昨日ですが、息子たちがクアラルンプールに行きましたので、姉に「よろしく頼む」と電話をしました。
その時に雑談が始まり長話になり、姉が連絡を取り合っている親類縁者の状況を聞きました。ここには別に変わったこともなく、皆さん、普通に生きてる様子。
ところが、昔の友人たちは?という話になってからびっくり。私達が若いころの友人ですが、中には大会社の御曹司みたいなのもいたんです。ところが彼らの時代になってから上場会社なのに倒産させてしまって今は警備員をやっているというのが数人いたのにはびっくり。姉の前夫も一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに倒産して禁治産者のまま。
でもま、それを言い出すと私の若いころの友人たちはサラリーマンになった連中以外は、ことごとく行方不明です。日本で事業に失敗してタイに渡ったところまでは知っているけれどその後はわからないとか、父から譲り受けた工場もダメになり、それは閉めて中国に技術指導で行ったまま帰ってこないなんてのはまだ良い方で、話を聞いているとかなり暗い話ばかり。
でも元気にしているわよというのは全員サラリーマン。多くは退職していますが、普通に幸せに生きているのがほとんど。
面白いもんですよね。私が学生時代は初任給が2,3万円で、ちょうど田中角栄の列島改造論の時代に入り、5万円ぐらいにはなっていたのですが、でもそんな金でどうやって生きていくんだ?なんて生意気なことを私は考えていました。ですから学生時代から起業してああじゃこうじゃとやっていたのですが、まぁ、波があるなんてもんじゃなくて、天国と地獄が入れ替わるならまだ良くて、地獄その1とその2を行ったり来たりしていたようなもんでした。
お前、公務員なんかになってどうすんだよ、なんて言う間柄の親友がいましたが、後に羨ましく思うことが何度もありました。
でもどうにかサバイバルして生きてきたわけですが、60も過ぎて40年近く前の友人たちの話になると、まるで様子が変わっているのは正直なところびっくりです。
そこで姉が言い出したことですが「私達、海外に出て良かったわよね~~」ってこと。あのまま日本にいたら絶対に押し潰されていたと姉は断言しますし、私もそう思います。それは姉も私も同じ。苦労なしで生きることは不可能にしても、頑張ればどうにかなる環境ってやっぱりあるんですよね。でも日本はそうじゃなかった。皆さん、本当に大変だったと思いますし、その渦に巻き込まれなかった私達は本当にラッキーでした。
というか、歳をとって考えるようになったのは、所詮、人生は「運」なんだと思うってこと。頑張らなくてもどうにかなる人もいるという話じゃなくて、死に物狂いで頑張るのは当たり前だけれど、だから結果がでるわけじゃないんですね。日本を見ているとそれを強く感じます。
でも海外に出るとボケーッとしている外人は多いですし、日本人の視点から見ると宝の山だったりすることもあるし、日本人みたいに勤勉で頑張る人は多くはないですから、どうにかなっちゃったり。でもそういう国に生まれた、あるいは渡れたのも結局「運」でしかなくて、自分の意志だけでどうにかなる話じゃない。
この運がいつまで続くのかわかりませんが、今まではラッキーだったことには感謝しないとならないねぇ、なんて姉と話をしていました。
そこで心配なのは息子たち。
私が忘れられないことがあるんですよ。まだ次男坊が中学生の頃ですが私に言った言葉があります。
「パパ、僕は日本人みたいにお金持ちになるためにガムシャラに働く人間にはなりたくない」
というんです。これには私はびっくりしまして、
「お前、日本人って【普通に生きるため】にガムシャラに働くんだぞ」
と入ったところ
「ウソ~~~~~~~」ですとさ。(笑)
こういうところが我が家の息子達にはありまして、まぁ、オーストラリア人そのものです。
でもま、大人になりますと、周りがそうだからとかじゃなくて、自分の意志でどうするべきか考えた上での働き方をするわけで、皆が皆、怠け者になるわけじゃありませんが、もし怠ける生き方を選んだにしても、「怠けている」という自覚もないんですね。それが自分の生き方だと自信を持ってる。(笑)
それも困りものですが、でもやっぱりそういう生き方のほうが人生幸せだろうと思います。他人の目を気にすることなく、自分が好きなように生きて、どうなろうとそれは自分の責任というか、それが当たり前で幸せだと思う世界。でもそれって国別比較の「裕福さ」とか「一人あたりのGDP」には出てこないわけですが、幸福度という意味においては優っている。
そういうことも含めて考えると、やっぱり日本脱出は良かったのかなと思ったり。
私の友人で、かなり若いのですが、夫婦でオーストラリアの永住権を取るべく頑張っていたのがいます。数年掛けて様々な資格をとったり英語を勉強していたのですが、数度のトライをしたものの結局ダメで諦めました。
私が忘れらないのは彼らが言った言葉。
「同じ貧乏をするにしても、オーストラリアで貧乏したかった」と。
日本って私にとっては世界一好きな国ですが、普通に頑張っても余裕がなくて苦しい国。これって何か変ですよね。この話になるといつも思い出すのが、長年、我が家の芝刈りをしていたジーサン。彼は立派な一戸建ても持っていて、雨になると仕事は休みですし、決して小さくないモーターボートも持っていていつも釣り三昧。休暇は自分の都合で勝手に決めて年に数度は夫婦で海外旅行。どう考えても一般的な日本人より裕福で幸せそうに見えました。
マレーシアはオーストラリアに似て「緩い国」だと思うのですが、そんな中でのんびり、ゆったり生きるのもよいのかもしれませんね。金やモノは持っていなくても、本人が幸せだと思えばそれに勝るものはないわけですから。
でも面白いのはオーストラリアで、かつては日本人ってのは金持ちの代名詞だったのが、今では貧乏たれの代名詞。ポンコツの車に乗っているのは日本人。(笑)
私の車ももう12年目になってしまった・・・・・・。街を走るオージーの車はピッカピカで高級車が普通に走っている。昔は窓ガラスがない車とか、ドアが一枚だけ色が違うなんて信じられない車がいくらでも走っていたのに。
これも「運」なんでしょうねぇ。