古賀茂明氏が報道ステーションで何やらしゃべってややこしいことになっている件

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もと経産省の官僚だった古賀茂明氏ですが、27日の報道ステーションで「テレビらしからぬ発言」をし、またキャスターの古舘伊知郎氏もそれに応えるという、ちょっと珍しいことがおきましたね。これを放送事故という人もいますが、この問題って奥が深いと思うんですよ。

何が起きたかですが、簡単にわかるのがこんな動画。

実際の「報道ステーション」の録画はこれ。(ブログに埋め込みが出来ないのでここをクリック)

この古賀氏ですが、3月いっぱいで(様々な番組から)降ろされるという話は前からでていてわけですが、それは古賀氏の「政権批判」なんですね。それが噴出したのはISILの人質殺害事件だと思うのですが、あの事件への対応というより、「安倍政権は日本を危ない方向へ導いている」というのが彼の考え方。

ここは右派にしてみればとんでもない奴となりますし、左派にとっては良くぞ言ったとなるわけですが、問題は「マスコミが政権の意図を汲んで、報道の自由を自ら制限している」ってこと。

ここは非常に難しいところだと私は思っていて、古賀さんの主張は私は賛同できないものの、「彼を干す」のが良いのかというと、それは違うと思うんですよ。

私自身は民主党のお偉方の話を聞いているとイライラしますし、福島瑞穂氏は日本の癌だぐらいに思ってはいるのですが、でも「彼らの主張は彼らの主張で良い」と思っています。それどころか右寄りの私でも「左派の言うことに一理ある」と思うことだってあるわけで、「違う意見だから聞きたくない」ではなくて、「違う意見だからこそしっかり聞いてみたい」と思うんです。

ただ朝日新聞が昔からやるような「洗脳」や「扇動」は絶対にあってはならないと思っていますが(右派系でも同じようなことはやる)、「言論の自由」を制限するのはかなりうまくないと感じます。

「あんなやつに言いたいことを言わせていいのか?」という右派はかなり多いのはわかっていますが、私は「違う意見も聞こう」という思いのほうが強いのです。

私は安倍支持ですが、安倍さんの本心、狙っているものがわからなくなる。私が想像しているものとは違うのではないかという疑念は常に持っていわけで、私としては「左派の批判の目」を持ちながら安倍支持をしたいと考えています。

もしも本当に「言論の自由」が制限される方向に今の日本が動いているとしたら、これって本当に怖いことになると思います。でも右派からいうと、今までは右派は封じ込められていて「日本は良い国だ」というとバッシングを受け、国旗掲揚も駄目、国歌斉唱も駄目という偏った考え方が長年大手を振って大通りを歩いてきたわけですから、これからはそれの逆で左派が押さえ込まれるという動きになるのかもしません。

でもそれって私としては嬉しくないんですわ。私の考える右派的な思想を当然自分は「当たり前のこと」として考えているわけですが、だからといって左派的な思想を抑圧して消すことが良いとは思えないってこと。結局、「臭いものにはフタをする」ということになるわけで、それでは右派も左派も一枚の紙の裏表でしか無くて、本質的には同じになってしまうように感じるのです。

「オープンにしてきっちり話しあうべき」というのが私の理想。

そういう意味で、ちょっとオチャラケたイメージで売っている「大竹まこと」ですが、彼は結構まともなこともいうと思っています。また彼が持っている番組に今注目されている古賀氏が早速出ていますが、「耳を傾けるべきこと」を私は言っていると思うんですわ。

彼の言わんとしていることがこの動画から伝わってきますが、やっぱり私の考え方とは違うのもはっきりわかりました。

ある意味、彼のほうが私よりよっぽど進化していて(彼は官僚時代、10年に一人の逸材と言われたほど頭の切れる人)、彼の言うことが「あるべき姿」なんだろうとも思うのです。ただ、世界はそのような理想論では動いていないというところの「認識」が違うのだろうと思います。

「日本は70年間、戦争もせずにこれだけ大きくなって、世界でも珍しい国。ここで戦争をするような国になってはならない」という考え方を左派、リベラル派は持っていますし、それはそれでわかるのですが、「日本が戦争をしなかった」のは「代わりに誰かがやってくれていた」という部分を無視してはならないと思っています。「やってくれていた」というところに反論が集まるとは思いますが、結局、アメリカだろうがどこだろうが「邪魔者は消す」という「国際的論理」で進んでいるのが現実で、その結果が今現在であり、「その恩恵を受けたのが日本」だと私は思うのです。言葉を変えれば「汚い仕事はアメリカがやってくれていた」のかもしれない。

でもアメリカが良いわけではないのははっきりしていると私は思うわけで、「日本は自立」するべき。ただし一人で立つためには「今まで平和で在り続けた体制」のままでは無理だと思うってこと。

だからこそ、アメリカベッタリでも「平和のほうが良い」という考え方を持つ人が多いのだろうと思うし、どこを見渡しても「アメリカ従属からの脱却」をいう人は保守の中でも少数派。これは、このままなら「温かいお湯に浸かったままでいられる」という考え方にしか私には思えないのです。そうかと思えば「アメリカからの脱却」をいう人の話を聞いてみれば、「中国に寄り添え」みたいなことを言うし・・・。

私は思想家でもなければ評論家でもありませんし、どうあるべきかがはっかり自分の中で確立されているわけではありませんが、「自分は絶対に正しい」と信じる人達による言論封殺だけは反対したいと思うのです。これは左派、リベラル派も同じで、自分たちは今まで言いたいことを言い続けてきたのに、今の政権がちょっと右寄りなだけで大騒ぎするのもおかしいと感じています。

そもそも今の政権は右翼だという(海外含む)意見も馬鹿げていると私は考えていて、アメリカも韓国も中国も、私には極右にしか見えません。「日本だけには好きなことを言わせない」という包囲網が出来ているのを受け入れるわけにはいかないと思っています。でも戦争に負けるということはそういうことであって、勝ち組の理論で未来永劫続いていくのでしょうね。それが嫌ならまた戦争か?

馬鹿げていると思いますが、世界ってそういう風にできていると私は考えています。自分の利益しか考えないのが当たり前の世界。

そういう意味で古賀氏は(もしかしたら)一歩も二歩も先をあるいているような気もするんです。彼の言う平和を日本も世界も目指すべきなんでしょうが、地球という小さな小さな地域で生き抜くためには「弱肉強食」が普遍の原理原則であって、古賀氏の理屈は広大な宇宙へ飛び出してそれぞれが好きな様に生きられる時代にならない限り、地球では通用しないと私は思っています。

私だっていつか自分も家族も存在すらできない状況になったとしたら犯罪をも犯すかもしれませんし、でもそうなる前に、あの手この手で競争相手を追い落として生き残りに賭けるはず。世界の国々ってそれと同じで、きっと地球ではずーーっとその状態が続いているんだろうと私は思うわけです。

ですからやっぱり「平和ボケ」が日本にはあるんだろうと。でもそれは「頑張ればどうにかなる」ということでもあるわけですが、利益は無から生じたものではなくて、本来「誰かが手にするもの」を「自分が得た」だけかもしれない。もし他の多くの国も「日本と同じような生き方」を選んだとすれば、結局強いやつに食われて終わるのだろうと思うわけで、おててつないで仲良く生きていけるようにはできていない。生き延びるためにはなんでもするのが当たり前で、韓国が中国に寄り添うのも全くおかしくない。

あの国を事大主義だなんて馬鹿にすることはできなくて、どの国も皆、同じだと思う私。中国が進める投資銀行に対して世界中の国が媚びを売るのも同じでしょう。

日本はアメリカを中心に世界に対して媚びを売ることで命をつないで来ただけだと私は思っています。でもその意識を多くの日本人が持っているかというとそうではなくて、「自分の力」で伸びてきたと信じているのね。だから韓国や中国の自慢を平気で馬鹿にするんでしょう。「俺たちとは違う」と。だから理想論も平気で口に出す。

そういう意味で私は安倍さんの「普通の国になろう」というところに共感を覚えるわけで、「アメリカの庇護のもとで理想論を言い続けるか」、それとも「普通の国」になって一からやり直すのか。私としては後者を選びたいわけです。でも実際にはかなり難しいだろうと・・・。ま、アメリカが沈むときには一緒に沈む。それも一つの生き方かもしれないと思ったり。でも何よりも怖いのは、「アメリカが日本と一緒に沈む気はない」ってことだと思うんですよ。

中国の投資銀行ですが、私は突然アメリカが「参加表明」することもあり得ると思っています。かつて日本がキッシンジャーとニクソンに煮え湯を飲まされたことも忘れるべきではないと思うのです。

そういう意味でもやっぱり日本は独立して欲しいと思っています。自民党と公明党の間柄ではありませんが、日本がうまく立ち回ればキャスティングボードを取れる可能性すらあるんですから。アメリカはそれを一番嫌がるでしょうが、だからこそやっぱり「戦争だってやるときにはやる普通の国」として独立して欲しいです。

そもそも日本人は「他人には迷惑をかけない」のが大好きですが、私はこれは「自己満足の世界」に限りなく近いと思っていて、人間は「迷惑を掛けずに生きられない」と思っています。国も同じで、生き延びるには「奪い取る」ことが繰り返されてきてそれは将来も同じで「富をわかちあいながら皆が生きる」ようにはできていないし、地球にはそれだけの「パイ」がそもそも存在しないと思っています。でも自分に衣食住の問題がない人は、頑張れば世界も豊かになれると勘違いしているんじゃないでしょうか。

戦争は一般市民が犠牲になる、なんてのも当たり前の話で、だから戦争は駄目というのは子供の論理だと思っています。生き延びるためには足切りが必要なこともあるわけで、それをしなくても生き延びる方法をまだ人類は見つけていないはず。でもそれを見つけようというのは、人類が誕生してから今までずーっとやってきたことですが成功していない。私はその方法は絶対に存在するという理想を持つことが出来ずにいます。その理由は簡単で、「欲望」にはキリがないから。そして「他人(他国)が持つ欲望」をコントロールすることは不可能だから。

でも反対意見を封じ込める、ましてそれをメディアが自ら行うとしたら「大政翼賛会」となんら変わらないってことになる。

話はガラッと変わりますが、なぜ私が宇宙人に興味があるかというのと、今日の話と無関係ではなくて、もし地球に宇宙人が来ているとしたら、彼らは地球人以上に長い歴史を持ち生き延びてきたのは間違いがなく、ほぼ100%地球人が持つ「弱肉強食」の原理原則を彼らは乗り越えた経験があるはずだと思うのです。ですから、是非とも宇宙人に会ってその辺を聞いてみたい。神の存在も。(笑)

でも(彼らが存在したとしても)宇宙人がなぜ公式に地球人に接触してこないのかの理由も簡単にわかるような気がします。もし人類の前に存在を表したら世界中の人も国家も想像を絶する技術力を持つ宇宙人に「欲望を満たし冨を求める為になりふり構わず殺到する」のは間違いがなく、本来人類があるべき姿とは逆のことが起きるであろうから。私は彼らが公式に接触してくる大前提があるのだろうと思うのですが、それは「人類が【共に生きること】を知っているか否か」。

時期尚早ってことですね。(笑)

 

 

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