母と「涙の再会」

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KL上陸後の2日目。いや、これが初日と言うべきか・・・。

ゴールドコーストを旅立つ前の日はコンドミニアムの明け渡しで結構疲れました。我々の私物は船便で送り出しましたし、家具はないものの冷凍庫じゃ調理器具じゃと様々なものは友人やこのブログの読者にもらってもらいましたが、まだまだ整理しないとならないものが山のように出てきました。

それを処分するのも結構大変で、荷物がごっそり積める車なのにゴミ処分場を二往復。日頃ろくな運動もしない我が家族は全員、身体のあちこちが痛くなって文句タラタラ。そして9時間近い飛行機に乗ってマレーシアですから、かなり疲れが溜まっていました。

でも目が覚めたのは真夜中の3時。(笑)

ゴールドコースト時間では朝の5時でやっぱり早過ぎるのだけれど、早く寝たせいか、それともやっぱり緊張しているのか、全員、起きてきました。

まだ早いねぇ、なんて言ってももう少し寝るわなんて話もでず、これからの予定を確認したり雑談したり、そして我々の荷物の約半分ぐらいは両親のコンドで預かってもらうことになっていて、それの整理、仕分けをする間に、10時。

そして両親、姉の住むサウジャナへ出発。

セキュリティを通り、コンドの建物の前まで行くと、コンドの入り口で(90歳の)母だけ我々を待っていました。

ダボ 「お袋、とうとう来たぜ」

母 「待っていたわよ」

そして握手して抱擁。

母は涙ぐみながら私の耳元で言いました。

母 「これであんたに見守られながら死ぬことができる・・・・・」

ダボ 「・・・・・・」

我々が涙を流しながら抱き合っているのを見たヨメさんも息子も貰い泣き。

そしてヨメさんも息子も母とハグ。

手をつなぎながらエレベータに乗り、降りたところには父と姉が待っていました。それぞれがまた握手しハグしましたが、(私と幼いころから仲の悪い)父とは「来たよ」「おう」と声を掛け合っただけ。(笑)

部屋に入ってからはあれじゃこれじゃととりとめもない話、これからの予定、それぞれが言いたいことを言っていました。

お昼には「お約束」のチッタモールにある「ユニークシーフード」へ。

なぜか我々がマレーシアに来ると必ずこの店に行って乾杯。それが行事となりました。

我々親子の大好物の「エビを蒸したもの」や牡蠣じゃグルーパーじゃといつものメニューですが、これを食べないと「マレーシア生活が始まらない」感じがします。

ビールを少量だけ飲んで食べながらまた雑談開始。

この日はここで解散。

我々はミッドバレーに戻ってメガモールをウロウロしながらとりあえず必要な物を買い集めてきました。

ホテル、というかレジデンスは2BRでキッチンも付いているのですが、調理器具はなんと小さなフライパンが一つしかありません。オーブンや電子レンジ、そして食器類はあるのですが、これでは何の料理もできず。

鍋ぐらいは買ってこようか・・・と考えていたちょうどその時、

ヨメ 「調理器具は何も買わないでよ!基本的に料理はしないから」

ですと。

が~~~~ん。私としては貝でも買ってきて酒蒸しにしたり、簡単に蕎麦でも茹でて食べられるようにしたかったのですが、ヨメさんのその一言で、それは出来ないことに・・・。

普通、逆ですよねぇ。ヨメさんが調理器具が無いと騒ぐところに、旦那が「外で食べればよいじゃないか」っていうパターン?

でも確かにガーデンモール、メガモールには食べるところはいくらでもあるし、そして美味しいし、部屋で調理なんかする必要ありませんよね。でもちょっとしたものは作りたいなぁ・・・。

そういえば、ゴールドコーストで使っていた調理器具は全て処分しましたが、「低温調理機」だけは持ってきました。(笑)

Anovaですが、二台持っている内の新型は前回来た時に持ってきて両親のところに預けましたし、一番使い込んだ旧型は今回手荷物で持ってきました。

マレーシアで気になる食材として筆頭は「卵」なんですが、それで「消毒済み」を自分で作りたかったし(58度で10分で大丈夫なはず)、温泉卵(68度30分)でも作ろうと思っていたんですよ。どんな感じになるのか気になるし。あるいはゴールドコーストの鶏とは全く違う、マレーシアのカンポンチキンで「紹興酔鶏」を作ってみたかった。でも鍋がなければ低温調理機も使えず。orz

ま、時間はたっぷりあるので、調理のことはどうでも良いにしろ、さてさてこれからやることは山のようにあります。

本日12日は、ヨメさんはホテルに残り、私と息子はまた両親のところに行き、父と今後の話をします。

でもねぇ、オヤジもボケてはいないもののかなり頭の方は鈍っていて、話がまともに通じないんですよ。だから話し合いと言いつつ、オヤジの話を聞いて、「うんうん」と相槌を打って終わりになるんでしょう。

ややこしい話にならないと良いのだけれど、父と私と話しだすとかなりの確率で喧嘩になりますので、ちと心配です。でも、「子はカスガイ」というように、面白いもんで息子が私とオヤジの間に入って話をまとめるというパターンが定着しました。(笑)

父は90になるのに夫婦と姉の生活費を捻出するのに苦労していまして、それを我々に受け継いでくれというものの、多少の資産があったところでこの金利安ではまったく稼げないのはダボ家と同じで、先が思いやられます。投資の利回りで食って、なおかつインフレ分をアウトパフォームして資産を増やすのはかなり難しい時代になりました。

じゃぁ、こうしようと言ったところで父は自分で納得できなければ「駄目だ」というに決まっていて、困ったもんです。

でもま、それが私の仕事、責任だと思うし、息子も助けてくれるので、これからマレーシアに集合した我々の一族6人(シドニーの次男坊は別)が問題なく生きていけるようにしないとなりません。

ちなみに、両親とも我々がマレーシアに来て何をするつもりか全く知りませんし、私も一切伝えていません。我々はマレーシアでノンビリ暮らすつもりだと思っているはずですし、私がトレーダーであるということさえ彼らは知らないし、まさか彼らの孫をその道に進ませようと私が考えているなんてことは夢にも思っていないはず。

でも父もかつては「相場師」で生きた時代がある人。でもその分野では2度も大失敗をした「負け組」と言って良いはずで、我々が何を考えているかなんてことは口が裂けても言えません。なんせ父は40年以上前に大失敗をした時に「一切相場に近づいてならない」と家訓を作ったぐらいですから。でもその後、また手を出して再度大失敗。(笑)

でも彼のその失敗を幼いころから間近で見ていた私だからこそ、今の私の「安全第一」の手法が生まれたわけで、オヤジには言わずに「オヤジの敵討ち」をするつもり。(笑)

これから我々としては本当の話しはせずに「金利が下がって困ったねぇ」「ホントだねぇ、どうしようか」なんて話を今後も続けることになるんでしょう。

実際に両親は国民年金ですし、姉は個人年金、そして我々はまだ年金はもらえないし、もらえても少額で(オーストラリアの年金は考えていない)、資産運用で一生生きていくしかありません。

頑張らねば・・・・・

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