本当にくだらないことで落ち込んでいます。
辛子明太子のことで。
辛子明太子が自分の人生、マレーシアの生活にどれほどの意味があるかなんてことは考えたこともないのですが、辛子明太子で落ち込んでいます。
マレーシアではどこでも辛子明太子は売っていますよね。我が家の常備食ですが、それがないと困るわけでもなく、辛子明太子がなければ生きていけないわけでもない。
でも「白いご飯」と「美味しい辛子明太子」があるだけで、幸せだな・・・って思うことは間違いなくある。
だから満足できる辛子明太子をいつも探し続けているんですが、なかなかこれぞというのがないのね。これは和食材の輸入商から買っても同じで、「こんなレベルのものを和食店に卸しているのか?」なんて思うこともある。
そうかと思えば、ビレッジグローサーで売っていた辛子明太子が美味しくて大喜びしたり。でもそれがいつもあるわけでもなく、今ではそれは「思い出」になってしまっています。
JMGという卸商があって、彼らは最近、「旬鮮マーケット」という小売部門を作った。ここに何度も紹介しています。
で、このJMGって「切れ子明太子」を以前から扱っているんですよ。
切れ子って、いわゆる製造途中で「千切れてしまったもの」があるわけで、そういうものを集めた「訳アリ品」みたいなもの。でも家で使う辛子明太子が「きれいな一本」である必要はなく、食卓に出る時には「切って出す」のがふつうだから、こういう「切れ子」で十分なわけ。ましてや訳アリ品の類だから安いのが普通で、こんな良いことはない。日本でもそういうのが売れ筋なのも理由は同じ。
こういうのね。日本では切れ子の売れ方が凄くて、ちゃんとした一本物をわざと切って「切れ子」として売ることもあるのを聞いたことがあります。売れ行きが悪い「一本物」を値下げして売るわけにはいかないと。
で、JMG=旬鮮マーケットのこの切れ子が結構美味しいんですよ。大当たり。だから今回、久しぶりにこれを買ったのは我が家としては大ホームラン。
ツブツブがしっかりしているタイプで、息子もヨメさんも美味しいって喜んでる。ヨメさんは福岡出身だから辛子明太子の良し悪しに関しては私よりウルサイのだけれど、そのヨメさんも文句なし。
おかずがイマイチでも少なくても、この辛子明太子があるだけで、全く文句がない食生活を送れていたんですよ。
ところが~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この切れ子って、いろいろな切れ子が混ざっている様子。
全然、美味しくないのも混ざっているのがわかったんですよ。(T_T)
ただそれだけのことなんですが、落ち込んでいます。
なんというか、海の孤島に流れ着いて、食べ物も水もなくて困っている時に「湧き水を見つけた」としましょうよ。
この時の喜びって半端じゃないですよね。これで命をつなげるって大きな安堵感がある。
ところが、その美味しくてきれいな水が、実は汚染されているのがわかった時の落ち込みって半端じゃないですよね。
それほどの大きな落胆を今、感じているんですよ。
どんな食材でも、より良いものをいつも探し回っていますが、マレーシアではがっくり来ることばかりで、日本なら簡単に見つかるもの、選ぶのに困るほど豊富なものでもマレーシアでは全く見つからない事が多い。でも味噌醤油が代表するように、そういう定番はどこにでもある。つまり「和食を維持するのはどうにかなる」のは間違いがない。
でもそこから一歩出て、「より満足が得られるもの」を探すととんでもない大きな壁が目の前にあるのがわかるのね。
諦めようかなぁ・・と思いつつ、探すわけですよ。それを何度も何度も繰り返すのね。期待しては打ちのめされ、期待しては打ちのめされの繰り返し。
でも諦めないでそれを続ける内に、「砂に埋れたダイアモンド」みたいなものに出会うこともあるわけ。
その時の喜びって半端じゃなくて、「諦めないで良かった」「この偶然、出会いに感謝しないければ」なんて思うわけですよ。
ところがやっぱり、梯子を外されるのね。
若い頃から、人生って「七転び八起き」だと思って頑張ってきたけれど、「俺の人生は七転八倒だ」と挫折しそうになったことは何度もあります。
あの時の挫折感に今、襲われています。
美味しいものを探そうなんて、そんなことにこだわる自分がどれほど馬鹿なのか、自分に悪態を付くしかない。
ケチらずに高級店に行け?
普段の家食は我慢をしろ?
高くて美味しいのは当たり前で、私はそういうので満足を得るタイプじゃないんですよ。ましてやそういう店を頭に置きつつ、毎日の家食は美味しくなくても我慢するなんて、とんでもない生き方だと思うわけ。「美味しいものは日本に帰ってから食べよう」と毎日の食事がイマイチでも我慢するのと同じで、そういうのは私には考えられないんですよ。
やっぱり自分で「これが世界で一番美味しい」と思うのが作れた時の喜び。素材にしても、絶対に無いだろうと思っていた良いものを見つけたの時の喜び。
私にとって、そういう喜びに勝るものってないのね。自分の毎日の家食がそれでどんどん進化するのは間違いがないんですから。
でもその喜びが壊れる瞬間もある。
こんな小さな希望さえも叶わせてもらえないのかって思う。
こんなことを思う自分が馬鹿なのはわかっているけれど、事実そう思うのだからしょうがない。