日本でのエボラ出血熱

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昨日のニュースですが、「エボラ出血熱の感染が疑われる男性がいる」というのを見てハラハラドキドキしていました。その男性はカナダ国籍の日系人ジャーナリストで西アフリカからヨーロッパ経由で羽田に入り、発熱があったので隔離されたと。

今日の未明には感染しているかどうかがわかるとされていまして、本日、陰性であるのがわかりホッとしました。

ところが、これで終わらずに、また政府が槍玉に上がっていますね。対応が悪かったと。

エボラ出血熱 政府の対応が二転三転 情報開示に課題も  ← クリック

これって陰性であったから良かったものの、陽性だったらただじゃすまなかったのかもしれませんね。

私が気になった点は

「厚生労働省は、確定診断が出ていなかったので、国民に余計なパニックを呼ぶとして、発表するつもりはありませんでした」

というところ。

これって日本らしいなぁと感じます。どういうことかというと、「国は親で国民は子供みたいな関係で、細かいことは子供にいちいち言う必要がない」という考え方が間違いなく存在している。これってどこの国でも似たようなもので何でもかんでも公表するのが良いとは思えませんが、日本は「公表しない」のではなくて「隠す」面がチラホラ見えるような気がします。日本って歴史的に「自己責任」という観念がなくて、安全を国なり自治体なりが保証するという面があるように思えます。規制も厳しかったのは「消費者保護」の面が強いからだと思います。

それはそれでいいのですが、子供は馬鹿になるんですね。何が起きているかわからなくても良い。親が解決するはずだと思い込んでしまう。でもそうではない国民も多くいる。

このニュースを見て思い出したのが福島原発事故の時でした。官房長官である枝野幸男氏が報道陣の前にいつも立っていましたが、彼の言葉で目立ったのは「直ちに」ということば。国民はどういう影響が出るのか、人体にどの程度の問題があるのか気になるわけですが、彼はそれを「直ちに影響はない」「直ちに問題はない」という言い方ばかりする。

ある時期からテレビに映る枝野氏の顔が変わったように見えましたが、疲れているとかやつれたとかそういうものじゃないと私は感じていました。実は私は民主党はアウトですが枝野氏は結構買っていたんです。信用できるタイプだと見ていました。ですからその彼としては「直ちに」という言葉を付けなければいけないという思いが強かったのだろうと想像したし、では「直ちに」ではなければどうなるのかという国民が心配することには一切言及しなかった。つまり、私は彼はそこで自分を捨てた、殺したと感じました。言うべきことを言えない立場に潰されたと思いました。だからある時から、彼の顔が変わった。前とは違う無表情で無機質の顔になってしまった。あれって、人間が自分自身を否定した時の顔だと思ったんです。だからこそ、原発事故はただごとではなさそうだと思いました。

ま、それは横に置いといても、国民には事実を知らせる必要がないという基本があるのは昔から変わっていないような気がします。確かに国民に冷静に判断できる素養があるのかといえば、答えはノーなのが世界の常識なわけですからそれはそれで仕方がないのかもしれませんが、親離れ出来ない子供を持つ親と一緒で、やっぱりいつか変えていかないと駄目だと思うんですよ。近年よく聞かれるようになった「自己責任」というのもそうで、お上に任せておけば良いなんてことはあり得ないんですから。

こういうことってどの国も同じですが、やっぱりアメリカやオーストラリアの報道を見ていると「理知的な」ものを感じます。ところが日本のニュースは「感情」が前面にでている(これってアジアの特徴かな?)。国民にもいろいろいるわけで、常に気分や感情で右往左往する人ばかりではないんですから、もう少し国民を信用して欲しいと私は思います。親子関係と全く同じで、全てを明らかにするべきとは思いませんが、もう少しオープンでも良いんじゃないでしょうか。

でもそれもやっぱり子供に準備ができていないと駄目なのかもですね。時が至っていないのか。でも国やメディアの対応は国民を馬鹿だと決めつけているように私は感じるんです。

そういえば911のNYテロの時に感じたのですが、日本では「日本人犠牲者」の話題ばかりだと感じました。これは海外で事故事件があると「日本人は含まれている、いない」といの一番に言いますよね。確かにそこは気になる点ではありますが、そこに集中し過ぎだと私は感じます。犠牲者や関係者の気持ちを大事にするというのはわかりますが、それと同時に、一体どういう事故、事件だったのか?、その真相は?、再発防止は?とすべての人に関わる大事なことがあるのにそれは二の次になるように感じます。そしてその事故事件に日本人が関係していないとなると無関心になる。これっておかしいじゃないですか。

でも国民の感情としては、そこだけが重要なのかもしれませんね。痛みを共有することが大事だとか、自分の近親者だったらどう思うかとか、そういうことばかり主張する人は決して少なくないけれど、それを無視しろってことじゃなくて、事故事件の真相に迫ってそれを解明し、それを皆で共有し理解し、再発防止に繋げるという点が疎かになるのは非常にうまくないと思っています。そして日本人が関係していなければ対岸の火事扱いというのも変。日本人って日本人のことしか心配していないのが世界の報道を見比べるとよーーくわかります。報道にそういう特徴があるということはそういう国民性なのだろうと私は思っています。自分に火の粉が飛んでこないことはどうでも良いって考え方。

国民にそれを考える余裕、理性が無い限り、国は国民に事実を言うことは出来ないし、「安心してください。大丈夫です。ちゃんとやってますから」の一言で済ます方向に行くんでしょう。

結局、大本営発表と同じだってことなんですね。それで日本は戦争に突入した。そして国民は戦果を聞いて万歳をし、日の丸を振って喜んだ。福島の原発事故でも似たようなパターン。

最近、原発の再稼働関連のニュースもチラホラ出てきますが、もう安全だとかそういうまやかしはやめて欲しいと思います。

「原発ほど危険で将来に問題を残すものはない。でも今の日本にはどうしても必要なのだ」とはっきり言えば良いし、そこから本当の話し合いが始まるんじゃないでしょうかね。国民をバカにしないで欲しいです。

なんとなくの雰囲気で大事な所はうやむやにしつつ全てが動いていく日本ってやっぱり変。

でもま、エボラ熱じゃなかったのは本当に良かった、良かった。

 

 
    

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