しかしまぁ、酒が弱くなった。ビール一本(一缶)で酔っ払ってしまうようになった。
私はそもそも酒好きというより酒の場が好きだったし、家で晩酌なんてことはしないタイプで、でも外で飲むときには身体が酒向きだったのだろう、若いときにはかなりの量を飲んでいた。
で、今日。
いつもと同じようにヨメサンと二人だけの晩御飯。
でもどういうわけか盛り上がって共同作業。最近結構面白いと思っている鶏の唐揚げを電子レンジで作る粉をまぶして鳥の唐揚げ。
袋に書いてあるレシピ通りにああでもない、こうでもないと量を測りつつ、醤油味と塩麹味の二種類。電子レンジの真ん中はちゃんと火が通らないので回りに並べないと駄目。で、その並べ方がどうじゃこうじゃと言い合いながらのチンする唐揚げ。
これ、結構良いと思いますわ。私は唐揚げ大好き人間なんだけれど、これで作った唐揚げはカリっ、パリっはないのだけれど、かといってベチャとするわけでもなく、唐揚げだと思うと腹が立つけれど、違う料理だと思えば全く問題なし。
美味しかった~~~。
そして作りながら飲んだビール一杯が美味しかった。ほろ酔い加減でああじゃこうじゃ言いながら女房との共同作業。
あああ、これが老後の暮らしなんだな、と思った。
そして飲みながらの昔話。
酒が弱くなったねぇ、なんて毎度の話から昔の思い出話。
話題に出たのは四谷三丁目にあった我々が大好きだった小料理屋。一期一会四谷夜ばなしという店。
場所的に変だけれど、四谷三丁目に魚の(クソ高い)西京漬けの超有名な老舗割烹(蔦の家)があった。で、そこの次男坊がその店とは関係なく、小さな小さな小料理屋を敷地の中でやっていた。これがねぇ、何とも言えず雰囲気もあり、庭も綺麗で、料理は美味しくて素晴らしい店だった。酒がうまいのなんの。まぁ、道楽でやってる類かもしれない。
そんな隠れ家的な店を見つけて、女房と良く通っていましたっけ。で、ある晩、いつもと違って支払いが高いので、今日はどうしてこんなに高いの?と聞いてみた。そうしたら、今日は二人で2升の酒をお飲みになりましたし、という返事。二升。(笑)
それが今じゃビール一本で酔ってしまうなんて面白いねという話。
そこから話があちこち飛んで、昔は良い店があったねーと。
私達が結婚するしないという当時、良く行った店がある。場所は溜池。あの溜池の交差点近くにあったステーキ屋。あれれ、名前は忘れてしまった。今でもあるのかなぁ。その当時の主ってのが面白くて、地上階と地下があって全部で50人やそこらは入れる結構ハイグレードの店だったのだけれどいつ行っても暇。
忘れられないのが私がその店に二度目に行ったとき。初めてのときはその数ヶ月前に勤めていた会社の社長に連れて行ってもらったのだけれど、その二度目の時に、私に肉の焼き方を聞かないんですよ。これっておかしな話で、駅前レストランのステーキ定食を食べるわけじゃないし、ステーキの焼き方を聞かないステーキ屋なんかありえないわけです。
で、気になったので私は「えーと、私の肉の焼き方だけれど・・・・・・・・・・」と言った瞬間、「わかっています」との返事。
え?と思いましたっけ。その店には数ヶ月前に初めて社長と行ったきりなんですから。まさか全ての客の焼き方を覚えているはずもないし、ましてや私は常連でもなんでもないんですから。
でもそこの主は覚えていたんですね。
私も商人の育ちですし、まぁ、普通じゃない客へのサービスっていつも考えていたのですが、これには正直びっくりしましたっけ。それが切っ掛けでプライベートでも通う様になった店。そして今の女房と付き合う中でも何度となく連れて行きました。
不思議な人だったなぁ。彼は。
当時は水割りばかり飲んでいたのですが、よくある酒のぐい飲みを客に選ばせる店がありますよね。あれと同じように水割りのグラスも選べるようになっていました。で、なんと常連には使い回しじゃなくてその常連用のグラスを用意するような店。これにはびっくりしました。確かに常連ではあったけれど、毎週行くわけでもないし、毎月行くわけでもない。それこそ年に何回かって客なのに、我々用のグラス(結構高そうなカットグラスだった)を用意してくれる店でした。そして、そのグラスをちゃんと間違えないように出すのね。もちろん肉の焼き方を何度も聞くようなことはしない。
凄い店でした。
いつも、今日はどのくらいお腹が空いているかを伝えるだけで、私の好みを熟知した上で、その時その時の最高のものをコースで出してくれました。だからステーキ屋なのにいつもお任せ。こんな店はあの店が初めてで最後でした。
そんな店にヨメサンを連れて行きましたから(結婚する前)(釣ったあとは餌をやってはいけない)、ヨメサンもすぐに大ファンになりました。そして良く通いましたっけ。でも決して高い、高級店、ぼられるって感じじゃなかった。
面白いのは、突然店を休むんですね。ある時、変なときに休みだったので、その後、何で店を閉めていたのか聞いたことがありました。すると、彼の店は溜池ですから議員さんが来たり、秘書が来たり、またあの辺りには商社がありますから、そういう客がどこそこで食べたステーキが旨かったなんて話をするわけですよ。それを聞いた彼は居てもたっても居られないんでしょう。例えそれがアメリカだったとしても、そのステーキを食べに行っちゃう。そんな主でした。
だから経営はうまく行っていなかったように見えました。いい店なのに客はいつも少ないし、溜池のあの交差点近くの一等地なのにそんなに高いわけじゃないし。その店のオーナーは赤坂じゃ有名なある老舗の寿司屋のオーナーだと聞いていました。でもわかるような気がします。腕もあってやる気も半端じゃなくて、ああいう職人はちょっといない。金があれば店を出してやりたいと思うのも当たり前だと思いましたっけ。
でも彼は独身でした。目の前の鉄板でいつも焼いてくれるわけですが、話好きの私はいつもしゃべりっぱなしだったわけで、彼がいつも「誰かいい人いないですかねぇ」なんて言っていたのを思い出します。
で、ある晩、彼は結婚したと彼のヨメサンを紹介されました。ヨメさんはフロアと会計を担当。綺麗な人でしたっけ。
でもねぇ、そのヨメサンってある意味まともな人で、彼のステーキ一筋を認める人じゃなかったのね。値段は変わるし、内容も悪くなってきた。そして段々と彼も愚痴を言う様になってきた。
こうなると店もアウトで、私達がいくら彼を買っていても行きたくなくなります。で、いつのまにか行かなくなってしまった。
あの店、どうなったんだろうねぇ、あんな凄い店はその後、経験ないねなんて話をしながらチンして作るなんてことのない鶏の唐揚げを食べていました。また飲む酒も安い酒。そしてビール一本でいい気持ち。
世の中って面白いねぇという話しになりました。
歳を取るってこういうことなんだろうと思いました。
昔は年寄りが縁側に座ってボーっとしている姿をみると、ああはなりたくないもんだと思っていましたが、今はその縁側に座って「思い出す」ことの素晴らしさがわかる様になりました。
ボーっとしているどころか、思い出すのに忙しいくらいなんですよね。庭の木を見ては、あの木が小さい頃に息子が走って飛び越えようとしていたとか、あの池にはまって泣いていたとか、小さな小さな庭だけれど、家族4人で花火で遊んだあの頃とか。思い出すにはいくら時間があっても足りないぐらい忙しいはず。
そんなことがやっとわかるようになってきました。
たったビール一本の幸せ。そして話しても話しても話しきれないほどの思い出がいっぱいある。
歳を取るって思い出を作ることなんですねぇ。
で、これからマレーシアに渡るわけですが、どうなるんでしょうか。
酒も弱くなった私の楽しみとしては、私の大好きなおおにしさんの店(桜)へ行って飲んだくれておおにしさんに迷惑を掛けること。(笑)
そういえば、もう4年になりますか。当時は桜じゃなくてやしのみという店でしたがおおにしさんに迷惑を掛けてしまいました。
その思い出はここに書きました。
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なつかしいなぁ、もうあれから4年経ったんだ・・・・・
このときの日記には書いていないことがあります。
置いてけぼりにされたと勘違いしたヨメさんは一人でウロウロしながら、乗れ乗れと誘われるがままタクシーに乗ったわけですが、その時、ヨメさんはリンギットを一切持っていなかった。だからそのタクシー運転手に乗らない、お金も無いと言ったところ、どこへ行くんだ?と聞かれ、クラウンプラザだと答えた。するとタクシー運転手はああ、そこならすぐだからただで良いと言ったというんです。で、乗ってしまった。信じられます?
で、距離にして数百メートルのホテルに着いてからはホテルのスタッフに抱えられるようにしてホテルに入った。そこへ偶然、戻ってきた私と遭遇したわけです。
今思い出しても冷や汗が出るような話ですが、我が家のヨメさんはこういうことを平気でやります。
しかしまぁ、KLでタクシーにぼられたって話はいくらでも聞きますが、ただで乗ったという話は聞いたことがない。それどころか、ホテルにつくまでの5分かそこらでしょう、ヨメさんと運転手とユーアーマイサンシャインとか歌を一緒に歌って盛り上がったというんですから。
こういうヨメさんとマレーシアに行く私の苦悩、わかってもらえます? (笑)