平和安全法制論議 再び

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与党が力で通してしまった法案ですが、やっぱりあれでは国民が黙っていない。あちこちで反対集会は始まるは、安倍支持率も急激に下がった。

でも今回の話は本当に難しくて、話がややこしくなるのは、今まで「憲法とその解釈」で誤魔化してきたツケが回ってきたからだろうと私は思っています。「日本を取り巻くリスク」に関しては名指しで中国を出せないこともあって、「アメリカの子分になる」とプロパガンダを展開されればそれがどんどん動き出す。

でも今回はそのプロパガンダが酷いと私は感じるわけで、デモでは「戦争反対」を叫ぶ人で一杯。ここに私は違和感を感じるわけで、誰も戦争を出来る日本にしようと言っているわけではなくて、戦争反対そのことだけに関して言えばほぼ100%の国民はそう考えているはず。でも戦争だ徴兵だと、どんどん話がズレて行った。

民主党は代案を出すこともなく、不安を煽る戦法。これではたとえ審議の時間を倍にしたところで無理だと思うのもわかります。真剣に討論しようという姿勢がなく「安倍打倒」に固執している。多くのメディアも同じ。これじゃ国民にしても理解が深まることは無く、もうこの辺で強行採決で決めるのもしょうがないと思ったり。でも逆に与党も(今後の参議院を含め)押し切ってしまえば良いという短絡さも見える。

前回ブログで紹介した討論ですが、反対派の根底にあるのはやっぱり情緒的なもの、将来がはっきり見えない不安に立脚していると感じました。ま、それを煽る人たちがいるし、思惑通りになったのだろうとは思うけれど、だからと言って与党の説明責任が免除されるわけでもなし。

今回、その後の第二弾の討論がありました。

前回より私は内容は良いと思っていて、本来こういう議論が国会でなされ、もっと深く広く話が進めば良いと思うのだけれど、党利党略と情緒が優先されるのはほんとうに困ったもんだと思います。今回の討論は私にとって反対派の言うことにもなるほどと思う点があったし、今の日本が持つ問題点、やるべきことの順序が違う(憲法改正が先という意味とは別に)のも段々と見えてきたような気がしています。

気になったところがありました。最後の最後に出た話ですが、内閣府の調査があったと。「侵略者が国内に侵入してきて、日本を支配するようになったらどうするか?」という国民意識調査の結果です。

◯ 自衛隊と一緒に、あるいは入隊して戦う  9%
◯ 自衛隊には入らないけれど協力する 56%
◯ 自衛隊に協力はしないけれど、(侵略者に)反抗はする 19%
◯ 侵略者に服従する  5.1%

びっくりしたのは最後の「侵略者に服従する」が5.1%もいるということ。まぁ、これもわからなくはないし、世界の歴史を見ると結局はそうならざるを得ないケースが多く侵略が行われたのは事実。でもそれは圧倒的な「力」の差異があった場合だし、抵抗がこうをなした史実もたくさんあるはず。また侵略者が「善意」であると考えるのは絶対におかしくて、国によっては「略奪」「殺戮」を何とも思わない国があるかもしれないし、歴史における植民地化はある国をのぞいては(笑)、愚民化政策を取るのが常識だったし、国も滅亡し民族も消され、歴史や文化、価値観の変更を強制され、たとえ奴隷と同等だとしても「戦争をしないこと」「生きていること」が重要なのか。ここは非常に大事な点のはず。そもそもそういう侵略国家に乗っ取られたら、まさにその地の住民がまっさきに次の戦争の盾、あるいは尖兵に使われるのが常識で、「戦争したくないから、命が惜しいから服従した」ことが成り立たない。

自由とは命をかけて守るものである、勝ち取るものであるんじゃないですかね。

もちろんそうならないような努力が事前に必要なのは当たり前で、それが交渉力なのか経済協力なのか文化交流なのかは別にして、武力そのものを否定するのは私は片手落ちだと思うんですよ。どちらが大事かではなくて、これは車の両輪だと私は思っていて、どちらが欠けてもダメで、後ろに武力があるから交渉事も進むはず。私は武力とは行使するものではなくて「見世物」であって良いと思うし、まさに今でも中国は張子の虎であるのが見え隠れするし、どんどん出て来る韓国軍の汚職や不正(潜水艦用ソナーとして納入されたものが漁業用の魚群探知機だったとか)が発覚していますが、でも相手に「手強い」と思わせることが出来ればそれで十分だと思っています。でもそれが「使われることはない」と決めてしまったら抑止力にはならない。

でもそんな中身がいい加減でも金はかかる(日本の素晴らしいと言われる10式戦車も実用性はかなり低いらしい)わけで、そんな競争をしたら国の屋台骨が傾くのはソ連もその通りだったし、馬鹿げているのは間違いがない。でもそれを止めることはもっと危険で、「話し合いで決める」というのはそういう武力の背景を持ったもの同士だからこそ「決裂すると大変なことになる」から話し合いが成り立つのであって、何らかの意図を持った国と裸の国が交渉しても「話し合いにならない」のが現実だと思っています。

戦争恐怖症候群は誰しもが持っていると思うけれど、それを乗り越えることが出来ないと、それこそが戦争に巻き込まれ、国土も民族も存在が危うくなる理由になると私は考えています。

「戦争反対」「戦争はさせないぞ」というプロパガンダは良いと思います。でも今、戦争もしていない、侵略の意思もない、そういう日本政府にそれを言うのは筋違いだと私は思うし、「戦争につながる秩序を乱すようなことはするな」と「かの国」の大使館なり、南シナ海、あるいはチベットやウイグル、あるいは中東に行って声を出してきて欲しいです。少なくとも、やるべきことはそれが最初であるべきで、なんだか各地で行われているデモや集会も、近所で騒ぐ暴走族やヤクザに腹を立てて「それを旦那のせいにして旦那に文句をいうヒステリー女房」に私は思えてくるのです。

そういう暴走族やヤクザが自分の家に来たらどうするか、あるいは隣の家を襲ったらどうするか、隣町なら知らん顔していて良いのか、それをどう考えるかが今回の法制だと私は思うんですが・・

じゃぁ、与党のそれをそのまま認めるのかってことじゃなくて、我々が真剣に考えないとならないことはちょっと違うところにあるんじゃないかと思うのです。それが何か、そしてどうするべきか、それを知る手がかりがこういう討論であり、これが出発点だろうと思っています。

欲と恐怖、不安はちょっと横に置いといて、あるべき論と現状分析、将来予想を皆で話しあえば、結構いい案がでてくるんじゃないでしょうかね。

それって意外や意外、「思惑や都合だらけの」メディアや政治家には出来ないことかもしれなくて、一般国民だからこそなんらかの指針が見いだせるのかもしれないし、国民主権であるべきだとするなら、我々がここは感情に流されないように冷静に話し合うべきだと思います。プロパガンダに乗せられたら、右に乗っても左に乗っても国民は不幸になるはず。

今回は、メディア、右派左派両方の政治家、評論家に国民がバカにされて踊らされているような感じがして仕方がありません。

 
 
 

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