恵方巻きを食べよう~~、って? オーストラリア時代が懐かしい・・

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ヨメさんが突然言い出した。

「恵方巻きを食べよう~~~」って。

まぁ、2月2日の節分だからだと思いますが、私は関東出身で恵方巻きとは縁がなかったし、我が家も今までに恵方巻きを食べた覚えがない。いや、子供たちが小さい頃に一、二度はあったかもしれない。

なんで突然、恵方巻きなんでしょうか。

恵方巻きを食べる習慣は無いにしても、太巻きは大好きだし、ヨメさんが作る特性太巻きはかなり美味しいので、私も賛成。

ところが~~~~

「どこかでデリバリやっていないかなぁ」

ですと。

なんだ、太巻きを作るんじゃないのか。

「作るんじゃないんだ?」なんて余計なことをいうと聞きたくないことを聞かざるを得なくなるのは簡単に想像できたので、「太巻き」をデリバリしてくれるところを探しました。

ああ、SS15の「寿楽」にしようと、寿楽のメニューを見たら「太巻き」があったのでそれを注文することに。ついでに「ねぎとろ」、「しめ鯖棒鮨」、「牛すじ煮込み」、「長芋キムチ」。

しめ鯖はそこそこ良いものが冷凍庫にあるのに、注文しろと。

「ハイっ。仰せのとおりに」 ( ̄ー ̄)ゞ

届いた太巻きはまさに太巻きで、これを一人一本づつ。

恵方巻きはそのままかぶりつくのが習慣らしいけれど、太すぎて口に入らない。量も多すぎ。(┰_┰)

切って中身を見たけれど、普通の太巻きで感動はなし。

これを食べてみたら、やっぱり普通の太巻き。そしてご飯が多すぎ~~。すし酢も効きすぎ~~。

昔、ヨメさんがいつも作っていた太巻きが懐かしいなぁ。子供が小さい頃の節分も懐かしい。豆を撒き散らして大騒ぎになったっけ。

ヨメさんの得意な太巻きに何が入っているのかは良く覚えていないけれど、絶対にお約束なのが「ウナギ」と「イクラ」「ゴボウ漬け」。ゴボウ漬けのコリコリが決め手だったような気がする。

それがあるからイクラを小鉢で添えたのだと思うけれど、ヨメさんの得意の太巻きの良さはなし。

ゴールドコースト時代には知り合いの板さんも多くいて(ほとんどが永住権保持者)、年齢も近くて皆が我が家と同じような家族構成で子供もいて、子供同士は親友なんてこともあって(日本語補習校の仲間)、家族ぐるみの付き合いをしていたんですよ。休みにはBBQパーティなんてのがいつものパターンだった。20人以上集まることも普通にあって、子供たちは勝手に遊び、プールで泳いだり(日本人が住むような一戸建て、コンドにはプールがあるのが普通)、大人たちは真夜中まで酒盛りを続けるなんて生活が10年以上続いた。

だからお店に行ってもツーカーで、ヨメさん風の「特製太巻き」を作ってくれることも多かった。

でも今はもう、全てが遠い思い出・・・・・。

今、ヨメさんは「料理を作る気が全くしない」とはっきり口に出します。

でも私は理由を聞かない。

間違いなく、矛先は私に向かうのはわかりきっていて、でも私は私が理由だとは思わないんですよ。

ヨメさんも歳をとってきて、また全く友達付き合いもない引きこもり生活を送っていて(ネットで日本やオーストラリアの友達と盛り上がってる)、精神的に病んでいるのが私にはわかる。もちろん、「マレーシアに行こう」と決めた時から「乾癬」というストレスが原因の病気に掛かって、人前に出るのを極端に嫌うようになったのも関係している。

そういう生活になんの喜びもなく、毎日が過ぎていくのを待つような生活で、盛り上がるほうがおかしいと思う。そして当然、コロナも大きく関係している。

でもそれを打開する方法は無い。

いや、あるんだろうと思う。それは私達がマレーシアを引き上げてゴールドコーストへ帰ること。ゴールドコーストは私達が「オーストラリアの土になろう」と永住を決めて1991年に渡った第二の故郷。マレーシアとは私達にとって「避難所」「中継点」でしかなく、決して第三の故郷ではない。

でもマレーシアにはマレーシアの良さがあって、来たことになんの後悔もないし、生活は楽しんでいます。ただ、クアラルンプールという都会に住んでいるせいか、都会の良さは大いにあるものの、ゴールドコースト時代の様な「溢れるばかりの自然の中で遊ぶ」ことが出来ないのは残念。ランカウイみたいなところに住めば随分違うと思うけれど、あっち立てればこっち立たずで、やっぱりクアラルンプールが私達にとってはベスト。

家族4人で泣いたり笑ったりの思い出がぎっしりつまったゴールドコーストの我が家。この寝室からの眺めも心にしっかり焼き付いている。

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マレーシアへ渡る直前に借りていたコンドもゴールドコーストらしい思い出がある。

 

ではゴールドコーストでは青い鳥が待っているのかと言えば、そういうことはないと思うのだけれど、「今の生活に満足できない」という深層心理がある人に取っては「青い鳥は他の場所にいる」と信じてしまうはず。

それだとしても、そうしてやるのが私の義務なのかもしれないけれど、私達はマレーシアに遊びに来たのではない。会社の命令で赴任してきた駐在組と同じ。ただその命令を出したのは自分自身だという違いがあるだけ。

もしかしたら「赴任期間」が決まっていない、まるでわからないところに問題の本質があるのかもしれない。

でも世の中の「縁」って不思議で、「神の采配」が存在するんじゃないかと思うほど。私達がマレーシアに行こうかと考えだしたときには、ハワイとサンディエゴに長年住んでいた姉はすでにMM2Hを取っていたし(私達はそれを知らなかった)、姉も私達もマレーシアに行くと知った日本に住む両親は、すでに何十年も世界に散らばっていた家族がマレーシアで合流できると知り、さっさと自分たちもMM2Hを取り、資産を整理して私達よりも早くマレーシア上陸を果たした。

本当に何十年ぶりに家族が同じ国に住むようになって、私の両親が何よりも大事にしている孫までがマレーシアに来たことに歓喜していたっけ。

私達がマレーシアに上陸し、初めて両親のコンドに行った時、母だけが玄関で私達を待っていた。そして私の耳元で一言言ったのが忘れられない。「これであんたに看取られて死ぬことが出来る。来てくれて有難う」と。

残念ながら母を看取ることは出来なかったけれど(その時、私達は次男坊の結婚式のために日本に行っていた)、この数年間、娘と息子と大好きな孫に囲まれて生きていた両親は幸せだったはず。また私もそれが何よりの親孝行だと思った。

そして今93歳の父は健在。姉と二人で住んでいる。当然、「絶対に日本に帰りたくない。飛行機にも乗りたくない」という年老いた父と姉をマレーシアに残して、私達がオーストラリアへ帰るなんてことは絶対にできない。

私達は今、幸せなのか。

それが私には良くわからないのだけれど、少なくとも「やるべきこと」「やらなくてはならないこと」があって、今、マレーシアにいる。

もしかしたら、「ゴールドコーストが世界で一番好き」というヨメさんだけ、ゴールドコーストに帰すという選択肢もあるのだろうと思う。次男坊夫婦が住むシドニーに行きたいとはヨメさんは一度も言ったことはないし、もしシドニーに行ったにしても次男坊夫婦のお荷物になるだけなのはわかりきっている。

でもヨメさんも「ゴールドコーストで一人で生きていけるとは思っていないはず」で、結局、私が悪者になってそれで収まるのならそれで良いと思う。マレーシアに来ることにはずーっと反対していたヨメさんだけれど、マレーシアに行くことが決定し、マレーシアに来てからは「ゴールドコーストに帰りたい」とは一度も言ったことがない。こういうところはキモが座っていると思うし、私も感謝しています。でもその代わりに「乾癬」というストレスが主な原因となる病気に掛かって、それは未だに治らない。

いつか、「やっぱりマレーシア行きは大正解だったね」と皆で笑って話せる時が来るように、私と息子と頑張るしか無いってことなんだろうと思う。

頑張らなくては・・・・・・・

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