卵や食肉がどう作られているか

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前の日記にはハム、ソーセージ、肉がどのように作られているかの話ですが、今回は、もっと上流といいますか、卵や肉が、つまり鶏、牛や豚がどう育てられているかの話。

こういうのを嫌う人が多いと思いますが、どうぞパスしてください。

私はこの手の話が好きってことはないのですが、結構真剣に考えるタイプです。だからどうしようとか、こうあるべき、というつもりはないのですが、「まず事実から目を背けることはしない」のを信条としています。

ですから是非見てくださいなんてことも思いません。ただ、自分の子供には「このぐらいのことは正視しろ」「知らないのは恥だ」とはいいます。でもどうしろとか、どう考えろとはいいません。

アメリカで制作された動画です。日本語のスーパーが入りますからわかりやすいと思います。

鶏がどういうふうに卵を生むのかという話。

皆さんがどう考えるかは皆さんの勝手で、私がどうこういう話ではありませんが、私の考え方は書いておきます。

私の考え方としてはこの動画を作った人たちとかなり近い考え方を持っています。でも助けようとは思いません。食べるのはよそうとも思いません。ま、私がそれだけ俗物だってことなんですが、「動物を殺して食べること」に罪悪感はないのです。ただ、動物の扱いは「公平ではない」とは思います。

日本には「いただきます」という言葉がありますが、それは「命をいただきます」という意味なのだと、まるで「胸を張るかのようにして」説明する人がいます。私はこれってとんでもない偽善だと思っていまして、また日本は「供養塔」みたいなのを作って祀ることもしますが、これも偽善に近いと思っています。

でも偽善かどうかはその人の心の持ち方であって、「いただきます」とか「供養塔」が必要ないとか、やめてしまえとも思っていないのです。

ただ、それによって「自分の罪がなくなる」かのような態度、「これで許される」と思う気持ち、「俺は動物のことも考えている」とあたかも良いことをしているかのような欺瞞がそこにあってはならないし、何を言おうが何をしようが「許されざる罪を負って生きている」のを正面から受け止めようと思うだけです。でもこれも一つの格好付けでしか無いのは自覚があります。

それと動物とどう接するかですが、卵を買わないとか肉を食べないではなくて、やっぱり殺すにしても命の尊厳は守ってやりたいという気持ちがあります。だからコスト削減でどんどん安くするにはしょうがないという考え方は皆無で、高くてもいいからまともなことをして欲しいと思っています。でもこんな考え方も殺される方にしてみれば「馬鹿言うな」で何の意味もないのもわかります。

夢みたいな、バカな考え方ですが、動物と対等であるのも良いのじゃないかと思っていて、お互い動物として「サシで勝負しよう」みたいな考えがあっても良いかと。つまり、食べたければ勝負する。(笑)

彼らもこちらを食べたければ食べてよし。逃げたければ逃げてよし。でも追いかけたければ追いかける。こちらが逃げても彼らが追いかけるのもOK。昔々の大昔、草原で人間と動物が出会った時に戻って、サシで勝負するのも良いかと。(笑)

彼らを「必ず殺されて食べられる運命」から開放するという考え方です。そして我々も同じように食われるかもしれない運命を受け入れる。

これって弱いものを助けるって意味だけじゃなくて、自分は自分が食うものさえ自分で手に入れることができず、大きな力、権力が作った囲い、システムの中で飼われているだけだというのがわかるし、それにも腹が立つんです。

ダボってやっぱり狂ってるって思うでしょ?私もそう思います。(笑)

でも昔から思うんですよ。例えば穴にハマった犬でも猫でもみんなで助けたり、今では消防まで出動して助けますよね。それはそれで良いのですが、その救出作戦が終わったあとに「祝杯だ」「乾杯だ」とバーベキューをやったり、焼き肉を食いに行こうぜ、いやジンギスカンにしようみたいなのはおかしいんじゃないの?ってこと。

私としてはそこの矛盾をなんとも思わないのは恐ろしいことだと思うんですよ。

そしてそういうことを平気でする、上の動画で鶏や動物がひどい状況になっても「当たり前」「しょうがない」という考え方は、動物だけじゃなくて人間に対しても我々が持ってしまうことを認識したいんです。認識しろ、じゃないんですよ。自分で常に認識したいと思ってるって意味です。

結局、世界が大騒ぎになっているISILにしてもそうで、あれのバックにあるものは格差であり、貧困であり、強者による弾圧、強制、あるいは無視、無関心があったからだと思うんです。それとこの卵の問題も根っこは全く同じに感じるわけです。繁栄の影には犠牲があることを容認したツケが回ってきたと感じます。

だからこういう動画もたまに見ようと思うし、自分の中で何が起きるか、何か考えが出てくるか、それを観察したいんです。そしてそこに何か見えれば、それはISILの問題解決の自分にとっての糸口にも繋がるんだろうと思うわけ。

でも答えなんかでないんですね。

ただ少なくとも鶏もそうだけれど、自分の利益のために、他の生き物、あるいは他の人間を「絶大なる力を使って」不幸に貶めてもなんとも思わない自分でいるのはイヤだと思うんです。理屈なんかありません。そういうのが嫌いなだけ。

鶏を食べたければ追いかけて捕まえる。豚を食べたければ勝負する。その為にこちらが血だらけになろうが足の一本を折ろうが、あるいは怪我をした挙句に逃げられたとしてもそれで良いと思うんです。

これを書きながら、やっぱり俺って異常だと自分でも思いますが、本当にそう思うのだからしょうがない。(笑)

病院にいけ?それもいいかもですね。

ところで動画ですが、前の日記に転記した2ちゃんねるでの話の中に「Food Inc」という言葉が出ていました。これも上の動画に似たようなもので、でも被害者は我々消費者、そして生産者。この動画はもしかしたら前にも紹介したことがあるかもしれませんが、あのアメリカの、というかグローバル企業である「モンサント」の話が出てきます。強大な力を使いまくって世界の食生活をおかしくし、生産者をもコントロール下に置き、莫大な利益を追求し続ける会社。権力と言っても良いと思いますが、ひどい環境で飼われて可哀想なのは鶏や牛や豚だけじゃなくて、我々でさえ、似たような状況だという話。

Food Inc これは英語で日本語の字幕はつきませんが、英語そのものは難しくないし、英語の勉強だと思って見るのもよいかもしれません。

資本主義、市場主義、競争主義、規制緩和、グローバル化など。これらを信奉する世界の行き着くところは何なのかが見えるような気がします。そこに私達日本人が大事にしてきた「和の精神」なんか全くなくて、でも一見「和」に見える利益が一致する共同体の連携があるだけ。、

ここまで読んだ人はいないよね? (笑)

でも私は今日、この動画を見てよかったと思います。そして久しぶりに動物たちに思いを寄せることが出来たことも。

彼らに友人としての私から贈り物。

でもまた明日からガンガン食うから覚悟しておけよ、と言っておく。 (笑)

 

 
    

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