子どもたちが「俺たちは日本人ではない」と言う

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一昨日次男坊が連絡もなく突然シドニーから帰ってきて、昨日またシドニーに戻って行きました。一泊二日の里帰り。長男は長男で次男坊と一緒にシドニーへ。3泊4日で遊んでくると。

本当に仲が良い兄弟。2歳違いだけれど私は兄と弟という差をつけた育て方はせずに、全く平等だと言って育てました。実際には彼らから見ると育て方に差はあったのだろうけれど、彼らの中に上下関係は全く無し。幼い頃から意思表示がはっきりしている次男坊のほうが上みたいな感じがしないでもない。(笑)

私はとんでもなくワガママで強引な親の下に育ったせいもあって、親子の間にも上下はないみたいな感じで子どもたちを育て、皆が思ったことを素直に遠慮せずに出しあう、隠し事はない親子関係を目指していました。皆が言いたいことを我慢せずに言う親子関係だけれど、小さな頃から躾はかなり厳しくやったので、親に対する遠慮みたいなものは持っている。また彼らは私のことを尊敬してるといつも言葉に出して言ってくれるし、私も彼らに対する愛情は隠さずに出すし、彼らが悩んでいる時に放置する、見捨てることは一度もなかった(はず)ので、これほど強い親子の絆ってないんじゃないかと言って良いくらい私としては理想の親子関係だと思っています。反抗期なんて全くありませんでした。

そして私と似ていて子どもたちは理屈っぽいし、討論会が大好き。(笑)

今回も子どもたちと家で、食事中、車の中でかなり熱い討論会をやりました。私としてはこういう機会はどんどん減ると思うので、彼らが何を大事にしているのかをはっきり知りたかったし、私は彼らが「息子として」ではなくて「日本人として」「男として」わかって欲しいことを話しました。これは彼らが小さい頃から話していたことですが、長男は6年間メルボルンで大学生活をしましたし、次男坊はシドニーで2年間の大学院生活、そしてそのままシドニーで就職して3年ですから、彼らが大人になってからこれだけ真剣に3人で話し合うのは実は今回が初めてだったのです。

基本的には仕事に対する思い、人として何を大事にするべきかを私は話したのですが、びっくりしたことに通じないんですよ。私としては目の前の現実的なことより、守り続けなければならない大事なものがあると育てたつもりなのに、やっぱり環境とのギャップがあるんでしょう。彼らは現実主義者で理想論を否定する傾向が非常に強い。そして個人主義で団体とか全体とか、それを大切にするという考え方が希薄。簡単にいえば自己中で、これはまさにオーストラリアそのもので、家でどんなふうに育てようと環境の影響の大きさには敵わないのかもしれません。

でも私も「頭の周りにチョウチョが飛んでいるような理想の中に生きる大人」には絶対になって欲しくなかったので「本質を見ろ」といつも言って育ててきましたし、その部分ではオーストラリア的なものと合っていたのかもしれません。でも彼らのその現実主義が強すぎるように私は感じるのです。

もう10年以上前ですが、こんなことがありました。日本では偏差値至上主義をやめようという時代で、徒競走では皆が手を繋いでゴールをするようなキチガイじみた世の中になっていました。幼稚園児をそのまま大人にするような教育が行われていたし、流行歌の中にもそれが見えました。子どもたちは日本のそういう環境にいたわけではなく、オーストラリアは個人主義で有るけれどもろ競争社会で甘っちょろい考え方は子供の中にもないと感じます。

そこで彼らに聞いてみたんですよ。彼らはまだ小学生だか中学生だかそんな年齢でした。「お前らSMAPの【世界に一つの花】って歌を知ってるか?」と。もちろん知っているよというので、日本では大流行だけれど、お前たちはあの歌を聞いてどう思うか?と。

ちなみにこんな歌。久しぶりに聞いても、私はとんでもない歌だと思うのですが・・・。

私はこの歌を聞き、これが大絶賛されているという状況に、日本は終わりだ・・と思ったんです。だから息子たちにどう思ってるのか聞いてみたんです。(しかし中居ってマジで歌が下手ね~ 笑)

すると彼らは口をそろえて「これは負け犬の歌だ」と言いました。そして「綺麗に咲く花は、自然界の厳しい淘汰の中で生き残りの戦いの末に勝ち残ったし、その一つの花が咲くためにその何十何百倍の仲間を含めた他の生命が犠牲になっているという現実を無視している」と。

全く私もその通りだと思っていましたし、小中学生なのにこれほど的確に現実を見る目を持っているのは嬉しいと思ったくらいです。そしてやっぱり日本を出てよかったと思いました。日本はこの歌のように個を大事にしようと(一見良い方向に)見えるのだけれど、社会の競争を無視し、ファンタジーの世界の中に子供を入れたままにしようとするし、それこそが日本お得意の全体主義の現れであると思ったから。(今のシールズの若者はこういうファンタジー教育の結果生まれたと私は思うくらい)

私は子どもたちのその反応を見て、シメシメと思ったんですよ。ちゃんと現実を見てどうするべきか考える大人になるだろうと思ったから。

ところがですね。25歳、27歳になった彼らの中は「現実しか無いのか?」みたいな感じになっていたんです。見えないモノを大事にするという考え方が希薄。恋愛の話になってもそれは同じで、「守らなければならないもの」に対する考え方が無いと言っても良いくらい。「ダメなら別れるしか無いじゃん?」みたいなことを平気で言います。また彼らの今までの彼女関係の話を聞いていてもまさにそれを実践しているんですね。別れるときには未練もなくさっさと別れる。ま、この辺は彼らに言わせれば未練がないわけはないと言うのですが、私が考えるものとはかなり違う。

そして彼らは神を信じていないんです。宗教はどちらかというと否定する側で、これは私とは正反対。私はXXX教に属しているわけではありませんが、古い太陽神を信じるというか、全てのものに命が宿り、意志を持っているという自然信仰みたいなものを持っているのですが、彼らにはそれが全く通じない。これもまたオーストラリアのアメリカと似ているようで似ていない宗教心の無さが私の子どもたちにも現れています。宗教は弱いものを救うための方便でしか無いと考えている様子。ですから臭い言い方ですが「万物に感謝する」という考え方も希薄。

また「XXX道(どう)」という考え方もないんですね。スポーツとXX道との違いとか、そういうのがわからない様子。全てはスポーツみたいな考え方で、仕事にしてもそうで仕事を通して「人として育つ」という考え方は一切なくて、「生活するための手段」としか考えていません。当然、「会社に対する忠誠心」なるものも無くて「ルールに従う」という考え方が基本。オーストラリア人そのまんま。

私自身は祖母、母と宗教心の強い二人にいつもいろいろ教えられていましたし、「見えないけれど大事にしないとならないもの」の存在をいつも言われていました。これは私が育った商人の生き方にもそれはあるわけで、売上がどうじゃ利益がどうじゃという前に、店の玄関は綺麗に保ち、それ以上にお便所は綺麗にし、お便所こそが店の「顔」であって便所掃除はトップの仕事だと私は今でも信じているんですよ。これは客がどう思うかの問題じゃなくて、店とか事務所は「神聖なる道場。修業の場」という考え方があるんです。これは武道のそれと似ていて、稽古場に出入りするときには礼をするじゃないですか。あれと同じなんですね。

でもそれを子どもたちにいうと笑う。(笑)

困りましたねぇ。これは自宅の最後の別れを言いに行った昨日も感じたことで、自分を守り育ててくれた家に対する感謝とか礼の気持ちがないのね。家を出て車に乗った時に「お前たち、ちゃんと家にさようならを言ったのか?」と聞きました所、窓から手を振って「バイバーーイ」ですと。(笑)

彼らにとっての仕事場、会社って「稼ぐための場」でしかなくて、仕事は「生活の一部」であって「仕事第一」は絶対にあり得ないんですね。これは全ての従業員も同じで、日本人が持つ仲間意識とか「戦友同士の関係」みたいなものは全く無いと言います。彼らは「要はみんな傭兵みたいなもんなんだよ」と表現します。「自分の仕事能力を高め、今以上に儲けることだけを考えている」と。なるほどなぁ・・とは思うのですが、あまりにも現実的過ぎる彼らに私は正直びっくりしています。

彼らのそういう考え方って恋愛、結婚、仕事、全てに関してそうであるんですね。

私はそういう生き方は安っぽいと言うのですが、通じません。会社の上下関係もそれは単なるそういうそれぞれの立場があるだけの話で、人間形成においてはなんら関係が無いっていうんですよ。そんなもんですかね。それを指摘すると「俺達の常識も価値観も日本人とは違うんだよ。俺たちは日本人じゃないんだよ」と言い出す始末。

私は仕事の中で、「こんなすごい人がいるんだ・・」と思ったことは何度もあって、私にしてみればそういう人は「神」であって、そういう人のしゃべり方、挨拶の仕方、電話の話し方、名刺の出し方、そういう一挙手一投足、仕事の進め方、考え方を真似したり、どうしてそこまで頑張れるのかは自分の中にどうしても妥協することが出来ない「夢」とか「理想」「価値観」があるからで、自分もそういうものを持とうと一生懸命になったもんです。そうしたから成功するってわけじゃないけれど、あんなふうに人生を生きてみたいと強く感じたわけです。

でも我が子どもたちはそんなふうに感じる人には会ったことがないというんですわ。会社の中の人間関係も非常にドライで、仕事は仕事、プライベートはプライベートだし、「人としてあるべき道」なんてことは話題にも出ないと。「仕事人としてのあるべき姿」の話も出ずに「ルール通りに皆が動くのが成果を上げる唯一の方法」と信じている。そして日本の人間的な上下関係みたいなものがオーストラリアには無いっていうんですよ。逆に、そういうものを排除する考え方があると。逆に日本の企業風土に彼らが触れることがあるわけですが、「日本企業には無駄が多すぎる」と断言します。

そんなもんですかねぇ。だから会社に対する忠誠心も出てこないし、会社は社員を簡単に切るし、目の前の仕事をこなすにはそれが一番でも、長い目で見た会社の成長ってそれじゃダメじゃないかと思うんですけどねぇ。でもこの点に関しては、「技術力はあっても勝てない日本」みたいなものを感じるんですよ。スピード感がないんですね。これに関しては日本は世界に遅れているのは間違いが無いと思うのですが、効率と成果ばかり追うような仕事人生って面白くもなんともないと思うんですがねぇ。

でもその話を言うと、「オヤジのそれは宗教を押し付けるのと同じだ」と笑います。話は全くの平行線。

旗色が悪いので、私としては「お前たちは頭デッカチで経験が浅いからそう思うんだ」と言ってしまうのですが、それって彼らにすると最大の侮辱なんですね。彼ら自身も、彼らが属する社会も私がいうことを求めてないどころか排除するんですから。もちろん彼らはそのとおりだねなんて言うはずもなく、「オヤジのそれは間違えている」と理屈を並べるんですよ。で、私は「お前たちがそれに気が付かないと、【理屈で勝って仕事で負ける】ことが起きるぞ。オーストラリアはオーストラリアはとお前たちはいうけれど、じゃぁ、その結果この国はどんな国になったんだ?世界に勝てているのか?」「でもオヤジ、俺達はそのオーストラリアで育ってオーストラリアで生きているんだよ」と持論の応酬になるだけ。

そこで私は言ったんですよ。「お前たち、誰かのために死んでも良いと思ったことがあるか?」と。彼らは笑いながら「あるわけないじゃん」と答えます。彼らがこう答えるのはわかっていましたので、この時点で私の勝ちが確定しました。(笑)

「だろ?だからお前たちは経験がないって言うんだよ。」と、そして「お前たちに自分の子供が生まれて、その子供を自分の腕に抱いた時に何を感じるか想像できるか?」と続けました。

やっぱり彼らはそこで黙るんですね。

「【こいつのためになら命を喜んで捨てられる】と過去に想像したこともない感情が芽生えるんだよ。そして太陽に、空気に、空に、風に、身の回りの全ての存在に感謝したいと思うようになる。恋愛も同じだ。」と。

こればかりは経験のない子どもたちには反論はできず、「なるほどねぇ・・」と納得するしか無い。

そして、「俺やママがお前たちをどれだけ愛してきたかはわかるだろ?」とダメ押しして締めくくり。(笑)

飛行場で次男坊と別れるときに「お前の周りに、いつか【神】と思うような人が現れる。でもそういう人がいるという考え方がそもそもないと、その神にお前は気が付かないかもしれないぞ。」と言ったところ。「ウン、わかった」と言ってくれました。そして「そしていつかお前がその【神】にならないとダメなんだよ」と言いましたら「任せとき~~~」ですとさ。(笑)

あいつらの超現実主義には正直な所びっくりしましたが、フト自分があの年代に何を考え何をしていたか思い出すと・・・・・・。あああ、やだやだ、思い出したくもない。(笑)

あいつらがいつか「武士道」に気がつく時が来るのか・・・・・・・

これを書いている時に、ヨメさんが私の部屋に入ってきました。そして「ヒデ(次男坊)が帰ってきてくれて私たちは癒やされたね」と。「うんうん。本当に二人共良く育ってくれた」「うんうん」。

そこで「あんな良い子どもたちに育ったのはお前のおかげだ」と言ったんですよ。するとヨメさんは「へっへっへ」ですとさ。

嫌味とか冗談がわからね~やつ。(笑)

でも真面目で絶対に嘘をついたらならないと、自ら実践して子どもたちに教えたのは間違いなくヨメさん。その点、私は「物は言いよう。嘘も方便」って育てちゃったかも。(笑)

海外で子供を育てる親御さんには注意していないと、子どもたちは間違いなく現地人になるってことを忘れないで頂きたいです。現地の良い所ばかり見ていてはダメだということでもあります。

前に日記に書きましたが、こんなことがあったんですよ。

家の郵便受けになぜか5ドル札が入っていたんです。なんで?と考えても理由がわかるわけもなく、それを家族に話した所、「ラッキーじゃん」って当時小学生の次男坊が言うんです。「ラッキーってどういうことなんだよ」と聞いたところ、「ラッキーはラッキーじゃないの?」という答え。「じゃぁ、道路に財布が落ちていたらやっぱりラッキーなのか?」と聞いたら「そうだよ」と。「じゃぁ、お前、それをもらっちゃうのか?」と聞いたら「世の中ってそうじゃないの?みんなそんなもんだよ」と。

この時には私は頭に血が上って、「お前、そういうことをしたら、あるいは言ったらマジで殺すぞ」と脅かしました。(笑)

逆にこういうこともありました。食事に出た時に、店の駐車場で当時小学生だった長男が石を投げて遊びだしたんですよ。あっと思った瞬間、その石が停めてあった他人の車の窓に当たって窓にヒビが入ってしまったんです。こりゃヤバイと思って、その車の主を探したのですが見つからず。そこで車にメモをはさんでおいたんです。長男に自分で書かせたのですが「僕が投げた石が当たって車のガラスにヒビを入れてしまいました。大変申し訳無い。謝りたいですし、ダディにお願いして窓ガラスの修理もしますので連絡をください」と長男の署名と私の名前と電話番号を書いておきました。息子には「もし車の主に怒鳴られようとぶっ飛ばされようと覚悟しておけよ。お前の責任なんだから」と脅かしておきました。

そうしたら次の日だったか、車の主から電話が掛かって来まして、「息子さんが正直なのにはびっくりした」と。その後、息子さんは何歳?とかどこの学校に行っているのか?とか雑談をしたのですが、車の主いわく、ああ、あの学校ですか、やっぱり教育がしっかりしているんですね、ですと。(学校によっては中学生で飲酒、喫煙、マリファナ、男女の関係、窃盗、カツアゲなんて問題にならないようなところもある)

チャウわい、親の育て方だわと言いたかった私。(笑)

結局は、その車の主も大した人で、弁償は不要ですと。メモを置いてくれてありがとうってお礼まで言われてしまいました。

このことは息子たちにしつこいほど、これが日本人の生き方だ、絶対に忘れるなとコンコンと話したことを思い出します。

小さな毎日の出来事、彼らが何を考えて何を常識としているのか、それは家でどう育てても環境の影響力のほうが遥かに強いですから、親としては細心の注意が必要だと思います。

頭に血が登っていると現地の「良い所だけ」みる傾向がどうしても強くなりますが、現実は逆と考えたほうが良いかも。(笑)

 
 
 

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