今までの舛添氏の話って「彼らしさ全開」で想定できましたよね。この問題が出てきた時に「話せば話すほど彼は墓穴を掘るはず」と書きましたが、その通りになった。これは舛添氏を知る人は皆同じことを考えていたはずで、マスコミもその線で攻めたはず。話題をすり替えてうまく逃げる人じゃないし、論理的な性格だからこそ細かいことを突けば必ずそれに反応するはずで、どんどんボロが出るであろうことは皆知っていた。
でもどこかで「白旗を掲げて」謝るかもしれないとは思っていました。あそこまで自説にこだわっても良いことはないのは明らかなんですから。
でもそれをしないところが舛添氏が舛添氏である所以なんでしょうね。私の読みも甘かった。
まぁ、出てくる話の一つ一つが腹の立つことばかりで、全く納得のいかない説明だと思ったのは多くの人と同じ。ただそれは感情的なものでしかなくて、今回の問題の本質は「政治資金規正法」にあるわけで、「明らかな法律違反ではない」のに彼を追い落としたのは「リンチ」であるという考え方は今でも持っています。では辞めさせるべきではなかったのかというとそういうことではなくて、辞めさせ方には我々も考えなくてはならない問題が残ったままだと思っています。リンチがまかり通るのは法治国家だとは言えませんから。
でもま、自ら辞めると言い出したわけで「暴力的な引きずり下ろし」をしないで済んだのは良かったのかもしれない。でも今回の件は「リンチ」に近いというところがまるで話題に上がってこない、政治資金規正法に関しては誰も何も言わない。まさにタブーそのものだと感じます。ま、それに問題が飛び火すると困る人が多くいるからだろうと思いますが、あのおかしな政治資金規正法を見直すチャンスを逃したのは「国民として」非常に残念だと思います。舛添問題と同じようなことは今後も続く。あの終わり方でホッとした政治家も多くいるんじゃないですかね。
しかし、あの舛添氏の辞表を出した後の態度ってなんなんですかね。やるべきことは何もしていない。「ケツをまくって出て行く」ってのはああいうのを言うんじゃないですかね。私としては「彼の金の使い方」に関しては「法律上問題がない」とすれば仕方がない部分もあると思っていましたが、あの辞め方はまさに今までの彼の責任感のなさの集大成であると感じます。あの辞め方一つで今後の彼も決まると思っていましたが、あれじゃ「彼が再び日の目を見ることは不可能」じゃないですかね。
「俺は皆が思った通りの人間だ」と自らが世界に言うのと同じ。
共産党が言う「委員会で提出を約束した資料すら出さずに辞めるのは許しがたい」。公明党が言う「辞職という重い決断はあったが、何らかの形で疑問に答えて説明責任を果たしてほしかった」もその通りだと思う。
舛添都知事、約束した明細書は未提出 説明責任果たさず (朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース
今後は知事報酬は5割減らす、いや、全額いらないと頭を下げた彼は、辞めるとなればボーナスも2000万円を超える退職金も「当たり前に受け取る」のか?
明細書を出すという約束は?美術品(?)を寄付するという話は?別荘を売る(利益が出る現金化)話は?
この辺を全てうやむやにして辞めるあの辞め方。話すべきことも話さず黙って出て行くあの辞め方。これって自民党が負けた時に「自民党は終わった」と言って「後ろ足で砂を蹴って出て行った」ときと同じ。
この彼の責任感のなさは「セコさ」以上に酷いと思う。政治家どころか人としてあり得ない。絶対に許せない。
これじゃ「リンチも仕方がない時がある」と認めざるをえない。
今頃になって腹を立てている私。やっぱりズレているのかも・・。(笑)