世界のあちこちでこの議論が白熱していますね。
徹底的な活動封鎖をすれば、感染を止めることは出来ないにしろ、感染者数、死亡者数を抑えることは出来るんでしょう。
でもそれは経済封鎖と同じことで、経済的にやっていけなくなり企業の倒産、家庭崩壊も起き、自殺者も増えるであろうことは歴史がはっきり証明している。
さ、どっちを取る?
私としては制約がある生活をしているわけじゃありませんから、「厳しい活動制限」は大賛成。2週間もあれば「感染者のあぶり出し」は可能で、次に「濃厚接触者の調査」を進めれば「感染経路が全くわからない感染」は激減してコントロールしやすくなるのは間違いがない。
でもそれで感染が止まるわけでもなくて、しかし「オーバーシュート」は減るだろうし、「ピークの先送りは可能」なんでしょう。
私は日本の場合はこの「ピークの先送り」を当初から考えていたであろうことは、ダイアモンドプリンセス号にある学者が乗船しすったもんだあった内容からもわかった。これって言葉を変えれば「感染を容認する」という意味でもあって、心情的には受け入れられなくても科学的にはきっと正しいのでしょう。医療現場がちゃんと稼働するように維持し、必要な医療機器の手配、治療法の確立、ワクチンの製造までの時間稼ぎが出来れば、人口の半数が感染し、死亡者が数百万人なんていうことにはならない。
でももっとはっきり言えば、「100万人死ぬ」のと、「10万人の死者は受け入れて医療体制を保つ」のと二者一択ならどちらを選ぶか?みたいなもので、「一人たりとも死者を出さない努力をする」なんてのは嘘っぱち、理想論でしか無いと思う。
でも「対策」ってのは3種類あると私が考えているのはいつも書いている通りで、「医学的見地重視」「経済の影響重視」「国民の不安の解消(政治)重視」のどれが正しいのかは誰にもわからないはずで、言えることは「国民が望むことをする」のが政府だと思うわけです。たとえそれが医学的には間違えていようと、国家財政が破綻しようと、「安心」を国民が望むのであればしょうがない。
なーんてのは極論ですが、どこに重点を置くのかってのは各国いろいろで正解ってのは無いんじゃないですかね。
ただ私が気になっているのは「集団免疫」という考え方で、ある程度の蔓延はしょうがない。でもその中で生き残った免疫がある人が増えれば、その人達がバリアとなってそれ以上の蔓延は止まるという考え方。
これって極限の中での一つの選択だろうと思いますが、当然、「身体的弱者」「年寄り」から大量の死者が出る。
こんなことは机上の空論のような気はするけれど、この方法をイギリスが選択しようとしたのは驚きでした。
つまり、専門家の中には「口には出さずともそういう考え方がある」のだろうと思うわけです。
日本が取った対策も同じで、ダイアモンドプリンセス号のあの頃でさえも、「感染を止めるステージは終わった。これからはいかに重篤者、死亡者を減らすかに集中するべきだ」とダイアモンドプリンセス号に関わった医者が言っていたこと。
これは正しくてもそれを国民に広く公言したら大騒動になるはず。でも国民の多くはフェイスブックに書かれた担当医師の話なんか見ないし、メディアもそれを取り上げることもなかったし、もちろん国も自治体も厚労省もそんな事は言わない。でも専門家の中では「暗黙の了解」だったんじゃないですかね。
では経済的弱者をいかに救うかだけれど、あの莫大な予算を言い出したトランプ氏でさえも「国はATMマシンではない」と言う。当たり前のこと。
では経済活動を止めること無く、感染を抑えられるかと言うとそれも出来なくて、しかし「自粛」という曖昧さでは活動制限も効かない。
こまりましたね~。
でも私としては「人命や人権を何よりも大事にする」というせっかく生命体としての高い次元に到達した人類はやっぱりそれを大切にするというのが世界的なお約束で、中国や北朝鮮みたいに「死ぬやつは死ね。自然淘汰だ」なんて事は言えない、出来ない。
その代わり、それを守ろうとする政府や指導者を受け入れるべきで、彼らが経済封鎖を選択したとしても「たとえ数ヶ月経済活動が止まり、収入がストップしても生きていける状態を作る」のは自己責任の世界で、手に入れた売上、手にした利益をすぐに使ってしまうような「目一杯回転を良くする生き方」をするほうがおかしいと思うくらい。
でも欧米ならそれもしょうがないかなと思うんです。
オーストラリアでも給料は「二週間に一度」が普通で、「もらったものは、払うべきものは払った残りは使い切る」みたいなのが普通の庶民の生活。昔からアメリカの景気が良いのは「有り金全部使うからだ」と言われていたのはその通りだと思う。貯蓄に対する考え方はかなり違う。
日本って歴史的に農家が多く、また武士の世界も「年俸」が一般的で、「年に一度の収入をどう使うか」の知恵を皆が持っていたし、農家も不作の年もあるわけで、収入を全部使うなんてバカなことはしない。
でも今回のコロナ騒ぎで、知らない内に日本も欧米的になってきたと私は感じました。余裕がない人がたくさん。というかお金に関しても「生き残るためには備蓄が必要」という観念そのものが薄いのだろうと思った。
さて、政府はそういう「宵越しの金は持たない国民を助けるべきなのか」。でも余裕がない人は必ず言う。「計画もなく使ったわけじゃなくて、収入がそもそも少なくて生きるだけでもままならない状態だったのだ」と。
私はこの考え方って容認しない派です。
貧しかろうが、収入が少なかろうが、どうにかしないとならないのは自分の責任で、「金が無い、収入が少ない」のを他人のせい、社会のせいに出来るなんてありえないと思うから。
実際に世界を歩いてみればそれはすぐにわかるはずで、とんでもなく少ない収入で、とんでもなく低く悪い生活環境の中で生きている人のほうが多いのがわかる。それに比べると、「金が無い」という日本人の生活は、世界的にはまだ金持ちの部類で(額の問題じゃない)、今じゃ一人あたりのGDPも世界で26位ですか。見る影もないけれど、そして収入格差があると言われているけれど、他国の貧乏人に比べたら遥かに良い暮らしをしていると思う。
周りの人達と比べてみすぼらしい生活はしたくないのはわかるけれど、ないものはないのだから、その中からでも預金もし、投資もし、上に登ることを考えないとどうしようもないと思うのが私の考え方。日本は社会主義国じゃないんだから。
でもその考え方ってとんでもなく古くて、今の時代には通用しないのだろうけれど、私としては日本を見ていると「自立心の欠如」「努力の欠如」を感じてしまいます。そう思う私でさえ、かつて私より上の年代からは「戦後の何もない時代にどうやって生き抜いたのかと比べたら、お前は甘い」と何度言われたことか。
どちらにしても「政府も自治体も、金はここまでしか出せないよ。それ以上のことは自分で考えてくれ」と言われれば、そうするしか無いわけで、安倍さんや財務省の批判をしたところでどうなるわけでもない。それどころかそういう政治家、そういう官僚を許してきた自分を反省することのほうが重要じゃないかと。
アメリカはアメリカの国情にあったやりかたをするだけで、それはマレーシアも日本も同じで、「隣の芝生は青いなぁ」なんて思ってもどうにもならず。でも本当に「青く見える。それは事実」だとするなら、母国さえ捨てて「芝生の青い国へ渡る」しかないんじゃないですかね。
そんなのは簡単にできないと思うのなら、我慢をするか、国を変えるかどうにかするしかないわけで、文句をいくら言っても何も起こらない。
でも少なくとも政治家を選ぶのは我々なのだから、将来を考えて真剣に政治家を選ぶべきじゃないんですかね。それもしない、あるいは無駄だと諦めるのだけは上手いなんてのはお話にならず。
今回のコロナ騒ぎでは「いつもは見えないものがよく見える」から面白いと思います。国も個人も「本性が見える」と感じています。
個人も本当にいろいろで、文句を言いながらも「法律は守る派」と、「見つからなければ違反も構わない派」がきっちり見えるし、普段の行動からは全く見えなかった本質的なところが見えたのはある意味、収穫かもしれないと思ったり。
これは自分を観察しても全く同じで、「緊急時、非常時」に自分は何を考え何をするのかと自分を観察してみると、今まで自分が思っていたのと違う自分が存在するのも気がつく。
私はこのコロナ騒ぎの中で67歳になったけれど、できることならこの騒ぎが収まるのをじっと待つだけではなくて、今回わかった様々なことを肥やしにして、明日を生きたいと思う。
特に我が家は親方日の丸の助け舟もない生活をしていますから、いかに収入を確保するか、いかにリスクをコントロールすべきか、そのへんは徹底的に次の世代を担う息子としっかり議論して決めたいと思っています。
でもこのコロナ騒ぎに関して言えば、マレーシアの医療には不安があるものの、もしかしたら日本よりマレーシアのほうが政府対応はまともじゃないかと思っています。
でもま、マレーシアの感染者数は3・29の時点で2320人。日本は1693人。これって人口比で見れば、マレーシアの感染者は3.8倍の8816人。マレーシアと日本の差は、この数字の差にあるのかもしれなくて、もし日本が今8800人の感染者を出しているとしたら、全く違う対策をやるんじゃないですかね。
国民の真剣さも同じで、日本の1693人って私でさえまだまだなんてことのない数字に思えますもの。もし感染したかどうかわからない感染者がこの10倍いたところで、「確率的には出会うことは無いに等しい」のは中学校の算数でも計算できるんですから。
やっぱりある程度の人数にならないとその気にならないのはどの国も同じで、自分の親族や友人知人の中からボツボツと死人が出るようにならないと本気にはならないんでしょう。
そういう意味ではイタリアの北部なんて恐怖の真っ只中かもね。
マレーシアもMM2Hの死者が10人を越えたとか、そんな風にならないと「酒を飲もうぜ~~」なんて気楽な人はいなくならないのかも。いや、実はそういう人も本当は一人でいるのが怖くて、誰かといたいという気持ちが抑えられないのかもしれないと思ったり。
私ももしたった一人で生活をしていたら、全く違う行動を取ったかもしれない。
多分、私だったら知人のところを行ったり来たり、集まったりしないで、「あのさぁ、俺たち、一緒に住まない?」って言い出すかも。そしてその仲間だけで固まっていて、外をウロウロするようなことがなければ、うまくこの非常時をやり過ごせるはず。
MCO違反の逮捕者はどんどん増えていて、3月26日、27日の二日間だけで482人の逮捕者。
4月1日から延長になったMCOはEMCO(Enhanced Movement Cotrol Order)と呼ばれていて、今まで以上に厳格でしっかりしたアクションを取るとアナウンスされている。
また3月30日からは公共施設、ハイリスクエリアで消毒を始めると。(ここをクリック)
またKLの道路での検問だけれど、「体温を測る」ことも始めた様子。もしこれに引っかかるとややこしいことになりそ。(ここをクリック)
マレーシアはやる気満々。私はそんなマレーシアを頼もしいと思う。
しかし活動制限は暇だわ。
いつも長いブログがもっと長くなる。(笑)
長くなったついでですが、トランプ氏は「イースターには経済活動を再開させる」と公言していますね。イースターって復活祭ですが、それに引っ掛けて経済活動、アメリカの復活ってことなんでしょうが、イースターは4月12日。あと2週間しか無い。
まだ感染者のピークが見えない中でそんなことを行っちゃって大丈夫なんでしょうか。でも「経済を止めたままには行かない」のも上に書いたとおりで、トランプ氏はギャンブルをやるつもりなんでしょうか。まさか「感染の広がりは容認して、集団免疫の方向へ舵を切る」なんて言い出すんでしょうか。
でもそれを認めるアメリカ国民じゃないと思うなぁ。でもま、アメリカがどう動くかは日本でもマレーシアでも参考になるはずで、じっくり見ていこうと思います。4月12日はイースター。マレーシアのMCOはとりあえず4月の14日まで。マレーシアはMCOを解除できるのかどうか。