歳を取るのが嬉しい人って少ないと思います。ましてや「老い」を感じる年代は毎年毎年、坂道を転げ落ちるような気がするし、間違いなく「心身ともに弱くなっている」のがわかる。
鏡を見れば、そこに映っているのは化け物にも見えて、「お前は誰だ!」と言いたくなることもある。
ところが内面的には、鏡に映る自分とは全くの別人で、30代、40代の頃と全く変わっていないどころか、もっと昔の幼児性もそのまま残っていることにも気がつく。そして気になるタイプの異性を見れば、若い頃と同じ様にドキドキするし、10代、20代の自分がすぐに蘇ってくる。
そんな自分に「年寄りらしくないなぁ」と思うことは結構あって、「年寄りらしくしなければ・・」という思いが心の隅に間違いなく存在しているのがわかる。
でもねぇ、最近、それって違うんじゃないかと思うようになったんですよ。
確かに生物学的にはどんどん駄目になって行くのは間違いがないのだけれど、「自分の中」をよーく観察してみると、実は駄目になってるなんてことはなくて、そして「歳を取ると失うものが多い」と思っていたのも勘違いじゃないかと思うようになってきました。
事実は「歳と共に経験や思いがどんどん積み重なっていく」のが正解で、生まれてから1歳の自分、5歳の自分、10歳の自分の様に、どんどん自分の中に「その時その時の自分」が【増えて重なっていく】ような気がするんです。私は先月68歳になりましたが、自分の中には68人の自分が存在するみたいな。
でもそれが増えていけば、ひとりひとりの自分の存在感が薄れていくのは当たり前で、でもそれを「過去を失って行く」みたいに感じるのは違うのではないかと。
体は朽ち果てていくけれど、実は自分の中には「経験や思い、その時々の感覚」がどんどん蓄積されていくというのが事実のような気がする。つまり、それは悲しむことどころか、喜ぶべきことじゃないかと。自分の中を見てみると、とてつもなく多くの人生が詰まっているみたいな。
だから自らの意思でその中の一つを選び出すと、瞬時に自分はその時の自分になることができる。
こういう感覚って前からあったのだけれど、それは「自分が年老いていくのを否定する」あるいは「現実逃避」のように思う自分がいました。でも実は、自分の中のタイムマシンがどんどん高性能になるみたいなもので、「歳を取ると失うものがある」という考え方を放棄すると、実は自分の中は宝の山かもしれない、みたいな気がしてくるんですよ。
かなり若い頃ですが、それに気がついたこともあったのを思い出します。
年寄りが縁側に座ってボーーッと庭を見つめて何時間も過ごす図がありますが、あれはまさに「老い」であり「ボケてきている」と私が若い頃には思っていたのですが、ある時、それは全く違うんじゃないかと思ったんです。その老人の目の前の庭には、まだ子供が小さい頃、庭を駆けずり回っていた光景、あるいはまだ伴侶も若い頃、一緒に世間話をしながら雑草を抜いたり、あるいは家族が集ってバーベキューをしたり、そんな思い出が次から次へと出てきて、「それを見て楽しむこと」に忙しいんじゃないかと。本人はボーッとしているどころじゃなくて、頭の中はフル回転しているのかもしれない。
ボケーっとしている、ボケているどころか、静かに庭を見つめる老人の中ではタイムマシンが活発に動いているんじゃないかと思った。走馬灯、あるいは万華鏡の様に次から次へと思い出し、その時の感動が蘇ってきて、ボケて見えるのは外見だけで「内的にはかなり忙しい状態」じゃないかと。
そして今、あのときにそう思ったのは、間違いがないという確信があるんですよ。
自分の中には1ページ、1ページ増えていったかなり分厚い歴史書があって、それぞれのページをめくればその時の自分が蘇ってくる。
歳を取って失ったものなんか無い。
常に増え続けている。
そんな感じがする今日このごろ。
でもいつか、その自分の中にある分厚い歴史書の「装丁が壊れる」時が来るんでしょう。一枚一枚のページが解けてしまう時が来る。
その時の自分を「自分が観察できるのかどうか」は私にはわからないけれど、もしかしたら「時間の流れのルールから開放」される、それこそが人生最大の至福のときかもしれない。
フト私の叔父のことを思い出しました。
彼はシアトル生まれの日系3世なのですが、生粋の日本人の叔母と結婚し、長い間、日本を拠点として生きていた。
でも晩年はボケが進行して施設に入ったのですが、その時にはもう叔母、つまり自分の妻を妻と認識できなくなっていた。でもその施設の介護士にはフィリピン女性が何人もいて、彼は普段日本では使うことのない(彼の母国語である)英語で生活をしていた。そして毎日毎日が楽しいようで、自分はハワイに住んでいると信じていた様子。
叔母が会いに行くと、ハワイに遊びに来た旅行者だと思うようで、叔母が帰る時には「またハワイに遊びにおいでね~~」と嬉しそうに手を振っていたと。
叔父は若い頃にはアメリカで「日本人収容所」に入れられ、終戦後、アメリカ兵として日本に駐屯したときに叔母と知り合い結婚しましたが、彼は生まれ故郷のシアトルに帰ることはなく、日本で起業して商社を長い間、経営していました。引退してからはハワイに住んだり、また日本に帰ってきたり、子供がいない叔父叔母は自由に人生を楽しんで生きていた。
そしてその叔父は、施設にいるなんてことは全く考えもせず、ハワイで幸せに住んでいると信じたまま黄泉の国へ旅たった。
「周りの人達の苦労」は半端じゃなく大変だと思うけれど、本人にとって「ボケ」とは最後の最後に神様がくれた贈り物かもしれない。そんな気もしてきます。
ボケたら大変だ、なんて思うのは「こちら側の人間が考えること」でしかなくて、本人にとっては新たな旅たち、あるいはその準備であって、そして自然現象なのは間違いがなくて、決して忌むべきことではないのだろうと思う。
このブログもいつまで続けられるかわからないけれど、もし「ボケの進行」「ボケた本人は何を考えているのか」を書くことができたら面白いかもしれない。(笑)
いやいや、もうそれは始まっているのかも。