いやー、良い言葉に出会いました。表題の「海外に出て一番素晴らしい出来事は・・・「帰郷」である」ってのは私の適当な和訳でしかなくて、この元の言葉は英語でした。
The Best Thing About Being Away is Coming Home.
いい言葉だなぁ・・・なんて考えながら何度もこれを心の中で繰り返しているうちに、一つのストーリーが浮かんできました。
若かれし時、多くの人は海外に憧れる。未知の国、未知の文化、未知の人々、そんな中で生活してみたいと思う。
そして海外に出る。面白い。やっぱり凄い。この「カルチャーショック」ほど素晴らしいものはないと思う。
そしてそれを繰り返す。何度も何度も行く。また違うところも行く。そして自分は「何度海外に行ったか」、「どこの国へ行ったか」、「海外に何日過ごしたか」、そんなことを記録して、ニヤニヤしてみたり、友人に自慢してみたり。「こんな生活はどうですか?」なんて他人に薦めたり。
そして海外に住むようになる。
海外にも言語にもその地の習慣にも慣れてくると、段々と最初の頃の感激は無くなり、全てが日常の出来事となり、「これが俺が求めていたものか?」なんて考えるようになる。そして「良いと思っていたものが悪く」「好きだったものが嫌いに」感じるようになり、そして「今まで見えなかったものが見えて」きて「本質は何か?」なんて考えるようになる。
「青い鳥っていないんだ・・・・」なんてこともわかるようになる。海外に行ったり来たりしてそれを自慢げにしていた自分に恥ずかしさも感じるようになる。
「でもま、良い経験をしたな・・」と過去を振り返る。
そんな時にフト思う。「俺の居場所はどこなんだろう」、「どこが本当の家なんだろう」って。
そして過去を思い出し、若いころ、幼少の頃の些細なことまで記憶が遡る。
すると突然見えるものがある。
「にっこり笑っている母の顔」「走り回った野山の風景」「育った町の喧騒」
記憶もないのに、赤ん坊の頃に母親に抱かれて安心してスヤスヤ寝ていた頃の感覚が蘇ってくる。
自分の人生はあそこが出発点だったのに気がつく。
そしてまたいつかそこを通って、元の世界に戻り、そして次の世界に旅立つ時が来るのを予感する。
「旅もそのうち終わり」「自分はいつか必ずあそこに帰らなければならない」と理解する。
そこにあの優しい母が待っている。自分を育ててくれた大地がそこにある。
「ただいま~~~~~。今、帰ってきたよ~~~~~~。」
この帰郷の喜びを得るために、遠く離れた土地を歩き続けてきたことに気がつく。そしてまたいつか旅立ちの日は巡って来る。
The Best Thing About Being Away is Coming Home.
素晴らしい言葉だと思いました。
この言葉を知ったのはメルボルン在住のアーティスト、RICHARD LEWERのサイト。
この「故郷」はそれすなわち「アイデンティティ」だと私は考えるわけです。「帰郷」と言っても「実際の場所としての故郷に帰る」という意味ではなくて、自分の奥底にあるものを再確認するって感じでしょうか。非常に大事なもので、これを持てずに生きていくのは「何の指針もなく生きる」のと同じだと思うくらい。
「グローバリズム?」「国際人?」、冗談言うな、アホぬかせってのはそういうこと。「自分の故郷はしっかり持ち」「(人生という)旅のノウハウを持つ」ことが重要なのであって、グローバリズムだの国際人だの、自国語を疎かにしてまでも他国の言葉を習得し、他民族とうまくやっていく能力じゃのと、どうして世の中の多くの人はそんな軽いことばかり言うんだろうか・・・。
不思議だ・・・・。
今、フト「大地の子」を思い出しました。どうして「陸一心」は最後に中国に留まろうと決心をしたのか。ここですよね、ポイントは。「損得勘定」じゃない。でも今の世の中は子育てさえも「損得勘定」で育てる。そしてその異常さに気がつかない親も少なくない。
以前、「大地の子」をネットで久しぶりに見てみましたが、やっぱり半端じゃない感動でした。ありゃりゃ、今調べたら削除されている。しょうがないですね。
ついでと言っちゃなんですが、私の好きな漢詩を書いておきましょう。
「人間到る処青山有り」
将東遊題壁 釈 月性
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
男児志を立てて郷関を出づ
学もし成らずんばまた還らず
骨を埋むるに何ぞ期せん墳墓の地
人間(じんかん)到るところ青山(せいざん)あり
<意訳>
男子が一度志を立てて故郷を旅立つからには
目的が成就しない限り2度と故郷の地を踏むことはできない
骨を埋めるのに、どうして墓所を決めておく必要などあろう
世の中にはどこにでも墓地がある