またイスラム国の日本人人質事件の話です。
今回出てきた画像、映像は今までとは全く違うタイプのもので、イスラム国が作ったのではないのではないかとウォッチャーなら誰しも思うはず。
イスラム国が世界に向けて出す映像は「ハリウッド映画もどき」でかなり手が込んでいるんですね。これは二人が映った最初の映像も同じで、わざわざ映像の合成をするなんてこともやっている。それもあえて違う角度から撮ったシーンも入れて、「合成技術」を自慢しているかの様。
でも今回のは「素人が慌てて作ったような映像」。
ただ、私が見たユーチューブに投稿された映像は「大元」のものではないと思っています。もしかすると「大元」は「写真と音声」だけだったのかもしれない。それを「誰かが」写真と音声を合わせて映像にし、それにアラビア語と自動で音声から作った(しゃべっている)英語のキャプション(ユーチューブのものに非常に似ている)を映像の中に入れている。そして一番最初は今までなら「XXXに対する声明」みたいな感じのタイトルが入るのに、今回は「家族と日本政府が受け取ったもの」という表現としてかなり違和感がある、意味深なタイトル。
だから今までとは違う部署が作った。あるいは違う組織、部署が勝手に出した可能性すらある。
写真に関しても後藤さんの写真に合成の疑いがあるという専門家もいるし、またよくテレビに出てくる「音声のスペシャリストである日本音響研究所」が「99%別人」だと分析している。
後藤さん(とされる)の音声をユーチューブに出ているシリア入りする前のしゃべり声と比べると、素人ながら、本人だろうと私には思えます。またしゃべり声と印刷されたものを読むときの声って違うのが普通で、そういう意味での差異はあると思っています。
ただ不思議だと思うところが一箇所。
Rinkoというのは奥さんの名前だろうと思いますが、このRinkoの発音が日本の発音じゃないんですね。本来の発音は「LINKO」に近いはずで、ローマ字ではラ行はRで表記されますが、ラリルレロは実際にはRではないですよね。LA LI RU RE ROの様に私は発音しますし、これは私だけがそうなのかもしれませんが、少なくとも自分の妻に呼びかけるときには日本式の発音をすると思うんですよ。Linkoと。
意味がわかりますかね?ラーメンはRAMENと表記されますが、日本人でこれをRA-MENと発音する人はいないはずで、LA-MENですよね。
後藤さんの音声はこれ。
I am Kenji Goto Jogo. You have seen the photo of my cellmate Haruna slaughtered in the land of the Islamic Caliphate. You were warned. You were given a deadline and so my captives acted upon their words.
Abe, you killed Haruna. You did not take the threats of my captors seriously and you did not act within the 72 hours.
Rinko, my beloved wife, I love you, and I miss my two daughters. Please don’t let Abe do the same for my case. Don’t give up. You along with our family, friends, and my colleagues in the independent press must continue to pressure our government. Their demand is easier. They are being fair. They no longer want money. So you don’t need to worry about funding terrorists. They are just demanding the release of their imprisoned sister Sajida al-Rishawi. It is simple. You give them Sajida and I will be released. At the moment, it actually looks possible and our government are indeed a stone throw away. How? Our government representatives are ironically in Jordan, where their sister Sajida is held prisoner by the Jordanian regime.
Again, I would like to stress how easy it is to save my life. You bring them their sister from the Jordanian regime and I will be released immediately. Me for her. Rinko, these could be my last hours in this world and I may be a dead man speaking. Don’t let these be my last words you ever hear. Don’t let Abe also kill me.
私がおかしいと感じたのはここの部分だけですが、他は「日本人英語」だと感じます。私には他国語を母国語とする人の発音には聞こえないし、後藤さんでないとすれば「後藤さんの声にそっくりな日本人」を使ったとしか考えられず、これは日本国内でも同じものを作る(後藤さんの声に似てる人を探す)のはかなり難しいと思います。
またそれだけ手を込んだことをするなら映像に手を掛けていないのはおかしい。
なんて思っていたところで、「「イスラム国」が警告通りに日本人の人質1人を殺害したと伝えた。」という朝日デジタルのニュース。(ここをクリック)
ヨルダンに投獄されている死刑囚との交換を彼らは要求しているわけですが、ヨルダンはその死刑囚をヨルダン人の(拘束されている)兵士と交換を考えているくらいで、後藤さんとの交換に応じるわけもないし、日本も頼めない、また世界がそれを許さないでしょう。
でもまだ誰も言及していませんが、2対1の交換だってあり得るわけですよね。もしイスラム国に取ってその死刑囚が本当に大事だとすれば、ヨルダンのいち戦闘員+日本のいちジャーナリストとの2対1の交換だとしても悪い交換ではないはず。もしかしたらその線で動いているかもしれませんね。1対1じゃなければならないなんてことは無いわけですから。
ヨルダンの戦闘員との交換の話は前からあったわけですが、その死刑囚は大物の一族で、また何十人ものヨルダンで死傷者を出した自爆テロの実行犯の生き残り。だから交換はするなという世論があるのかもしれませんが、ここで日本が・・・となれば、世論に対しても世界に対してもヨルダンは言い訳が立つ。アメリカも捕虜交換の前例はあるわけで、文句は言えない。
イスラム国が「交換」を言い出したのは「こういう落とし所もあるぞ」というメッセージの可能性すらあるんじゃないでしょうか。ヨルダンは日本に「かなり大きな貸し」ができるし、悪い話じゃないんじゃないでしょうか。
しかしもし交換が行われる方向で動いたにしろ、「一連のことを知りすぎた後藤さん」を彼らが手放すのかどうか。最初の声明、撮影時のこと、ジハードジョン(あの黒服の男)のこと、湯川さんのこと、そして今回のことといろいろ起きたことを後藤さんは見て知っているわけで、その情報はイスラム国分析にはかなり重要のはず。
ここから先はいつもの私の戯れ言です。読むのは時間の浪費かも。(笑)
「危ない場所には行くな」ということですが、ミリタリーオタクの湯川さんは別にしても、戦場ジャーナリストは「現場」に出るのが仕事ですし、そこで何が起きているのかを世界に知らせるのは非常に大事なことで「大本営発表」とはまるで違うことがあるはず。これはイスラム国でさえも「世界に発信したいこと」があるはずで、「敵対する国のジャーナリストも敵」という単純な構造ではないはず。ましてや日本の立ち位置は英米、あるいはオーストラリアも参加する「有志連合」とは違うわけで、扱いが同じとは思えません。
この有志連合とは何なのかの理解も大事そうで、これは国連とは別の「連携関係」。有志連合(Wiki)がイスラム国の敵であって、安倍さんの中東での言動はまさに「日本はこの有志連合に参加すると表明した」のと同じ意味合いがあるのでしょう。
安倍さんの中東での言動は「なぜ?」と思った人は私も含めて多いと思うのだけれど、これと「有志連合」との関係を注視して見ていく必要があると思っています。つまり、ケリー国務長官は去年の9月に「日本の協力」に言及していて、それはまさに「一緒に戦おう」ということであり、これにオーストラリアがすぐに乗ったのは私達も知っている通り。
結局、安倍さんの中東での言動はこれを受けたものだと私は想像していて、戦闘に参加しないにしても「人道支援」あるいは一歩進んで「後方支援」をアメリカは期待している。そして期待しているということは「日本にそれなりのプレッシャーを掛けてきている」と思うのです。そしてそれは戦後70年そうであったように、日本はそれを断れない。
政治や外交って私達が理解できない、知らないところで話はどんどん進むものだと思っているのですが、「集団的自衛権」「日本の軍備増強」、そして「安倍さんの中東での言動」も同じ一本の線でつながっているように感じます。
またネットの中では、911のNYテロがやらせだというのと同じ流れで、今回の事件も「偽旗作戦」つまり、CIAが仕組んだストーリーの「やらせ」だと主張する人もいて、イスラム国によるアメリカ人殺害の映像も「おかしい」と指摘する人たちは少なくない様子。
この辺は「想像」あるいは「妄想」の世界で、なんとも言いようがありませんが、歴史を見てみますと、第一次世界大戦、第二次世界大戦、そしてアメリカのベトナム戦争参戦の裏には「そうなるような様々な工作が存在した」のは明白で、その当時を知らない私達でさえ「湾岸戦争」「イラク侵攻」には「おかしな点」があるのは感じているはず。特に「イラク侵攻」は茶番なんてものじゃなくて、「大量破壊兵器を持っている」という理由で攻撃開始。そして結局は「それは存在しなかった」という幕引き。結局はサダム・フセインを倒し、石油の利権を手に入れることそのものが目的だったとしか言いようがないと思っています。これに関してはあの戦争の立役者のパウエルが「イラク戦争は回避できた」とか「(国連で)大量兵器があると発言したことは自分の人生の最大の汚点になるだろう」とも言っている(ABCテレビのインタビュー)。
こんなことが常に繰り返されていて、私はリビアのカダフィー大佐もその犠牲になったと想像しています。結局悪いところはいくらでもあるわけで、そこだけを強調すれば「極悪非道のキチガイ」になるわけで、一方では「アフリカ期待の星」でもあったのがカダフィー大佐だったはず。同じように中南米でも「反米は許さない」という論理の元、政権は倒され続けている。
日本は日本独自の生き方があるとは思うのですが、日本はアメリカに従属することで、そして「極悪非道の侵略者」であることを認め、もうしませんと世界に確約したから日本は「アメリカ側」に付けたわけで、今になって「戦後レジームからの脱却」や「東京裁判を含む歴史の見直し」はアメリカはもちろん戦勝国には絶対に容認出来ない「歴史修正主義者」と断定されるのは当然ですよね。
日本にも正義があったなんてことを認めたら、あれだけの死者と被害を出してまで戦った戦争はまるで無駄になるわけですから。
「慰安婦問題」はそれに関係していて、日本は「事実関係」ばかりに目が行きますが、中韓や戦勝国にとっては「慰安婦問題」とは「日本の歴史修正主義の象徴」だと見ていると思うのです。人権問題だなんだというのはオカズみたいなもので、「お前は言い訳を出来る立場ではない」ということでしょう。この言い方は中国がたまに使いますが、そこに「世界の本音」があると思っています。
日本は日本として独立国家ではあるけれど「いうことを聞かない奴は抹殺する」という「強い意志」を世界の覇者は持っているのは今も変わらず、今の世界の構図、成り立ちをみずして「日本の生き方は俺達が決める」なんて偉そうなことは言えないのだろうと思っています。
でも「覇者」が「覇者」でなくなってくると世界の構図も変わるわけで、中国が言いたいことを言い、オバマ氏に「太平洋を二分しよう」なんて冗談みたいなことを本当に言う時代になったのを認識しないと「日本国としての舵取り」を間違えると思います。
要は力がないとどうにもならないのが国際舞台で、たとえ格差が広がろうと、大企業優遇だろうと、国の総力として「勝つ」方向へ日本が向かうのは必然だろうと思います。国内向けにはリップサービスをしますが、世界の中の日本を考えた場合、違う視点が必要なんでしょうね。
で、結局、今回の事件もその大きな流れの一つでしか無くて、そもそもイスラム国がどうして誕生したのかを考えても、「大国の意思」によって生まれたのがわかるし、そして中東問題も同じ根っこ。それプラス、キリスト教対イスラム教の構図って我々には理解しづらいですが、1000年以上続いている争いの中の氷山の一角がイスラム国だとも思います。
この辺は友人の敬虔なキリスト教徒に聞いてもチンプンカンプンですし、もちろん十字軍のことなんか「文字で書かれたもの」でしかなくてまるで現実味を持っていないのがわかります。でもイスラム国は「十字軍」という言葉を使いますし、彼らは「復古主義」であるのは自ら言っていますし、積年の恨みを晴らすという思いはかなり強いと思っています。世界を牛耳ってきたキリスト教側からいうと、「悪魔」にしか見えませんが、まさに彼らも「(彼らにとっての)悪魔を倒す」ことに執念を燃やしているのだろうと思います。
ローマ法王が「第三次世界大戦が始まった」と表明しましたが、これって現実を見ていない宗教家が言った戯言だと思ったら大間違いなんでしょうね。
そんな大きな世界の流れ、そして「今は」アメリカ側につくしか無い日本の立場、そして中国の台頭など、これから大きく世界が変わる濁流の中で我々は生きないとならないわけで、今までの価値観で世界を見て、将来どうあるべきか考えるとうまくないように思います。
先が短いジジババは別にしても、こういう世界で生き抜くための「サバイバル能力」を手に入れるにはどうしたら良いのか、若い人たちは真剣に考えるべきなんでしょうね。
「日本を捨てろ」とは思いませんが、私が若者ならやっぱり「日本から出る選択肢」を真剣に考えると思います。それが「将来の日本を守ることに通じる」と思うから。内向きな日本人が多いと日本は間違いなく滅びるはず。どんな時代でもどこでも生きていける能力がないと恐ろしいことになりそうです。
私は保守系の思想を持っていますが、でも昨今は「保守派の過度な日本美化」が始まっているようで気になっています。ただリベラル派はあまりにも近視眼的で「個人」とか「私」、あるいは「家族」が考えの中心になっているようにも思うのです。
「子どもたちがたくさん出る運動会をどう運営するべきか」話しているような感じを、私はリベラル派の考えを聞くと受けるのですが、皆が集まりそんな相談をしているところへ、今、大きなトラックが猛スピードで突っ込んで来ようとしているのが今の日本の置かれた状態だと思うのです。
今日の日記をここまで読んだ人ってかなり少数派だと思いますが、【いろいろな意味で】イスラム国の姿が見えてくる動画をここに紹介します。これはかなり「恐ろしい」ものですから、閲覧には気をつけてください。特に02:00以降。
未成年者には見れないようになっていますので、見る場合は「西暦」の部分で適当な年を選んで、Submitを押します。
怒りが湧いてきますが、有志連合、アメリカ、オーストラリアも同じこと。発表ではISILの6,000人の兵士を殺害したとありますが、女子供、一般の犠牲に関しては沈黙。
「罪もない人をも殺すのが戦争」でこれは現代でも同じで、「広島長崎の原爆」「東京大空襲」と大同小異だと思います。ISILだけが異常で残虐で、米を含む有志連合が「正義」で「大量殺戮は正当」だと考えるのを認めるわけにはいかず、その考え方が異常なのは我々日本人が一番よく知っているはずですよね。
また有志連合が使う、近代兵器のドローン攻撃。敵からは音も聞こえず姿も見えない離れた上空から攻撃。イラク戦争の時にも「誤爆」が問題になりましたし、味方の集団にミサイルを打ち込んだことさえある。これを操縦する兵士は戦場から離れたところにいて、アメリカ軍の場合は拠点はアメリカ国内にもあって、仕事が終わると家に帰って家族と普通に食事をするような異常な世界。
イラクのドローン攻撃。途中で突然音声が大きくなるので注意。01:09辺り。
地上戦の後。ISILの死骸の山。これはレバノンベースのHezbollahがISILを掃討した様に見えますが、死体は全て道路の上に並んでいるという異常さがあります。捕虜の移送中に殺したと見るのが妥当ではないでしょうか。よくよく見ると死体の周りには荷物があるようにも見えて、もしかすると避難民を殺したのかも。
戦争をしてはならないというのはこういうことだと思うのですが、命を捨ててでも理想国家をつくろうとする人、民族の存続をかけて戰う者、復讐を誓う人、戦争を止めさすために戦う人、これらが入り乱れているところで「世界平和を・・・」と祈ってそこで思考停止することこそ「危険思想」な気がしてきます。
また多くの映像の中には「死体を蹴飛ばし、ツバを吐きつける」シーンも多く、「憎悪の強さ」は半端ではないと思います。彼らに向かって「平和を・・・・」と言っても、彼らが考える平和とは「理想国家を作り、西欧から干渉されないこと」だとしたら西欧の平和主義者はなんとするのか聞いてみたいです。
ではどうするのか?と結論を急いでも結論はなかなか出ないわけで、また個人はまだしも「国家が戦うことを放棄」するのは世界の出来事を「対岸の火事」だと見るからそういう気楽なことが言えるのだろうと私は考えます。
かと言って「一方に加担する」のが良いのかどうかも問題で、日本とは「英米が戦争をする時には、電話一本でそれに賛同してしまう国」(イラク戦争の時の「小泉政権」がそれ)である現状をどうするかというのは、今の我々でも考えるべき問題点だと思います。
安倍さんを批判する人は多いですが、彼が「ロシア制裁の話が出た時に【考えさせてくれ】とアメリカに返答」したのはもしかしたら大進歩かもしない。
「民主主義」も「自由」も「平和」も【戦って勝ち取る】経験がない日本はどこかおかしいのかもしれないと疑う必要があると私は思うのです。
イスラム国の問題はそういう意味で、私達の問題でもあると思うのです。我々一般が何をどうしようと今回の事件を解決することはできませんが、こういう世界の中でどういう日本であるべきかを決めるのは我々国民なのですから、「何も出来ない」わけではないと思うのです。
選挙の一票と同じで、自分が何をどう考えようと世界が変わるわけではありませんが、その一票をどう使うのかは真剣に考え続けなくればならないと思っています。と同時に、国や世界の方針によって自分の人生が変わるような生き方は絶対にしたくないと思います。
そういう意味での「私の抵抗」は死ぬまで続く。(笑)