シドニーから「次男坊」が遊びに来た~~

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オーストラリアに一人だけ置いてけぼりになっている次男坊が遊びに来てくれました。ま、彼はシドニーで勤めていますから我々と一緒にマレーシアに・・・なんてことはできませんが、半年に一度のペースで我々に会いに来てくれる。

嬉しいなあ・・・。

私は家族だけが生き甲斐で、他には何もこだわりがない(嘘つけ? 笑)ので、一人だけ離れている彼が来てくれるのは本当に嬉しい。

我々がオーストラリアに渡ったのは長男が3歳、次男が1歳の時でした。誰ひとりとして友人も知人もな~~んのあてもないオーストラリアに良く渡ったと思うのですが、やっぱり若さなんでしょうね。夢と希望しか見ないってのは、今思えば「ただのバカ」だと思いますが、それだからこそ人生って開けるんでしょうね。と同時に、それが故に地獄を見ることもあるんでしょうが。

子どもたちは「世界のどこでも自分の好きなところ」で生きていけるように育てましたし、それは成功しましたが、それって「家族が世界でばらばらになる」ことを意味するんですね。それぞれが好き勝手なところに住みますから。

だからある時期、「こういう家族のあり方ってもしかしたら大間違いなのかもしれない」なんて思ったこともあるんです。たまに田舎に棲む人たちが家族で寄り沿い合って生きているのを見ると、あれがあるべき姿じゃないかなんて思ったり。でも後戻りは出来ませんし、子どもたちにはかなり小さい頃から「せめて世界のどこに自分が住もうと、年に一度は家族が集合しよう」としつこいほどに言ってきました。

これって彼らにしてみると「当たり前」でオーストラリア人の多くはそうやって生きている。だから次男坊も当たり前のように会いに来てくれる。本当に有り難いと思います。

今の時期はオーストラリアは決算の時期で、会計監査をしている次男坊はめちゃくちゃ忙しいと言っていたのに、ほんの数日ですが休みを取って来てくれたのには感謝。

次男坊は負けず嫌いで自分で道を開いてどんどん進んでいくタイプなんですが、「シドニーにはもう住みたくない」なんて言い出しました。私に似たのか「家族を大事にする性格」でまだ26歳なのに、「家族と共に普通に生活をしたい。でもシドニーはそういう場所ではない。」なんて言うんですよ。

シドニーがというより、彼の環境がというべきなんでしょうが。

負けず嫌いのクセして彼は幼い頃から面白いことを言っていたのを思い出します。まだ小学生だったかなぁ。

「パパ、僕は日本人みたいにがむしゃらに働いてでもお金が欲しいとは思わない」って。

それを聞いた私は、「日本人は【普通に生きるため】にがむしゃらになって働くんだぞ」と言ったら「うっそ~~~」なんて言っていましたっけ。

今思うにやっぱりあの当時の彼と今と変わっていないようで、会社でも頑張っているものの「将来が見えない」と言うんですわ。頑張って出世して会社のパートナーになるってのが彼の業界の成功ストーリーですが、「馬鹿みたいに働いて偉くなって金を稼いだから、それがなんだっていうんだ」と言います。

「マレーシアに俺が働ける会社は無いかなぁ・・」なんて言い出すぐらい。

彼の会社の支社はKLにもあって、要望を出せばこちらに来ることも可能らしいですが、どうも収入は大幅に下るらしい。

でもシドニーでこのまま忙しく働くだけの人生は嫌だと。

ま、そう思う時期は誰にでもあって、次男坊もそういう時期に来たのだろうと私は思っていて、彼の思いを真剣に受け止めてはいません。そういう悩みを持つ時期って波のように何度も押し寄せて、それを乗り越えて人は育つのだろうと思うし、でも仕事と金だけの人生が良いとは思わないものの、「転職を考えるのはまだまだ早い」と私は考えています。(でも彼と同期の90%以上はすで転職しているらしい。ブラック企業と同じだと彼は言う)

とは言うものの、「来年の今日はどこで何をしているのか【自分で決められる生き方をしろ】」と言い聞かせて育てましたし、彼には今の仕事を長く続けようという気はないのは間違いがない。私もそれが良いとは思わない。

彼はまだ独身ですし、いつか結婚もして子供も出来る歳になるとまた考え方も変わるはずで、「金がないとどうにもならない」というアタリマエのことに気がつく時も来るのだろうと思います。

その時に、長いものに巻かれることを選ぶのか、よりよい転職先を探すのか、自立を考えるのか、それは私にもわかるはずがないものの、彼も30代になり仕事も世の中もいろいろわかるようになるころには、私の本当の終わりの時期になるだろうし、その頃には一緒にマレーシアに来た長男がなんらかの結果を出しているかもしれないし、その時こそ、兄弟で協力しあって一族の将来を作っていくみたいになったら良いなと私は願っています。

私は商人の生まれ、育ちだといつもここに書いていますが、商人が考える世界は「家族が中心」であって、親は親、子は子という考え方ではない。少なくとも我が家はそうで、皆が力を合わせるのが当たり前だと思っています。そして中心になるべき「家」を作り上げ、それを皆で盛り上げ、それがあるからこそ一族の中の弱者も助けられるという考え方。

農家も同じようなものだと私は思っていて、「俺の代でこの田畑は手放すから、お前たちはお前たちでゼロから荒地を耕すなり何なりして頑張れ」という考え方ではない。

いやいや、村も町も地方も、国でさえもそれは同じで、企業も同じ。オレはオレ、お前はお前という様に世の中は出来ていない。過去から築き上げ、手に入れたありとあらゆるリソース、資産を受け継いで、皆で力を合わせ、今日を生き、明日を作っているはず。

でもなぜかサラリーマンの世界は、俺は俺、お前はお前で、親と子も別々で、「皆がゼロからスタート」する。親が退職する時に部長だったとして、その子供は部長から始められるなんて世界があるわけもないですが(笑)、親が長年かけて得たものを子供に伝承しないって、私に言わせると「何かが狂っている」くらいに思うのです。

学校教育も同じで、大事なお金のことは学校で教えないって本当に不思議。ローン、借金、手形、貯蓄とは何かとか「個人保証とは何か」なんてのは義務教育で教えても良いくらいだと思う私。

サラリーマンが良かった時代もあるし、日本人の多くはサラリーマン的価値観を持っているけれど、これからの時代、親は親、子は子でやっていけるとは思えないのです。ここはかつての日本人の多くがそうだったように原点に帰って「一族の力を蓄える」ことを考えないと、他人に良いように使われて、捨てられて終わりの人生になると思っています。また一族の中に弱者がいても、見て見ぬふりをするしかなくなる。

他人に手を差し伸べるなんても不可能で、「ボランティア?冗談じゃない、俺がボランティアに助けてもらいたいくらいだ」なんて声を聞くこともあるし、何かあると「政府に文句をいうだけ」みたいな生き方が良いとは思えない。

兄弟や親子、一族が手を取り合って力をつける。それの延長線上に村や地方、国もあるんじゃないですかね。

自分がゼロから頑張ってしっかり稼げて老後も悠々自適ってのなら自分一人が中心に生きても良いのでしょうが、これからの世界はますます格差も広がるはずで、弱者や若者が自分だけの力で伸びていき、サバイバルするのは難しくなると私は見ています。

でもねぇ、兄弟でも遺産相続等で血肉の闘いをするのも世の中の常で、一族に「守るべきもの」があってもそれでうまくいくかどうかというと疑問。

では何もなくて良いってわけでもなくて、いろいろ想定しながらどういう形にしたら良いのか今からいろいろ考えています。

長男と次男は非常に仲が良い兄弟ですし、お互い力を合わせて何か出来る基盤を私は作りたいと思っています。それはマレーシアで無ければできない。

たとえ絵に描いた餅だとしても、皆でそんな夢を持って生きていきたいな、と。

諦めない・・・。諦めたらそこで終わり。遊んでいる暇もない。 (笑)

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 
 
 

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