長男とは今一緒に住んでいるのに話もしないのか?って思われるでしょうが、普通、ただ一緒に住んでいる中では大事な話しってしないんですね。
でも今日は話があるから・・と私から誘って二人だけで階下の焼肉屋(JFX)でいろいろ話をしてきました。
二人だけ?ヨメさんは?ってなるんですが、ヨメさんを入れると話しにならないんですよ。というか私に男女差別意識があると言えばあると言って間違いがなくて、それは否定しなくて、男には男として女にはわからない大事なことがあると思っているんです。女子供がなんと言おうと男には家を守る責任があると思いますから。日本の左翼みたいに「戦争反対~~~♪」みたいに言って家を守ることはできません。
息子には息子の考え方があってそれは尊重すべきですが、彼が気がついていないことだってたくさんあるし、親だから何かを押し付けようとするわけじゃなくて、やっぱり同じ様に悩んで何十年も生きてきた親って「悩み事の先輩」であるのは間違いがないわけですから、なんらかの「考えるに値すること」を親は子に提示できるはずなんですね。それを子供がどう思うかはまた別の話として、親は親、子は子という考え方に大反対なのはいつも書いている通り。伝えられること、伝えるべきことって山のようにあるのに、それをしないのは親の怠慢だと思います。それに関して子に責任はない。
これは職人が、農家が、商人が、大事なポイントを継ぐものに伝えていくのと同じで当たり前の話で、お前はお前で社会から学べば?なんて恐ろしいことを我が家では考えていません。
でも子供に聞く耳がなければどうしようもなく、実は我が家でもそれは同じで、次男坊はまさに「聞く耳」を持たないタイプ。その代わり自我が強く、また自己抑制力もあって、自分の中で問題提起をして、自分で解決して前に進むタイプ。でもまだ若いですから「ピントがズレている」って私から見ると思うこともあるんですよ。でも彼は彼で自分のやりかたで道をガンガン飛ばして歩いて行くタイプ。親の出番は無し。
長男はというと、私に似ていて屁理屈をこね回すタイプで実行力が弱い。(笑)
でも理屈は好きですから、とことん飲みながら話すと面白いんですわ。私も勉強になるところが多々あります。
今日はスマホは何を買うべきかってなところから(笑)、私が前の日記に書いた日本というか世間の異常さ、何が大事か考えずに理論遊びをするような風潮、しかしそういうのが当たり前な「学校教育」しか受けていない長男の問題点、これから我が家が進むべき道、相場とどう向き合うか、そもそも金儲けってなんなのか、どうして金が必要なのか、金はどう使うべきものなのか、そんな基本的なことを酒を飲みながら延々話してきました。
私がまず感じたことは、我が家の跡取りとして長男を選んだのは間違いじゃなかったってこと。問題がないわけじゃなく、まだまだ若いですから問題だらけなんですが、基本的な考え方が大事だと思う私としては、やる気が無いように見える長男も逆を言えば、煩悩にかき回される人間ではないってことでもあるんですね。つまり、一見欲が無いように見えるんですよ。欲や希望、夢って人間の原動力になるもので重要なのは間違いがないけれど、原動力があればそれで良いのかって言う点では私は大いに異議があるわけです。
その原点が(私みたいに)劣等感であったり、止めどもない我欲であったり、あるいは復讐心や見栄、自己顕示欲であったとしたら、それはそれでいわゆる「ハングリー」状態でそれなりの力を出せることはわかるんですが、私はそういうのは否定するタイプです。「やらねばならないことを淡々と出来る人間」であって欲しいと思うわけで、でもそれは言うのは簡単、実行は難しい。
そういう意味で、我欲に振り回されるタイプではない長男だからこそ、お金のことも今後、私がいなくなった家のことも任せられると思うんです。もし長男が次男坊みたいな性格だと、おーーし、ここで一発勝負だ~~なんて思うかもしれない。(笑)
また自分に厳しい人って他人にも厳しいんですよね。次男坊がそういうタイプで、自分が頑張るのと同じことを他人にも求めちゃうのね。でもそれが出来ない人は「ダメな奴」という烙印を押してしまう。自分には厳しく他人には優しくなんてのは理想論でしかなくて、もちろんそれを否定するわけじゃないんですが、それが出来るのは神様レベルの人だと私は思うんですよ。所詮凡人に出来ることじゃない。
長男は「本質を見る」のが好きで、でもこれがまかり間違うと「全ての物事には価値が無い」というところに収束してしまいがちなのは私もそうですから気になるところでもあるんです。我欲を押し通しても何も良いことはないのはわかっていても、その考え方は下手をすれば、「やる気」そのものも否定する方向に動くんですね。つまり、「俺は本質的なものを大事にしたい」というけれど、実のところは「戦うことを放棄する、逃げる」のと紙一重なんですよね。白黒付けるのが嫌な場合には、その問題提起に意味が無いという風に論理展開すれば白黒を付けなくて済むわけですから。
これって自分も含めて、やりたくないことに関しては「それをやる意味が無い」と逃げ口上を考えるのが人間で、そっち方面で理論武装するようじゃ困る。
でもま、私としては男の優しさと女の優しさとは違うし、違っていないとダメだと思っていますし、「男の優しさとは力」だというのを理解してもらいたいと思っています。で、それも歳とともにだんだんとわかってくるようで、でも今は独身ですから命をかけて守る対象がないんですね。ま、それは時間がかいけつすることなんだろうと思ったり。でも大事なところは「戦うことから逃げるな」ってことかなぁ。
今日、長男と話していてへーーと思う勉強になる点がありました。
世の中にはXXX主義というのがいろいろありますが、長男いわく、XXX主義=XXX宗教だと言うんです。これは自由主義、民主主義、共産主義、平和主義も皆同じ。でも現実主義は主義ではないと。これを他のXXX主義と並べて一緒にしたらダメなんですね。現実主義とは他のXXX主義の対極あるものであって、多くの主義の中の一つではないと。
私としてはそういう意味での現実主義。もしかしたら主義という言葉は使わわないほうが良いとは思うのだけれど、いかに結果を出すのかが重要で、主義にこだわることが重要なのではないという点では一致。
とりとめのない話を延々としていましたが、息子とこういう話を出来る私は幸せだと思いました。私はどんな結果がでようと、息子とこういう話ができることに見えない「何か」に感謝したいと思ったくらい。
現実、結果が大事だと言う割には、本音は違う。(笑)
こういう息子と一緒に歩いていけることそのものが私の幸せ。行き着く所、つまり結果はやっぱり神様が決めること。
長男坊に、そして我が道を歩く次男坊に、そして彼らを産んでくれたヨメさんに、そして皆んなが笑いながら生きていける環境を与えてくれた「見えないもの」に心から感謝したいと思った。
う~~む、酔っ払って書いているから自分でも訳がわからなくなってきた・・・・