コロナの感染って「大事にしたい人がいるかいないか」で違いが出るんじゃないかと思ったり

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最近、ブログにコロナに関することは書きませんが、調べれば調べるほど「わけがわかない」から。

「三密に近寄らない」のは大事だと皆が言いますが、それ自体、まだ科学的に立証されていない様子。

これは初期の頃にもそれらしき事象がありましたよね。コロナに罹っている男性が、女性の接待がある店に行き「俺はコロナに罹っているんだぞ」と騒ぎ、その店の従業員がコロナに罹ったことが報道されましたが、あの時もなんだかおかしいなぁと思ったんですよ。

コロナをうつされた女性は、その客に付いた女性ではなくて、「離れた席にいた女性」でしたよね。なんで?

また、日本の満員電車は世界でも珍しいぐらい凄くて、そこでインフルエンザのように感染爆発があってもおかしくないのに「それが報告された事例は一つもない」ってどういうことなのか。初期の頃は「誰も防御策は取っていない」にも関わらずです。

でも「三密は関係ない」ってことではなくて、始まりは中国人観光客を乗せた観光バスの運転手が感染したケース。またマレーシアで言えばペタリンジャヤの宗教行事もそうだし、「三密で感染した事例は多く」、三密は危ないのは間違いがない。これはインフルエンザがまさにそれで、私達は経験則でそれを知っているから「三密は危ない」と何の疑いも無く信じてしまう。

では「三密が一番危ないのか」となると、それは立証されていないというウィルス学の専門家がいるからわけが解らなくなる。

結局、「三密の中で【どのように感染が広がるのか】を解明しないと意味がない」と思うわけですが、我々は単純に「そりゃ、飛沫感染だろう」と考えてしまいがちだけれど、飛沫の中のウィルスが生きているのか死んでいるのかも定かではないらしい。

実は私は「危ないのは(人からの直接ではなくて)物からの感染」だと考えているのは前から書いていますが、それとて単なる素人の想像でしか無い。

でもこれをいうウィルスの専門家もいるわけで、「何が一番危険なのかは未だにわかっていない」様子。コロナ禍も世界的に終盤に入ってきているように見える今でも、「コロナの素性がわからない」ってなんなんだろうと思うわけです。

PCR検査も同じで、検査を増やしても意味がないと考えていたであろう日本も、やれやれという声、そしてPCR検査に積極的な海外の動きに負けて(?)やりだしたけれど、「PCR検査の的中率が低いこと」に変わりはないはずで、偽陰性(感染しているのに検出されない)、偽陽性(感染していないのに検出されてしまう)の問題は解決されないまま、最近ではそれをいう人も減ってきた。これって世界中同じ。

今だからこそ、振り返ってこういう記事も読み返してみたら良いと思う。

東洋経済オンライン

――PCR検査では偽陰性(感染しているのに検出されない)、偽陽性(感染していないのに検出されてしまう)の問題があって、わ…

また検査を増やせば「偽陽性を含めて陽性判定」が出る人は増えるのも当たり前で、でも日本の場合は「新型コロナは指定感染症」であるからして「隔離、入院が必要」となり、今になって「医療崩壊が言われている」っておかしくないですかね。「陽性でも症状がない」人の%が高いのも「偽陽性が含まれる」からなはずで、そういう人も「陽性であれば隔離、入院」となるままで進めば医療崩壊するのも当たり前。東京都の7月15日の会議では、PCR陽性で無症状や軽症の人を入院させているため病床が逼迫しつつあると報告があった。

また「感染しても重症にならない。死なない」となれば「ただの風邪」と同じレベルになるわけで、さほど心配する必要はないはず。

これは日本、あるいは東京のデータを見るとそんな感じを受けてしまう。

日本全体の「検査陽性者数」の推移。

これを見れば、「第二波の到来」で国中が大騒ぎしても良いのにそれは起きていない。自粛要請も出さない。

その理由として考えられるのは、まず「重症者数」。減り続けている。

そして「死亡者数」の合計。ほとんど増えていない。

なぜこうなるかと言えば、「もともと感染者は多く、それの発見ができていなかった」とか、「夜の街の感染者が多く。若者の比率が増えたから」といわれている。そして各国のデータを見ても、「高齢者、持病持ち」が危ないのであって、「健康な若者に危険は少ない」のは間違いがなさそう。

ここで思い浮かぶのは「インフルエンザ」で、毎年、日本では1万人くらいが死ぬ。今回のコロナの死亡者合計は今の時点で約1000人。そして「感染症で亡くなる例年の死亡者数そのものは増えるどころか減っている」と。本来なら、コロナの死亡者がプラスされて増えているだろうと考えがちですが、事実は逆。

これってなんだ?って思いませんか。コロナが来てくれて良かったという結果。

こういう感染症って不思議な動きがあるようで、一つが猛威を奮うと他は引っ込むらしい。この理由もはっきりわかっていないらしいけれど、「ウィルスが体内に入り、【受容体と結合】して感染する」わけだけれど、その受容体の【取り合い】があって「強いものが残る」からじゃないかと言われる。本当ですかねぇ。

そしてもっとわけがわからないのは「国によってまるで違う」ってこと。違うウィルスじゃないかと思うくらい違いがある。

本当にわけがわからなくて、でもそれは「専門家も言うことが違う」わけだから、トーシロに何がわかるわけもない。

でも非常に興味深い解説、考え方を見つけた。

驚いたのは「インフルエンザの方が毒性が強い」というところ。インフルエンザの場合は、すぐに鼻汁、咳、筋肉痛、熱と明らかな症状が出て暴れまくるので、生体(人の体)はすぐに抗体を作るのだそう。ところが新型コロナは毒性が弱いので「獲得免疫がなかなか立ち上がらない」と。だから生体が抗体を出すほどの外敵ではなく自然免疫での処理で十分と判断しているのではないかと解釈し、「なかなか獲得免疫が動き出さないが、その間に自然免疫が新型コロナを処理してしまい、治ってしまうことが多い」という仮説を立てたと。

そして日本人の抗体陽性者が海外に比べて少ないのは「多くの人が新型コロナにすでに感染しているが、自然免疫でほとんどの人が治っている」という仮説に立って、抗体ができる前に治っているので、抗体陽性者が少ないと考えるほうが自然。

自然免疫で治る人の比率が欧米より日本人(アジア人)のほうが高く(理由はわからない)、その結果「軽症以上の発症比率」が低くなるが、抗体陽性率も低くなる(海外では高い)。自然免疫力(特に細胞性免疫)の強化にBCGの日本株とロシア株が関与した可能性は高いとみている。

こういう内容がどんどん続くわけですが、こういう解説、仮説は聞いたことがないものも多く非常に興味深いと思いました。

この「人種が違うと違う結果になる」というデータを見てみたいですよね。コロナが猛威を奮っている海外ですが、「その地に住む日本人の感染者数、重傷者数、死亡者数が全体数の割合より少ないのかどうか」。これに関しては、「日本人の感染者数は海外でも少ない」というレポートを読んだことがありますが、感覚的なものではなくて「科学的なデータ」も何年かすれば出てくるのかもですね。

私としては、結局、調べれば調べるほど「何がなんだかわからない」というのがわかるだけで、本当に困る。

でもま、「三密に近寄らない」「触るものに注意」「手洗いを頻繁にする」「顔を手で触らない」「危ないと思ったらマスク」をするしかないわけで、そうすれば大丈夫という確証は無いにしてもやるっきゃない。

MCO(行動制限)や自粛要請もそりゃ「個人個人の接点を減らす」わけだから、感染の広がりは抑えられるのは間違いがなくて、感染者数は減るんでしょう。

でもやっぱり大事なのは「重症化しない」「死なない」ことであって、感染するかしないかは別問題なのかもしれないのは、上の記事を見るとそんな気もしてくるわけです。

となるとMCO(行動制限)や自粛要請に意味があるのかとなるわけで、今の日本を見ると結論を出せずに迷走している感じを受けます。

そしてMCO(行動制限)や自粛要請は「経済に多大な影響を及ぼす」わけで、それをすべきかどうかってのは難しいところですよね。このコロナ騒ぎが単発でこれで終わりってことなら徹底的にMCO(行動制限)や自粛要請をするのもありでしょうが、第二波、第三波、あるいは新たな脅威があるとすれば、同じことを繰り返すことは絶対に不可能。

でも将来のことは横に置いといて、目の前に実際に存在する脅威に立ち向かうべきなのは「あるべき政治」であって、「命が大事か、経済か」という議論は私は不毛だと思うんですよ。どちらも大事に決まっていて、どこでバランスを取るかが重要なのは間違いがない。

でもコロナの素性もはっきりわからないから決められない。経済が大事と言いつつ保証や援助には限りがある。

わからないことにわからないこと、出来ること、出来ないことが重なって、どうするべきかって全くわからない。

でもMCO(行動制限)や自粛要請は不要、やるべきではないと主張する人も少なくない。これもまたおかしなもんで、そういう人たちは「新型コロナ?大丈夫だよ」という自分勝手な素人考えが根底にあるだけのことだと私は思うし、「愛する人が死んでも仕方がない」と割り切れるのか。またSERS 、MARSでも同じ様に考えるのか?と聞きたい。まだ新型コロナウィルスの素性がわかっていない今、どうするべきかは専門家にもわからず試行錯誤している状態じゃないんですかね。

またもしMCO(行動制限)や自粛要請が行われなかったらどうするのか。

実はここが一番重要だと私は思っていて、それがあろうがなかろうが「やるべきことは決まっている」わけですよね。

そしてそのやるべきことをやるかどうかは「自分に命を賭けても守りたい人がいるのかどうか」じゃないかと思ったり。意外に「自分が罹るかどうかそのもの」って大した問題じゃなくて、「自分が罹ったら愛する人にもうつす可能性があることの方が怖い」んじゃないですかね。

実は「アジアでは欧米のように感染爆発がない」のはこれが理由のような気もするんですよ。アジアにはまだ「家族を大事にする」という考え方は根強くて、「同居も多い」じゃないですか。マレーシアもそうで、「老人は家族で面倒を見る」習慣がある。そして昔の日本もそうだけれど、「主」がいて、その主は長老なのが普通で、「家長と言われる長男でさえも【主】には頭が上がらない」なんてことがある。

こういう家庭で「コロナ対策をどう考えるか」と想像するとかなり徹底した対策を取るんじゃないかと想像します。

これと日本流の「他人には迷惑をかけない」という考え方と通じるものがあって、「マスクをするのは【誰にも移したくないから】という考え方」が日本人には強くあるんじゃないでしょうか。そもそも自分が罹っているか罹っていないかわからないから、まず「罹りたくない」のはあるにしても、「うつしたくない」という思いは強いはず。また「他人の目が怖い、何を言われるかわからない」ってこともあるんでしょう。日本は「リンチ」「私的制裁」を平気でやる土壌があるし。

そもそもマスクは「防御力は低い」けれど「感染を広げない」という点では間違いなく素晴らしいわけで、そして「自分が感染しているかどうかはわからない」とすれば、「全員、マスク装着が正解となる」わけで、「マスク不要論」は「俺は大丈夫」という自己中が根底にあるんだろうと思うわけです。

でも家族主義が崩壊していたり、年寄は年寄りで自立して生きるべきという考え方があると、また、「弱者?俺には関係ないね」とか、あるいは「個人主義が発達しすぎている」場合は、「コロナ?俺は平気だよ」と【自分のことしか考えない】傾向が強くなるんじゃないかなぁ。お前のことを聞いているんじゃないっつ~の。

この差が、感染の広がりに関係があるような気がしてならないんですよ。

そして「自分以外の人たちを思いやる気持ち」があるからこそ、清潔に保ち、衛生管理意識も高まるんじゃないですかね。

たとえば「ゴミ屋敷」ってあるじゃないですか。あれって「一人暮らし」がほとんどじゃないかと私は思うわけで、大家族で怖い長老もいるような家庭でゴミ屋敷問題は起こらないでしょう。愛し合う若い二人もそうだろうし、自分の命より大事な子供がいる家庭、尊敬する父母祖父母がいたらああいうことは起こらないはず。

政府や自治体がMCO(行動制限)や自粛要請をしようがしまいが、ああしろこうしろと防御策を広めようがそんなのは「愛する人達を守らなければならない立場」の人に取っては全く関係ないというか、「我が家はもっと徹底的に防御策を取る」と考えるのが普通のような気がするんですよ。

今の東京や大都市での感染広がりを見ていると、やっぱり若くて独り者、若者どうして共同生活をしている人が多いような感じがあるし、これを言ったら彼らに失礼だとは思うけれど「愛する人を救いたい。コロナに感染させるわけにはいかないという意識は低い」んじゃないかと。私も若い時には「自分が世界の中心だった」し。(笑)

で、自分のことだけ考えれば、そして「殆どの若者は重症化しない。死なない」となれば、「好きなようにするさ」ってなるのも当たり前だと思うんですよ。あるいは「ある程度のリスクはしょうがない」と考えるか。

でも今回の新型コロナウィルスの素性はいまだにはっきりわかっていないし、また「抗体も長続きしないかもしれない」という報道も出てきているわけで、本当に将来のことはわからない。

東京だって、今は若者中心と言うけれど、年配者の感染者も増えてきたみたいだし、そして今の時点でベッド数の余裕がないなんてこともあるわけで、「再び重症者、死亡者が増える」なんてことも起きるのかもしれない。

こんな状態で日本では「Go to キャンペーン」をゴリ押し。

この後ろにあの「二階幹事長(全国旅行業協会(ANTA)の会長)が絡んでいる」と言われるけれど、まぁ、経済を考えればやったほうが良いのだろうけれど、「国民がそれを受け入れる準備は出来ていない」んじゃないですかね。そもそも旅行客を受け入れる側が「考え直して欲しい」というくらいなんですから。

私としてはGo toキャンペーンがどうのこうのというより、「二階幹事長の肝いりでゴリ押し」ってのが気に入らない。中国問題も同じで、あの先生、はよ~引退しろやと思う。

もしGo toキャンペーンで各地に感染者が増えて問題になったとしたら、世間は「安倍が~~~」となるはずだけれど、私としては「またおまえか、二階!」って思うし、それを忘れないようにしようと思う。

東京は外すらしいけれど、これもまたいい加減だと思いますわ。税金を使うのに「東京だけ除外」なんてありか?と思うし、経済を回すなら「減税」が一番だと私は思うわけで(高橋洋一教授はその原資はあると断言する)、それプラスすでに死刑宣告を受けたような観光業に関してはなんらかの補助をするのが「平らな援助」のような気がします。「Go to キャンペーン」で利益を享受できるのは利用者も受け入れ側も限られているとしか思えないし。

ドイツやイギリスは消費税を減税。でも日本はどうしてもそれだけはやりたくない様子。そして消費税減税の声を潰すために財務省も政治家も一生懸命だという声も聞こえてきて、あの毎度おっちょこちょいで、それでいて次期総理としてのリストにも入っている石原伸晃衆議院議員が「増税すべき」と言い出す始末。

なんだか日本って「一本線がきっちり決まらない」国だと思うのだけれど、最近はこれが良さかもしれないなんて思うようになりました。

誰もリーダーシップを発揮すること無く、説明もちゃんとせず、責任も取らずにやることはフラフラしていているけれど、それだけ国民はしっかりして「自分の頭で考えて行動する」様になるんじゃないですかね。

そして国民も決して一枚板ではないわけで、右も左も上も下も言いたいことを言い、やりたいようにやって、そこで「結果的に落ち着くべきところに落ち着く」のかもね。

日本の和の精神とは「リーダー不在」だから成り立つのかもしれない。そんな気がする今日このごろ。

また話が長くなりましたが、我が家にはコロナに罹ると危ない人が複数いますし、私は絶対に守りたい。だからMCO(行動制限)は継続で決まり。(^_^)v

 
 
 

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