ブログを読む「RSSリーダー」の掃除をしたら、いつの間にか無くなったブログの方がいつも読んでいるブログよりはるかに多かった

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RSSリーダーってご存知だろうか。

世の中の数多いブログだけれど、一つ一つ見ていたらとんでもない時間が掛かるのね。見に行ったら更新していなかったなんてこともあるし。

でもRSSリーダーを使うとかなり楽ができる。

私は「Freedy」という無料のRSSリーダーを使っているんですが、ここに読みたいブログを登録します。「KL」とか「ペナン」「コタキナバル」「シンガポール」、あるいは趣味の「カメラ」、「料理」、「Food」とかカテゴリーは10ぐらい作ってそれぞれ割り振ります。

このRSSリーダーの良いところは、それぞれのブログに直接見に行かなくても、RSSリーダーの中で読めるってこと。それも「更新があったブログだけ」ピックアップされて、続けて読むことが出来るから、昔みたいに「お気に入り」に一つづつ登録して、一つづつ見に行くなんてことをしないで済む。この便利さって半端じゃなくて時間の短縮には最高。

このRSSリーダーを使ってから何年経ちますかね。

これを使っている間に、どんどん興味のあるブログを足すのと共に、「すでに更新をしなくなったブログは自動的に【No update】のカテゴリーに移される」。

で、今回、このRSSリーダーを使いだして初めてその【No Update】の中身を見てみたんです。

するとあるわあるわ、更新されないブログの山。40,50ぐらいかなぁ。もっとかな。

それぞれのブログ名を見ると、思い出すんですよ。ああ、あのブログ主は女性であんなことをよく書いている人だったな、とか。あのブログはMM2Hホルダーでマレーシア礼賛ばかりするひとだったっけとか。

なつかしい・・・と思いつつ過去ブログを表示して見てみたんですよ。

すると最終更新日が2009年とか2013年とか、そんなのがごっそり。

そして面白いのは「これにてブログを書くのを止めます。今まで有難うございました」と書いてあるのはそのうちのいくつかだけ。引っ越ししたブログもありましたが、ほとんどは「ある日、ある時、ぷっつり書くのを止めている」のね。

ま、皆さんいろいろな事情があるんだろうとは思うのだけれど、あれだけ「マレーシア最高~~」「MM2Hは素晴らしい」「私達、幸せです~」と書いていたブログがある日ある時、止まるんですわ。

どうしたんですかね。

またマレーシアのことを事細かく書いていたあるブログが「諸般の事情で帰国することになりました」と書いて、そしてすぐに書き込みが止まったり。

私としては、「マレーシアを褒め称え」「いかに自分の選択が正しかったか」「いかに毎日が充実しているか」ってのにはあまり興味が無いんですよ。というか最初の内は誰でも舞い上がって\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/状態なのが普通でしょ。そして「良いことしか書かない」ケースも多い。最近はなくなりましたが、「マレーシアの物価は日本の3分の1」だとか「マレーシアの治安は良い」「マレーシア人は素晴らしい人達だ」とかそういうことを真顔で書いている人たちは少なくなかった。

でも途中でその書き込みが突然止まったり、帰国することになったり。

一体何が起きたのかなと私は思うし、そういうところこそ私としては興味があるんですよ。

なぜあれほど夢見た「海外生活」「マレーシアでロングステイ」を捨てて帰ることになったのか。なぜ盛り上がっていたブログを突然止めたのか。

私はその理由にこそ、「海外生活で真剣に考えないとならないこと」があると思っていて、私自身もグアム、ゴールドコースト、そしてクアラルンプールへと住む場所を変えながら、どういう時期に何を思うかってのはよくわかっているつもり。でも誰でも「新鮮な驚き」は「いつもの惰性」になり、感激することも減ってくるし、腹が立つことも減ってくる。

それって当たり前のことで、日本を出る前に東京に住んでいましたが、「東京ってすばらしい~~」「毎日が天国です」「皆さんも東京に来ませんか?」なんてことは誰も言わないのは誰しもがわかっていること。慣れてしまえばどんな場所でも「全てがいつもの日常」となってしまうわけで「ここはどういう場所か」なんてことも意識しなくなる。

それはマレーシアとて同じだと思うんですよ。

東京に来たばかりの人が「東京って素晴らしい~~」と毎日騒いでいるのを見たら、変わっている人だなぁと思うのが普通だろうし、ま、そういうこともあるんだろうなとは思うし、逆に「東京って酷いところだ」と毎日文句を言いながら住む人もいないわけで、文句を聞いたところで、ま、それも正しいと思うだけ。

そうかと思えば、「マレーシアに感謝しましょう」なんて言う人も出てくる。

私はこれが大の苦手で、ゴールドコーストにもいたんですよ。自分が感謝するのは大いに結構だけれど、それを他人にもそうしろ、そうあるべきだというのってかなりおかしなことだというのに気が付かないのね。

感謝する必要はないと言うんじゃないですよ。私だって、マレーシアを知り、マレーシアに来てよかったとは思うけれど、「感謝しましょう」「感謝するべきだ」と言われると、なんか違うんでないの?と思うわけ。

こういう発想って、同じファンクラブの仲間同士で盛り上がっているのと同じで、対象は何にしても好きか嫌いか、感謝しているしていないを含めて人それぞれ複雑な思いがあるのが普通なのに、「私達は同じファンクラブの会員~~♫」でまとめるのって変だと私は思う。でもそれが一番盛り上がるのはわかる。

そもそも、自分が住んでいた東京に感謝したことがあるのか、近所の人に「東京に住めることを感謝しましょう」って言ったことがあるのかと思う。

でもなぜか海外に出ると「感謝しましょう病」に罹る人がいるのね。

自分は海外に出てよかった。この国の生活は素晴らしい。その出会いに感謝したいと思う気持ちはわかりますよ。でもそれをいちいち他人に「同調しろ」と言うなっての。まるで自分が日本人代表になったつもり?って私は思う。

同じ様に「日本人としてXXXXのような行動は慎みましょう」とか。

そういうのを聞くと、ここは幼稚園か?って私は思うし、「私は聖人君子で日本人の代表です」と言っているようにも聞こえる。そういう人たちって日本に住んでいて同じことを言っていたのか?とも思う。こういう言動が出てくる元にあるのは「他人にどう評価されるかを気にする日本人的気質」だと思うのだけれど、こういうのって本当に苦手です。自分は自分、他人は他人で良いと思うんですけどねぇ。私はこういうことを言う人こそ「村八分をする時にはやる人だ」と思っているんですよ。

心が穏やかな時には「日本人としてXXXXのような行動は慎みましょう」というけれど、虫の居所が悪いと「お前を日本人として認めない。村八分だ」ってなるんじゃない?私はそういう人を結構見てきました。優しい口調でも「他人に対してこうあるべき、あああるべき」というのが好きな人は、ある時、「(自分の思うようにならないと)相手に対して鬼のようになる」ことがあるのはもうすでにマレーシアでも経験済み。(笑)

「常に自分は良い子でありたい」ってのもわかるし、「そういう自分を常に感じていたい」と思うのもわかる。ま、それだけその人達は、幸せなんだろうなぁと思うようにしていますが、「人は皆違って、それで良い」(その多様性が良い)という考え方がない人とは付き合うのが難しいと感じます。感性も価値観も自分が大事にしたいものも人それぞれ全く違うのに、一つの定規でみんなを揃えようって軍国主義か?みたいに思う。あるいはあるファンクラブのルールを関係ない人にも押し付けることがよくあるけれど、それと同じ様なものを感じます。

そして不思議なことに、そういう人たちが、ある日ある時、姿を消すんですね。またあれほどマレーシア礼賛をしていた人が突然ブログをやめる。

「単に飽きただけですよ」って答えがほとんどなのかもしれないけれど、「心境の大きな変化」って間違いなくあると思うのね。私の経験上でもそれって少なくなくて、あれほど仲が良かった夫婦が離婚することになったなんて話を聞くのと同じ。

ま、他人が離婚する理由を知りたいとは思わないですが、私としてはマレーシアという共通項があるわけで、「突然、マレーシアを去ることになった理由」「毎日書いていたブログをある日、プッツン書くのを止めた理由」を知りたいと思うわけ。意外に「対人関係」なんてのも結構あるんじゃないかと思ったり。日本人同士で固まっていると、何か起きただけで生活できなくなるのね。だからグループのリーダーの顔色を見てばかりいるような人も出てくるし。

あの人達は今頃、どこで何をしているんだろうか・・・・・。

 
 
 

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