冨田勲氏が亡くなりましたね。84歳。慢性心不全だとのこと。
作曲家・編曲家の冨田勲さん亡くなる 84歳 (ねとらぼ) – Yahoo!ニュース
先日のプリンスの死去もそうでしたが、自分に多大な影響を与えた人たちがポツリポツリとこの世を去っていく。まぁ、歳も考えれば当たり前なんでしょうが・・・。
富田氏が亡くなって、いかに彼の影響が大きかったか初めて気がついたような気がします。「シンセサイザーってすげ~~~~」ってのが彼の演奏を聞いて思ったことで、自分もやろうとシンセサイザーをいじるようになりましたっけ。
でも当時、彼が使っていたシンセは何億円。(笑)
きっと今のパソコンよりも非弱な性能しかなかったろうと思いますが、20代だった私にいじれるようなまともなものはなし。
私が本格的にやりだしのはやっぱりPC上で動くソフトが出てきてからですが、MIDIでキーボードを繋いだりするだけでもややこしかったのを覚えています。そして「打ち込み」が大変だったんですよね。楽曲のオタマジャクシを一つづつPCに打ち込んで、なおかつその音色、強さ、長さをそれぞれ入れますから、とんでもない時間がかかりましたっけ。
で、出来たものは「いかにも機械が出している音」でどうしようもありませんでした。
でも感激したっけ。自分の音楽の世界が突然広まったような気がしたもんです。生楽器は若い頃からギター、ウッドベースとやっていましたが、自分はコンピューターミュージックの方向へ行こうと思ったキッカケを作ったのが富田氏。
私が一番好きだった富田氏の楽曲は「組曲 惑星」です。1970年代の作品で、今聞くと古い感じはしますが、当時は本当にぶったまげましたっけ。レコードを擦り切れるぐらい聞いていました。あれってアメリカのビルボードクラシック部門で1位になったんですよね。そして富田氏は日本人で初めてグラミー賞にノミネートされて、世界での地盤を築いた、私に言わせると世界で認められた日本人の音楽家としては頂点にたつ人じゃないかと思っています。
ホルストの組曲・惑星。木星から見れるようにしました。05:30辺りからの「宇宙船との交信」の様な部分は本当に感動しましたっけ。懐かしい・・・。
富田氏ってこんなイメージなのを私の中でずーっと持ち続けていました。
でも歳をとったらこんなになっていたんですね。なんだかウソみたいです。
ま、自分も40年前とどれだけ違うか考えれば当たり前ですが。(笑)
「ご冥福をお祈り申し上げます」なんてありきたりの事は言いたくなくて・・・
私の人生に夢を与えてくれて有難う~~~~~~~
でも私の音楽的才能は開花しなかった。(笑)
シンセサイザーを使いながら、ではシンセらしい曲を作るかというとそうじゃなくて、「シンセで生音に近いものを作る」方向が好きでした。もう今じゃ全然やりませんし、やり残したと思うこともあってマレーシアに行ったらどっぷり浸かってやろうと思っていたものの、どうもそんな時間はなさそうです。死ぬまで現役。頑張って稼がないと~。(笑)
私が作って遊んでいたのはこんな感じです。あああ、これを作ってからもう10年も経ったんだ・・・。音楽は私にとってはもう過去のものになったようです。
これは豚小屋で豚たちが演奏をしているイメージでメロディその他も考えました。
でもこんな遊びが出来たのも富田氏のおかげ。感謝しています。m(_ _)m