副業の重要さ

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仕事をしていない退職組は別にして、仕事をするのが当たり前の人たちの何割ぐらいが副業を持っているんでしょうか。こういう統計って見たことがないし、また友人知人ともあまりお金の話をすることは無いので、世の中の人たちってどうしているのかがわからず。

ただ、ダブルインカムという言葉はあるし、また夫婦共働きの家庭は少なく無いですから、収入源を複数持つことの大事さって皆が理解しているはず。でもそんなのは当たり前で、100%の人が収入源が複数あったほうが良いに決っていると思いますよね。でも現実は?

私は商人の家に生まれましたし、もともと副業という考え方は我が家には一切ありませんでした。それどころか商人は「商いは飽きない」というぐらい、それに没頭し頑張らねばならないのが普通。でも商売と言っても小さな商売でしか無く、家族総出で働くような商家でもありませんでした。ですからその商売は母が中心にやり、父が手伝うこともなく、父は相場師だったり(笑)。でもその相場で失敗してから小さな事業を興し、それが何十年か続いて、結果的に我が家は二つの職業を持つ家となりました。

それを小さい時から見ていた私は、やっぱり収入源は複数必要だというのを身を持って体験したといって良いのかもしれません。商売の方はそこそこ安定していましたが、ごっそり儲かるわけでもなく、でも大損するようなこともなく、それが我が家の柱でした。では父の稼ぎは?となりますが、父の事業は輸出関連で良い時は良いですが、悪い時はひどくて、非常に大きな波があった。多分これだけでは安定した家庭を保つのは難しかったはず。

でもダブルインカムだと問題がないんですね。母の収入で家庭が成り立っていましたから、父が儲けた時にはそれはプラスアルファとなって、家を買ったり、それなりの贅沢をしたりすることが出来た。またせっせと母は溜め込んだのでしょう。でも、1970年台に入ってからドルショックオイルショック、そしてとんでもない円高で父の会社は大変なことになり、もう駄目、倒産するという時期がありました。そんな時に「倒産させずに会社を精算するにはいくら掛かるの?」と母が父に聞いたんです。で、なんとその金を母が出した。これは父も私達子供たちもびっくりで、いつそんな金を母が溜め込んでいたのか一切知りませんし、想像もしていなかったのですが、とにかくそれで助かった。

ま、こんな感じで大小様々な事がありましたが、ダブルインカムがあるからこそ、それぞれが助け合いうまく生き延びてこれたのが我が家。

そんな中で生きてきた私は、ダブルインカムがない方が異常だと思うようになって、常にそれを心がけるようになりました。若い頃から起業した私ですが、常に相関性の無い商品の柱を二つ以上持つのは当たり前でしたし、当たった商品があればそれに集中するというより、他の新しい流れを作るチャンスと考えるようになりました。でもま、世の中そんなうまくは行きませんが、常にもう一つの柱を持つということを考え続けたのは良かったと思っています。

オーストラリアに渡ってからもそれは同じで、電話関係の会社と中古車輸入の会社を立ち上げてみたり、またそれをやりつつ、相場という全く違う世界にも浸かっていました。今思い出すと、どれ一つを取ってもそれだけしかないとしたら、とっくの昔に我が家は破綻していたのがわかります。まぁ、それぞれがうまい具合に補完しあっていたということになりますが、ここで普通考えるのは、どれかが悪くなることによって他の足をひっぱることにならないかという点でしょう。

でも私はそれは考えませんでした。というか、一つこけたら皆こけるようなやり方をそもそもしませんし、一つこけたらそこからの収入が途絶えるだけというやり方です。でもそれってリスクコントロールとしては良いけれど、大きく伸びることは無いんですね。だって借金は絶対にしませんし、身の丈以上の投資もしませんから。

ここは難しいところだと思います。上を狙うのか、生き残りを狙うのかの違いってあるわけで、私は大きくなることより「死なないこと」を重視してきました。ですから今も普通のオヤジとして生きていられるわけですが、もしかするともっと大きくなるチャンスはあったのかもしれません。でもそれってレバタラの話でしか無く、まず生き残りを考えるのが大事でしょ。

こういう考え方が当たり前だと思う私から見ると、世の中の多くの人ってどうしてそういう危ない生き方をするのかと不思議に思うことがあります。特にサラリーマン。サラリーマンも優良な大会社にでも勤めていれば良いのかもしれませんが、私はサラリーマンも自分という商品を売る一つの事業としか見ていませんから、売るものが一つしか無くて大丈夫か?と心配になるわけです。

病気や事故は他人事じゃないわけですし、災害も来るでしょう。戦争もあるかもしれない。そんな馬鹿なと思う人は私からすると脳天気だとしか思わないわけで、近現代史を見ても、また今の現代社会を見ても今の日本のように幸せなのが当たり前という前提は絶対におかしいと思います。そして実際に阪神大震災や東日本大震災、福島原発事故も起きたわけで、想定外のことが起きるのが人生であって、(私の友人が良く言うことばですが)人生には上り坂、下り坂、そしてまさかの坂がある。これって本当にその通りで、人生が曲がる時、あるいは会社がおかしくなる時、倒産、破産する時って、日頃の駄目な行いの蓄積で起きるんじゃなくて、まさかの想定外のことが起きてそういうことになるんだろうと私は確信しています。毎日の赤字累積で結果的に潰れたなんてのは話の外で、大丈夫なはずなのに、まさかのことが起きて人生って曲がっていくんだろうと思うんです。

でもそれって想定できないから困る。福島原発もそうですが、本当に想定できなかったのか?と過去の自分の失敗を振り返ってみるとすぐわかるんですね。想定外じゃなくてそんなことを「想定したくなかっただけ」だと。またもしそれでも想定外の事が起きたらどうするか考えるのが、家の長の責任だと思うわけです。それには非常時に生き延びるに十分な蓄えを持つこと、また日頃、背伸びをしないこと、そして上に書いたように一つこけても大丈夫なように複数の収入源、柱を持つことだと私は思うんです。

そりゃ理想論だという声が聞こえてくるようですが、私はそれを理想論と言って逃げてはいけないと思います。それをやるのが責任。片足しかないズボンを履いて、もう片方は生地が足りなかったと言い訳する人はいないのと同じで、ズボンは両足分あってこそズボン。

ま、こういう考え方を持っていますから、このブログで昔から書いているように、簡単に早期退職なんて考えるべきじゃないと言うのも理解できるはずです。早期退職できる余裕があるのなら、その実行はちょっと先送りしてでも食う柱を何本か持つとか、非常用の蓄えを充実させるとか、それがやるべきことであって、今のそこそこの状態が将来も続くであろうという前提で考えるのは絶対に危ないし、それは綱渡りでしか無いと私は思います。

特に若い人は余裕がないのが普通ですから、副業だとか、もう一つの収入の柱どころか、今の収入だけで生きることさえ難しいのが現状という方も多いと思います。じゃぁどうする?しょうがない?諦める?これは若い人に限らず、中小企業のオヤジは(私もそうでしたが)常にそういう状態なのが普通なんですね。(笑)

そういう状態なのはしょうがないとするならば、リスクがある生き方をするべきじゃないと思うわけです。出来なことはできないのだからしょうがないと言い訳をし、やりたいことはやらなければならないと言って我儘を通す。そういう生き方でちゃんとうまくいくような世の中なんでしょうか。チャレンジが大事だと、リスクの想定も適当で突っ走るのが良いことなのでしょうか。自分一人でそれを選ぶのは大いに結構でしょう。男(女)一匹、自分の思うがままどこまで行けるか試すのも人生の醍醐味でしょう。でも連れ合いや子供がいたら?でもそこそこの年齢になると経済的に違いがあるのがたまに見えますが、副業を持っていて生きてきた人って結構いるんですね。歳を取るとその差が顕著になるから目に見えて目立つようになるんでしょうが。

ま、今これを読んでいる99%の方々は私のこういうものの言い方に反発を感じているでしょう。それが普通だと思います。

でも1%の人は、じゃぁ何か良い案でもあるのか?今からでも間に合うのか?と思うかもしれない。それの答えとしては「あります」と言いたい。私もそれがあったから今、生きていられるのは上に書いたとおり。それはなにか?その答えはこのブログを昔から読んでいる人はもうわかるはずです。そして私はその1%の方々、いや0.1%かもしれない。千人に一人。その人がいるから私はこのブログを書き続けているわけです。マレーシアがどうじゃゴールドコーストがどうじゃ、ロングステイがどうじゃなんて話は数限りないブログがありますし、そちらの方がどれだけ充実した内容か。でも私が見ている将来はそんなことじゃないんです。それらはどうでもよい事ぐらいにしか思っていません。でもそういうことより、もっと大事なことというか、他人の目を気にすること無く、誰にああしろこうしろ言われること無く、自分が自分の足で立って自分の好きなように生きて、そして尚且つ家族やコミュニティに責任を持って生きるにはどうしたら良いのか。それが今日の日記の主題でもあるし、私が唯一ブログから発信できることだと思っています。

平民の逆襲。この意識を持って世の中を見渡してみると、ちゃんとそのチャンスはあることに気がつくはず。まずは立ち上がるぞ!という意識を持つことが大事じゃないでしょうか。自分の力量はこの程度だと諦めて生きる人生なんか面白く無いでしょ。で、諦めているくせに綱渡りはしようとする。おかしいじゃないですか。後先が逆。

良し、やってみようと意思表示をなさった方ってまだ数人しかいないのですが、その中に近々私の長男も入りますし、どうにか皆で、たとえ少人数でもやっていこうと思っています。平民の逆襲。(笑)

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