我が家はどうやって、何を気にしながらオーストラリアで子供を育てたか?
こんなブログの表題だと、きっとダボのことだから自慢話の羅列になるだろうと思ってるでしょ?(笑)
ま、私がどういう指針を持って育てたかは前に何度も書きましたし、今更書こうとは思わないのですが、ただ一つだけ。海外に出れば何か良いことがある、青い鳥がいるとかそういう考え方は一切持っていなかったこと。それどころか、落とし穴ばかりでとんでもないことが起きるだろうと常に気を配っていたことぐらいでしょうか。
何でそう思ったか?
これは私自身が海外で育った経験があるわけじゃありませんが、昭和の始めに海外で生まれ育って大変苦労した叔父(日系二世)や、アメリカやグアムでウロウロしていたときに見たこと。また海外育ちの親戚が結構いること、日本でも帰国子女を見る機会が多かったことが原因かもしれません。
私の義理の兄は日本生まれですが小学校からハワイ。アメリカ国籍も取った。今は60過ぎですが日本語の読み書きはまるで出来ず、しゃべるのも片言。それで結果的にはアメリカはもう嫌だと日本人に帰化した。見た目は日本人ですが中身はアメリカ人という日本国籍を持つ変な外人です。また私の知人ですが、その息子は日本で中学を出たのにも関わらずアメリカへ渡って、今では一切日本語をしゃべらない。しゃべれない。
ま、アメリカに渡る場合、かなりの割合の人たちがアメリカ人になろうとするわけですから子供がそうなっても全く問題がないし、それが普通。これは日系人社会を見ればすぐにわかることで、二世でも日本語がわからないのが普通。オーストラリアはアメリカほどじゃないですが、子供をオーストラリア人として育てる親もいて、やっぱり子供は日本人的じゃないし日本語は駄目。でも全く問題ないんですね。そうなるように育てたんですから。
問題は我が家の様に、日本人であることを絶対に捨てることがないように、そして基本は日本人、子供のアイデンティティも日本人として保持できるように(アイデンティティがあやふやだと本人はかなり苦労する)育てたのに、変な外人になってしまうケース。これは親が悪いと思っています。
どうしてこうなるかというと、「海外で育てること」と「留学」の違いをはっきり理解していないからだと思うのです。海外で育つのは留学の延長線ではない。留学って、子供の中には日本という基礎があってそれに外国がプラスされるものだと私は思うのですが、海外で育つということはその基礎の部分が日本とその外国と置き換わることだと思うんです。そして彼らにとって日本は外国で日本語は外国語となる。
だから海外に出ようとしている人たちの頭の中はその国のことで一杯かもしれませんが、逆に海外に出てある程度経つと、さて日本に留学させようかどうしようか悩むことになるんですね。それほど「日本」を維持するのは難しいってこと。世の中にはそんなことも知らずに、「海外で子供を育てるのは素晴らしい」と自分では経験したことも無いくせに言う人が多い。日本人に良くある「海外に対する劣等感」でしょうか。あるいは「海外に対する果てしない夢」なのでしょうか。
そんなこんなで、現実としては海外で育った日本人はグローバルな何か凄いプラス面がある人間に育つんじゃなくて、ほとんどが「変な外人」であることを実際に見てきました。羨ましいどころかこれほど深刻な問題を抱えてさぞかし苦労しただろうと思うケースが多い。
これはオーストラリアに渡ってきてからも同じで、まずこちらで育つとどうなるか、それの多くの例を見ることから始めました。正直なところ、多くは私が知っていた「変な外人」の部類が多く、私の子供達に目指して欲しい「海外育ち」は非常に少なかったです。でも見つけました。そしてその親がどうやって育てたか、本人は何をどう考えどう生きて育ってきたかを聞き、私はそれを「真似」しただけ。また子供達もその彼の様になりたいと思うように誘導しました。(笑)
じゃ、それで思ったとおりになったのか、成功したと言えるのか。点数をつけるとしたら何点か。問題はなかったのか。ここが問題なんですね。
で、私の答えは「ノーコメント」。
私とて普通の親と気持ちは同じです。ですからもし子供が最初の理想通りに育たなくても、「育て方を間違えた」とは絶対に思わないんですね。何がどうあってもそれを「認め」たくありません。
これは子供達本人とて同じで「俺の育ち方はこうあるべきじゃなかった」なんて思うわけが無いんですね。
では、もしタイムマシンがあってやり直しが利くとしたら、やり直したいことがあるのかどうか。
この答えも「ノーコメント」。
実際にいろいろありましたし、あの時、ああしていれば・・・なんてことは山の様にありますよ。でもそんなことを口に出したくないんですね。そして「そうしなかった」ことが「失敗」であるなんて思いたくないわけです。今現在ある子供の姿、現状を全てひっくるめて愛しているんですから。
ここは親は皆同じで、つまり、誰に聞いても「良いことしか言わない」ってことなんですね。で、実際に「これで良かった」と信じているわけです。面白いもんで、ここの評価はその親と他人とは全く違うと思います。他人からは「あんな育て方をして」と思うところは多々あるはず。でも本人としては親も子供もそんなことは「一切」考えていない。
だから「どう育てるべきか」ってのは自分で真剣に情報収集して、頭をフル回転にして、ありとあらゆるケースを想定して決めないと駄目なんですね。他人に聞いても一番大事なポイントは言わないと思ったほうが良いかもしれない。意地悪で言わない人もいるかもしれないけれど、親そのものが自分の子供の育て方の良かったポイント、反省すべきポイントがわかっていないというのが真理かもしれない。
そんな感じですから、ましてや海外で子供を育てたことも無い人に、また子供が小さくて親の言う事を素直に聞く可愛い時代しか知らない人にアドバイスなんか求めても大事なポイントから外れている答えしか返ってこないのはわかると思います。
でも苦労したことのある親達は、ここは大事なポイントだから・・と教えるなんておこがましいことじゃなくて、自分や子供が苦労したことは他人でもしないで済むほうが良いに決まっているからやっぱりこうやって文字にしたりしたいと思うわけです。育て方一つで一家離散、話も通じない、住む国が別々なんてことが普通に起きるんですから。住む国が別々ってのも、それぞれがそれを選んだなら良いのですが、(日本から出て海外に住もうと思う人の方が少ないのと同じ様に)「そこじゃないと生きられない」という風になるんですね。ここは楽観的に考えたら絶対に駄目な部分だと思います。子供はグローバルに育つんじゃなくて、単なるその土地の一ローカルに育つだけと考えたほうが間違いが無い。
だからたった一人でも良いからヒントを掴んでくれたら嬉しいと思って書くわけですが、対象が不特定多数だから書けるわけであって、個別の人、親には一切言いません。いや、言えません。子育てに関することを他人にとやかく言われて嬉しい人なんか世界中に一人たりともいませんからね。
でも聞く耳があるかないかで、人生が変わるのは子育てに限らず、仕事でも何でも同じだと思うわけです。
でもその声はなかなか届かないのも現実なのねぇ。
でもま、私はそれで良いと思っているんですよ。
子供がどう育とうと、親は「これで良かった」と必ず思いますから、つまり、子育てには「失敗は無い」ってことなんですね。全て大成功ということになる。(笑)
子供が苦労したら苦労したで「良い経験だ」と親は考える。でしょ?
でも育て方一つで、子供は変わるのも事実。家庭そのものも変わるってこと。そして当然、親にとっても子にとっても将来がそれで大きく左右されて取り返しが付かないようなことが簡単に起こるってこと。
そして海外で一番重要なことは、その地での行動、生き方を決めるのは自分の意思じゃなくて、持っているビザに左右されるということ。つまり、海外で育てて「どこの国でも生きていけるようなグローバルな子供に育って欲しい」じゃなくて「(日本を含めて)どこでも生きていけるように育てないと大変なことになる」ってこと。
恐ろしいでしょ?でもそれが現実。