私も子連れ移住をしたわけですが、非常に苦労したし周りを見ていてもなかなかうまく行かない例を多く見てきて、昨今の子連れ移住ブームに軽さが見えるし、警鐘をならすことも必要だと考えていました。それはここを読んでいる人はご存知の通り。
でも最近考え方が変ってきました。これも正月からの2ヶ月間のリセット期間のせいかもしれませんし、根本的なところの考え方が変ってきたので、子連れ移住に関しても今までとは違うように考えるようになったのです。
「リスクは取るべき」
これです。
どの国へ行くのかという選び方一つでかなり違いがあるわけで、永住権もない就労権もない、社会保障も何もないマレーシアが子連れ移住先として適切かどうかは難しい点ではあると思いますが、それでも行こうと思う気持ちがあるのなら、リスクは取ろうと思う気持ちがあるのなら、それを何よりも尊重するべきだという風に考えるようになりました。
私はグローバリズムとかグローバルな人間、国際人とかそういうのが好きではありません。なんて軽い言葉なんだろうと感じます。また特に日本人の好きな国際人という言葉は私は外国人から聞いたことがありません。何かスーパーマンに憧れを持つのと同じような感じしかなくて、海外で子供を育てると何か凄いことが起きるような予感があるのでしょうが、現実的には自分の子供は日本人らしさがなくなりその現地の子供に限りなく同化していくだけであると思っています。
現地の子供達を見て国際人だ、あのように育てたいと思うのなら問題なし。また子供の移住、留学というのは、大人が日本的な物を自分の中に構築した後の海外経験ではありませんから、日本プラスアルファにはならないんですね。日本プラス海外割る2が出来れば万々歳。下手をすれば日本30%海外70%とか、親子でも難しい話は日本語でやりとりできない状態にもなりえるし、その現地にどっぷりで親が夢見た国際人どころかその現地人になっただけなんてこともある。かと思えばその正反対で、子供の経験によっては引きこもりになり、日本に逃げ道を見出すしかない子供にもなりえる。つまり帰国するしかないとか。
でもこれからの日本を考えますと、上に挙げたようなリスクも取るべきだと思うのです。
TPPには私は反対ですし、アメリカの押し付けのように見えるもののアメリカ国内でも反対派は少なくないような条約。つまりあれはあれを望む企業群が存在しているとしか私には考えられないのですが、どちらにしろ遅かれ早かれああいう方向へ世の中が動いていくと思っています。
TPPは単なる一艘の黒船でしかないかもしれず、それを受け入れるかどうかではなくて、その後に続く大きな世の中、世界の変化を感じ取ろうとした場合、やっぱり今のままの日本が維持できるはずがないと思うのです。
製造業は海外に出て行きました。これは円安になれば戻ってくるとかそういう単純な話ではなくて、事業に国境がなくなるという動きの一つでしかないと思っています。これはかつては世界の工業の中心であったイギリスも同じ、それに続いたアメリカも同じ。企業がグローバル化して拠点を世界各地に持つのは当たり前のことなのでしょう。
そして労働力にも同じことがおきていますよね。この10年ぐらいの変化でオーストラリアで目立つのは大手企業のコールセンターが海外に存在するってこと。ちょっと聞きたいことがあって電話をするとインド人が出てきます。あるいは香港だったり。これは日本も同じで、日本IBMのカスタマーサービスがオーストラリアのブリスベンにあって、こちらの日本人が日本人顧客からの電話に応対していたなんてこともある。日本国内ではある大企業のコールセンターが賃金の安い地方都市の片田舎に存在するなんてのもかなり前からある話。
これらはITの発達でそれが可能になったわけですが、これが益々エスカレートしていくのでしょう。例えばある会社のビルがあって1階にはXX事業部、2階にはXX事業部なんてのがあったとして、3階にあるはずのXX事業部はインドに移転したなんてことが起こりうる。でもモノやヒトの移動交流が重要でない部門ならそれで全く問題がない。
楽天やファーストリテイリングが社内言語を英語としたなんてびっくりする話も、そうは決めなくてもいつのまにか英語が主流となる企業も出てくるだろうし、今でも日本企業の中に部門によってはすでに英語が普通に使われているなんていうところもあるのでしょう。
そんな時代に向かっていく中で子供たちはどうあるべきか。英語教育という言葉さえ私はちゃんちゃらおかしいというか、英語を繰る、外国人と問題なく仕事が出来る、世界のどこでも横浜支店で働くのと同じように働くことが出来る人じゃないと困るような時代はすぐ目の前に来ている。
ところが今の日本人子弟は内向きで、また教育も時代遅れに思えるのです。特に酷いのが大学で、というか欧米の大学は特化された分野の職業訓練所と言っても良いくらいなのに、日本はまだ純白な花嫁を作って送り出すのが大学みたいな感じがするのです。ゼロから私を鍛えてくださいなんていうのは日本的美徳でしかなくて、そういう学生を喜んで迎える企業は極端に減っているのが世界の動向ではないでしょうか。英語教育も酷くて中学高校大学と一体何年学ぶのか知りませんが、全く英語の駄目な学生が存在するなんてどうしてそんなことが起こりうるのか。
子供達のライバルは同じ教室の隣に座っている友人でもなければ、ライバル校の日本人でもない。ライバルは中国やインドで貧しさから這い上がるために死ぬ気で勉強して生きている子供達。日本は外人には閉鎖的だから見えないと思いますが、海外では会計と医療の世界はインド人と中国人の独壇場になるかもしれない。大学生の彼らの比率を見るとびっくりすると思う。
結局今の時点でもうっすら見えていることは、ああいう他国の安い労働力を自国の労働力と同じように使えるようなITの発達が起きていますから、賃金に関しても平均化が益々進むってことではないでしょうか。巷を見ていると年収200万円の時代がくるとか言われていていますが、正規採用されても職種によっては300万止まりという時代は来るはず。TPPでは人的交流の緩和も条項に入っていますが、人がもっと流動的に動いて仕事ができるということは、他国より賃金の高い日本では失業率の増加と賃金の低下が間違いなく起きる。なおかつ製造業と同じように海外に出せる仕事はアウトソーシングという形で海外にどんどん出て行くのでしょう。
2,3日前のニュースでびっくりしたのは、経済界は「もっと解雇を簡単にできるような法整備」を望んでいるという内容。アベノミクスの正体ってのが私にはよくわかっていないのですが、こういう企業の効率化、それは労働者に取っては冗談じゃない話ですが、そういう方向性さえも安倍さんは容認するのかもしれない。
こういう動きは非常によろしくないと古い保守系の私は思うわけです。だからTPPも反対、新自由貿易主義も反対、規制緩和もほどほどにするべきだし、イギリスやアメリカ主導の金融業界がなんでもありの業界になってしまったのと同じようにありとあらゆるところで規制緩和をして自由競争をよしとするなんて動きは絶対に認めたくありません。古代の弱肉強食の畜生の世界に戻るだけ。ライオンもネズミもウサギも同じ檻の中で同じ緩和されたルールで生活しましょうなんてのと同じ話で、それを言い出すのは常にライオン側。
でもねぇ、世界は間違いなくそっちの方向へ動くと確信しています。やだね~~。
私が考える日本の未来は、日本的なものがどんどん消えてしまった極端な格差社会なんですが、私はこれを止めることはできないと思っています。民主党議員が揃って言う「分厚い中間層」なんていうのはもうとっくに崩壊を始めていて、それを止めることはできないと思っています。(しかし分厚い中間層を守れといいつつTPPに賛成した某野田っていかに頭が悪いか良くわかる)
私達の年代までは本当に幸せだったと思います。英語なんか話せなくてもまったく問題ないし、パソコンは苦手なんだよねー、なんてことも言える。そしてインド人や中国人でも出来るような仕事をしながら彼らの何倍もの収入を得ることが出来た。でもこれからはそうじゃないという予兆があちこちに見えていると思うんです。
出来る子供は長野の山奥に育とうと留学なんかする必要も無いでしょう。でも普通の子女ならそれなりの環境に入れないとこれからの大きな変化に着いていける大人にはならないかもしれない。そんな風に思うのです。
だからマレーシアでも行けるなら行ってみるのもよかろうと思うのです。そこで育った子はマレーシア人の多くがそうであるように、インドだろうがアメリカだろうが、求められればなんら問題なくそこで働き生きていける大人になるだろうし、何千万単位の移民を受け入れないと経済が維持できないといわれる日本がもしも移民社会になったしても、全く問題なく生きていけるはず。今時、自分が生まれ育った地方から出たら生活できないなんて日本人は極端に減ったけれど、それと同じように海外と北海道九州も全く同じような感覚で生きていける子供達に育てないとうまくないのかもしれない。
ただ出来る子は留学の必要もないし、グローバリズムを体現するのは環境より個人の特性が強いと思うし、語学にしても海外に出なければ学べないなんてバカな話はないわけで、でも自分の子が普通の子だとしたら環境を変えるしかない。わが子たちがそれ。
でも親としては日本で普通に生きる以上の苦労があるのは覚悟するべきで、それは経済的なことが中心で、特に小さい子供を持っている親達が何かわかっていないと思うのは、子供が育ったら今の何倍もの金が掛かるってこと。それなのに収入のめども無い海外に出るなんて私には自殺行為にしか思えないのだけれど、でも大丈夫だと思うならやるしかないのね。
また語学に強い子供になって欲しいと願う親も多いけれど、本当はそれって全く意味が無いってこともしっかり理解するべきだと思うんですよ。語学が必要じゃないって言っているんじゃなくて、できて当たり前なのが語学であって、それができるようになったら良いなぁ~なんてのは親の劣等感がそう思わせているだけだってこと。例えば日本で、「日本語が得意です」っていう学生にあったことあります?就職するのに「日本語が武器になる」っていう?
つまり英語圏に行けば英語が出来て当たり前なわけで、語学は全く武器にはならない。そもそも英語ができないというのが「異常」なのだと思うべきなのでしょう。だからやっぱり大事なのは「個性」であり「特殊技能」であり、それがなければ、留学しようが海外で育とうが、単に日本語が話せるけれど他にとりえの無い日本人と同じでしかないってこと。
また日本語と英語と両方出来たらよいような気がするけれど、意外にそれほどの需要はないと私は思っています。またあったにしても就職できた!って大喜びするほどの職種じゃなかったり。また社会が要求するバイリンガルってかなり高度なもので、両方とも適当に会話や読み書きできるってのはあえてバイリンガルとは呼ばないんですね。でも英語が出来ないとうまくないというのは世界共通の事だと思っています。だから義務教育から英語を教えているんでしょうが、英語を数学、あるいは算数に置き換えて言うと足し算引き算はどうにか・・という程度にしか教育が出来ていないのは大問題だと思います。
それとその国々の物価ですが、5年程度ならまだしも10年20年のスパンで考えると日本と物価が逆転する可能性だってあることを考えるべきなんですね。これっていくら旅行好きでも若い人にはピンと来ないだろうと思うのだけれど、あのアメリカはかつては日本人の何倍もの金が稼げる国だった。オーストラリアもそう。逆を言えば、台湾、香港、シンガポールがいかに物価の安い国であったか。それはそんな昔の話じゃありません。でも今じゃ日本と変らないと言われるでしょ?
マレーシアは?3分の1?
3分の1は嘘にしてもまぁ安いでしょう。今は。
これが10年単位で見たらどうなるのかは誰にもわからない。ましてや自分たちは全て自費でやらなくてはならないのを忘れてはならないと思うんですよ。日本にいるといろんな社会保障を受けているけれど、それって当たり前で、援助されているという意識はほとんどない。マレーシアへ渡ってからは医療、教育、その他諸々一切の国の援助はなし。国民なら受けられる補助も無い。そして金がなくなっても皿洗いのバイトさえもできないのがマレーシアだということ。この辺を忘れるべきじゃないし、自営業の経験が無いにしても、金が必要なら何か小さな事業でもネットを利用した小遣い稼ぎでもなんでもやるという強い意思がないとうまくないですよね。
リスクばかり考えたら何もできないわけで、何が起きても乗り越えてみせる、どうしても行きたいと思うのなら是非やるべきですよね。そしてその頑張る親の背中を子供に見せるのが何よりも大事なことなのかもね。
人生、やってしまったことの後悔より、やらなかったことへの後悔の方が辛いですから、やろうと思ったらやるのが一番!
後記:「この日記は非常にアクセスが多いので、以下のことを付け足しました。」
それと絶対に忘れてはならないのはビザの問題。滞在許可、就労許可、あるいは老後のロングステイにしてもその国からビザをもらわない限りその国には住むどころか足を踏み入れることさえできない。これが基本中の基本で、どれほどその国を好きだろうと、そんなのは全く考慮されない。ただ、観光や留学なら簡単にビザがおりる。当たり前ですよね、お客さんなんだから。ところが居住したいとか就労したいとなると全く話は変わるわけで、簡単にビザをくれる国なんかないわけです(日本は簡単)。
そこに気がついていない親が子供を海外に連れて出ると悲惨なことが起こりうる。子供はどんどん日本的なものを失って、しかし親が期待した様には育つんでしょう。語学も達者で多くの外国人の中で生きていく術を覚える。でも子供が大人になったときに子供はどこに住み、どこで働くのでしょうか。子供がもしその地に留まりたいとしてもビザがなければ国外に出なければならない。これってよーーく考えないとならないのは、我々日本人が日本で育ち、成人したら国外追放になるのと同じ事なんですね。
じゃあ、ビザを取れば良いじゃ無いかと思うかもしれませんが、ビザはそう簡単には取れない。いや取れる国もあるでしょう。つまり、子供はどの国が良いと選べる環境にはならないということ。ビザをくれる国、あるいは国籍を持っている国に行くしか無い。そこに自由なんかないわけです。マレーシアみたいに簡単にMM2Hみたいな長期滞在ビザを取れたり、あるいは簡単に留学ビザを手に入れた親はそこらへんを簡単に考える傾向があると思います。でも働く年齢になったらそうはいかない。
でもマレーシアでもオーストラリアでも働く人は多くいるじゃないかと思うかもしれませんが、多くの人たちは「腰掛け」でその国にいるだけなんですね。もし解雇されたりその会社が消滅すればビザは延長できません。俺はここで住みたいのだ、なんて言っても笑われるだけ。また自分で起業しそれでうまく行ったとしても、けがや病気で仕事が続けられなくなれば、やっぱりビザの延長は出来ない。でもそれでもどうにかやれたと仮定しましょう。でももっと歳もいって退職する年齢になったらどうなります?子供の頃からその国に育ち、そこで働き、何十年経って退職するときには追い出されたら?どこへ行けば良いんです?
でもマレーシアのMM2Hみたいに簡単に取れるビザがあれば良いでしょう。では年金は?健康保険は?そもそも外人にはその国の社会保障を受ける権利なんかないんですね。全て自費。お金がなくなればその国を出るしか無い。この辺を簡単に考えるのは非常にうまくないことで、上にも書いたように、もし我々日本人が歳を取り、お金も無くなったら「日本から国外に追い出される」ことを想像すれば簡単にわかること。
ビザって取るのも大変。でも取れたとしても将来の保証も無ければ、その国の社会保障も関係ない。国外で生きるということはそれを受け入れるということなんですね。だから最後は日本に帰る、いつか日本に帰る、どうしようも無ければ日本に帰るという選択肢しかないわけですが、海外育ちで海外が自分の祖国、あるいは故郷と考え、日本的思考も日本的文化もわからず、あるいは日本語さえも怪しい子供がそういう状況になることを考えた場合、我々日本人が日本から追い出されるのと同じ状況になるということ。
だから子供を海外に連れて行くとしたらその地の「永住権を取る」のはMustであると私は考えます。もしそれがないとしたら一生「腰掛け」が続くだけ。いつか国外に追い出されます。ま、その前に自分で出ることになるわけですが、そもそも永住権も無いのに「移住だ」なんてことをいうことさえおかしいことなんですね。永住権が無い場合は、その国においては「テンポラリーレジデンス」でしかありません。移住の許可は下りていないんです。「腰掛けなら住んでも良いよ」という、しかも狭い範囲の権利しか与えられていない。ま、多くの人が言う「移住」って「引っ越し」の意味で使っているのだろうと思いますが、一般的に「移住」とは「Immigration」とか「Migration」を意味する言葉で、転勤と同じような腰掛けを、あるいは単なる引っ越しを普通「移住」とはいいません。ましてや就労の権利もない、社会保障もない、選挙権もない、これって旅行者とほぼ同じ扱いってこと。ただ期間設定が長いだけ。だからメディアの宣伝、数年で帰るお気楽ロングステイヤーの話を聞いて「移住」つまり「お国替え」なんて考えたら大変なことになるってこと。
その点、「ロングステイ財団」は非常に冷静だと思います。マレーシアに関してですがMM2Hで永住はできないという立場。あくまでロングステイなんですね。旅行の延長で考えろということ。これは当たり前の話で、マレーシアには「移住用の永住権」の設定がちゃんとあるんですから。
その地に住めなくなったらその時はその時だと考えるのも良いでしょう。でももし私の親が外国人で私に日本の居住権もなかったとしたら私は親を恨むと思います。もちろん自分でどうにかしないとならないわけですが、軸足なんかどこにもない浮き草の人生、世界を放浪する人生を受け入れなければならないということになります。親は「国際人」を夢見たのかもしれませんが、そんなカテゴリーは世の中に存在しないわけで、子供は「難民」と同じになる。
それも考えた上で、子連れ移住を実行するのは親の責任だと思います。それでもやろう、リスクを取ろうと思うのならやるしかない。でも子供の寝顔を見ながら是非考えて欲しいのです。その子供こそがそのリスクを取らなければならないってことを。リスクを取るのは親じゃ無いんです。
でも日本に帰るのを前提と考えた短期留学なら良いんじゃ無いでしょうか。全く問題が無いと思います。でも気をつけないとならないのは、その地に長くいると子供はその国を故郷と考えるようになります。そして子供が小さい頃は親の言うことも聞きますが、中学生ぐらいになると「日本なんか関係ないのだから日本語の勉強はやめる」なんて言い出すのも普通。日本人らしさもどんどん消えていきます。これは親がどう頑張っても無理で、子供は環境にどんどん馴染んでいくだけ。
私の話がウソ、大げさだと思うのなら、現地で子供をきっちり育て上げた人の話を是非聞いてみてください。同じような小さな子供を持って「うちのこは4ヶ国語話せるんですよ」なんてニタニタしている人の話を聞いても全く意味がありません。それは「誰しもが通る通過点」でしかないんですね。逆に海外に暮らして現地の言葉が全くわからないってのは異常で、日本に育った子供が日本語がわからないのと同じ。問題らしい問題は小学校高学年から中学生ぐらいでポツポツ見えてくる。高校生になると気が狂うほどに問題点が見えてくるはず(笑)。子供を成人まで育て上げた人は問題点をしっかり把握しているはずですから、そういう人の話を聞くべきで、そして実際にその子供に会ってしっかり観察してみてください。自分と似たような環境の人とつるんでも何もわからないんですよ。また、現地の学校を紹介するサービスが最近いろいろありますが、中には現地で実際に子共を育て上げた経験のない人さえいる。こういうサービスプロバイダに相談することがそもそも変だと気がつく必要があります。情報を多く持っているかもしれませんが、所詮「又聞きを集めたもの」でしかありません。
国外国内に関わらず、「子供は親の思った通りには育たない」。これを出発点に考えることが大事だと思います。でも「我が家は大丈夫」って思うんですね。ほとんどの親は同じことを考えています。でも結果はそうはならないのが子育ての難しさじゃないでしょうか。
でもチャレンジすることが重要で、否定的なことを書き連ねましたが、結論としては最初に書いたのと同じで、「やろうと思ったらやるしかない」。(笑)
海外の子育てに興味のある方は、このブログの右の方にカテゴリーとして「海外での子育て」というのをありますので、そこからいろいろ読んでみてください。多分、みなさんが想像していることと現実の差に驚くんじゃないでしょうか。
でもそんな中で親子の絆もできるし、子供も親も育っていくんですね。
長男や次男に何があったかを書いた日記にがありますので、興味があるかたは読んでみてください。
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