今日は憲法記念日。でも私としては「恥辱の日」という感じがしないでもありません。戦争に負けて無条件に「日本だけが悪い」ことに同意し、日本が再び「連合国」に立ち向かわないように連合国が日本を作り変え、その基本として押し付けたのが今の憲法なんですから。
日本の憲法っておかしくないか?と思ったのはいつのころだったでしょうか。高校生ぐらいだったかなぁ。9条の存在を知りびっくりしました。自衛隊って違憲なのかと思った。だから自衛隊を目の敵にする人たちが多いのがわかった。でもおかしいと思ったのは、自衛隊を作らせたのも、憲法を作ったのも同じアメリカ。適当に日本はいじられちゃっていると思いましたっけ。
それとそもそも前文がおかしいと思ったんですよ。この部分。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
世の中の国々って「平和」を愛しているとは思えないのに、「彼らは正しい」という前提なのね。日本だけが悪いという過去の押し付けにはこれが必要なんでしょうが、私はこの「前文」があるから日本人の「ファンタジー」はいつになっても終わらないと思うんですよ。幼稚園の生徒みたいに「みんなで仲良くしましょうね~~」「は~~~い」と同じ。そして理想論者は「それの何が悪い」という。
でも極めつけはやっぱり9条で、私は間違えなく自衛隊は違憲だと思いますもの。当然、先の安保法案も違憲。あの時、憲法学者を国会に連れて来たら自民党が招聘した学者も「違憲」だと言った。びっくりはしましたが、当たり前って言えば当たり前で、あの手この手を使った「解釈」で合憲だというのは私としてはどうしても納得できず。
だから安保法案は駄目だというのもおかしいわけで、安保法案が「違憲だ」というのなら「自衛隊も違憲だ」と言うべきじゃないですか。でもそこは言わない。つまり「違憲かどうか」を話しているんじゃなくて「違憲の度合い」が焦点になっている。これって誤魔化しじゃないですかね。盗人同士が「お前のほうが俺より悪い」と言い合っているのと同じ。
こういう歪っていろいろあるようで、例えば99条もおかしいと思います。
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
ここに「国民」という名が出てこないのと、この99条だと「改憲そのもの」が違憲になるんじゃないですかね。でもま、憲法も個別の条文を見るのではなくて全体を見ないとこの辺の解釈は間違えるってことなんでしょう。
改憲するとなるといじるべきところが色いろあるはずで、私としては「日本人による新憲法制定」が良いと思います。でも現実的には無理だろうとは思うし、どの国も継ぎ接ぎだらけで改憲するのがするのが普通のようで、ま、そうだとしても変えた方が良いところがあると私は思う。
護憲派って一体何を考えているのか私には良くわからなくて、まさかモーゼの十戒じゃあるまいし、「人間が触ってはいけない恐れ多きもの」なんて考える人がいたら、それこそ頭の周りに大型のチョウチョが飛び回っているとしか思えないし、でもそれでも護憲をいうとしたら「自分の信条を通すために【護憲】という言葉を使う」んじゃないですかね。
日本人は「本音と建前」があると良く言われますが、ここがまた日本人らしい良さでもあって「論理性重視」じゃないんですね。でも現在のように「解釈」だけでいろいろやり始めるとそれこそ憲法の意味がなくなると思うんですよ。そして「憲法でさえも解釈でどうにでもなる」という現象は日本人の為にはならないと思う。「法律は法律、でも現実は現実」みたいなもんで、結局、日本は法治国家ではなくて「空気」によって世界的にも稀な「平安や秩序」が保たれているだけかもしれない。
私はグローバル主義ってのは大嫌いで安っぽいと思うし、それを「金亡者」が利用しているだけだと思っているのですが、それと護憲派の言い分はなんだか似ているような気がするんですよ。あたかも日本がおかしくて世界はまもとみたいな考え方が基本にある様子。グローバル主義ではなくて「ボーダーレスの時代」に入ったという点では間違いがなく、英語がわからないとか、外国人に日本流を押し付けるとか、外国人を理解できないなんてのはどうにもならないと思っています。
でも本当にボーダーレスで世界は一つ、みたいな考え方はどこかイカれているんじゃないかと感じます。これって見方を変えれば「個人を認めない全体主義」にも似ていると思うくらい。グローバル化する世界だからこそ、個々の特徴を残し、理解しあうことが大事であって、個々の特徴を持つことは「遅れている」と言わんばかりの風潮はおかしいと思っています。
だから「子供は海外で育てる」というのにも問題があるのはこのブログに何度も書いていて、私自身そうやって子供を育てましたが、子供は日本人じゃなくてその育った国の人間に限りなく近くなるだけで、決して「グローバル」という感じとはかけ離れていると思うんです。でもオーストラリア人やマレーシア人がグローバルの時代に相応しい、あるいは(こんな人種はいないものの日本人が大好きな)理想的な「国際人」に近いと思うのならそこで育てるのも良いんでしょう。自分が住んでいる国の民を見て、「これが私が望む子供の将来か?」と考えてみるのは大切でしょう。
私はグローバル化、ボーダーレスの時代だからこそ「しっかりしたアイデンティティを持つ」ことが要求されると思うわけで、「なに人だかわからないような人材」が良いとは全く思えない。でもま、「英語に弱い」のが日本人の最大の欠点だと信じるような人も多く、「英語がわかれば良い」と思うのかもしれない。失うものもたくさんあるのを忘れて、「親が持っているものは子供も持ち、なおかつそれに言語なり海外の習慣、考え方が【プラスされるという錯覚】を持つのは大きな間違い」のはず。
自主憲法を制定して、「これが日本だ」というのを世界に示す。ボーダーレスの時代だからこそそれが必要だと思うし、外国人が日本の憲法の内容をしったら多くの人が「整合性がない」って思うんじゃないですかね。
また私はびっくりしたことがあるんですが、「スイスが素晴らしい」という人が少なくなかったこと。私もスイスって大したもんだと思いますが、スイスって国民皆兵で軍事国家だってのを知らないで「永世中立って素晴らしい」という人がいること。平和を守るためには「強く無くてはならない」という重要な点を無視しているのね。花が咲き乱れ家畜がノンビリと放牧されている姿を維持するためにスイスは何をしているのかを知らないなんて異常だと思う。有事の際には「国民が銃を持ち、5時間で全土を掌握できる」様になってると聞いたことがあります。
スイスでは核シェルターが完備し、国民の100%が避難できるようになっている。このようなウソみたいな数字もある。
核シェルターの普及率。スイス:100%、イスラエル:100%、ノルウェー:98%、アメリカ:82%、ロシア:78%、イギリス:67%、シンガポール:54%、日本:0.02%。
ま、話はそれましたが、私としては時代の大きな流れに対応するためにも、日本人が日本に責任を持つためにも「憲法改正」は必要だと思っています。そして国民の総意として9条を残すならそれでも一向に構わないし、その代わり、自衛隊は解散させるべきじゃないですかね。もちろん軍備も持たない。
それで侵略されることが起きようと、侵略することも無いにしろ、戦うことは未来永劫放棄して、でも好き勝手なことを海外から言われ、やられる日本で良いと国民の総意としてそれを選ぶならそれでも良いと思うわけです。素手の話し合いで全てが解決すると信じて「理想を追求した国がかつて存在した。それは日本」という歴史を世界史に残すのも良いかもしれない。
北朝鮮の工作船に対して海上保安庁が砲撃をした事件がありましたが、ああいうことも憲法をしっかり守るなら起きない。つまり武力を他国に向かって使うこともなく砲撃はしない。他国の工作員が日本人を誘拐拉致しようと警察法を使うしかなく武力による手出しはできない。実際に自衛隊は何もしない。もし尖閣に他国が侵略しても「やめてください」というしかない。北方領土や竹島が取られた時と同じ。
でも一般的な国民は、理想を言うけど現実のほうが大事で、もし日本がチベットや南モンゴル、ウイグルみたいなことになったら「政府は何をやっている」と大騒ぎになるはずで、「話し合いでどうにかしようと策を練っています」と政府が言えば国民は納得するのか。あるいはクリミアじゃないけれど、今の沖縄知事は「沖縄人は先住民族」と言っているらしいし、独立の動きが起きて、それに中国が呼応して人民軍(これは国の軍ではなくて共産党の軍)が沖縄に進駐するなんて時代になるのかもしれない。
でもそれはそれで、今現在、アメリカ軍が日本に駐留しているという「世にも不思議なこと」が起きているわけだから、それが中国に変わるだけで、「時流に乗る」という意味では間違いがないのかもしれないですね。
でもま「長いものには巻かれる」という日本人が大好きな考え方はそろそろ捨てて、「自立する方向」で考えるべきだと思うんですよ。もちろん外敵が存在するとしたら自力で守るのが原則。
「違憲だから駄目」だというのなら、「じゃぁ改憲したら?」という考え方があっても良いはずで、それを一切否定する勢力が存在するのは「日本を貶めようとしている」と私には映るのです。
でもきっと私が生きている内にこの問題が解決することはないんだろうな、と・・・・。
憲法記念日。これは私にとっては屈辱の日。日本人が日本を捨て外国に日本の将来を委ねることを決めた日。