでもあるんですね。

普通、観光ビザでさえも短期間生活するにはなんの不便もないと言うことが多いと思います。でも長く生活するとなると様々な権利、義務、そんなのが関係してくるはずです。だから長期の滞在ビザを取ったり、移住、永住、ましてや子供がいるとなれば国民とほぼ同じである永住権を目指すのは当たり前の話で、MM2Hのような滞在可能期間さえ長い(観光用みたいな)ビザならそれで永住も出来るなんて考え方はちょっと問題ありなのは簡単にわかると思います。

私の亡くなった叔父がアメリカの日系二世だったのですが、彼はアメリカ国民であっても若い頃、戦時中は日本人収容所に入れられました。後に、アメリカは国家として公式に謝罪し、賠償金も全員に支払ったのですが、長い歴史には何が起きるかわからないということでもあるし、ましてやノービザでの滞在許可、観光ビザ、あるいはそれに準じる滞在許可は有事の際には何の意味もなさないというのは肝に銘じておく必要があると思います。有事の際とは戦争と言う意味だけじゃなくて、大規模災害やその国の事情の変化、あるいは我々の個人の大きな変化も含みます。重い病気に罹ったとか(家族も含め)、詐欺や泥棒に合って全財産をなくしたとか、どうしても食べる道を探さなければならないとか、そういうときには日本に帰るなくてはならないなんてのは移住、永住じゃないわけで、もし本当にその地に骨を埋める気持ちで渡ったのなら、あるいは自分が出たいと思わないのに出るしかない状況を作らないためにも、永住を許可され、その国によって守られる権利が保証されたビザを取ることは大事だと思います。

日本では、今日書いたような内容を心配して国外脱出を図る方が実際に多いと聞いております。子供が小さければそうだろうなぁとも思いますし、今の日本の教育を考えると、これをチャンスに・・・と思う人は益々増えそうです。

でも忘れてはならないのは、どこの国に行っても、どんなにその国を愛して一生住みたいと思っても、その国の市民権保持者(国民)、永住権保持者以外はその国に取ってお客さんでしかないってこと。お帰りくださいといわれればそれまでです。また国によって内容がかなり違いますが、社会保障が受けられるのかとか、就労の制限はどうなっているのかとか、それも大事なチェック項目だと思います。

日本に神のご加護がありますように・・・・・。

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ ゴールドコースト情報へ