オバマ氏が広島で何を言うか楽しみにしていましたが、やっぱり・・・って感じ。
ま、謝罪は無いにしろ「アメリカの責任」を言うかと思ったけれどそれもなし。白黒付けずに「人類」とか「世界」の未来を言うだけ。彼の一貫した「平和主義者」のパフォーマンスの場を与えただけ。
ああいう場があればどうしたって見ている方は感動してしまう。でもそれで良いのか?
当たり前って言えば当たり前なんでしょう。誰でも「平和」を望んでいるわけで、「未来の平和」を語ってそれに文句を言う奴はいない。特に日本人は「水に流す」という特殊技能を持つ国民だから、「俺もお前も悪かった。過去のことは忘れて未来を見よう」って殆どの人が思うはず。
でも世の中ってそういうふうに出来ていないじゃないですか。
「お前も俺も悪かった」ってのは日本的発想で、世界では「悪かったのは日本だけ」ということで固まっている。当然、原爆投下も「日本への懲罰」であって、また「より多くの犠牲を出さないため」で正当化(アメリカ政府の公式見解)されている。つまり原爆の犠牲者には、「加害者は日本だ」と言い聞かすしか無い。アメリカの「懺悔」がない限り、それは未来永劫続く。東京大空襲の計画的な「一般市民大虐殺」も同じ。
オバマ氏は「アメリカの失敗、大罪」には言及しなかったけれど、逆を言えば広島で「原爆投下は正しかった」とアメリカの公式見解を言わないだけでも良かったのかもしれない。もしそんなことを言ったら大騒ぎになるだろうし言うわけもないけれど、「世界はそう考えている」というのを日本人は忘れるべきじゃないと思うんですよ。そして「南京大虐殺」もそうだし、「従軍慰安婦」も同じ。これらは昔に「終わったこと」ではなくて「現在進行形」で大騒ぎになっているじゃないですか。「悪いのは日本だけ」ということで世界史は確定し、「国連」においても同じで、「敵国条項」は今でも存在し、日本は連合国側と同じ権利を有していない。
そもそも今の国連は、日本人が考える「国際的な団体」とは違っていて、英語で言えば「United Nations」つまり、「連合国」そのものであるという事実を忘れるべきじゃない。当然、当時の連合国の中心国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国が絶大な力(安保理の拒否権)を有していて、他の国はオマケと同じ。ましてや日本はいまだに敵国であって、日本が悪さをすれば安全保障理事会の承認なく、日本を攻撃して良いことになったまま。中国が日本を攻撃することもあり得るというのはここにその根拠があるわけです。
これって過去のことなんですかね。
終わったことは水に流そうって日本人が思っても、世界は水に流していないじゃないですか。
ま、「俺達が悪かったことにしよう、受け入れよう」という考え方もあるし、まさにそれは時の天皇が選んだ道であり、それを受け入れなければ「日本という国は地球上から消滅させられた」はず。それが世界の歴史であるからして、「負けたんだからグズグズ言うな」ってところはしょうがないと私も思うわけです。
でも「勝ち組」は「俺達が正しくて、俺達が世界の善悪を決めるよ」と本音を口にだすことは絶対にない。「人類とか世界」を主語にして「平和を・・」という。
つまりイラクもリビアもISISも私に言わせれば犠牲者で、「あいつらは悪だ」と決めつけて政権を倒す。そして「民間人をも殺す」。これを今でも続けているじゃないですか。核なき世界も大嘘で、核を放棄することなんか誰も考えていない。それどころか弾道ミサイルは減らして小型の戦術核は開発させている(米国の核兵器現代化のために今後30年間に1兆ドルの支援を決めた)のが「核なき世界」を言うオバマ氏。あれだけの破壊力がある兵器を本当に人類が放棄できるわけがない。理由は簡単で、自分が放棄しても「相手が持っているかもしれない」という疑念を晴らすことは不可能だから。そしてあれほど相手に「恐怖を与える事ができる武器」は存在しないから。
どうしてこういう「理性だけで決まらない」現実に目を向けずに、「核なき世界を・・・」とか「世界に平和を・・」という綺麗事、偽善に拍手喝采できるのか、私には理解できないのです。
具体的な話も無く、過去の大罪を認めることもなく、将来の「美しいこと」をいうだけなら誰にでもできるんじゃないですか。そんなファンタジーの世界、あるいは口だけの話を大国のリーダーが喋っただけで、どうしてそれを喜ぶことが出来るんでしょうか。
これらに拍手喝采できるってことは「今、幸せを感じているから」だと私は思うんです。つまり、「勝ち組」が「このまま行こうぜ」という世界に身をおいているから。自分に差し迫った危機感がないからでしょう。
今の日本は過去を捨て、自分たちの祖先は「悪の権化」だと認めて、「でも今の俺達は違うよ、平和主義者だよ」と連合国側にとり行って、過去のことを騒がれてもじっと我慢をし、「勝ち組」の仲間に入れてもらった。だから過去に日本が何をされても、近代のイラクやリビア、あるいはISISを見る目と同じ目で自分の過去の祖国を見て、「しょうがない」と思うのだろうと思っています。
生きるために日本人が選んだ道。
だから何を言われてもしょうがないという理屈もあると思うんです。南京も慰安婦も同じ。
でも私は納得できませんね。
全て過去のことだから「もう白黒つけるのはやめよう」「わすれよう」と世界が言う(国連の敵国条項も破棄し、日本を常任理事国に入れ拒否権も与える)のなら有り難いぐらいですが、過去のことを忘れようなんていう国はどこにもない。「確定した過去」がそのまま続いているじゃないですか。今でも日本を「悪の権化」とする国も存在するし。そして彼らがそれを言い続けられるのは、「それが連合国が作った歴史、(捏造した)事実に沿っているから」でしょ。だから日本人は「韓国、中国は五月蝿い」って思うけれど、彼らは「真実を言い続けているだけ」ってことなんですね。連合国が作った事実ですが。
でも私たちははっきり見たじゃないですか。アメリカがイラクにいちゃもんを付けて潰した事実を。リビアのカダフィも「アフリカの星」と現地では将来が期待されていたのに「俺達の価値観とは違う」ということで悪者にして消した。ISISも極悪非道の存在してはならないものとして抹殺しようとする。私にしてみるとISISほどアメリカのアホさが出ている現象はないと思うくらい。そもそも初期のISISを育てのはアメリカなんですから。面白くないシリアを潰そうとしてその手先に彼らを利用し支援してきて、結局、飼い犬に手を噛まれた格好。そして今ではISISを潰すという名目で「一般市民」も殺している。
戦争は過去のことじゃない。現在進行形。そしてやっていることは「昔と一緒」。
私個人として気になっているのは「チベット、南モンゴル、ウイグル」の問題。彼らは大国の侵略を受けているのは間違いのない事実。でも「世界に平和を・・」というアメリカはそれに対して何をした?「平和が一番だね」と今回のオバマ氏訪問を喜んでいる日本人は、今まさに侵略を受け、殺され、祖国を消されると泣いている人たちをどう思うのか?
さてさて、アメリカ様が弱くなり、世界の出来事に口出しはしない方向性が見えてきた今、日本は次には中国に尻尾を振れば良いのか?
それぞれの国が言う「世界平和」とは「その国に取っての平和」でしかないのに、どうして平和主義者はそれに気がつかない?勝ち組側に居座って「平和を・・」とニコニコする人たちは、私にはアメリカの偽善に同調しているとしか見えないのです。あるいは何も考えていないか、現実を見ようとしていないのか。
アメリカが原爆投下に関して謝罪しろなんてのは無理にしても、「あれは間違いだった」と認めるのは大切なことで、それは日本だけの問題ではなくて、今の中東で起きていることにも繋がる。そして中国がチベット、南モンゴル、ウイグルでやっていることも「間違いだ」と言うことに繋がる。
間違えないで欲しいのは、私は「恨みつらみを忘れるな」と言っているんじゃないんですよ。私には恨みつらみはないし。でも「大罪を犯したものをそのまま放置するべきではない」ということなんです。謝れと言うのでもない。ただ「大罪は認めて貰わないと将来はない」と思うわけです。
これは日本も同じで、「戦争責任」も「敗戦責任」もまともに議論されることもなく、ただ単に「軍国主義が悪かった」とまとめてしまった。それもマッカーサーが考えた筋書き通り。
過去を水に流してうやむやにすることが世界平和に繋がるのではなくて、「間違いは間違い」と認めるところがスタートだと思う私。
間違いを間違いと認めずに進むということは、未来永劫「身勝手でも強いものが作った法律を順守」することによる「治安維持」でしかないはずで、私はそれを「平和」と呼ぶべきではないと思うわけです。もし自分が「今は平和だ」と思っても、世界は平和ではないし、強者は横暴なままで、それには目を向けず、綺麗な言葉、理想論に酔っていて良いのか?
なぜ日本人は「平和ボケしている」と言われるのか?どうして?私はこれは日本人だけのことじゃないと思っていて、「強者側に着いて」「利益を得ているもの」の考え方だと思っています。
過去の日本は大国にしっぽを振ることはなかった。そして国際連盟(戦後の国際連合ではない)では「人類初の「人種差別撤廃法案」を提出」した。もちろん、それは反対されて簡単に潰されたけれど、私は昔の日本人が世界をどう見ていたのか、どうあるべきだと考えていたのか、それを知りたいです。少なくとも勝ち組に着いていれば安泰なんてことは考えていなかったはず。というか、「このままでは自分たちは食われる」という切羽詰まったものがあったんでしょうね。
では今の日本は?「食われそうになったらもっと尻尾を振ってご機嫌をとる?」。もしそうなら「食われないで済む?」。そこが私にはわからない。
出来ることなら、昔の日本人、我らの祖先が今の日本に何を感じるのか聞いてみたい。
ちなみに私は「南京大虐殺はあった派」です。30万人というのはでっち上げだとしても、数万人を虐殺した「幕府山事件」は南京大虐殺と言って良いはず。また従軍慰安婦も「連行された」なんてのはウソにしても、では「帰りたい」という女性たちに自由があったとは思えない。そして軍による強制連行がなくても「軍に需要がありそれを求めた」という事実はあるわけで、それによって起きた悲劇の責任が軍に「も」あると考えるのは妥当だと思う私。「日本軍は強制連行はしなかった」というのが言い訳になるとは思えない。
オバマ氏の広島訪問は結局、想像通りのものでしかなくて、世界史が変わる大イベントを期待する方が馬鹿なのは間違いなし。でもま、「罪は罪」と認め、またそれを「許す」時代に一歩一歩近づいてきたと(楽観的に)考えるしかないんでしょうね。
私としては原爆のことは後回しでも良いから、チベット、南モンゴル、ウイグルを助けてやってほしい。そして台湾を一つの国として認めて欲しい。そしてそして、どうにか中東の将来は中東の彼らが決められるようにして欲しい。てなことをいうと、「北朝鮮は北朝鮮で・・・・」ってことになるし・・・。
どちらにしても「口だけの」平和主義者、理想論者に拍手をしようとは思えず。
でもオバマ氏のスピーチに感動する部分もある。
「科学の力を、人々の生活を消し去るためではなく、向上させるために使ってほしいと思っています。各国のリーダーたちが、その選択をしたときに、広島の教訓を生かすことができます。きょう、この町の子どもたちは、1日を平和に過ごしています。尊く価値あるものです。そして、それは、全ての子どもたちに与えられるべきもので、それは、わたしたちが選択できる未来です。広島・長崎は、未来にわたって、核兵器の夜明けではなく、道徳的覚醒の始まりとして、記憶されるでしょう」
口がうまいのは政治家としてアタリマエのことで、私は「何を言うか」ではなくて「何をするか」を重視したいと思いました。そして今日、この日も、罪もない人、子供たちをアメリカは殺していることを忘れまいと。
また安倍氏が面白い言い方をしたんですね。
(安倍氏が)原爆を含む戦争の惨禍を「繰り返させてはならない」と表現したところである。「繰り返さない」ではなく、「繰り返させてはならない」という表現を使った。
「原爆投下はアメリカの責任ではなく人類の責任」というオバマの詭弁 (BEST TIMES) – Yahoo!ニュース
上に紹介したものは興味深いところがあります。例えばこんな論理展開をしている。
しかし、原爆投下を自国の過ちではなく「人類」などという責任不在の単語に置き換えるのならば、真珠湾も「人類の責任である」といわなければならない。それができないのであれば、少なくとも「原爆投下は必要のないアメリカの間違った国策であった」とアメリカの最高指導者が認めない限り、アメリカは近い将来、また同じような過ちを繰り返し続けるであろう。もしトランプ氏が大統領になったら、そんな危惧はますます現実化する。
過去の国策の過ちについて、被害者側が謝罪や賠償を延々に求めるのは確かに、あまりにもアンフェアで未来志向ではない。しかし、たった一度たりとも自らの過ちを認めない国が、未来を語る資格があるとも思えない。日本は唯一の被爆国として、そのアメリカにNOと指摘する、道義的責任と義務を有している。
私がこの論者の最後のところは強く、強く賛同したい部分で、今回のオバマ氏の広島訪問に両手を上げて賛同できない理由でもあります。
たった一度たりとも自らの過ちを認めない国が、未来を語る資格があるとも思えない。日本は唯一の被爆国として、そのアメリカにNOと指摘する、道義的責任と義務を有している。
日本人はその「責任と義務」を放棄して、「楽になってはならない」とも思うのです。そしてそれが生き残った我々の、「犠牲者に対する責任の取り方」あるいは「慰霊」だとも思うのです。「平和」という言葉や理想に酔いしれて、過去のこと、そして現在も今日も起きている悲劇に目をつむることは許されないはず。そして「強権を発動する国」には断固立ち向かうべきかと。
原爆投下に関しては、「アメリカの公式見解としては【投下は必要であった】ことになっている」わけで、子供たちの教科書にもそう記されているとのこと。
いつか、それが「アメリカの近代史上、最大の失策であった」と変わる日を夢見て・・。一般市民の計画的な大量虐殺は過去にも未来にも絶対に認められてはならないはず。
でもま、犠牲者に追悼の意を表してくれることに関しては、感謝。
これが最初の一歩になりますように・・・・。