気がついたらキッチンに私の大好物であるチキンキャラグィンとフィナデニソースが作ってありました。代表的なグアム料理です。
早速、レタス包みが好きな私はこれでお昼ご飯。
今から何年前でしょうか。グアムに入り浸っていた私が嫁さんを連れて行ったのは30年ぐらい前か。いや、私も20代だったような気がしますからもう少し前かな。まだ結婚する前で婚約中。その当時、グアムで始めた仕事がありまして、それのセットアップで何ヶ月か滞在しないとならないことがあったのですが、それにヨメサン(候補か)を連れて行ったということ。何ヶ月も日本に置いておくのは不安ですものねぇ。(笑)
でも毎日が忙しいわけでも無く、釣り三昧の生活でした。
グアムってもちろん海に囲まれていますが、釣りに適した場所ってそうそうないんですね。珊瑚礁の中に入ってくる小魚を釣ってもすぐ飽きてしまいますし、大海にはチョー大物もいるわけで、それは無理にしても魚らしい魚はいくらでもいるわけです。でも珊瑚礁の中には入ってこないですから、釣るとしたら断崖絶壁から釣るとか、大きな湾になっているところしかないんですね。
昼間はトローリングもそうですが、魚って釣れなくて、やっぱり明け方夕方、そして夜中。グアムってやることが無いですから特に夜は暇なわけですよ。ですから日が暮れると釣りに行くというのが毎日の仕事。(笑)
我々が良く行ったのはコマーシャルポートと言われるところでアガニャ湾にある商業港です。隣にはアメリカ海軍基地があるようなところ。ここは関係者以外立ち入り禁止なのですが、なぜかFishing passなるものがあって、釣りに入るのはOK。
岸壁には大きな船が泊まっていて、私たちが良く行ったポイントは漁船が停泊する場所でした。ほとんどがカツオ船。台湾の船が多かったかな。行っている内にやっぱり退屈している乗組員と友達になって、船の中に呼ばれて言葉が通じないので筆談をしながら酒盛りをしたりして面白かった。帰りには、カツオを捕る船だけれど他の魚も網に入るんですね。必ずそれをお土産でもらえるのが凄く嬉しかったです。イカ、シイラ、その他何があったかな。もちろんカツオも良くもらいましたっけ。
こちらから彼らに出せるものって何も無いわけで、酒を持っていったり、おつまみを持って行ったりそんな程度。
この船が泊まる岸壁って馬鹿に出来ないんですよ。釣れるときには1メートルを超えるヒラアジが掛かったりしますからかなり大きな仕掛けを使います。またアジが回遊しているのでサビキを投げたり。
ヨメサンも釣り好きですから全く飽きませんでした。
そんな生活を3ヶ月していたのですが、我々の宿泊はホテルとかコンドミニアムではなくて、普通の民家に居候。これは前にも書いた私のグアムとの関係で知り合い、親戚以上の付き合いをするようになった現地の人たちの家(前に書いた【グアムウルルン物語】はここをクリック)。私も18歳の頃から行ったり来たりしていて、我が家と同じ大きな顔をして住まわせてもらっていました。もちろん無料だし、食費も出さず。でもたまに食料を買ってきて渡していた程度。
そんな生活ですし、グアムの家で作る料理なんてそうそう種類がないんですよ。基本はバーベキューで、あとは頻繁に行われるパーティーの余り物を食べるって感じ。そしてそのグアム料理の中で絶対に外せないのがこのチキンキャラグィンと万能ソースのフィナデニソース。
もともと料理が好きなヨメサンはその3ヶ月の間にほとんどのグアム料理を覚えちゃったというわけ。
でも不思議なのはこのチキンキャラグィンだって今までは年に一度も作らなかったんです。ところが最近、この数ヶ月の間に、作って欲しいなんて言わないのにヨメサンは何度も作る。
そして「グアムが懐かしい・・・」と何度も言うんです。グアムを思い出してグアム料理を作っているわけですが、彼女の心の中に何があるのか、それがわからず。「懐かしい」という言葉は連発しますが、その言葉の奥にあるものをヨメサンは言わないんです。
でも「あの頃は楽しかった・・・」という。
ってことは?
ま、言われなくても私も感じるわけですが、そもそもヨメサンって「人生は楽しくあるべき」という考え方が非常に強い人で、それは当たり前のことなんですが、「やるべきことをやらない」という部分もあるんですね。グアムに行ったあの当時は私も若く、夢はあるけれど不安なんてひとかけらも無くて、それこそ「わからない将来」は喜びであったわけです。ところが結婚もし子供も出来、男としての私はそんな楽しいことの追求で生きていけるわけも無く、普通、皆がそうであるように「やりたいこと」ではなくて「やらればならないこと」が中心の生活になった。
そしてそれが今も続いているってことなんですね。そしてかつては「わからない将来は喜び」であったのが「わからない将来は不安」と感じるように自分も変わっていった。ところがそう考えてみると、ヨメサンっていつも変わっていないことに気がつきました。あの当時から今でも「人生は楽しくあるべき」という言葉をいつも口に出しますから。
でもそれを追求できない状況って必ずあるわけで、もしかすると今の状況がヨメサンにとっては初めてのそういう「楽しくないことを受け入れなくてはならない環境」なのかもしれないと思いました。ある意味、それは今まではそんなことも無く幸せだったと言えるのかもしれませんが、「いつまで子供みたいなことを言っているのか」という考え方もあるんですね。
そのヨメサンの楽しくないこととは「大好きなゴールドコーストを離れて行きたくもないところへ行って住まなくてはならないこと」のはず。
だったら行くな!なんて簡単に言う人は多いけれど、それもまたそうは簡単にはいかないんですね。転勤と同じ。また今現在、マレーシアに住んでいて盛り上がっている人や、これから行こうと思っている人にしてみれば、「なんだ、こいつ」と思うのもわかります。当然だと思います。
でも現実を見てみると、夫婦で話しが合わずに諦めた、片方だけ行くことになった、大好きだと思ったのに帰りたくなった、もう我慢できない、なんてことがいくらでも起こっているわけで、5年も10年も「最高~~~、幸せ~~~」なんて思う人はごく少数派のはず。これはマレーシアがどうのじゃなくて、所詮ロングステイってのはそういうものだろうと思っています。恋ですよ、恋。それと同じで、フト冷めるときが来るのが普通。
結婚も似たようなもので、恋い焦がれて、あの人がいなければ生きていけない、なんて思ったのがいつの日か別人のようになる。(笑)
で、本番はそこからなんですね。生活するとはそういうことだと思うんです。
そもそも、今まで転勤や引っ越しをして、大阪でも東京でも地方都市でも良いですが、「ここは最高~~~、嬉しい~~~~。皆さんも是非来てくださ~~い」なんて思ったことがあります?「私たちを住まわせてくれるこの東京に感謝しましょう」なんて思ったことがある人はいます?
結局、ゴールドコーストだろうがハワイだろうがマレーシアだろうが、生活が始まると「恋い焦がれた感情」は段々薄れていって、最初の頃感激したことがいつのまにか日常になって何とも思わなくなる。それどころか「あばたもえくぼ」で当初見えていなかったものが見えてくる。本質がわかってくるなんてことも起きる。まさに結婚と同じ。 (笑)
ですから、マレーシアに行くけれど、本音は行きたいと思っていないなんていうのも、実は根底では多くの(盛り上がっている)人たちと何も変わっていないってことがわかるはず。
でも盛り上がりって非常に大事で、意識してでもそれを作っていかないと長続きしないんですよね。
今の我が家にはそれがない。
ヨメサンがグアム料理を頻繁に作るようになったのはそれが理由だと思います。